なんでもないと口をつぐんだ 歌詞。 トピアリー/バルーン

いかないで の女の子視点 歌詞ってどこにもないんですか??分かる方歌詞...

なんでもないと口をつぐんだ 歌詞

「桜」はメタファー この曲はこんな風に始まります。 長い時間かけて 仲良くなれたのに もう別れの季節が来たタイトルに「桜」があって、「別れの季節」と歌詞にあるんだから、舞台は3月で、シチュエーションは卒業だということがわかります。 「時間をかけて」「仲良くなれた」のだから、この曲はラブソングとかではなくて、仲間との思い出を歌ったものだということも読み取れます。 たった3行に、すごくたくさんの情報量があります。 こんなふうに、曲の冒頭の数行でシチュエーションを説明しきるのは、秋元さんの楽曲の大きな特徴です。 続く部分からは、 いまならもうお互いわかり合ってるってことがわかります。 『』でいうと「意味もないいさかいに〜」の部分に相当するよね。 わかる。 同じ 紺の制服 帰り道に集まって ここで いつもの木の下 黙って青空を見ていた「黙って青空を見ていた」っていうのは、歌詞のサビの部分の雰囲気とは少し趣が違います。 黙っているんだったら、たくさんの人がいてもみんながそれぞれ別々の物思いにふけっているみたいな感じに見えます。 みんな違うことを考えているんです。 同じ制服を着ているのに。 昨日までだったら、みんなでおそろいの歩み方をしてきたのに、これからはたぶんそうではなくなるのです、っていう暗示が見えますね。 桜、みんなで食べた 満開の花びら 春風に吹かれた 一枚キャッチして…Bメロは、静か動かでいうと静でした。 でも、サビは明らかに動に移ります。 「春風に吹かれた」「満開の花びら」を「みんなで食べ」るのです。 なんだそれは。 Bメロには「黙って」っていう描写がありました。 口は閉じてるわけです。 サビには「食べた」っていう描写があります。 口あいてるよね! この部分は、口の動きで動静を描き分けてるんですよ! 匠の技じゃん!ヤバいじゃん!! 桜、みんなで食べた 掌の花びら サヨナラつぶやいて 思い出と一緒に ゆっくり飲み込んだら 涙テイストさらに、サビの後半は「食べた」のほかにも「つぶやいて」「飲み込んだら」という、口に関する別の描写も出てきます。 さっきまでは黙って口をつぐんでいたんだけど、最終的には「つぶやいて」「飲み込」むんですよね。 口から出なかったものが、出てしまって、それからまた口に戻っていくのでした。 そして、 戻っていくときにいっしょにカラダに入っていったのが、ほかでもなく「桜」です。 この曲は友だちに向けた卒業とお別れの曲なのに、なぜか入っていない言葉があります。 「ありがとう」とか「さようなら」とかです。 そういう、感謝とかお別れとかの言葉を伝え合うシーンが、この曲にはありません。 「サヨナラ」はあるけど、これ独り言だもんね…。 わたしは、「桜」の正体がそれだと思っています。 この曲の「桜」は「ありがとう」とか「さようなら」とかだと思います。 この曲の主人公たちは、「黙って青空を見ていた」っていう謎なやり方で、残りわずかな時間を過ごしています。 ほんとだったら、もっとたくさんお互い伝えるべきことがあるんじゃないの?って冷静な視点で見ているわたしたちは思います。 けど、主人公たちは不器用だし、わたしたちはこの曲を聴きながら、その不器用さこそを愛しています。 卒業のシーンで桜を食べちゃうような突拍子もない子、すきだよ! けれど、主人公たちは不器用なだけじゃありません。 