さえ ぐさ あきな。 ROCK in TAKARAZUKA

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さえ ぐさ あきな

秀吉 ( ひでよし )の 赴 ( おもむ )いている中国陣。 光秀 ( みつひで )の活躍している 丹波 ( たんば )方面の戦線。 また、包囲長攻のまま年を越した 伊丹 ( いたみ )の陣。 信長の事業はいま、こう三方面に展開されている。 中国も伊丹も依然、 膠着 ( こうちゃく )状態と化している。 やや活溌にうごいているのは、丹波方面だけだった。 そう三方面から日々ここへ 蒐 ( あつ )まって来る文書、報告なども 夥 ( おびただ )しい。 もちろん 参謀 ( さんぼう )、 祐筆 ( ゆうひつ )などの部屋を通って一応は整理され、緊要なものだけが信長の眼に供された。 その中から、佐久間 信盛 ( のぶもり )の一通が見出された。 非常に気に入らない顔色でそれを読み捨てた。 読み 反古 ( ほご )の始末は 蘭丸 ( らんまる )がする。 (……なにが、 御意 ( ぎょい )に召さなかったのか) と、怪しんでいたので、その 反古 ( ほご )をあとでそっと 披 ( ひら )いてみた。 べつに信長の気色に触れるようなことも書いてはない。 ただそれには、伊丹へ帰陣の途中、竹中半兵衛を訪うて、かねてのお申し附けを催促しておいたという報告だけしか読まれなかった。 もっとも、微細に、その辞句の裏を読めば、信盛がいおうとしているところは、べつに深く 酌 ( く )めないこともない。 意外にも半兵衛儀は、まだ 御申 ( おんもう )し 附 ( つ )けの事を、実行しておりません。 使者たるそれがし落度とも相成る事、 厳 ( きび )しく 督促 ( とくそく )いたしおきました。 大事の御命、仕損じてはと、小心にも自身手をくだすつもりと見えました。 近日に御命を果しましょう。 それがしにとっても重々、迷惑、伏して御寛仁を仰ぎます。 こういったようなものである。 この辞句の裏には何よりも信盛が自己の罪のみを 汲々 ( きゅうきゅう )と怖れて弁解している気もちが出ている。 いやそれ以外には何もないといってもいい。 (それが御機嫌に 逆 ( さか )らったものであろう) 蘭丸にもその程度にしか考えられなかった。 ただ、その一端として、 窺 ( うかが )われ得ないこともなかったといえる一事は、信盛から右のような通告に接しても、信長はその時、半兵衛重治の違命と怠慢に向っては、べつに激怒する 容子 ( ようす )もないし、その後も不問のまま 敢 ( あ )えて自分からは督促していないことだった。 しかしまた、信長のそういう複雑な気の変り方を、竹中半兵衛とても、知ろうはずはなかった。 半兵衛はともかく、 侍 ( かしず )いて 看護 ( みとり )しているおゆうや家臣たちは、 「何とかなされずばなるまいが……」 と、案じ合い、なお 何日 ( いつ )になっても、その問題を処決する 容子 ( ようす )もない半兵衛の心を読みかねて、 「どう遊ばすおつもりか」 と、無言のうちに胸をいためていたことは 一通 ( ひととお )りでなかった。 そのうちに一月も過ぎた。 二月も半ばとなった。 梅が咲く。 日ましに陽ざしも暖かになって来たが、半兵衛の 病 ( やまい )は、やはり軽くなかった。 気丈 ( きじょう )ではあり、むさくるしいのが嫌いなので、どんな朝でも、病室は清掃させ、そして 浄 ( きよ )らかな朝の間の陽ざしを 浴 ( あ )みに、縁近い南の端に黙然と疲れるまで坐っているのが、朝々の習慣のようだった。 彼女はそこへ、茶を汲んでゆく。 病中の一楽はその茶碗からたちのぼる 湯気 ( ゆげ )の虹を朝陽のなかに 眩 ( まばゆ )く見ることだった。 「けさほどは、お顔色も大変良いようにお見うけいたしますが」 「そうだろう」 茶碗を抱いていた細い手のひとつを、わが頬へやって撫でまわしながら、半兵衛は、 「わしにも春が来たらしいよ。 たいへんいい。 この二、三日は、わけて気分がいい」 と、笑ってみせた。 顔いろもよし、気分もこの二、三日は、わけて 快 ( い )いという。 そういう今朝の兄をながめて、おゆうは無上に 欣 ( うれ )しかった。 しかし、またふと、淋しくもあった。 なぜならば、 ( 所詮 ( しょせん )、根治するとまでは、おうけあいいたしかねる) と、これはいつか、そっと医者から 戒告 ( かいこく )されていたことばである。 何かにつけて、それがすぐ胸をかすめるからであった。 けれど彼女は、ひとりこうきめている。 自分の真心と、不断の 看護 ( みとり )をもって、きっとこの兄を、もういちど健康にしてみせる。 いまは、そもじの御つとめ、それ唯ひとつと、 丹精 ( たんせい )くれぐれたのみ 入候 ( いりそろ ) とは、ついきのうも、 播磨 ( はりま )の陣から彼女の許へ来た消息に見える秀吉のことばだった。 「お兄上さま。 このぶんで御快方にむかえば、さくらの咲く頃には、きっとお床上げができましょう」 「ゆう……」 「はい」 「心労をかけたな。 おまえにも」 「なんの……。 またにわかに改まって、お兄上さまが、何を仰っしゃるかと思えば」 「は、は、は」 病者の笑いには力がない。 半兵衛は 愛 ( いと )しげな眼を 凝 ( こ )らして、 「 兄妹 ( きょうだい )であるがために、却って日ごろは、ありがたいということばすらいったためしはないが、何か、改まって、今朝は礼を云いたくなった。 ……これも気分がよいせいであろう」 「それなら 欣 ( うれ )しゅうございますが」 「 顧 ( かえり )みれば、もう十年の余になるな、 菩提山 ( ぼだいさん )の城を去って、故郷栗原山の山中にかくれた時から」 「月日のはやさ。 ふり 顧 ( かえ )ってみると、何もかも夢のようでございます」 「すでにその頃から、山中人のわしの側にあって、朝夕の 炊 ( かし )ぎ、身のまわりから薬の世話まで、みなそなたがしてくれていた。 思えば長いあいだの苦労を」 「いいえ、それもわずかの間でした。 お兄上さまは、あの頃からよく、わしの病は 癒 ( なお )るまいと仰っしゃっていましたが、それがたちまち御快方に向うと、秀吉さまの 帷幕 ( いばく )に参じて、姉川の 戦 ( いくさ )、 長篠 ( ながしの )の戦い、さては越前へ、大坂へ、また伊勢路へと、御合戦のやむ間もない年々を、あんなお元気にお過し遊ばしたではございませんか」 「そうだったなあ。 生きてこの激しい世のなかの落着くさまを見とどけたい。 また、かりそめならぬ主従の縁にむすばれた秀吉様の将来をも……ああ、からださえ丈夫ならば微力のかぎりお 扶 ( たす )けして参りたい」 「どうぞ、そうして下さいませ」 「……だが」 と、半兵衛はふと声を落して、 「どうにもならないものが人間の 天寿 ( てんじゅ )だ。 いかにせん、こればかりは」 無念そうに 呟 ( つぶや )いた。 その眸を見て、おゆうは、はっと胸をつかれた。 なにか、兄はひそかに独り期しているのではあるまいかと。 南禅寺の鐘はのどかに 午 ( ひる )をつげている。 戦国とはいえ、梅が咲けば、梅に杖をひく人影も見え、梅が散れば、梅に 啼 ( な )くうぐいすの声もする。 快 ( よ )いほうとはいいながら、夜に入ると、春もまだ二月、 草庵 ( そうあん )の 燈 ( ともし )は、半兵衛の 咳 ( せ )き 入 ( い )る声に、寒々と揺れた。 ためにおゆうは幾たびか、夜半にも起きて、兄の背をさすり明かした。 病骨の背なかなどさすらせては 勿体 ( もったい )ない」 と気がねして、どうしても、家来の手にはそういうことをさせないのである。 「……お、 燈火 ( ともしび )がもれています。 お待ちなさい。 誰か起きておりましょう」 外の人声は、やがて軒下に寄って来た。 そして軽く、雨戸をたたく。 「誰じゃ?」 「おゆう様ですか。 熊太郎でございます。 伊丹 ( いたみ )へ参った 栗原熊太郎 ( くりはらくまたろう )、いま戻って参りました」 「おお。 帰って来ましたか。 ひとりと思いのほか、三名の人影が星明りを 塞 ( ふさ )いでいた。 熊太郎は手を出して、おゆうから桶を借りうけ、ほかの二名を誘って、井戸のそばへ行った。 「…… 誰方 ( どなた )であろう?」 彼女はそこに 佇 ( た )っていた。 熊太郎というのは、半兵衛が栗原山に閑居していた頃から召使の 童子 ( どうじ )として年来側近く育てて来た家来である。 その頃は小熊と称していたが、いまはもう三十がらみの見事なさむらいとなっている。 その熊太郎が、 釣瓶 ( つるべ )を汲みあげては桶へ水をそそぎ落すと、他の二名は、手足の泥や 袂 ( たもと )の血など洗い落している 容子 ( ようす )であった。 兄の半兵衛に命じられて、深夜ながら取り急いで、おゆうは小書院に明りを 燈 ( とも )したり、 火桶 ( ひおけ )へ火を入れたり、客の 褥 ( しとね )をそろえたりし始めた。 兄のことばによると、 「熊太郎の 伴 ( つ )れて来た客のひとりは、きっと黒田官兵衛どのだろう」 とのことに、彼女もすくなからず驚いた。 去年から伊丹城の中に 囚 ( とら )われて 監禁 ( かんきん )されているとか、荒木の同類になって立て 籠 ( こも )ったとか、いろいろ沙汰されている問題の人だからである。 「ゆう。 わしの 胴服 ( どうふく )を」 病間では、半兵衛が起き出て、衣服をかえていた。 病髪を撫で、口を 嗽 ( すす )ぎ終えて、半兵衛が小書院へ姿を運んで行くと、家来の熊太郎と他の客ふたりは、すでに席について、物静かに 主 ( あるじ )を待っていた。 