ゴースト ガール ラジウム。 【台湾発】道端で赤い封筒を見つけたら拾ってはいけない!

【台湾発】道端で赤い封筒を見つけたら拾ってはいけない!

ゴースト ガール ラジウム

はい!こんにちはー! 今日は世の中の「安全洗脳」について、 「ガールズ事件」を見て思ったことがあるので書いてみました。 世の中って「これは安全です」って言われてるものがいろいろとあるけど、 それって結局「安全じゃないとわかると一瞬で覆される」のですよ。 それは、過去、歴史の事実として証明されているのです。 それが「ガールズ事件」なのです。 ガールズ事件ってなぁに? ガール事件というのは、1910-代に、 塗料を使って時計を作る会社「コーポレーション」で、 時計の文字盤にを塗る工員として働いていた女性たちが数年後、重度のが発覚し、大きな社会問題になった事件です。 当時、1900年初めに「」物質が発見され、それが「発光(光る)」物質だったことから、時計の文字盤に塗料を塗り、 「夜間でも時間が見れる」時計が大量生産されたのです。 そこで働いていたのが、後にガールズと呼ばれる、女性の工員たちだったわけです。 工員たちは、筆に塗料を塗り、その筆で時計の文字盤に手作業で文字を書き込んでいました。 その際、できるだけ筆の状態が尖った状態で正確に文字を書くために、 彼女たちに指示されていたのが「筆の先を舐めて、常に尖った状態で書きなさい」というものです。 なぜなら、 工場側は「は安全だ」と説明していたから…。 こんな感じで、毎日毎日を経口摂取していた彼女たち。 今考えれば、安全じゃないわけがありません。 自殺行為ですよ、こんなの。 でも、当時は「安全だ」と言われていたのです・・・。 今じゃ、「のやばい物質だ」とちゃんと認識されてますけど、当時は「安全だ」と言われていたのですよ。。。 そしてついに、1人目の犠牲者が代に出ます。 1人目の女性は原因不明に歯痛に苦しめられ、医者も原因がわからず、 歯を抜くだけの治療に… でも、歯を抜いても、また歯が痛くなり、次々に歯を抜いていくことに… 結局、彼女は最後、大量に吐血をして亡くなったのです。 しかし、当時はなぜか「梅毒」だと診断されて、彼女は亡くなりました。 その後も次々に犠牲者が出ます。 あごに肉腫ができる女性、足に肉腫ができる女性… やっぱり、ってやばい物質なんじゃないの・・・!? 工員の女性たちもさすがに気づきはじめます。 しかも、が発見された当時に実は「は体に非常に害がある」ことがある研究者によって発表されていたのですが、それを会社は隠蔽していたのです・・・。 工員の女性たちは、会社を相手どって戦うことにしたのです! 工員の女性たち「が安全だと嘘をついて、工員たちを危険な環境で働かせた! 亡くなる工員たちが出たのは会社の責任だ!!!」 と、徹底的に戦うことにしました。 でも、会社は責任を認めません。 会社「は安全。 亡くなったのは気の毒だけど、は関係ない。 安全だと言ってるだろうが」 そんな中、ある医師がと工員の女性たちの被害の関連性を証明する発見をしました。 しかし、会社は様々なを行い、一向にそれを認めません。 工員側につく弁護士が出ないように弁護士を買収し、彼女たちの会社との闘いは非常に困難を極めたそうです。 まさに「会社= vs 工員の女性たち=労働者バビロン」の構図。 会社は様々な手を使って、「が安全だ」という(嘘の報道)を流しまくります。 なんと、中毒で亡くなる工員たしの検死まで妨害したそうです・・・ しかし、クズみたいな人々もいれば、世の中には必ず正義を貫くヒーローが登場します。 優秀な弁護士が工員の女性たち労働者側の裁判を無料で請け負い、 会社のにも負けず、「工員たちは会社側の嘘のによって健康を害した」と裁判で認められたのです!!!!! 実はこれ、 会社側(雇う側)が労働者(雇われる側)の健康について責任を負った、初めての事例なのです!!!! こうしてガールズ事件は、ガールズ達の正義の勝利となったのです。 