その桜を食べるシーンで「サヨナラつぶやいて」「思い出と一緒に」「涙テイスト」と、ヒントをたくさん明かしてくれています。 だから、「桜」として飲み込んでるのはサヨナラの言葉であり、たくさんの思い出であり、涙が出そうな気持ちなのです。 卒業は ところで、2番になると新しい謎が登場します。 上手く言えないけど 今まで生きて来て 一番楽しかった日々 次の未来でも しあわせな出来事が きっと待っているだろう 「次の未来」ってなんだ??ってだれもが思うでしょうよ。 たとえばこの曲が中学校の卒業だったとしたら「次の未来」は高校生活ということになります。 でも、そんなに単純でいいのでしょうか? そうだ わかってるのに なぜか歩き出せない 今日は いい天気だから 余計に切なくなるんだ 全部、食べてしまおう 悲しみの理由 リーズン 口の中 広がる 桜の香りたちそうして口にする桜の描写は、1番のときよりも詳細です。 思い出にはいいものも悪いものもあるのと同じで、桜の香りにも、それぞれ違いがあるんだってことを感じさせます。 全部、食べてしまおう 大切な記憶も… 味なんかしないのに しょっぱく感じた やがて散ってしまったら 遠い青春「しょっぱく感じた」のは「涙テイスト」だからですね。 で、ここで注目したいのは「遠い青春」です。 いくら卒業で、また「青春」から遠ざかってしまうとしたって、桜ソングの中でそれを「遠い青春」という言葉で歌わなくたっていいじゃないですか! 『春よ、来い』のように、遠い過去になってしまった青春を指して「遠い青春」っていうのだったらまだわかりますが、この曲はリアルタイムで卒業を迎えているみたいなのに。 おかしい。 で、わたしが思い出したのはこのツイートだったのでした。 今は卒業してもでいつでも近況が分かるので、「卒業=別れ」って意識は旧世代に比べたらきっと少ないよね。 「卒業=」みたいな。 卒業ソングに違いが出るとしたらそこなんじゃないかなと。 — ぴこ piquoh この曲の捉え方ってまさにこれだって思ったのでした。 未来から見たいまが過去に見えるのが気になるのは、未来と過去が現在を伝って連続してるって意識があるからです。 いつか きっと ここの前で 今日のこと 思い出して うるうると 泣きたくなるね卒業の時点では、主人公たちは泣いたりしていません。 けど、いつか思い出したら「泣きたくなるね」という感情があります。 あのですね、話かわるんですけど、わたしの知り合いに現高校1年生(つぎ2年)がいまして、その子今年、母校の卒業式に合わせて中学校を訪ねているんですよー。 1年越しの凱旋で、後輩の卒業を祝って、懐かしの先生と再会して怒られたりして懐かしい気持ちに浸ってたようなんですけど、この曲もそういうことだと思うんですよね。 卒業っていうのは、柱に身長を刻むようなもので、本に挟んでおくしおりのようなもので、時間に刻んだしるしなんだなぁ、って思ったりしたのでした。 いまだったら友だちがすぐそばにいて、涙を流すの恥ずかしいかもしれないけど、1年経ったら心置きなく泣けるかもね! というわけで、『桜、みんなで食べた』でした。 わたしは卒業式だいすきで、身内がいるわけでもない地元の小学校の卒業式に行ったことがあります。 なぜか来賓席に通されました。 他人の卒業式もぜったい好きだなわたし。 現役の卒業生と話をしてみると、みんな卒業式なんてそんなに好きじゃないみたいなのにね。 これも「遠い青春」現象ってことなのかな(遠い目)。

