西城秀樹勇気があれば。 西城秀樹の作品・出演一覧

勇気があれば(西城秀樹) / コード譜 / ギター

西城秀樹勇気があれば

[名曲ランキング] コメント(投票数 185)• 人生の応援歌です。 優しい秀樹の歌声が心に寄り添ってくれる。 聴く人の心に寄り添い励ます素敵な名曲。 優しく純粋な秀樹の歌唱が心に響く。 心に響く名曲です。 悩み多き青春時代、勇気があればを聴いて、何度も背中を押されました。 ヒデキさんの心のこもった素晴らしい歌唱で、歌詞がじ〜んと心に沁みます。 この歌に励まされる、頑張らねばと。 つらい時聴くと希望が持てる。 秀樹に勇気づけられて、生きてます。 かつての後悔も日常の一コマのようで愛おしい。 あの時にもう少し勇気があったら、と。 詞も秀樹さんの歌う声も優しく聴いていて元気をもらえます。 優しい歌声で、魅力的。 秀樹はバラードもいいね。 秀樹さんの歌で一番好きな曲。 時に、気弱な思いになるときに、みんなそうなんだ、ということと、前を向くことを教えてくれます。 大好きです。 一歩を踏み出せずに居る時に、勇気を貰えるうただと思います。 この歌も好きな歌です。 優しい気持ちになれる歌、歌詞ろ曲も素敵。 たくさんの勇気をいただきました。 西城さんの優しさに心が暖かくなります。 西城秀樹の爽やかな朗らかさ、真摯な生き方と共に記憶に刻まれている。 前を向いて歩いていける、勇気をもらえる曲です。 病気の治療中です。 隠れた名曲。 優しく背中を押してくれる曲。 辛い時に聞くと心がか軽くなります。 イントロからの出だしの秀樹の優しい声にメロメロになります。 包み込むような優しさと、希望を感じさせてくれる名曲です。 秀樹の優しい歌声に何度も励まされました。 知らない方にもぜひ聞いていただきたい名曲です。 大好きな歌です。 メロディーも歌詞も大好きです。 秀樹の優しい気持ちが凄く感じ取れる素晴らしい楽曲。 今の若い人達に聞いてもらいたい名曲です。 ヒデキの優しさ溢れた歌唱に幾度も涙しました。 ありがとう、ヒデキ。 西城秀樹さんの歌唱が胸を打ちます。 何度も、この曲に背中を押されました。 いまだに、この曲を歌ったり聞いたりすると、前に進めます。 レコード大賞あげたかった。 レコード大賞あげたかった。

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西城秀樹追悼特集「ザ・スター」「夜ヒット傑作選」

西城秀樹勇気があれば

1979年1月4日 - 1月6日、大阪・厚生年金ホールにて新春コンサートを開催。 「YOUNG MAN Y. 」を唄い、「Y. 」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露 2月21日に発売され売り上げ80. 8万枚の大ヒット(年間シングルチャート第7位) 8月18日、第6回大阪球場コンサート『BIG GAME'79 HIDEKI』を開催 8月24日、第2回後楽園球場コンサート『BIG GAME'79 HIDEKI』を開催 11月4日、第6回日本武道館コンサートを開催 第8回『ベストドレッサー賞』受賞 年末の賞レースは『第21回日本レコード大賞』、第12回『日本有線大賞』を除き、第10回『日本歌謡大賞』、『FNS歌謡祭'79』、第5回『日本テレビ音楽祭』、『'79 あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』でグランプリを獲得 『第21回日本レコード大賞』は、邦楽が審査対象とされたため、この年、社会現象までなった「YOUNG MAN Y. 」は外国人作曲のカバー曲という理由で審査対象から外れ「 勇気があれば」でエントリー ジュディ・オング「魅せられて」との激しい大賞争いとなったが敗れた。 「YOUNG MAN Y. 」がヒットして以降は西城のいろいろな提案が通るようになり、自身も好きなことをやっていきたいと思うようになった契機にもなった。 同じく観客参加型の応援歌・第2弾として発売された「ホップ・ステップ・ジャンプ」、バラード曲の「 勇気があれば」も30万枚を超えるヒットを記録し、『第21回日本レコード大賞』は「外国人の作曲作品は審査対象外」となるルールもあって逃したが、第10回『日本歌謡大賞』、『FNS歌謡祭'79』、第5回『日本テレビ音楽祭』、『'79 あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』でグランプリを受賞 さらに1980年には観客参加型の応援歌・第3弾として「俺たちの時代」を発売している。 「みんなで何かをする、ファン参加型ライブの素晴らしさを実感した。 」と、多くの場所(1979年の『ミュージックフェア』等)で語っていたように、西城自身の強い意思で行われ、それまでの歌謡界の固定観念を覆す先駆けとなった。