「おうッ」 ひとりの客がすぐいえば、半兵衛も情感のこもった声で、 「やあ、御無事で」 と、答えながら、ひたと坐って、互いに手を取り合わんばかりだった。 その段、申しわけない」 「ともあれ、再会を得たのは、まことに 天佑 ( てんゆう )、めでたい。 半兵衛にとっても、近頃のよろこび」 「いや、御主君や、尊公のお力によるものだ。 忘れはおかぬ」 ふたりの歓び合っている様は、 傍 ( はた )で見ている眼も熱くなって来るほどだった。 ところで、最初から沈黙を守っているもう一名の年 かさな武士は、ふたりの感激を 妨 ( さまた )げまいとさし控えているふうだったが、やがて官兵衛孝高にひきあわされて、こう名乗り出た。 「初めてお目にかかる気はいたしませぬ。 てまえも羽柴家の一士で、いつも陣中ではおすがたを遠く見ておりました。 蜂須賀彦右衛門 ( はちすかひこえもん )の 甥 ( おい )にあたる者で、 渡辺天蔵 ( わたなべてんぞう )と申します。 以後はお見知りおきのほどを」 半兵衛は、膝を打って、 「やあ、渡辺天蔵どのとは、あなただったか。 かねがねよくおうわさは聞いていた。 ……そういわれれば、どこかで一、二度は、お見かけしたこともあるような」 その間へ、家来の熊太郎が、末席からこう話をつないだ。 「実はゆくりなくも、伊丹の城中で、同じ目的の下に入り込んでいた天蔵どのと、城内 櫓下 ( やぐらした )の 獄舎 ( ひとや )の前で出会うたのでございました」 すると、天蔵も、 「いやまったく、偶然といおうか、神の御加護と云いましょうか、 図 ( はか )らずも、こちらの熊太郎どのと出会ったため、あの重囲の中から、 辛 ( から )くも官兵衛どのの身を救出することができました。 もし、拙者ひとりか、熊太郎どのお一人だったら、或いは途中で、斬り死にしていたかも知れませんな」 相顧 ( あいかえり )みて、 莞爾 ( かんじ )とした。 ここにおいて、事情はあらかた明らかになっているが、なお云い足すならば、黒田官兵衛の救出については、秀吉のほうでも、今日までさまざまな苦心を重ねていたものであった。 或る時は、人を派して、荒木村重に彼の身の引き渡しを乞い、或る時は、村重の信ずる僧侶を入れてそれとなく説かせてみたり、手段をつくしたが、 頑 ( がん )として、官兵衛の身は返されない。 天蔵は城内に忍びこんで、その機会を待っていた。 折ふしその晩は、月もなく風もない暗い夜なので、 (こよいこそ) と決行を計って、かねて目をつけておいた 櫓下 ( やぐらした )の 大牢 ( おおろう )の外へ這いよってゆくと、そこに番人とも見えぬ男が、やはり自分のように忍びよって、しきりに牢内を 窺 ( うかが )っている。 怪しんで、初めは、もちろん油断せずに、 測 ( はか )り合っていたが、どうやら城方の者でないらしいので、名をあかし合ってみると、 (自分は、竹中半兵衛の家来、栗原熊太郎) と、先もいい、彼も、 (羽柴筑前守様のしのびの者) と名乗ったばかりか、ここへ来た目的もまったく一つだと知れたので、互いに協力し始め、 牢窓 ( ろうまど )を破壊して、中なる官兵衛 孝高 ( よしたか )を助け出すと、闇にまぎれて、城壁をこえ、石垣を 辷 ( すべ )り降り、水門口の小舟をひろって、 濠 ( ほり )を渡って逃げて来たものであった。 ……して、その以後の数日は、どうして過し、どうしてこれまで 辿 ( たど )りついたか」 と、なおも熊太郎に向ってたずねた。 諸所の木戸や 柵 ( さく )に荒木勢が野営しているのです。 ために、幾度か取り囲まれて、時には敵の刀槍の中で、ちりぢりに分れかけたりしましたが、ようやく斬り破り斬り破り逃げおわせはしたものの、その間に、官兵衛様には、左の足の膝がしらへ、一太刀うけておいでになり、 跛行 ( びっこ )をひいて駈けるため、遠走りはできません。 やむなく、農家を叩いて、納屋に寝たり、夜は這い出て、道ばたの堂にやすんだりして、やっと京都まで参りました」 と語り終るとすぐ、後から官兵衛自身が云い足した。 ……で、わざと寄手のお味方へ救いを乞うことを避けて、この京都までやって来た。 何はともあれ、貴公のお顔も見たいと思って」 彼はさびし気に微笑した。 半兵衛も、黙然、うなずいた。 問いたいこと、語りたいこと、互いに相尽すと、夜は白みかけていた。 おゆうはもう朝の 雑炊 ( ぞうすい )を台所で 炊 ( た )いていた。 語り明かした 面 ( おもて )はみな疲れていた。 朝餉 ( あさげ )をすますと人々は少し眠りをとった。 そしてふたたび 覚 ( さ )めてからの話である。 「時に」 と、竹中半兵衛は、 孝高 ( よしたか )へこう計った。 「ちと 遽 ( にわ )かだが、それがしは今日ここを立って、 美濃 ( みの )の 国許 ( くにもと )へまかり越え、その足ですぐ 安土 ( あづち )へ伺い、信長公の御処分をうけようと思う。 しかし」 と、官兵衛孝高は怪しむように、半兵衛の 面 ( おもて )を見まもった。 「まだ病中のお体で、急に旅へ立たれなどして、どうあろうな。 お国許へとあれば、行く先に心配はないが」 「いや、きょう限り、 病褥 ( とこ )をあげて起きるつもりです。 いかなる急用がおありか知らぬが、もう少し 怺 ( こら )えてここに療養しておられてはどうかな」 「心のうちでは、この春と共に、もっと早く病間を出たいと念じていたのですが、実は、貴公の安否が分るまでと、心待ちに、 旁 ( かたがた )、身の養生をもきょうまで長引かせていたところです。 かく御無事を見とどけたうえは、それに懸る気残りもなし、同時に、安土城へ伺って、御処分を待たねばならぬ 科 ( とが )もござれば、きょうこそ 病褥 ( とこ )あげの吉日、ここでお別れ申すことにする」 「安土の御処分をうけねばならぬ 科 ( とが )とは? ……それは一体何事かな」 「まだ、おはなし申してないが、実は……」 と、半兵衛は初めて、去年から信長の命を拒み、今日まで 敢 ( あ )えて「違背の罪を冒して来た事情」を彼にはなした。 官兵衛孝高は 愕 ( おどろ )いた。 何もかも初耳であった。 自分の行動がそれほどまで信長に疑われていたことも。 「……そうだったか」 と、 唸 ( うめ )きのなかに、孝高はふと信長に対して、 冷 ( ひや )やかな感情の 空虚 ( うつろ )を覚えた。 そう思うことをどうしようもない。 また、その反動には秀吉の深情や、半兵衛の友情に、 瞼 ( まぶた )の 中 ( なか )を 焦 ( や )かれるような涙をもたずにいられなかった。 かねてから 期 ( ご )していたこと。 その儀なれば、黒田官兵衛自身、安土へ参上して、一切を申しひらく。 あなたは、ここにおいで下さい」 「いや、君命を 拒 ( こば )んで今日に至った罪はそれがしにある。 御身の知ったことではない。 ……ただ貴公に 委嘱 ( いしょく )しておきたいことは、 播磨 ( はりま )の御陣にある秀吉様の 傍 ( そば )にあって、この上とも、良い 輔佐 ( ほさ )となっていただきたいことしかない。 一刻も早く、播磨へ下っていただきたい」 頼むように、半兵衛は友へ向って、両手をつかえた。 病人とはいうが、その病人の決心である。 まして熟慮に欠けることのない半兵衛 重治 ( しげはる )でもあった。 云い出しては、断じてひかない。 その日。 友は東西に 袂 ( たもと )を別った。 官兵衛孝高は、すなわち渡辺天蔵をつれて、播磨の陣へ。 また、竹中半兵衛は病躯をおして、国 許 ( もと )の 美濃不破郡 ( みのふわごおり )へ。 その兄の立つのを、おゆうは南禅寺の門前で泣きながら見送った。 もうふたたび帰って来ない兄と思うて泣くのであった。 共に見送っていた僧侶たちが、 「 果敢 ( はか )なきおなげき」 と、しまいには倒れかかる彼女を抱きかかえるようにして山門のうちへかくれた。 急に 調 ( ととの )えた 黒鹿毛 ( くろかげ )の鞍も古びて 佗 ( わび )しげな背にゆられながら、 蹴上 ( けあげ )までかかると、思い出したように、彼は 手綱 ( たづな )をとめて、 「熊太郎」 と、馬の口輪をのぞき下ろした。 一筆ここで 認 ( したた )めるゆえ、ちょっと走り戻って、ゆうに手渡してくれい」 と、いった。 懐紙を出して、馬上のまま彼は何か走り書した。 それを 文結 ( ふみむす )びにして、 「わしは、ぼつぼつ先へ行っているぞ。 あとから来い」 と、熊太郎に 促 ( うなが )した。 熊太郎は、それを預かると、 畏 ( かしこ )まってすぐあとへ駈けて行った。 自分の踏んで来た道には、 毛頭 ( もうとう )悔いはないが、妹には、女の道を」 と、 愁然 ( しゅうぜん )、口のうちでつぶやきながら、駒の歩むにまかせて行った。 さむらいの道は一筋だ。 かつて栗原山を下りて以来、目ざして来たこの道にくるいはない、悔恨はない。 たとえ今日、人生を終るまでも。 それは自然といえば極めて自然なうちにそうなって来た運命ともいえるが、彼の潔白がゆるさないのである。 また、兄としての責任感にもたえず責められてならないのだった。 しかしそれもはや十年のむかしに 遡 ( さかのぼ )る悔いである。 罪は自分にあって妹にはない。 けれど自分のないのちはと、ひそかに妹のあとの半生をなお案じるのだった。 所詮 ( しょせん )は終生の 栄華 ( えいが )でもなし、女の不幸にきまっている。 ことに心ぐるしいのは死を 賭 ( と )している士道の純白にも何か一点の 汚染 ( しみ )がのこるような気がするのだった。 幾たびかこのことについては、主君におわびをして暇をもらおうか、妹に 苦衷 ( くちゅう )を打ち明けてどこかへ姿でもかくしてもらおうか、愚痴に迷ったこともあるかしれないが、つい適当な機会もなく過して来たものだった。 