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【洋楽の歌詞】『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』ロバート・ヒルバーン(著)で知る作詞術

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カテゴリ• はじめに 『veil』とは2019年7月19日にネット上で公開された楽曲です。 本日一時間前に公開されたばかりで動画再生回数はすでに4万を超えています。 同年8月21日リリースされる2nd EP「porte」に収録されています。 TVアニメ「炎炎ノ消防隊」エンディング主題歌として選ばれ多くの人たちに 注目されています。 アニメのあらすじや詳しい情報は下記のサイトよりご確認下さい。 変幻自在に立体から主人公の少年が生まれ不思議な日常を描いている、そんな MVに仕上がっていました。 いつものように謎多き映像描写と歌詞を重ね合わせて考察&解釈していきたい と思います。 曲調はハイテンポであり聴く人を愉快にさせるアッパーチューンとなっていま す。 ギターのエッジをすべて取り除いた丸みのあるメロディーがお洒落で上品な雰囲 気を楽曲全体に漂わせています。 それではさっそく気になる歌詞の意味を考察していくことにしましょう。 タイトル『Veil』とは 『Veil』には「覆う」という意味があります。 また「修道女や花嫁が顔を覆うもの」を指します。 アニメEDでも修道女が登場してくる点に注目できます。 また目を覆いたくなる現状が何度も描写されていました。 上記の点を複合してタイトルが決められたのだと筆者は 解釈しました。 続く部分では歌詞全体の細かな点に触れ細かい考察をし ていきます。 『veil』歌詞の意味 「前進」一択 笑えない日々を辿ったって 変わらない今を呪ったって 宙に舞った言葉じゃ あなたを救えないのだろう 届かないままの景色と 温まることない痛みと 肩を寄せ合って歩いていた 遠いところへ行けるように 今回の考察はアニメ主人公「森羅日下部」を主軸にして 進めていきたいと思います。 彼は幼い頃に火事で家族を亡くすという辛い経験をしました。 挙句の果てにそれを自分自身の能力の性にされてしまいます。 それらすべては彼にとって「笑えない日々」であり長い間その 忌まわしき記憶を辿ったに違いありません。 MVではその点が序盤の変幻自在の図形で表されていたように感 じます。 丸や三角、四角と形を変えるその様子は主人公が経験する波乱万 丈の人生を描写しているのでしょう。 周囲から「悪魔」と称され嘲笑される毎日を彼は耐え忍んだこ とでしょう。 それでも「変わらない日々」をいくら呪ってもなんの救いにも ならないことに気づきました。 そして「宙に舞う言葉」とは浮ついた言葉のことでしょう。 心から出た確信のこもった言葉でなければ人を救えないのです。 「届かないままの景色 と温まることない痛みと 肩を寄せ合 って歩いていた」という表現は主人公の心情を理解するのに役 立ちます。 雪山で遭難した遭難者が互いに身を寄せ合うように、形にでき ない理想と愛情不足で傷んだ心と自分とは寄り添い合って生き てきたのです。 そうして忍んできた理由は「遠いところへ行く」つまり未だ見 ぬ夢や理想に辿り着くためだったのでしょう。 ですから主人公に許された選択肢は「前進」のみだったのです。 