ガールズ事件が教えてくれること。 「は必ず疑え」 結局、このガールズ事件は、 ・安全だと言われていたものが全然安全じゃなかったのです。 ・明らかに安全じゃなくても、によって事実が捻じ曲げられた。 ・安全だと信じていたガールズたちは、健康を害しこの世を去った… ということなのですよ。 これ、今の世の中でも全然ありうることですよ・・・? 「安全だ」と言われてるもの。 いろいろとあるでしょ? そんな保証は実は、どこにもないのですよ。 「安全じゃない」と分かった瞬間、それがすぐに覆される可能性は十分にあるわけなのですよ。 この世の中って、やたら「安全です」と言い張ってるものあるじゃないですか。 それ「言い張ってる」のがめちゃくちゃ怪しいと感じる必要がありそうです。 本当に安全なものは、わざわざ「安全だ」と言い張る必要がないじゃないですか! なぜわざわざ「安全だ」と言い張るのか・・・? それは「安全だと言い張らないと困る人々がいるから」なのですよ。 「安全じゃない、あるいは安全かどうか怪しいものを安全帯と言い張りたい人々」は、 広告や権力やを使って、あの手のこの手を使って「安全です」と言い張るのです。 本当に安全かどうかなんてわからないわけですよ。 それは最早、個人が自分の頭で考えて判断しなければなりません・・・ でも、安心してください! 新時代は、その判断がとてもしやすい時代になってきています。 「反対意見も必ず調べる癖をつけること」です。 私たちはもうに騙されにくい解放装置をその手の中に持っているじゃないですか!!! そう。 や個人メディアなどの人類解放装置が、私たちをの妄信から守ってくれるようになってきています。 や個人メディアによって随分と、 ・でもいいんだ ・働かなくてもいいんだ ・遊んでるだけで生きていけるんだ ・我慢しなくても生きていけるんだ ・学校なんて行かなくてもいいんだ ・会社なんて3年も勤めなくていいんだ・・・etc こんな常識破りの価値がドンドン表出し、個人のでいつでも目に触れる場所にある時代になっていますよね!これまでの一辺倒な価値が崩壊してきているんですよ。 ・はダメだ ・働かなければならないんだ ・遊んでるだけじゃダメだ ・我慢しなさい。 我慢は美徳です。 ・学校に行かないと落ちこぼれのカスです。 ・会社はまず3年は勤めなさい・・・etc こんな価値ばかりが礼賛されていた以前の社会(や個人メディアが登場する前の2000年くらいまでの時代のこと)とは今はもう全然違うじゃないですか! 人々は解放されてきているのです。 だから、1つとっても、 「 安全」 「 有害」 「 安全じゃない」 等複数の意見を網羅的に検索して調べるようにするのです。 だってそうですよ。 いろんな意見を集約した上で、自分の頭を使って考えて判断するのです。 ただこの世には「確定」な一切存在しないので、「絶対」などという概念は存在しないのですが、「自分で考えて判断した」ということが非常に大事なのです。 医療系だと「医者がやらないことは私も絶対やらない」 たとえば医療系だったら「医者がやらないことはやらない」という私のルールがあったりします。 お医者さんって何もかも知ってるんですよ、実は。 でも、「医療という業界においてやらなきゃいけないモノ」があるので、それに従って治療をしちゃったりすることもあったりします。 なので、私はお医者さんを見るようにしてますね、医療系のことで判断する場合は。 大事なのは、自分が主役である自分の人生において、 「自分で考えて判断したのか」ということが大事なのです。 誰かのレールに乗っけられて、誰かの思惑に踊らされて、 気づいたら人生はもう後戻りできない・・・ その時に襲ってくる後悔の念は、「自分で決めた」というフェーズがあるだけで、 大幅に軽減されるはずなのですよ。 それはね・・・ いい加減にみんながおかしいことをおかしいと言い、 やりたいことをやり、やりたくないことはやらない、 というシンプルなことを実践すべき時に来てるってことなの。 我慢をするから、次の我慢が生まれる。 もう、人々は解放される一歩手前まできてる。 あとは、みんながそこに忠実に踏み出していくかどうかなだけなの。 目の前の道はもう、みんなの一歩を待ってるはず。