「……が、今は」 と、彼もきょうの出立を、帰らない旅としているので、それが妹にいえる気がした。 あのいじらしい姿を見ては、やはり云いかねていたが、一筆歌に寄せていうことなら。 おそらく妹は歌の 意 ( こころ )をすぐ 酌 ( く )んでくれるだろう。 そして自分のないのちは、兄のあとを 弔 ( とむら )うことを口実にして、 蔓草 ( つるぐさ )の垣にも似ている 閨門 ( けいもん )の花々の群れから 脱 ( のが )れてくれるだろう。 「いまは何の心のこりもない」 この日の偽りない半兵衛の心境はそうであった。 遅々 ( ちち )、春の日は、まだ 山科 ( やましな )あたり、陽は 舂 ( うすず )きもしていなかった。 所領地の不破へ帰り着くと、半兵衛重治は、その一日を祖先の 展墓 ( てんぼ )にすごし、また一 刻 ( とき )を、 菩提山 ( ぼだいさん )に 佇 ( たたず )んで、 「あの山も、この河も」 と、なつかしげに故郷の天地と語っていた。 久しぶりの帰郷ではあったが、長居は気もちが許さない。 菩提山の裾野にも、城中の樹々の間にも、 鶯 ( うぐいす )の音がしげく聞える。 また、どこかで 小鼓 ( こつづみ )も聞える。 「半右衛門にござりまするが」 白いふすまを背に、やがて 豪骨 ( ごうこつ )な老武士が手をつかえていた。 質子 ( ちし )の 目附兼傅役 ( めつけけんもりやく )として松寿丸に附けてある者だった。 「半右衛門か、寄れ」 眼でさし招いて、 「かねてそちだけには、詳しく告げてあるが、いよいよ 質子 ( ちし )の 於松 ( おまつ ) (松寿丸のこと)どのを、安土へ 伴 ( つ )れねばならぬ日が参った。 今日にも打ち立つ 所存 ( しょぞん )。 急ではあるが、その方より 附添 ( つきそい )の衆にも申し告げ、すぐお支度あるように伝えよ」 主人の 苦衷 ( くちゅう )も事情も、よく 弁 ( わきま )えている半右衛門ではあったが、さすがに顔色をかえて、 「えッ。 ……では、どうしても於松様のお 生命 ( いのち )は」 と、 鬢 ( びん )にふるえを見せた。 半兵衛は、笑って見せた。 安心を与えるように、至極平静に、 「否。 お首にはせぬ」 そしてなお云いたした。 「半兵衛の身にかえても、信長公のお怒りは解いてみせる。 於松どのの父官兵衛には、はや伊丹を脱出して、播磨の御陣へ参加しておる。 無言の潔白は示されたというものじゃ。 近づくとそこでは 鼓 ( つづみ )の音だの 々 ( きき )として騒ぐ少年の声が賑やかにしていた。 松寿丸を中心に、舞の上手な 幸徳 ( こうとく )という小坊主やら、家中の少年たちが、鼓を打って戯れているのだった。 竹中家では、数年来預かって来た松寿丸の身を、人質とも思われないほど優遇して来た。 日常の教育、健康その他、わが子以上な愛育へ、より大きな責任感をも抱いて守り育てて来たものであった。 黒田家の方からは、井口兵助、大野九郎左衛門の二名が、附添って来たが、なお竹中家からも家臣伊東半右衛門を 侍 ( かしず )け、協力的にこの一子を 珠 ( たま )の如く 磨 ( みが )いていた。 そうした竹中半兵衛の好意の下に、きょうまでは、深い仔細も知らずに来た 傅役 ( もりやく )たちも、いま半右衛門の口から、 「すぐお旅立ちの御用意を」 と、促されると、 愕然 ( がくぜん )、顔いろを失った。 「では、安土へ?」 と、傅役の井口兵助と大野九郎左衛門が、絶望的な顔を見あわせて嘆息するのを、半右衛門は、 「御心配には及ばぬ。 たとえ安土へおつれ申そうと、主人重治様の義心を固くお信じあって、何事もおまかせあるがよろしゅうござる」 と、しきりに慰めていた。 何も知らぬ松寿丸は、小坊主の幸徳や大勢の少年たちと、 鼓 ( つづみ )を打ったり舞ったり、 々 ( きき )として遊びくるっていた。 松寿丸は、ことし十三歳。 松千代とも、於松どのとも呼ばれている。 のちの黒田長政は、この少年だった。 「兵助、何だ。 半右衛門が、何をいったのか」 鼓をおいて、於松は、井口兵助のそばへ駈けて来た。 もうひとりの 傅役 ( もりやく )、大野九郎左衛門と彼とが、顔見合わせたまま、何か、嘆息しているのを見て、子ども心にも、 (何か起ったか?) と、心配を抱いてのことらしかった。 「いや、さして、ご心配なことではありません」 と、二家臣は、問わず語りにまず 宥 ( なだ )めて、 「すぐ旅立ちのお支度を遊ばして半兵衛重治様とともに、安土へおいでになるのです」 「たれが」 「 和子様 ( わこさま )が」 「わしも行くのだって。 ……あの安土へ」 「はい」 ぽろぽろと泣いて顔をそむける 傅役 ( もりやく )の二人を、 於松 ( おまつ )は見てもいなかった。 聞くと共に、おどり上がらぬばかり手を打って、 「うれしい。 ほんとか」 座敷の方へ駈けもどっていた。 そしてお相手の少年や、小坊主の幸徳などへ向って、 「安土へゆくのだ。 ここの殿とご一しょに、旅へ立つのじゃそうな。 仕舞え仕舞え」 それから大声してまた、 「兵助、九郎左。 衣裳はこれでよいのか」 と、身支度を 促 ( うなが )した。 二臣は、於松の君を、湯殿へ 誘 ( いざな )った。 そして風呂に入れ、髪もきれいに結い直して、門出の晴着にと、竹中家から贈られた衣裳を着せてみると、肌着も小袖もすべて純白な死に 装束 ( しょうぞく )であった。 白い小袖の上に重ねた赤地錦が、いとど美しく見えた。 また、その紅顔の 粧 ( よそお )いが、さらに二臣の涙をそそった。 身ぎれいにすると、二臣に連れられて、於松は、竹中半兵衛の部屋へ行った。 半兵衛はすでに立つばかりに支度して、彼を待っていた。 「御飯をたくさんに食べて行かれよ。 馬でも、旅は腹のすくもの」 と、半兵衛にいわれて、 「はい。 ではもう一膳」 と、於松は元気に食事をすまし、飽くまで機嫌よく、家臣の泣き顔などは、まったく眼もくれずに、 「さ。 参りましょう」 と、二度も半兵衛を促した。 「行って来るぞ」 半兵衛は、ようやく立った。 姉川の戦いにも、またその以後も、 殊勲 ( しゅくん )のあるたびに竹中半兵衛は信長から幾度となく、恩賞も授かっているし、目通りも得ている。 (秀吉から聞けば、そちは秀吉の臣たるのみでなく師とも仰がれておるそうだが、信長もおろそかには思わぬぞ) とは、かつて、姉川の役に、半兵衛の殊勲が聞えたとき、直接、信長から彼にもたらしたことばだった。 前夜、届けがあったので、信長は待っていた。 半兵衛を見るとすぐ、 「めずらしや」 と、いい、機嫌うるわしく、 「よく見えた。 もそっと、間近う寄れ。 ゆるす、 褥 ( しとね )をとれ。 たれか半兵衛に敷物を与えい」 などと 破格 ( はかく )な 宥 ( いた )わり方で、なお遠く平伏したまま 恐懼 ( きょうく )している半兵衛の背へ、 「 病 ( やまい )は、もう 快 ( よ )いのか。 播磨 ( はりま )の長陣では、心身ともに疲れたことであろう。 信長から 診 ( み )せに 遣 ( つか )わした医者のことばには、当分、戦場は無理、少なくもなお、一、二年は静養を要すると申していたが……」 かくばかり臣下に対してやさしい言葉をかけた例は、ここ二、三年来、珍しいことであった。 半兵衛重治は、何か、 欣 ( うれ )しいとも悲しいともつかない 戸惑 ( とまど )いを心におぼえた。 「勿体ないお 宥 ( いた )わりです。 戦いに参っては病躯、陣後に帰っては、 碌々 ( ろくろく )御恩に浴すのみで、何ひとつ、御奉公らしいこともならぬこの病骨へ」 「いやいや、大事にしてもらわねば困る。 第一には、筑前の力落しが思いやらるる」 「そう仰せ下されては、半兵衛、身の置きどころもございませぬ。 於松とは」 「……御意にございまする」 「ううむ、なるほどのう。 官兵衛孝高に似て、 童形 ( どうぎょう )ながら、どこか違ったところが見える。 たのもしい少年。 ……於松どのの首は」 半兵衛は、胸をあげて、信長を凝視した。 もし今なお、この少年を打首にせよと、信長が云い張った場合は、死を 賭 ( と )して、その愚を 諫 ( いさ )め、その非を 説破 ( せっぱ )するの覚悟でこれへ来た彼であったのである。 「そのことは、もう忘れてくれ。 実は信長自身、あとではすぐ後悔しておったのだ。 なんと、わしは邪推ぶかい 漢 ( おとこ )よ。 筑前に対しても、官兵衛孝高に対しても 間 ( ま )のわるいことではある。 よくこそと、実はそちの処置を聞いて、胸なでおろしておったのである。 罪は信長にある。 (忘れおけ。 水に流そう) 信長はいったが、半兵衛は、むしろ 歓 ( よろこ )ばない 容子 ( ようす )を示して、 「一たん仰せ出された儀を、このまま 有耶無耶 ( うやむや )に過しては、あとあとの 御威令 ( ごいれい )にもかかわりましょう。 父孝高の潔白と功に 鑑 ( かんが )み、松寿丸の打首は免じるが、然るべきよう子としても 証 ( あかし )を立てよ。 もとより信長の気もちも、そうありたかったことである。 半兵衛はあらためて、信長からその寛大を得ると、 「ようお礼を申しあげなさい」 と、傍らの於松へささやいて、臣礼を 訓 ( おし )え、そしてまた信長に向っては、 「両名とも、或いは、これが 今生 ( こんじょう )のおわかれとなるやもしれませぬ。 弥栄 ( いやさか )の御武運を祈りおります。 今日は先もいそぎますれば、これでお暇を」 と、いった。 信長は、 解 ( げ )し 難 ( がた )い顔をして、 「 今生 ( こんじょう )のわかれとは異なことをいう。 それでは重ねて予の意に 反 ( そむ )くというものではないか」 と仔細を追求した。 