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勇気があれば / 西城秀樹

西城秀樹勇気があれば

亡くなったときに騒ぎが大きかったといえば、亡くなり方が突然死という衝撃的な事件として報道番組で幾日も報じられました尾崎豊さんではないでしょうか。 全身に擦り傷があり、右目の上に大きなコブがあることから司法解剖に切り替えられ、検視、解剖の結果、死因は「肺水腫」と発表され、衰弱死、自殺、事故、他殺のなどが疑われて、覚醒剤中毒による肺水腫ではないかという憶測もありました。 人気ということであれば、活動期間の長さや老若男女からの人気の幅広さ、日本(さらにアジア)での歌謡界における実績、功績の大きさからすれば、西城秀樹さんです。 尾崎豊さんは活動期間も短く、若くて他界され、若者のカリスマ的存在として音楽番組でもよく取上げられておりますので、認知度が高いと思われますが、しかしファン層は特定の年代の方になるのではないでしょうか。 西城秀樹さんは、お亡くなりになってからの事ですので、故人にとっては大変お気の毒に思えて仕方がありませんが、ネット上では特に若い方々に、その容姿とアクションのカッコ良さや、人を引きつける歌唱力が絶賛されています。 そして激しいアクションとエモーショナルな歌唱により、1970年代の様々な音楽シーンにスケールの壮大さと魂・活力を与えて、エキサイティングかつドラマティックに歌謡界を変貌、まさに時代を変え、人々に勇気と感動を与え続けた、ヒーロー性、カリスマ性を兼ね備えた永遠のスーパースターです。 尾崎さんと西城さんでは亡くなり方が違います。 騒ぎとしては事件性も疑われた尾崎さんのほうが若干大きかったかもしれません。 でもそれはワイドショー的な騒ぎで、西城さんが亡くなった時のような沈痛な雰囲気ではなかったと思います。 現在の人気に関してはファンの年齢層や活動時期の違いがありすぎて比べることは出来ません。 ただ全盛期の人気に関しては圧倒的に西城さんが上です。 これは比べるべくもないほどの大差で、もちろん西城さんの全盛期のほうが尾崎さんの全盛期よりも、大衆の好みが多様ではなかったという時代のせいもあります。 尾崎さんの全盛期の人気は年齢層が十代に非常に偏っていて、その中でもファンとアンチに別れるようなカルトなところがありました。 当時の尾崎さんはアイドルではなくシンガーとして売っていましたから、メディアへの露出は若者向けの音楽雑誌が主で、一般雑誌やテレビで見る事は滅多にありませんでした。 対して西城さんはアイドルとしてデビューして、毎日(のようにでは無く本当に毎日)メディアに露出して、若者からかなり上の年齢層まで人気がありました。 年齢が上がってからも本格シンガーとして人気は長い間続きました。 そのためファンの年齢層がとても広く、上の世代で言えば美空ひばりさんのような国民的人気歌手と言うのが正しい認識だと思います。 対して尾崎さんは「若者のカリスマ」がキャッチフレーズだったように、一部に熱狂的なファンを持つタイプの人です。 誤解を恐れず分かりやすく言えば、尾崎さんは国民栄誉賞をおそらく貰えませんが、西城さんは十分可能性があります。 二人とも大きな実績を残した歌手ですが、人気の内容にはこうした違いがあると思います。 二人が亡くなった時の年齢が全く違うので、一概に比較は出来ないと思います。 若く人気が絶頂の時に亡くなれば大騒ぎになるし、高齢で亡くなれば報道も少ないでしょう。 尾崎さんがデビューされた18歳から亡くなられた26歳までの8年間と、同年齢時の秀樹さんの実績をあげてみます。 