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ラジウムガールズは暗闇で光る!幻想的な姿の裏に隠された恐ろしい真実|ヨナヨナ

ゴースト ガール ラジウム

紙1枚でもアルファ線を容易に止めることができる。 従って、アルファ線被曝により健康影響が現れるのは、アルファ線を放出する物質が体内に摂取された時(体内被曝)のみである。 アルファ線と同様、主な健康影響が生じるのは体内に取り込まれた場合。 コバルト60のガンマ線は、人体の深部まで透過できるので、がんの放射線治療に広く使用されてきた。 高速の電子が金属にぶつかって停止すると、電磁波の形でエネルギーが発生する。 この現象はレントゲン博士によって1895年に初めて発見された。 レントゲン博士はこの不思議な放射線をX線と命名した。 X線は異なるエネルギー(波長)の混合したものだが、ガンマ線は放射性物質に特有な固定値(一つまたは二つ)を持つ点で異なる。 実際、原子爆弾の爆発に至る原子核の連鎖反応を引き起こすのは中性子線である。 人体は大量の水素(人体の70%を占める水分子の構成物質)を含んでいる。 中性子線が水素の原子核、すなわち正の電荷を帯びた陽子にぶつかると、陽子ははじきとばされて体内で電離を引き起こし、種々の障害を誘発する。 浴びた線量が同じであれば、ガンマ線よりも中性子の方が人体に重度の障害を引き起こす。

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たくさんの労働者を救った「ラジウム・ガールズ」 その忘れられた物語

ゴースト ガール ラジウム

1917年4月10日、18歳のグレイス・フライヤーは、ニュージャージー州オレンジにある米国ラジウム・コーポレーション(United States Radium Corporation, USRC)で、文字盤に塗料を塗る工員として働き始めた。 米国が第一次世界大戦に参戦して4日が経っていた。 ふたりの兄が戦争に行っていたグレイスは、国の役に立つことなら何でもしたかった。 この新しい仕事が、自分の人生を、そして労働者の権利を永遠に変えることになろうとは思いもしなかった。 ラジウム入りの塗料で、腕時計や軍用時計の文字盤を塗る作業のために雇われたのだ。 ラジウムは、マリー・キュリーが発見してからまだ20年もたっていない新しい物質だった。 文字盤を塗る作業は、「貧しい労働者階級の女性たちにとって、エリートの仕事」だった。 賃金は平均的な工場の仕事の3倍以上で、幸運にもその仕事にありついた女性たちは、全米の女性労働者の上位5パーセントに入るほどの報酬をもらい、女性の権利が発展していく時代の中で、経済的な自由を得た。 女工たちの多くは、細かい作業にうってつけの小さな手をしたティーンエイジャーで、友だちや家族を介して新しい仕事の魅力を広めた。 工場では、一家の兄弟姉妹が揃って働く姿もよく見られた。 ラジウムの発光も魅力のひとつだった。 文字盤を塗る女工たちは、すぐに「ゴースト・ガールズ」として知られるようになった。 というのも、勤務時間が終わるころには、彼女たち自身が暗闇で光るようになっていたからだ。 彼女たちはこの仕事を最大限利用し、よそ行きの服を着て工場で働いた。 そうすれば、その服が夜のダンスホールで光るからだ。 歯にラジウムを塗る者までいた。 にっこりすれば相手を虜にできた。 グレイスも同僚たちも、教えられた通りのやり方で、ときには幅が3. 5センチしかないような小さな文字盤を塗る、骨の折れる手作業を行った。 