すぐここより父孝高のいる 播磨 ( はりま )の陣へ参って、父に劣らぬ 勲 ( いさお )を立てて、 華々 ( はなばな )と生死の 関頭 ( かんとう )に、将来の命数をまかせる覚悟にござりまする」 「なに、では戦場へ行く気か」 「 孝高 ( よしたか )も名ある武士、 於松 ( おまつ )もその人の子。 ただ 御寛仁 ( ごかんじん )にあまえているも本意ではございますまい。 ねがわくば、この少年の 初陣 ( ういじん )のために、ひと言、勇ましく働けと、お励ましを賜わるなれば、どんなにありがたいことかわかりません」 「ううむ。 ……してそちは」 「病躯、何ほどの力も、お味方の 足 ( た )しとなるまいかに存ぜられますが、ちょうどよい折、於松を 伴 ( つ )れて、ともども、帰陣の考えにございまする」 「よいのか。 体のほうは」 「武門に生れて、しかもこのような 秋 ( とき )、畳のうえで死ぬるのは、何とも口惜しゅうございます。 薬餌 ( やくじ )に親しんでいても死ぬときには死なねばなりません」 「そうとは気づかなんだ。 それまでの覚悟とあれば……。 そうだ、於松にも、初陣を祝ってやろう」 信長は、少年の眼をさしまねいて、手ずから 備前兼定 ( びぜんかねさだ )の 脇差 ( わきざし )を与えた。 また家臣に命じて、 勝栗土器 ( かちぐりかわらけ )をとりよせ、 酌 ( く )み 交 ( か )わして、 「めでたい。 曠々 ( はればれ )とゆけ」 と、 餞別 ( はなむ )けした。 少年十三、決して、早くはない初陣である。 於松は、きょうここへ登城する前夜、半兵衛からよく 嗜 ( たしな )みをうけていたので、敢えて驚きもしなければ、また特にはしゃぎもしなかった。 しずかに、礼儀をして、半兵衛とともに君前を退って行った。 信長は楼上の 欄 ( らん )へ出て、その小さいすがたと半兵衛の影が城門を出てゆくまで見送っていた。 あくる朝、播磨へ向うべく、安土を早く立った。 京都を通った。 南禅寺の屋根は 蹴上 ( けあげ )からその森を見下ろしただけで、遂に立ち寄らなかった。 半兵衛の心には、もう妹のことも 国許 ( くにもと )のこともなかった。 あるはただ戦陣のことだけだった。 有馬 ( ありま )の 温泉町 ( ゆまち )は暮れかけている。 池之坊 橘右衛門 ( きつえもん )の 湯宿 ( やど )へ、いま、ふたりの武士がそっと入った。 ひとりはただの旅すがた、ひとりはひどい 跛行 ( びっこ )である。 衣服も粗末、 垢 ( あか )じみているどころか、側に寄ると 臭 ( くさ )いほどだった。 「すぐ寝床をひとつ 展 ( の )べてくれい」 部屋にすわると、宿の者へ、ひとりがすぐいいつけた。 「いたみますかな」 「……どうやら、熱を持って来たらしく、膝ぶしの傷口が、火でもあてているように感じられる。 はて、残念な」 跛行 ( びっこ )の男は、数日前、南禅寺の一庵で、竹中半兵衛とわかれて来た 官兵衛孝高 ( かんべえよしたか )なのである。 伊丹城 ( いたみじょう )から脱出した晩、暗夜のなかで、何者とも知れぬ敵に一太刀 薙 ( な )ぎられた左の脚の関節部だった。 ……そっと、 襤褸 ( ぼろ )をめくってみると、 血膿 ( ちうみ )をふくんだ傷口は大きく口をあいていた。 柘榴 ( ざくろ )の 胚子 ( たね )のように白い骨が見えるほど深さもふかい。 「このまま、陣中へ行かれても、どうにも、お手当の仕方はありますまい。 むしろ、日は遅れようとも、有馬の湯につかって、しばし、御養生の上行かれては」 同行の渡辺天蔵が、しきりにすすめたのである。 こういう愚は決して勇気ともいえまい。 「そうしよう」 官兵衛は、 伴 ( つ )れのすすめをすぐ 容 ( い )れて、道をかえた。 何分にも、いたる処、荒木方の哨兵がいたり、木戸があったりするからだ。 着いた 翌 ( あく )る日である。 池之坊の門口へ、ひとりの町人が 佇 ( たたず )んで、宿の女をつかまえ、何か、世間ばなしをしている。 外から戻って来た渡辺天蔵の耳に、ちらと、いやな言葉が入った。 女へ、町人が訊いているのである。 「……いや、たしかに、いるだろう。 町の衆から聞いているよ。 きのう 黄昏 ( たそがれ )、 跛行 ( びっこ )をひいた汚い客が泊ったと」 すれちがいに、天蔵の姿を、女は見ぬふりをして見送っていた。 着くとすぐ宿の 主 ( あるじ )へ、天蔵から口止めしてあるので、女は、答えに困ったものらしい。 天蔵は、部屋にはいると、蒲団の中の顔をのぞいて、 「どうです、昨夜、今朝と、まだ二度ほどの入浴では、 効 ( き )き目もありますまいが、すこしは楽になりましたか」 「む、む」 と、枕の上から振り向いて、 「だいぶ楽だ。 温泉 ( ゆ )は 効 ( き )くものだな」 「せっかく、お楽になったところを、 酷 ( むご )い気がいたしますが、今夜はここを立たねばならぬかと存じますが」 「なに。 ……ああそうか。 嗅 ( か )ぎつけて来たのだな」 「どうも、そんな 気 ( け )ぶりが」 「ぜひがない、いつでも立つ。 決して、足手まといに考えてくれるな。 いざとなれば、片脚ぐらいはなくても駈けるよ。 ははははは」 障子の外に、人の気はいがした。 天蔵はすぐ向き直った。 官兵衛は手をのばして、刀を蒲団の下へ抱き入れた。 「ごめん下さいまし……。 さだめしご退屈でございましょう」 宿の召使である。 茶盆と共に膝を入れ、すぐ茶を汲みながら、世事ばなしを始めた。 「誰だ? ……。 まだ外に、誰かつぐなんでおるようではないか」 官兵衛は、ふいに、そう 咎 ( とが )めて宿の 手代 ( てだい )の顔いろを見た。 「はい、実は」 と、手代は、云い 難 ( にく )そうに、 「どうしても旦那さま方へ、会わせてくれというて、 肯 ( き )かないものでございますから」 そういってから、障子の外の中縁へ首をさし出し、 「新七さん、おはいりよ。 何をここへ来てから、もじもじしていなさるのじゃ」 と、いった。 さっき渡辺天蔵が門口で見かけた町人である。 図々 ( ずうずう )しく来たなと天蔵は眼をかがやかした。 しかし、案外な気がふとしなくもなかった。 というのは、 「はい。 ……ぶしつけに。 ……せっかくお休みのところへお邪魔しまして」 と、おずおず入って来たのをあらためて凝視すると、あながち荒木の部下が変装して来たというような するどさは見えない。 その道にかけては、多年、天蔵自身こそ本職であるから、いま一見すると、 (これは自分の勘ちがいであった) と感じ、すぐ疑心を訂正していた。 で、それを官兵衛にも気づかせるように至極気らくに、 「さあ、入るがいい。 その方もこの宿で入湯中のものか」 「いえ、 伊丹 ( いたみ )の御城下におりまする 銀屋 ( しろがねや )新七という者でございます」 「なに、伊丹の者?」 「はい。 釵 ( かんざし )や 小金具 ( こかなぐ )などの、金銀の 細工物 ( さいくもの )をしておりますので」 「ふム……。 して何ぞ、この方たちへ、細工物でも 誂 ( あつら )えてくれとでも申すのか」 「それもございますが」 と、軽く笑って、宿の召使へ、そっと包みらしいものを与えていた。 そして耳のそばへ口をよせながら、 「お頼みだよ。 いいかね」 とささやいた。 手代はうなずいて、すぐ立ち去った。 いよいよ 解 ( げ )せない町人と、官兵衛はにらまえていたが、銀屋新七というその男には、少しも暗さが見えなかった。 「さあ、これでいい。 どうぞお 両方 ( ふたかた )も御安心くださいまし。 ……場所が場所、人目もあるので、さきほどから不作法のみいたしておりますが、そちらにおいで遊ばすのは、 播磨 ( はりま )の 小寺政職 ( おでらまさもと )様の御家臣、官兵衛 孝高 ( よしたか )様でございましょう」 「なにッ」 天蔵が、刀をよせて、眼から くわっと殺意を放つと、新七は、初めて跳びあがるばかり驚いて、官兵衛の夜具のすその方へ逃げまわりながら、 「お、おゆるし下さい。 い、いけなかったら、もう、な、なにも申しません」 と平伏したまま、ふるえ抜いていた。 「いや、斬りはしない」 と天蔵は、無意識に出た自分の身構えを、自分で笑い消しながら、 「どうしてそれを知っているのか」 と、穏やかに訊ねた。 新七はしばらく口の 渇 ( かわ )きに口もきけない顔つきだったが、やがて横を向くと、 懐中 ( ふところ )をひらいて、肌の奥から一通の書面をやっと取り出した。 封をひらいて、読み下していた官兵衛の 面 ( おもて )には、驚きと、涙とが、 交錯 ( こうさく )していた。 黒田家の臣、 母里太兵衛 ( もりたへえ )、栗山善助、井上九郎の三名が 連署 ( れんしょ )の書面だったのである。 折も折、昨夕、お姿を変えて、有馬の湯へひそかに御潜伏と、新七よりの情報に、 狂喜雀躍 ( きょうきじゃくやく )、すぐにもお宿へうかがい、お目通りをとも思いましたが、なおそこらは敵地に遠からぬ所、人目の 憚 ( はばか )りもあり、かたがた、ふいにお 愕 ( おどろ )かせ奉るもいかがと 弁 ( わきま )え、わざと一応、かく書面 仕 ( つかまつ )りました。 つぶさなことはなお新七より 直々 ( じきじき )お聴取りを仰ぎます。 というような文意であった。 「新七とやら。 ……この書面によれば、 母里 ( もり )、栗山、井上の三人は、わしが伊丹の城中に 囚 ( とら )われとなったときから、そちの奥にかくれて、苦心をかさねていたようだが……今なお三名はそちの家に 潜 ( ひそ )んでおるのか」 「はい。 たしかに、お 城外 ( しろそと )へ無事にお逃げになったことは知れましたが、なお、はっきり御生死をつきとめぬうちはと」 「して、そちと、三人とは、どういう縁故から……?」 