信じられる「あなた」 あなたの言う希望だとか 夢に見た理想ならば どんなに冷たくたって愛してみせるよ 主人公には行動の指針となるほど影響力のある 大切な人がいました。 その人の語る「希望」と「理想」はどこか浮つい ていますが信じられるのです。 しかし「あなた」がくれた2つの言葉を掲げて生き ようとする時には辛さを感じるときもあります。 そんな時には「冷たい言葉」のように感じるときも あったのでしょう。 誰かの励みや慰めが時に温かく時に冷たく感じるこ とはあるものです。 それでも言葉をくれた相手が大切かどうかは重要な ポイントになってくると思います。 MVで少年がりんごに触れるシーンがありますが、 そのりんごが「あなた」で示される大切な人を表し ていたのだと解釈しました。 主人公が絶望的な状況と数多くの困難に立ち向かっ ていけるのは信じられる「あなた」の存在があって こそなのです。 「あなた」で形成される夢 触れない思いの色なんて 知りたくはないと思っていた あなたが居なくても夢を見ていたいのに 象ったような不幸があなたを襲うなら この手の平で触れていたいな 「触れない思いの色」とは主人公が大切な人の 近くにいられない、また文字通り触れられない 時間に言及しているのかと思いました。 そうしたもどかしい感情は「あなた」と出会わ なければ知り得なかったのです。 「あなたが居なくても夢を見ていたいのに」と は「あなた」なしではもう夢を描けなくなって いる状態を示しています。 独りの時にぼんやり描いていた夢は今では輪郭 のしっかりした確かな夢になっていたのです。 あなたとの夢を鮮明に描いて主人公は今日を生 きていくのです。 別れの代わりに再会を 不甲斐ない声で叫んだって 熱を持つ夜に変わっていく この手が離れても また歩いて行けるように さよならは言わずに 何処かでまた会えるように アニメでは突然の人体発火やそれが生み出す焔ビトと呼ばれる 者たちの驚異を描いています。 被害を受けた人たちは「不甲斐ない声」で叫びました。 それまで静かで涼しかった街は炎に見舞われ「熱を持つ夜」に 変わっていきました。 「この手が離れても また歩いて行けるように さよならは言 わずに 何処かでまた会えるように」とは奥深い意味があると 考えました。 街で被害にあった人たちを主人公はすべて救えたわけではあり ません。 「この手が離れても」つまり今は救えなかったとしてもいつか 再会できるように永遠の別れは言わないという意味かもしれま せん。 また別の解釈として主人公が「あなた」から遠く離れて生きて いくことを決めたのかもしれません。 それでもいつか強く成長して再会するという意味を含んだ歌詞 のようにも思えます。 いずれにせよ主人公が前向きな見方と未来に希望を託している 点を理解することができます。 火消しの立場でありながら彼はあなたと夢に対する燃えるよう な情熱を抱き今もなお滾らせ続けているのでした。 まとめ いかがだったでしょうか。 主人公の逆境の中で抱いた苦痛と心痛、しかし 将来に希望を据えた前向きな姿勢に心を動かさ れたのではないでしょうか。 またEDを美しくそして物悲しく飾る今作の技量 の高さには目を見張るものがありました。 アニメは先日の京アニ放火事件を考慮し放送を謹 んでいます。 本考察でも該当アニメの紹介を一時休止したいと 考えました。 考察でいくらか扱いましたが音楽考察として今回 投稿させて頂きましたのでご理解のほど宜しくお 願い致します。 須田景凪さんの次回作と今後の活動に期待し注目 していきたいと思います。