秀樹さんでは1973年~1981年に相当します。 この8年間のテレビ番組出演の一例として 「夜のヒットスタジオ」にはこの間に109回出演しています。 1ヶ月に1回以上は出演ということでしょう。 (1990年番組終了まで 190回出演 歴代3位) 「ザ・ベストテン」には 155回出演 (歴代6位) 1979年にはヤングマン 9週連続 1位(14週ランクイン 9999点を2度記録) 「8時だよ!全員集合」では、73回出演(歴代1位)などがあります。 日本レコード大賞候補の入賞曲として 1973年 ちぎれた愛(歌唱賞) 1974年 傷だらけのローラ(歌唱賞) 1975年 この愛のときめき 1976年 若き獅子たち(歌唱賞) 1977年 ボタンを外せ 1978年 ブルースカイブルー 1979年 勇気があれば 1980年 サンタマリアの祈り 1981年 センチメンタルガール その後、1982年 聖少女 1983年 ギャランドゥまで11年連続で入賞しています。 11年連続は秀樹さん以外はいません。 現在でもレコード大賞候補曲として2010年からで2020年まで入賞し続けられる人はいないのではないでしょうか。 1979年には、レコード大賞は逃したものの歌謡大賞を始めとした他のほぼすべての賞を受賞し、頂点を極めました。 1974年~1983年 大阪球場で連続10回のコンサート開催 1978年~1981年 後楽園球場で連続4回のコンサート開催 1975年に日本人ソロ歌手としては初めての日本武道館公演開催 (以降1985年まで11年連続で開催) 1981年にシングルレコード1000万枚突破 30曲オリコンベストテンに入りを記録 26歳当時、人気 実力 実績が広く大衆に認められ、認知度がかなり高い状態でしたので、 万が一、不幸な事故でも起こっていたならマスコミでは大変な大騒ぎになったと思われます。 秀樹さんは、2003年以降、2018年まで長期の闘病生活により、テレビ出演が極端に減少したので若い方の認知度は下がったと 思いますが、50代以降の方には、輝かしい功績の記憶がある方も多いと思います。 だからこそ、秀樹さんが亡くなった時にテレビで速報が流れ、菅官房長官が記者団の質問に答える形でコメントを発表しました。 「晩年はご病気をされましたが、熱心にリハビりに取り組まれ広く国民に勇気と感動を与えました。 心よりご冥福をお祈りいたします。 」 確かこのような内容だったと思います。 芸能人が亡くなり官房長官がコメントを出すことは、あまり無いと思います。 秀樹さんの実績の一端を是非若い方にも知っていただき、ご判断いただけたらと思います。 騒ぎの大きかったのは尾崎さん。 まぁ、亡くなったのが若かったという事で衝撃的だったことと、若い人が悲しんでいるから当時の大人は『何で若い奴らがあそこまで泣いてるの?』みたいな感じで、相乗効果でメディアに大きくとりあげられました。 ただ、亡くなった事でショックを受けた人が多かったのは西城さんだと思いますよ。 尾崎さんの時はほとんど若い人中心でしたが、西城さんは今の60代、50代、それこそ40代の人の中でも親しみを持っていた人もいたと思います。 西城さんはアイドルの走りみたいな存在でもありましたから、西城さんが亡くなったことでポッカリと心に穴が開いたようなせつない気持ちになった人の数はかなりいたかと思います。 全盛期の西城さんの人気は本当に凄かったですから。

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