「母里太兵衛様には、てまえの妹が、御奉公中から嫁にゆくまで、並ならぬお世話になっておりましたので」 「……ああ、知らなかった。 家来三人が、よそながらわしの身を救い出しに来ていたとは」 「ここへお泊りと聞いて、お三人様とも、飛び立つように、すぐお目にかかりに行くと仰っしゃいましたが、どうして、この有馬も油断はなりません。 強 ( た )って、てまえがお止め申して、実は瀬 ぶみに参ったわけでございまする」 「そうか。 ……いや、よく注意してくれた。 ここもなかなか人目は多い。 わしが宿を立つまでは、近づいてくれるなと伝えてくれい。 脚の傷口も 癒 ( い )えきるまでには日数もかかろうが、まず一時の痛みさえ 歇 ( や )んだら播磨へ立つつもりじゃ。 ここ五、六日も湯に 浸 ( つか )って」 「では、帰りまして、そのようにお伝えいたしておきましょう。 しかし、よそながら御身辺は、きっと、お守りしておりますゆえ、まずまず、ここにおいでの間は、大事ないものと、御安心あそばして、ゆるりと 御療治 ( ごりょうじ )なされますように」 新七はそう告げると、長居を避けてすぐ帰った。 すると次の日、池之坊の 斜向 ( すじむか )いにある 温泉宿 ( ゆやど )へ、三人づれの旅商人が泊った。 表二階の障子をたてた部屋の内から、一人はかならず外を見張っていた。 七、八日目頃である。 黒田官兵衛は、渡辺天蔵を連れて、池之坊の門口を出た。 足の痛みもよほど 快 ( よ )くなったとみえ、歩行にもさほど 跛行 ( びっこ )をひいていない。 町端れまで来ると、馬を雇った。 そして官兵衛だけは馬の背にゆられ、六甲の 麓 ( ふもと )を右に望みながら兵庫路へさして行った。 赤松の 梢 ( こずえ )に、山藤の花が垂れていた。 道はひくい 山陰 ( やまかげ )をめぐってゆく。 ふと、官兵衛は馬をとめて、 「天蔵。 この辺で休もうか。 後の者が追って来たらしい」 と、云いながら、もう鞍を降りかけた。 おうーい、おうーいと遠く呼ぶ声がしている。 渡辺天蔵にも聞えていた。 またその声の 主 ( ぬし )が何者かもわかっていた。 柔らかい春の陽を 正面 ( まとも )に、 陽炎 ( かげろう )も立ちそうな崖の山芝を背に、官兵衛は、木の切株に腰かけていた。 わらわらと、そこへ 喘 ( あえ )ぎながら追いついて来た三名の旅人がある。 どれもこれも、名乗り合わなければ知れないほど、顔も姿も変っている。 「おお」 「殿!」 官兵衛は、腰をあげて、突っ立った。 しゅくしゅくと、三人はただ泣いていた。 欣 ( うれ )し 泣 ( な )きである。 男泣きである。 戦場に立っては、 鬼神 ( きじん )もひしぎ、家庭にあっては、平素でも、泣くことを知らないといわれている人々が、ほとんど、手放しで、 慟哭 ( どうこく )していた。 「…………」 茫然 ( ぼうぜん )、官兵衛 孝高 ( よしたか )も、いうべきことばを知らなかった。 欣 ( うれ )しくもありまたすまなくもある。 三名とも、各 、 旅商人 ( たびあきゅうど )に身を 窶 ( やつ )していたが、その容貌までを変えるため、母里太兵衛は、 片鬢 ( かたびん )の毛を、焼 ごてで焼いて、わざと大きな 禿 ( はげ )をつくっていたし、栗山善助は前歯を数本欠き、井上九郎は、元々、片眼を戦場でつぶしていた勇士だが、そのうえに、面に焼き あばたを作って、ふた眼と見られない顔をしていた。 滂沱 ( ぼうだ )と、ふたすじの、白いものが、官兵衛の頬にもながれたとき、少し離れて、街道を見まわしていた渡辺天蔵は、 「てまえは、お先に参ります。 はや御身辺も安心ですから、後よりごゆるりと」 と、告げて、先へ立ち去った。 官兵衛は、腰をおろして、さて三名にむかい、手をも取らないばかりにいった。 「よろこんでくれ、このとおり身はふたたび天日を仰ぐことができた。 天まだ官兵衛を見すてたまわず、この官兵衛にも、なお世にあって、なすべき事あれとのおいいつけあったものと深く思うておる。 それもこれも、後に思いあわせれば、陰にあって、そち達が、あらゆる策を講じてくれたおかげであった。 手をつかえて礼ものべたい。 どう謝してよいか、ことばも見出せぬ。 ただただこの至らぬ主人に対してそちたちの忠節は 辱 ( かたじけな )いと申すしかない。 ゆるせ、わしも泣かずにはおられん」 と、官兵衛は 肱 ( ひじ )を曲げて、その 面 ( おもて )にあてると、ややしばし肩をふるわせて、共々に泣いていた。 剛骨な中には、柔弱な内よりも 却 ( かえ )って、多くの涙をたたえているものとみえる。 有馬路 ( ありまじ )の真昼、往来の人もたえて、ただ山藤の 香 ( にお )いのみが高かった。 三木城は、今なお 頑 ( がん )として 陥 ( お )ちずにある。 この小さい一山城に、別所 長治 ( ながはる )、 長定 ( ながさだ )の兄弟とその一族がたて籠って、こう長期に頑張り得ようとは誰にも予測できないことであった。 包囲長攻 ( ほういちょうこう )をうけてから足かけ三年。 どうして喰っているのか。 どうやって生きているのか。 城兵のうごく影を見、元気な声を遠く聞くたび、秀吉方の寄手は、 「奇蹟?」 と、呆れるしかなかった。 いや時には、何か不気味な感じすらうけないこともない。 「自分から 焦躁 ( あせ )りをみせてはならん。 疲れてはならん」 全軍の上に立つ秀吉としては、ようやく 倦 ( う )み 疲 ( つか )れやすくなっている士気に対して、細心な注意をしながら、しかもその細心をおもてに現わすまいと 自戒 ( じかい )していた。 しかし、長陣の 窶 ( やつ )れと、苦慮の 憔悴 ( しょうすい )は、 唇 ( くち )のまわりの 髭 ( ひげ )にも、 落 ( お )ち 窪 ( くぼ )んでいる眼にも 蔽 ( おお )い得ないものがある。 「あきらかに誤算をした。 いくら持ち 支 ( ささ )えるとしても、こう長く 陥 ( お )ちまいとは思わなかった」 彼は正直にそれを自分でも認めている。 そして、戦争というものが、必ずしも兵数兵理だけでは割り切れないもののあることを、今、痛切に学んだ。 糧道も 断 ( た )たれ、水路も 塞 ( ふさ )がれ、外部ともまったく絶縁されている城兵約三千五百が、 餓死 ( がし )に瀕するのはまずこの一月中旬と見ていたのである。 それが月の末になっても陥ちない。 二月にかかっても 頑 ( がん )としている。 いや三月に入り、今や四月というのに、何たることだ。 城中の士気はいよいよ 旺 ( さか )んなるものこそあれ、降伏して来るような 気 ( け )ぶりもないではないか。 勿論、食はあるまい。 城兵は牛馬を喰い木の根も草も喰い尽しているにきまっている。 要するに、三木城の現在は、生命力のかたまりだ。 これに対して糧道を 塞 ( ふさ )ぎ水道を 断 ( た )っても、それが直ちに落城の 極 ( き )め 手 ( て )とはいわれない。 いや却って城兵の団結と情味とを外から強めさせてやるような観をすら 呈 ( てい )してくる。 過ぐる二月十一日の夜のごときは、そうした決死の城兵が約二千余り、死を決して 志染川 ( しそめがわ )を 徒渉 ( としょう )し、秀吉の各陣所へ夜襲をかけて来たほどである。 士気の壮烈なることは、以て、察しるに余りがある。 その晩の暗夜戦には、秀吉方もかなり手痛い損害をこうむった。 城兵は暁になって、将士三十五人、卒七百八十の戦死体を収めて、意気揚々と引きとったが、寄手はそれに倍する死傷を与えられた。 また、三月に入っては、こんなこともあった。 別所長治の家老、後藤 将監 ( しょうげん )の家来が約七十人ばかり、骨と皮のようになって、ひょろひょろ降伏して来た。 粥 ( かゆ )など喰わせて、ともあれ陣中に捕虜としておいたところ、この捕虜は、やがて夜半となると、 俄然 ( がぜん )、行動を起して、忽ち寄手の一 塞 ( さい )を占領し、武器を奪い、火を放ち、追々勢いを加えて、あやうく平井山の秀吉の本陣近くまで猛襲して来たものである。 もちろんこれは忽ち数倍する兵力で包囲 殲滅 ( せんめつ )してしまったが、その戦闘精神の 強靱 ( きょうじん )なことと、士節の高い心根には、寄手の将士も舌を巻いて 歎服 ( たんぷく )し、死体はみな一つ一つ手厚く葬って、そこらの野辺の花など 手向 ( たむ )けられていた。 死にもの狂いな城兵の抵抗はこの程度には止まらない。 中村五郎 忠滋 ( ただしげ )は、別所家の侍だったが、寄手方の一将、 谷大膳 ( たにだいぜん )とは以前から多少縁故があったので、対陣のあいだにも、時折、歌など書いて示して来た。 「ははあ、さては?」 と、大膳は、彼に二心あるものと読んだ。 果たして、中村は同心して来た。 けれど万々、念を入れて、谷大膳は、 人質 ( ひとじち )を要求した。 すると一夜、暗にまぎれて、 「これは、わが家の 惣領娘 ( そうりょうむすめ )、何とぞ、大事の終るまで、お手許に」 と、妙齢十六、七の 眉目 ( みめ )うるわしい 処女 ( おとめ )を、そっと城中から送って来た。 「よし」 と、谷大膳は、以後、時期攻口など、万端ぬかりなく 諜 ( しめ )しあわせて、或る夜、 尖兵 ( せんぺい )一千余人、中村五郎の手引のもとに、三木川の対岸の崖からよじのぼり、首尾よく城壁のうちへ送りこんだ。 「火の手や揚がる?」 と、谷大膳を始め、寄手は 固唾 ( かたず )をのんで合図を待っていた。 しかも。 中に入るやいな、 完封殲滅 ( かんぷうせんめつ )、文字どおり 血漿 ( けっしょう )の 巨墳 ( きょふん )をそこに作ってしまったのであった。 「憎さも憎し!」 谷大膳は地 だんだ踏んだ。 