女工たちは、唇でくわえて筆を整え、先を細くするよう教えられた。 「lip-pointing(唇で整える)」あるいは、劇作家のメラニー・マーニッチがのちに「lip, dip, paint routine(くわえる、舐める、塗る、の繰り返し)」と描写した作業だ。 筆を口に持っていくたびに、女工たちは光る緑の塗料を少しずつ飲み込んでいた。 グレイスに作業のやり方を教えたメイ・カバリーは、当時を思い出してそう語った。 「体に悪いようなものは、当然口に入れたくないですから。 (マネージャーの)サヴォイさんは、 『危険なものではないから心配しなくていいよ』と言いました」 だが、それは真実ではなかった。 この光る物質が発見されたときから、体に害があることは知られていたのだ。 マリー・キュリー自身も、ラジウムを素手で扱ったために放射線熱傷を負った。 女工が文字盤を塗る筆を持つ前に、ラジウム中毒で亡くなった人はいたのだ。 ラジウム会社の男性たちが、研究所で鉛のエプロンをつけ、ラジウムを扱うときには先端が象牙でできたトングを使ったのはそのためだった。 だが、 女工たちにはそのような防護は用意されなかったし、そうした防護が必要かもしれないという警告さえなかった。 なぜなら当時は、女性たちが扱っていたくらいの少量のラジウムは、健康に良いと信じられていたからだ。 ラジウム水は強壮剤として飲まれ、この魔法の物質が入った化粧品やバター、牛乳、歯磨き粉などが売られていた。 新聞は、ラジウムで「長生きできる」と報じた。 だが、こうした考えの基になった研究報告は、 ラジウム産業で潤うラジウム会社が実施したものだった。 彼らは「危険」を示すあらゆる兆候を無視した。 女工たちに問われれば、「ラジウムは頬をバラ色にしてくれるよ」とマネージャーたちは言った。 病気になったのだ。 何が原因なのか、自分でもわからなかった。 始まりは歯痛だった。 歯医者で抜いてもらうと、今度は隣りの歯が痛くなり、それも抜いてもらわねばならなくなった。 歯を抜いたところには、 ひどい潰瘍ができた。 血の赤と膿の黄に染まった邪悪な花のようだった。 たえず膿が出て息が臭くなった。 それから四肢の痛みに襲われた。 あまりの痛みに、ついに歩けなくなった。 医者はリウマチと診断し、アスピリンを与えて家に帰した。 1922年5月には、モリーの状態は絶望的になった。 そのときには、歯はほとんどなくなり、正体不明の感染症は広がっていた。 下顎全体と口蓋、それに耳の骨の一部までが、 「1つの大きな膿瘍」と診断された。 だがそれだけでは終わらなかった。 歯科医が口の中の下顎の骨を指でそっと突いたところ、恐ろしいことに骨が崩れてしまったのだ。 歯科医は骨を取り除いた。 「手術でではなく、ただ口の中に指を入れ、つまんで取り出した」のだ。 わずか数日後、下顎全体が同じようにして取り除かれた。 モリーは文字通り崩れつつあった。 そしてそれは、モリーだけではなかった。 そのときまでには、 グレイス・フライヤーも顎に異常が出ており、足の痛みに苦しんでいた。 ほかのラジウム・ガールズたちも同じだった。 1922年9月12日、モリー・マッジャを1年近く苦しめてきた奇妙な感染症は、のどの組織にまで広がった。 病はゆっくりと頸静脈を侵していった。 同日午後5時、モリーの口の中は血であふれた。 急速に出血が進み、看護師の止血が間に合わなかった。 モリーは24歳でこの世を去った。 医師たちは死因を特定できずに困惑し、 死亡証明書には「梅毒」という誤った病名が書かれた。 この病名は、彼女が働いていた会社ものちに使うことになる。 ほどなく、まるで時計仕掛けのようにひとりずつ、かつての同僚たちがモリーのあとを追っていった。 しかし、USRCの言う「ただの噂」はなかなか消えず、業績が悪化した。 1924年、ついに同社は専門家に依頼して、噂されている「文字盤を塗る作業」と「女性たちの死」の関連性を調べた。 