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須田景凪『veil』歌詞の意味を考察・解釈

なんでもないと口をつぐんだ 歌詞

まず、表紙の写真に惹きつけられました。 ハーフシャドウで撮られたポートレート。 カッコいいですね。 1965年にロンドンでレコーディングされた『ポール・サイモン・ソングブック』の頃でしょうか。 だとすれば、23歳。 けれど、若々しくてピチピチしたポップスターには見えない。 処女作を出版したばかりで野心あふれる若き作家のようです。 「自伝は書かない」ポール・サイモンが、すべてを語った一冊 本書 『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』は、2018年に出版された 『Paul Simon: The Life』の日本語版です。 著者の ロバート・ヒルバーン氏は、ロサンゼルス・タイムズ紙で30年以上にわたってポップスの評論を書いてきたとのこと。 「自伝は書かない」と公言し、数多くのライターたちに何十年も口をつぐんできたポール・サイモンから信頼を寄せられ、3年以上の対話と関係者への取材をもとに本書を著しました。 60年に及ぶキャリアに、あらためて感嘆 実は私、ポール・サイモンの熱心なファンとは言えません。 サイモン&ガーファンクルの時代から、ソロ時代の傑作 『時の流れに』(1975年)までは追ってきましたが、 『グレイスランド』(1986年)で何となく離れてしまったからです。 それに、ポール・サイモンがどのような人生を歩んできたのかも、ほとんど知りませんでした。 そんな私にとって、本書で語られるエピソードの数々は驚きの連続でした。 たとえば、 「サウンド・オブ・サイレンス」の前に5年間も下積みの時代があり、他の作家の曲を仮で歌うデモ・シンガーだったこと。 (なんとバート・バカラックに気に入られていたという) ネガティブな部分では、たびたびぶり返すアーティとの確執、売れなかったアルバム、映画やブロードウェイに挑戦するも興行的に惨敗、薄毛と低身長へのコンプレックス、数度の結婚と離婚、といったエピソードも語られますが、ポール・サイモンがすごいと思わされるのは、決して負けっぱなしではないことです。 次の作品、次のステージでは必ず挽回する。 ときにエゴを貫き通し、ときに迷い、一歩一歩着実に作品へと結実させていく粘り強さ。 それを60年間、私が生まれる以前からずっと続けてきたんだなあと思うと、ため息がでるばかりです。 聴き手の人生に寄り添うポール・サイモンの曲 シンプルな言葉で綴られた歌詞なのに、聴いているとイメージがふわーっと広がっていくポール・サイモンの曲。 聴き手が解釈するスペースを広く空けてくれているような気がします。 たとえば 「時の流れに」(「Still Crazy After All These Years」)の歌詞。 冒頭の一節はこんなにシンプル。 I met my old lover On the street last night 「時の流れに」(「Still Crazy After All These Years」)より 「昨日の夜、街角で昔の恋人に会ったんだ」。 中学英語で理解できるセンテンス。 それが、とろけるようなフェンダーローズに導かれて歌われると、たちまち情景が目の前にあらわれます。 「昔の恋人に会った」というところが何とも想像力をかきたてられていいですね。 けれど、二人の関係がどうだとか、どんな会話をしたんだとか、くどくどと説明があるわけでもない。 そして、「Still Crazy After All These Years」と締めくくられる。 ここからどう感じるのか、どう解釈するのかは、聴き手のイマジネーションしだい。 そして、曲を聴いて生まれる感情は、そのときの年齢や時期によって変わっていく。 初めて聴いた10代の頃には「おー、何か大人の音楽っていう感じ」などと背伸びさせられ、遙かに時間が経った今聴けば「なんともほろ苦いけど、まだ自分は終わったわけじゃない」と思ったりする。 年月を経ても、聴くごとに更新されるように感じます。 ポール・サイモンの作詞術 ポール・サイモンは、どのように歌詞を書くのか。 たとえば 「時の流れに」のばあいはこんな感じだったそうです。 生活に囚われていると感じていたある日、シャワーを浴びていて「Still Crazy」というくだりが頭に浮かぶ。 それが何となく気になっている。 またある日、別のフレーズとメロディーが頭に浮かび、気になっていた「Still Crazy」と合わせてみたらしっくりきた。 それから導かれるように曲がかたちになっていく。 ポール・サイモンの曲づくりにはルールがあるそうです。 テーマを先に決めて曲を書こうとするな。 音楽そのものに道案内をさせろ。 『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』より ある1行、あるフレーズから生まれるイメージが広がるままにまかせる。 その間、言葉は転がされ、磨かれ、あるいは放っておかれたりして、やがてひとつの歌になる。 さまざまなイメージを喚起する 「サウンド・オブ・サイレンス」もこのようにして生まれたのだそうです。 テーマや結論ありきではないし、何かの説明でもない。 その歌から受けとるイメージの広がりは、聴き手に委ねられる。 聴き手のなかで物語がふくらみ、聴き手だけのものとなる。 歌は閉じていない。 開かれている。 だから、いつ聴いても、何年経っても飽きないし、色あせない。 訳詞も素晴らしい『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』の翻訳 本書では、各章にポール・サイモンの人生の転機となった名曲の歌詞が載せられています。 「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」「明日に架ける橋」「何かがうまく」「時の流れに」などなど、、、 その訳詞がとても素晴らしいのです。 これまで、レコードやCDについている訳詞には、何かしら疑問を感じることがあり、それならと、自分で訳詞を試みたこともあるのですが、シンプルな言葉で綴られるポール・サイモンの詩は、これだと思う言葉に置き換えるのがなかなかむずかしい。 ところが、本書の訳詞には大満足です。 翻訳は、 奥田祐士さんという方。 ポール・マッカートニーやロビー・ロバートソンの本も手がけているようですね。 言葉の選択やトーンなど「なるほど、こうやって訳すのか」と勉強になります。 おかげでこの数日、サイモン&ガーファンクルとポール・サイモンの音楽を新鮮な印象で聴き直しています。 ロバート・ヒルバーン 著 , 奥田祐士 翻訳.

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