秀吉の前へ出て、 慚愧 ( ざんき )、詫びることばも知らず、 「大切なお味方を一千も 亡 ( な )くした罪、今さら申すことばもございません。 ねがわくば、大膳がこの首を 刎 ( は )ねて、以後の士気をお 奮 ( ふる )い遊ばしてください」 と、 哭 ( な )いて云った。 「ばかを申せ」 秀吉は叱った。 とはいえ、 苦 ( にが )りきるほかはなく、 「人質の娘はどうした?」 と、たずねた。 大膳は答えていう。 「きょう三木川に引き出し、父の中村忠滋や城兵の遠見しているまえで、 磔刑 ( はりつけ )にしてくるる 所存 ( しょぞん )です」 「磔刑に」 「……なお飽き足りはいたしませぬが」 「いや待て、まずい」 秀吉は、急にいいつけて、中村の惣領娘を、本陣へ呼びつけた。 父から旨をいい含められて、これに来ているほどな 処女 ( おとめ )である。 死ぬものと、 清々 ( すがすが )しく覚悟をしているらしい。 秀吉は殺すにしのびなかった。 侍たちは、平井山の裏谷の上へ引っ立てて行った。 秀吉はあとで、 「城兵にとっては 可憐 ( かれん )な女子。 そのいじらしき者を、三木川で磔刑にしては、一層、城兵の 結束 ( けっそく )と決死の気を強めさせるようなものになる。 人知れず処置したほうが 得策 ( とくさく )であろう」 と、大膳や味方の将に、意中をはなしていたが、実は、その間に、側臣の 堀尾茂助 ( ほりおもすけ )をあとから裏谷へ追いかけさせて、その惣領娘は、遠く戦場の外へ逃がしてやっていたのであった。 このことは、誰も知らなかったが、三木落城の後、 丹波 ( たんば )で捕われた中村五郎忠滋の前に、その惣領娘を呼んで、 「そちに与える」 秀吉からひき合わされたので人みな初めて彼の仁心を知ったのだった。 中村忠滋が、以後、秀吉に随身を誓ったことはいうまでもない。 城中の結束のいかに強固なものかを、秀吉は、前の中村の惣領娘のときにも、手きびしく示されたが、その後の 小競 ( こぜ )り合いにも、こんな一例があった。 まだ、十四、五の少年である。 いつも敵方から寄手の 柵 ( さく )へ奇襲して来るときは、その先頭に立って、小 つぶに似げない 敏捷 ( びんしょう )な働きをし、 「またあのチビ助にしてやられた」 と味方の首を持ってゆかれる度に舌打ちしていたものだが、いつかそれが陣中の聞え者になって、 「あれは、城将別所長治に仕えるもので、名は石井彦七、当年わずか十五歳だそうだ」 と、知れ渡っていた。 秀吉の小姓にも年少組がたくさんいる。 うわさを聞いて、彼らは 切歯扼腕 ( せっしやくわん )した。 石田佐吉、加藤孫六、同じく虎之助、片桐助作など、 「こんど出て来たら」 と、待ちかまえていた。 もちろん秀吉のゆるしによる。 そのうちに三木川の南口の 柵 ( さく )へ或る朝、敵の決死隊が朝討ちをしかけて来た。 そのむらがる中にチビ武者の奮戦ぶりが見えた。 助作、虎之助、佐吉など、 「きょうこそ」 と、争って駈けつけた。 秀吉は危ぶんで、 「子どもらを討たすな」 と、屈強な者にいいつけていたので、前後は 大人 ( おとな )の鉄甲が囲んでいた。 すると、敵味方のあいだに力戦していたチビ武者の石井彦七に向って、誰か、遠矢を射たものがある。 或いは、流れ矢であったかもしれない。 ところが、矢は、何と、可憐なる彦七の鼻の下に 中 ( あた )っていた。 もちろん、 どうと仰向けに倒れた。 そこへ、駈け寄った小姓組の面々が、 「ここな、小僧めが」 憎さも憎しとばかり、折り重なって、 生 ( い )け 捕 ( ど )りにして来た。 蹴ったり、引き 摺 ( ず )ったり、ようやく秀吉の前まで引っ立てて来たのを見ると、無残や、鼻の下に深く突き刺さった矢はまだ抜けずにある。 余りに、幼いのと、その痛々しさに、秀吉が、 「待て待て、鼻の下の矢から先に抜いてやれ」 と、いった。 「心得て候」 と、一、二名の者が、矢に手をかけたが、 鏃 ( やじり )は骨に引ッかかっているとみえて、彦七のからだに、足をふみかけて引っぱってみても、抜ければこそ。 彦七は、顔じゅう血になりながらも、黙って、それに任せていたが、さすがに苦痛にたえかねたとみえて、秀吉へ、 「お 仮屋 ( かりや )の柱をおかし下さい。 さもなくては抜けません」 と、訴えた。 どうする気と、彦七の意にまかせてやると、彼は立って、陣屋の柱に、自分の頭と胸いたを、縄でかたく縛ってもらった。 そしていうには、 「 鍛冶鋏 ( かじばさみ )がありませんか。 鍛冶鋏で矢をまっ直ぐに挟んで、一気にお抜き取りください」 といった。 これには、いわれた方が、やや顔の色を失ったが、彦七は、貧血も起さなかった。 この剛気を見ていた浅野長政は、秀吉に、 「ぜひ」 と、 懇願 ( こんがん )して、助命を乞い、後に自分の家臣とした。 秀吉は、 事々 ( ことごと )に驚異した。 なんで、ひとり三木勢にばかり気を吐かせておこう。 小姓組にある 脇坂隼人 ( わきざかはやと )は、当年十六。 ここの陣中で、或る折秀吉が、 「たれか、この 母衣 ( ほろ )に望み手はないか。 欲しくば与えるぞ」 と、一張の見事な赤い母衣を示して、諸士を見まわした。 金糸で山みち模様を縫い、赤地に白い 輪交 ( わちが )いが染め出されている。 「目ざましき 母衣 ( ほろ )」 とは思ったが、諸将もちょっと手が出なかった。 なぜならば、華やかな母衣を負うことは、同じに、母衣に恥かしくないほどな、華やかな武勲を公約することになるからである。 「わたくしに、それを、拝領させてください」 そういって出たのが、まだ十六の 脇坂隼人 ( わきざかはやと )である。 秀吉はふり向くと、 「欲しいか」 と、隼人の上へ、投げ与えてやった。 その後、城の西坂の戦いに、隼人は身に母衣をかけて、死闘奮戦した。 小さい体の腰帯に、敵方のさむらいの首二つをくくりつけて引揚げて来た。 「よしよし。 その紋も、そちにくれる」 輪交 ( わちが )いの家紋をも秀吉からもらったのである。 それに感奮して、また数日の後、城壁の下まで戦い迫って行ったが、こんどは敵方から 襲 ( う )った一弾に 中 ( あた )って、仰向けに倒れてしまった。 「やれ、無残」 と、すぐ味方の宇野伝十郎が、 掻 ( か )い 抱 ( いだ )いて、 退 ( ひ )こうとすると、 「嫌だ、 退 ( ひ )くのは嫌だ。 何でもないッ」 と、急に隼人は腕の中でもがいて、伝十郎の手から離れてしまった。 弾 ( たま )は 兜 ( かぶと )の鉢の真ッ 向 ( こう )に 中 ( あた )ったので、倒れたのは、一時眼が 昏 ( くら )んだだけに過ぎなかったのだ。 それにしても、脇坂隼人は伝十郎の手をもぎ離すと、傍らの岩に腰うちかけて、悠々、兜の 緒 ( お )をむすび直し、さて落した槍を拾いとると、ふたたび 真紅 ( しんく )の 母衣 ( ほろ )をひるがえして、敵の中へ駈け入ったという。 なかなか見るも 清々 ( すがすが )しいすがただった。 こういう者もあるし、また福島市松なども、この三木城攻めには、別所随一の剛勇と聞えた 末石 ( すえいし )弥太郎を討って、秀吉の感賞にあずかっている。 もっとも、市松もまだ弱冠、尋常では討てるわけの相手ではない。 この時、市松は、一度敵の末石弥太郎に 襟 ( えり )がみをつかまれて、すでに首を呈するところだったが、彼の郎党、星野なにがしという者が、そこをまた後ろから滅多斬りして、主従ふたりがかりでようやく弥太郎の 首級 ( しるし )を獲たのであった。 これよりも先に、秀吉は、渡辺天蔵の報告によって、黒田官兵衛が無事に 伊丹 ( いたみ )の獄中から救い出されたことは聞いていた。 しかも、官兵衛のほうは、まだ帰陣していないのである。 「おう……」 と、その意外な 面 ( おもて )をもって、彼のすがたを迎えた秀吉は、 「どうして、ここへは?」 と、むしろ 怪訝 ( いぶか )らずにはいられなかった。 長陣の仮屋はほとんど平常の住居のように住み古びていた。 久しぶりにこの主従が対面したのはその一劃の 幕 ( とばり )の中だった。 特に、半兵衛にも松寿丸にも 床几 ( しょうぎ )が与えられ、秀吉も床几に 倚 ( よ )っていた。 半兵衛は、 頭 ( ず )を垂れて、 「長陣の御労苦、いかばかりぞと、お案じしておりましたが、思いのほか、お元気にわたらせられ、まずは 欣 ( うれ )しく存じまする。 半兵衛も、御仁慈のおかげをもって、このところ御覧のごとく病も 癒 ( い )え、はやいかなる陣務にも耐え得べしと、自信もできましたれば、おゆるしも待たず、ふたたび帰陣仕りました。 ふいに姿を見た初めにはすぐ病体が案じられたが、こうして話しているうちに、 (まったく快方に向ったものとみえる) と、秀吉も心のうちでやや 安堵 ( あんど )を抱いて来た。 一方、黒田官兵衛が、ここへ戻って来たのは、それから三日目であった。 この 厚恩 ( こうおん )は、死ぬまで忘れません」 と、いった。 また、竹中半兵衛に対しては、 「御友情のほど、 骨髄 ( こつずい )に徹するほど、ありがたく思います。 お礼のことばもない。 ただこの上は、幸いに、なお生きることを得た生命を、あらん限りまで、よく生き用いて、おこたえ 仕 ( つかまつ )るしかありません」 と、再三、礼をかさねた。 松寿丸を呼んで、半兵衛が、 「長らく、 質子 ( ちし )として、それがしの手許におあずかりしていましたが、いまはその要もなしと、信長公より御帰家のおゆるしの出た御子息、久しぶりに、御父子、御対面なされたがよい」 と、つつがなく、父の手へ、松寿丸を返すと、官兵衛 孝高 ( よしたか )は、子の大きくなった身 なりへ、ひと目向けたのみで、 「来たか」 と云い、また、その 扮装 ( いでたち )を 見遣 ( みや )って、 「ここは、戦場、そちにとっては、一人前のさむらいに、成るか成らぬかの 初陣 ( ういじん )の場所、父のそばへ帰ったなどと思うなよ」 と、 諭 ( さと )した。 