ラジウムの良さを謳ったUSRC自身による調査報告とは異なり、今回の調査は独立したものだった。 そして、 専門家がラジウムと女性たちの病気は関係があることを認めると、ラジウム会社の社長は激昂した。 調査結果を受け入れる代わりに、社長は新たにいくつかの研究に金を払った。 正反対の結果が発表された。 社長は、最初の研究報告の結果について調査を始めていた労働省に対しても、嘘の報告をした。 社長は、女性たちが病気を 「会社のせい」にしようとしているとして公然と非難し、増え続ける医療費に苦しみ、経済的な援助を得ようとする彼女たちを罵倒した。 彼女たちは、責めを負うべきは会社だと主張したが、闘う相手は、 広く浸透しているラジウムの安全神話だった。 事実、専門家たちがこの件に向き合ったのは、ラジウム会社でひとり目の男性従業員が亡くなってからだったのだ。 1925年、ハリソン・マートランドという優秀な医師が、自身が考案したやり方で、ラジウムが女工たちに害を与えたことを決定的に証明して見せた。 さらにマートランド医師は、女工たちの体内で何が起こっているのかも説明した。 ラジウムが体の表面についた場合、劇的な害を及ぼす可能性があるということは、1901年にはすでに分かっていた。 ピエール・キュリーはかつて、重量1キログラムの混じりけのないラジウムと同じ空間にいたいと思わない、と言った。 体中の皮膚がやけどを負い、目はつぶれ、「(自分は)おそらく死ぬことになるだろう」と考えていたからだった。 マートランド医師は、ラジウムを体内に取り入れると、たとえそれがごくわずかであっても、体に及ぼす害は何千倍も大きいということを発見した。 経口摂取したラジウムは、女性たちの体の中で定着し、 たえず破壊的な放射線を出すようになり、骨を「穴だらけにしてしまう」。 生きながらにして、まさに体中にたくさんの穴があくのだ。 女性たちは体中が侵されていた。 グレイス・フライヤーの背骨は「つぶれて」、背中を固定するためのブレースをつけなければならなかった。 別の女性は顎が浸食され、「根元の部分だけ」しか残っていなかった。 女性たちの脚は短くなり、自然に骨折してしまうこともあった。 ラジウム・ガールズたちの勇気と執念を侮っていたのだ。 彼女たちは、不正に立ち向かうために団結し始めた。 そして、その闘いの動機は利他的なものだった。 文字盤を塗る女工たちはまだ全米中にいたのだ。 グレイス・フライヤーはこう語っている。 「私は自分のことよりも、何百人もの女性たちのことを心配しているのです。 今回の件が、1つの例として彼女たちの役に立ってほしいと思います」 闘いの先頭に立ったのは グレイスだった。 必ず弁護士を見つけると決心し、何人に断られても諦めなかった。 彼女たちの主張を信じない弁護士もいれば、力のあるラジウム業界を恐れて逃げた弁護士もいた。 既存の法律を覆すような法廷闘争をする心構えがない弁護士もいた。 当時、ラジウム中毒は補償の対象となる病気ではなかった。 女工たちが病気になるまで、認識すらされていなかった。 また、出訴期限という難問もあった。 職業性中毒の被害者は、2年以内に訴訟を起こさなければならない決まりだったのだ。 ラジウム中毒は潜行性だ。 女工たちの多くは、働き始めて5年以上たってから初めて具合が悪くなった。 修正できそうもない法の悪循環の中で、彼女たちは身動きが取れなくなってしまった。 だが、親が労働組合代表だったグレイスは、明白に有罪である会社の責任をあくまで問い続ける覚悟をしていた。 ついに1927年、レイモンド・ベリーという若く優秀な弁護士が、彼女たちの弁護を引き受けた。 グレイスはいつの間にか、4人の同僚とともに、世界的に有名な法廷ドラマの舞台に立っていた。 しかし残された時間はもうなかった。 彼女たちの余命は4カ月とされていたのだ。 会社側は、何とかして訴訟を長引かせようとしているようだった。 結果として、グレイスと同僚たちは、和解を余儀なくされた。 だがグレイスが目論んだ通り、世間の目をラジウム中毒に向けることはできた。 ニュージャージー州のラジウム・ガールズによる訴訟は、新聞の一面を飾り、米国中に衝撃を与えた。 イリノイ州オタワでは、文字盤を塗装していたキャサリン・ウルフという女工が、記事を読んで恐怖に震えた。 「報道後に工場で行われた話し合いは、暴動になりそうなほどでした」。 キャサリンは当時を思い返した。 「恐ろしさで仕事も手につかなくなりました」 しかし、 イリノイ州の会社「ラジウム・ダイアル(Radium Dial)」は、USRCに倣って、自社の責任を否定した。 同社の医療検査では、女工たちはラジウム中毒の明らかな兆候を示していたが、会社側はその結果を偽った。 そればかりか、地元の新聞に全面広告さえ出した。 「いかなるときも、職場の環境が従業員の健康を損なうと信じられる理由があったなら、私たちは直ちに操業を停止するでしょう」と、その広告は謳っていた。 スキャンダルをもみ消そうとする会社側の動きはさらに強くなり、女工たちが亡くなり始めると、その検死を妨害までした。 同社の人間が、ラジウムで穴だらけになった女性の骨を盗み、 血も涙もない隠蔽工作を図ったのだった。 体のあらゆる場所で発生する、 巨大な癌性骨腫瘍だ。 文字盤を塗装していたイレーヌ・ラ・ポートは、重度の骨盤腫瘍で亡くなった。 腫瘍は「フットボール2つ分より大きかった」という。 1938年、キャサリン・ウルフ(結婚後の姓はドノヒュー)は、腰にグレープフルーツ大の腫瘍ができた。 モリー・マッジャがそうだったように、キャサリンも歯を失い、顎の骨のかけらを口から取り出さねばならなかった。 キャサリンは、いつも柄の入ったハンカチを顎に当て、絶えず染み出てくる膿を拭っていた。 友人たちが死んでいくのも目にした。 それがかえってキャサリンの精神を強固にした。 キャサリンは正義を求め、闘いを開始した。 1930年代半ばのことだ。 米国は大恐慌のただ中にいた。 キャサリンと友人たちは、生き残っていたわずかな企業の中の1社を告訴したことで、社会から孤立した。 死が迫っていたものの、1938年に裁判が始まると、キャサリンは医師の助言を無視し、死の床から証言した。 そうすることで、 そして無料で弁護を引き受けた弁護士レオナルド・グロスマンの助けもあって、ついにキャサリンは、自分自身のためだけではなく国中の労働者たちのために正義を勝ち取ったのだ。 この裁判によって、労働者の命を救う法規が生まれ、最終的には「労働安全衛生局(OSHA)」の設立につながった。 同局は現在、労働者を保護するために全米で活動している。 OSHAの設立前は、毎年1万4000人が労災で亡くなっていた。 現在はわずか4500人余りだ。 また彼女たちは、科学に「計り知れないほど貴重」な遺産を残した。 だが、彼女たちの名を、 歴史の本で見かけることは少ない。 現在では、ラジウム・ガールズのひとりひとりは、ほとんど忘れられてしまったからだ。 私がこのたび著した『ザ・ラジウム・ガールズ()』は、女工たち自身の言葉を、日記や手紙、法廷での証言などから引用し、忘れられた記憶を蘇らせようとしたものだ。 なぜなら、彼女たちの強さ、苦しみ、犠牲があったからこそ、労働者の権利が勝ち取られたのだから。 私たちはみな、彼女たちの勇気の恩恵を受けているのだ。 ふたりだけ挙げるとすれば、 グレイス・フライヤーとキャサリン・ドノヒューは、恐れを知らない勝者として、私たちが褒めたたえ、敬意を表すべき女性たちだ。 彼女たちは、その短すぎる生涯で得たすべての功績とともに、歴史の中で光り輝いている。 そして、別の意味でもまた輝いている。 ラジウムの半減期は1600年。 彼女たちの骨の中にまだ残っているのだ。 ゴースト・ガールズはまだ当分の間、墓の中で輝いていることだろう。

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