秀吉にとって、両の腕ともたのむ二人が帰って長らく 堅氷 ( けんぴょう )に閉じられていたような 帷幕 ( いばく )も、ここ 遽 ( にわ )かに、何となく 華 ( はな )やいで来た。 彼の周囲、彼の帷幕のそうした空気は、すぐ全軍の士気へ、微妙な作用をもって映る。 作戦、攻城は、急に活溌になった。 城南城西の一塁一塁へ向って、寄手の兵は 間隙 ( かんげき )を見ては攻めたてた。 五月になった。 雨季に入る。 ここは中国の山地なので、たださえ雨が多いため、道は 滝津瀬 ( たきつせ )と変じ、 空壕 ( からぼり )は濁水にあふれ、平井山の本陣の、その登り降りには、泥土に踏み 辷 ( すべ )るなど、ここいささか快速を加えて来たかに見えた攻城も、ふたたび自然の力に 阻 ( はば )まれて、まったく 膠着 ( こうちゃく )状態になってしまった。 平井山の 牙営 ( がえい )から戦線四里にわたる寄手の支営を、黒田官兵衛は、たえず 陣輿 ( じんごし )に乗って、見廻っていた。 片脚の傷口はついに有馬の湯でも 癒 ( い )えきれなかった。 終生の 跛行 ( びっこ )になりおわるらしいと彼自身も苦笑している。 「……あれを見ては」 と、竹中半兵衛も病苦を忘れて 激務 ( げきむ )を克服していた。 奇なるかなこの 帷幕 ( いばく )は。 秀吉の 双璧 ( そうへき )とたのむ謀将勇将のふたりが二人とも、満足な体でなかった。 一方は 宿痾 ( しゅくあ )の重い病軍師であり、一方は跛行の身を輿上に託して指揮奮戦にあたっている猛将官だった。 が、この二人が秀吉を 扶 ( たす )けたことの尠なくなかったことは、ただその智謀だけのものではない。 両者の悲壮なすがたを見るごとに、秀吉は崇高な感激と涙なきを得なかった。 ここに至って、彼の 帷幕 ( いばく )というものは、まったく一心一体になっていた。 ただこれあるがゆえに、攻城の士気は 弛 ( ゆる )まなかった。 そしてなお半歳もかかったが、よく三木城の 堅守 ( けんしゅ )を 陥 ( おと )し得たともいえると思う。 もし寄手の帷幕に、 不壊 ( ふえ )一 体 ( たい )の中心がなかったら、恐らく三木城はついに陥ちなかったかも知れない。 そして、毛利の水軍が、包囲の一角を突破して、ここへ 粮米 ( ろうまい )を入れるなり、或いは、 備中 ( びっちゅう )から山野を越えて、急援に迫り、城兵と協力して、寄手の 鉄環 ( てっかん )を粉砕し、羽柴筑前守秀吉なるものの名へ、ここで永遠の終止符を与えて事は終っていたかもしれないのである。 だから秀吉も、時には、余りに 俊敏 ( しゅんびん )な官兵衛の働きや、その機智に、出し抜かれなどすると、 (また、あの ちんばめが) と、戯れ半分に、その驚嘆を、悪口であらわしたりすることもあったが、内心はふかく尊敬し、信頼していたことは確かで、彼が 祐筆 ( ゆうひつ )に記録させておいたところを見ても、それを半兵衛重治と対照して、 我等、 播州 ( バンシウ )ヘ入国ノ初ヨリ、朝暮、官兵衛ヲ側ニ置テ、ソノ才智ヲ計リ見ルニ、我等モ及バヌ処アリ。 事ノ決断成リカネ、息ノツマル程、工夫ニ悩ム折ナドモ、官兵衛ニ語ラヒ、何トスルヤト問フニ、彼サシテ 分別 ( フンベツ )ニ 惑 ( マド )フ 態 ( サマ )モナク、ソレハ 箇様 ( カヤウ )ニナスガヨロシクコレハ左様ニ 仕 ( ツカマツ )ルガ然ルベシナド、立チ所ニ答ヘ、我等ガ両三日昼夜カカリテ分別ナリ難キ事モ、水ノ流ルル如ク決シテ少シモ 過 ( アヤマ )ツコトナシ、我等ガ及ビ難キ 臨機応変 ( リンキオウヘン )ノ 性 ( タチ )ヲ得タルモノト云フベキカ。 これを見ても秀吉がいかに官兵衛半兵衛のふたりに嘆服し、またその 扶 ( たす )けを徳としていたかが 窺 ( うかが )われる。 ところが。 その徳を大としていただけに、ここに秀吉の心へ、大きな 傷手 ( いたで )となることが起った。 「ああ、天もついに秀吉を見捨てたもうか。 まだ若い英才半兵衛に、余命をかし給わぬか」 と嘆いて、仮屋の一囲いに、秀吉も共に閉じ籠って、昼夜、看病に怠りなかったが、半兵衛の 容子 ( ようす )には、その夕べ、刻々と、危険が迫っているように見られた。 鷹之尾 ( たかのお )、八幡山などの、敵の 支塁 ( しるい )も、 夕靄 ( ゆうもや )につつまれていた。 秀吉は、平井山の一角に 佇 ( たたず )みながら、 「また、あの 跛行 ( びっこ )どのが、余りに深入りせねばよいが」 と、敵へ迫って行ったまま、まだ帰って来ない官兵衛 孝高 ( よしたか )を、案じていた。 あわただしい跫音が、その時、彼の横へ来て止まった。 見ると、ぺたと、大地へ両手をついて、泣いている者がある。 「於松ではないか」 「はいッ」 官兵衛孝高の子、 松寿丸 ( しょうじゅまる )は、半兵衛 重治 ( しげはる )に 伴 ( ともな )われて、この平井山の味方へ 初陣 ( ういじん )として加わって以来、もう幾たびか戦場も駈け、生れて初めて、鉄砲槍の中も歩き、わずかな間に、見ちがえるほど、 気丈 ( きじょう )となり、骨太になり、また 大人 ( おとな )びていた。 七日ほど前から、半兵衛の容態が急変したので、秀吉は 於松 ( おまつ )に向って、 (誰が 枕許 ( まくらもと )にいるよりは、そなたがいてやるのが病人にとっても 欣 ( うれ )しかろう。 わしが 看護 ( みとり )してやりたいが、気をつかっては、却って病気によくあるまい) と、自分に代る丹精を彼に命じておいたのである。 於松にとっても、半兵衛は、数年 薫育 ( くんいく )をうけた恩人、また 生命 ( いのち )の親でもある。 ここ昼夜その人の枕許に侍したまま具足も解かず、 薬餌 ( やくじ )の世話に精根を傾けていた。 直感に秀吉は、はっと、胸を衝かれた。 「泣いていては分らぬ。 於松何事か」 わざと、叱 すると、 「おゆるし下さい」 と、於松は、 籠手 ( こて )を曲げて、 瞼 ( まぶた )を 拭 ( ぬぐ )いながら、 「重治様には、もうものいうお力も弱られ、お 生命 ( いのち )は、こよいの夜半を持つまいとのこと。 ……どうぞ、戦いのお暇に、ちょっと、お越しねがいとうございます」 「……危篤とな」 「は、はい」 「医師のことばか」 「さようでございます。 今生 ( こんじょう )のお別れもはや間もないことなれば、ひと言、殿のお耳へ達しておいたほうがよかろうと医師、御家士方の仰せのままに、急いで、これまで、お知らせに伺いました」 「そうか」 と、答えた時には、秀吉もすでに観念の眼を心にとじていた。 「於松。 ……そちはわしに代って、しばしこれに立っておれ。 口にこそ出さね、半兵衛様も、父の 孝高 ( よしたか )に会いたいと思っているにちがいありません」 松寿丸は、 健気 ( けなげ )に、そういうと、身 なりに較べては、大き過ぎて見える槍の 柄 ( え )を横にかかえて、山すそへ、駈け下りて行った。 秀吉は、その 踵 ( くびす )を、反対のほうへ 回 ( めぐ )らして、途中から次第に歩速を大股に運んでいた。 営中、幾棟にもわかれている仮屋の一つに、 燈火 ( ともしび )の影が 漏 ( も )れていた。 そこが竹中半兵衛の寝ている病棟で、折ふし、そこの屋根越しに宵の月が淡くのぼりかけていた。 枕 許 ( もと )には秀吉から附けておいた医師もいる。 竹中家の臣もいる。 ほんの 板囲 ( いたがこ )いに過ぎない仮屋の 藺莚 ( いむしろ )のうえではあるが、白い 衾 ( ふすま )は厚くかさねられ、片隅には、職人図を描いた 屏風 ( びょうぶ )が 一張 ( ひとはり )立てられてあった。 「半兵衛……。 わかるか。 秀吉じゃ、筑前じゃ、どうだの、気分は」 そっと、側へ坐って、枕の上の顔をさしのぞいた。 夕闇のせいか、半兵衛の 面 ( おもて )は、 琅 ( ろうかん )のようにきれいである。 秀吉は、 辛 ( つら )くなった。 見ているのが、どうにも、 傷 ( いた )ましい。 「医師」 「はい」 「……どうだなあ」 「…………」 医者は何とも答えないのである。 昏々 ( こんこん )としていた病人は、そのとき微かに手をうごかした。 秀吉の声が耳へとおったらしく、うっすら 眸 ( ひとみ )をあけて、何か、近侍に意志を告げようとしていた。 「殿が、お見舞いに成らせられました。 ……殿が、お枕べに」 「…………」 うなずいて、なお、何かもどかしがる。 「いかがでしょう」 医師をかえりみて、近侍が 諮 ( はか )ると、さあ、と医師も答えきれない顔した。 秀吉は半兵衛の意を 覚 ( さと )って、 「なに、起きたいと。 まあ、そうしておれ、そうしておれ」 と、子をあやすように 宥 ( なだ )めた。 半兵衛は、微かに、顔を振って、さらに、近侍を叱った。 といっても、もとより大きな声も出ないが、とたんに、落ち窪んでいる眼にそれが見えたので、はっと一も二もなく、近侍は彼の命のまま、二人ほどして、板のような病人の半身をそっと抱え起した。 夜具で身のまわりを支えようとすると、半兵衛は、無用と、退けて、唇をかみしめながら、寝床のうえから徐々に身をずり降ろした。 それは、今、息もたえんとする病人にとっては、必死な努力にちがいなかった。 すさまじいばかりな懸命さである。 ようやく、寝床を離れること二尺ばかり、 藺莚 ( いむしろ )のうえに、半兵衛重治は、きちと坐った。 何たる肩の 尖 ( とが )り、膝の薄さ、また両手の細さ。 女にも見まほしい姿だった。 ひそかに、 唇 ( くち )をしめて、息を 調 ( ととの )えているらしい。 やがて、折れるように、ぺたと両手をつかえた。 そして、 「はや、おわかれも、 今夕 ( こんせき )にせまりました。 ……多年の 御鴻恩 ( ごこうおん )、あらためて、お礼申しあげまする」 と云い、またすこし間をおいて、 「散るも咲くも、死ぬも生まるるも、ふかく観じてみれば、宇宙一円の中の、春秋の 色相 ( しきそう )のみ。 ……おもしろの世かな。 さようにも思われます。 ……殿には、御縁あってかく御厚遇をうけましたが、 顧 ( かえり )みるに、何の御奉公も仕らず、ただそれのみが、 臨終 ( いまわ )の心のこりにござります」 糸のような声であるが、ふしぎにすらすらと唇からもれて来る。 或る厳粛なる奇蹟に対する心地で、一同は、 粛 ( しゅく )として 容 ( かたち )をあらためていた。 わけて秀吉は、 襟 ( えり )を正し、 項 ( うなじ )を垂れ、両手を膝にのせたまま、慎んでその一語一語も聞きもらすまいとしていた。 まさに、消えなんとする灯は、滅前、 鮮 ( あき )らかな一 閃 ( せん )の光りを放つ。 いま、半兵衛のすがたは、その 生命 ( いのち )は、あたかもそうした崇高な一瞬に似ていた。 「多事、これからの多事多端、世のうつり変りは、 寔 ( まこと )に、思いやらるるばかりです。 ……大きな 変革期 ( かわりめ )のさかいにある今の日本。 ……生きられるものなら、半兵衛ごときも、生きてそのゆくてを見とどけたい。 真実、左様に存じますれど……天寿、いかんともなし得ません」 次第に、ことばも 明晰 ( めいせき )になってくる。 生命力だけでものをいっているようだった。 肉体そのものはさすがに時々大きく 喘 ( あえ )ぎ、肩を抑えては、次のことばまでの呼吸をやめていた。 「……が、殿。 ……あなた様こそは、かかる時代に、生れあわせ、また選ばれたるものぞと、御自身、お思いにはなりませぬか。 ……つらつら半兵衛が、見上げ奉るところでは、あなた様は、ゆめ、 天下人 ( てんかびと )たらんなどとは、野望しておいででない」 ここで、また、間をおいて、 「それが、今日までは、あなた様の御長所で特徴でもありました。 秀吉はふかく垂れた頭をあげることも身ゆるぎも、まったく忘れ果てたもののごとくじっと聞いていた。 「しかし……です。 かかる時代を 収拾 ( しゅうしゅう )する大器量は、かならず天のお選びによって、どこかに用意されてあるものです。 群雄天下にみち、各 、この乱世の 黎明 ( れいめい )を 担 ( にな )うもの、万民の 塗炭 ( とたん )をすくうもの、われなり、われを 措 ( お )いて、人はあらじと、自負し自尊し、ここに 中原 ( ちゅうげん )の 覇業 ( はぎょう )を争っておりますが、すでに、偉材謙信は 逝 ( ゆ )き、甲山の信玄亡く、西国の雄 元就 ( もとなり )は、おのれを知って、子孫に守るを 訓 ( おし )えて世を終え、そのほか浅井朝倉は当然の自滅をとげ、何人かよくこの大くくりを成し遂げて、次代の国土に文化に万民をして心から 箪食壺漿 ( たんしこしょう )せしめるような大人物がおりましょうか、残っておりましょうや……指を折ってみるまでもないではございませぬか」 「…………」 秀吉は、そのとき、 むくと 面 ( おもて )をもたげた。 無言のうちに、射合ったのである。 「信長公。 ……そうです、そのお心もちはわかります。 ……けれど、信長公には信長公でなくては 能 ( あた )わぬ使命をもって、天意は充分に、 公 ( おおやけ )に振舞わせておられます。 現在の状態を打ち破るあの御威勢、今日までの百難をふみこえられて来たあの御信念、それは徳川どのでも、あなた様でも、よくなしうることではありません。 信長公を 措 ( お )いて誰か時代の混乱をここまで統率して来ることができましょう。 ……さはいえ、それをもって 宇内 ( うだい )のすべてが 革 ( あらた )まるとはいえないでしょう。 中国を征し、九州を略し、四国を治め、 陸奥 ( みちのく )を 伐 ( う )つとも、それのみで、 上 ( かみ )朝廷を安んじ奉り、四民を和楽せしめ、しかも次の文化の建設、世々の隆昌の 礎 ( いしずえ )がすえられるとはいえません。 ……いえませぬ」 時代が英雄を生み、英雄が時代を 創 ( つく )る。 また、破壊の英雄があり、建設の英雄もある。 天数人命、宇宙のふしぎな配置を、かりに天意とよぶならば、天意は、その時代に応じて英雄をつくり、その器量に応じて、任じる使命を、 局限 ( きょくげん )しているようである。 こうなる) と、かたく 胸奥 ( きょうおう )に秘めていたものの如くである。 彼は信じている。 (この殿が、かねて自分の信じているような役割をもち、また将来の大を成しとげてくれるなら、重治そのものの 形骸 ( けいがい )は、ここにおいて事の中道に死すとも、決して、 空 ( むな )しき生命を終ったものとはならない。 自分はこの 喬木 ( きょうぼく )を大ならしめる根もとの 肥料 ( こえ )であっていい。 ひとは 夭死 ( わかじに )というかも知れないが、以て半兵衛重治は充分に 瞑 ( めい )すことができるというものである) 「……以上、申しあげたことのほか、もう……もういうべきことばは、何もございませぬ。 どうぞ……殿。 御自身をお大切にして下さい。 それを支えるべく、細い手を、畳へ落したが、手にも、すでにその力さえなく、 がばと、 莚 ( むしろ )の上へ顔を 俯 ( う )つ伏せてしまった。 顔と莚のあいだから、とたんに ぱっと、 紅 ( くれない )の 牡丹 ( ぼたん )が咲いたように、血しおが拡がった。 もちろん吐いたのである。 なお、こんこんと流れるものが、自分の膝、胸へかかって汚れるのも意識せずに、 「重治ッ、重治ッ。 わしを置いて。 そちに別れて、この後の 軍 ( いくさ )に、秀吉は何としよう……重治ッ」 と、 掻 ( か )き 口説 ( くど )いて、秀吉は大声で泣いた。 醜態といえば醜態ともいえるくらい、 見栄 ( みえ )も外聞もなく、おいおいと泣くのであった。 これからのあなたには、もうそんな憂いはありません) と、 微笑 ( ほほえ )みながら、秀吉の 繰言 ( くりごと )を、否定しているようであった。 朝見た人も夕べはいず、夕べに見かけた人も 晨 ( あした )には死んでいる。 そうしたことが、べつに無常観を誘うでもなく、日ごとに梢から散ってゆく 紅葉 ( もみじ )を見るように見られている戦場にあって、どうして半兵衛重治の死だけが、こうもひどく秀吉を悲しませて 熄 ( や )まないのだろうか。 「ひとの二倍三倍、 長寿 ( ながいき )しても、やりきれない程な、大きな理想をもっていたのに、まだその望みの中道どころか、 緒 ( しょ )にもつかないうちに……。 死にたくなかったろう……。 わしにせよ、今迎えに来られても、山々、死にたくない……のう重治、いかばかり心残りの多かったことであろうぞ。 可惜 ( あたら )、おぬしほどな才をこの世にもって生れながら、その百分の一の思いも世に果さないでは、死にたくないが当りまえじゃ」 何たる恋々の多い人か。 またしても死骸に向って愚痴である。 掌 ( て )を合わせて、念仏ひとついってはやらないが、綿々と 喞 ( かこ )ちごとは尽きない彼であった。 「せっかく、 蜀 ( しょく )に立つや、 劉玄徳 ( りゅうげんとく )は、 遺孤 ( いこ )を 孔明 ( こうめい )に託して 逝 ( い )った。 孔明のかなしみは、食も忘れたほどだったという。 孔明に先立たれた 劉備 ( りゅうび )にひとしい。 考えてみても、 落莫 ( らくばく )たるものではないか。 わしの落胆、わしのさびしさ、 喩 ( たと )えるものもありはしない」 あわただしい物音が、そのときこの陣小屋の外に聞えた。 松寿丸の知らせを聞き、戦場から 輿 ( こし )に乗って、 えいえいと急がせて来た官兵衛である。 「なに、もうだめかッ。 ……間にあわなかったか」 さも、残念そうに、大声で辺りに 応 ( こた )えながら、官兵衛は 跛行 ( びっこ )をひいて、ここへ入って来た。 それなりである。 官兵衛も秀吉もただ 凝然 ( ぎょうぜん )と一つものに眼を向け合ったまま、ものもいわず坐っていた。 いつか室内は暮れて 洞 ( あな )のように暗くなっていたが、燭を 燈 ( とも )す者もなかった。 死者の白い 衾 ( ふすま )だけが谷底の雪みたいに見えていた。 「……官兵衛」 全身から嘆息をもらすように、秀吉の方からやがて 一語 ( ひとこと )いった。 「惜しいのう。 かねて、むずかしいとは、思っていたものの……」 官兵衛も、それに対して、多くをいえなかった。 共に茫然たる面持ちで、 「ああ、分らないものですな。 そして、重治どのの御遺骸を 浄 ( きよ )め、室を 掃 ( はら )って、安置せねばなるまい。 ゆらぐ 燭 ( しょく )の光の中で、人々は寒々と働きはじめた。 すると重治の枕の下から、一通の遺書があらわれた。 黒田官兵衛に宛てて死ぬ二日ほど前に 認 ( したた )めておいたものだった。 ひそとした陣幕の内を 訪 ( と )うて、黒田官兵衛は、一通の書を、秀吉に示していた。 「なに、半兵衛の遺書が、枕の下にあったと。 ……そちへ宛ててか」 秀吉は、 促 ( うなが )さるるまま、すぐ 拡 ( ひら )いて、読み下していたが、そのあいだ幾度となく、眼をあかくし、 瞼 ( まぶた )を指で 拭 ( ぬぐ )い、ついにはしばらく 面 ( おもて )をそらして、一気に読み終ることができなかった。 歿 ( ぼっ )する二日前に、心友の官兵衛 孝高 ( よしたか )へ宛てて認めたものではあるけれど、その書中のことばは、一行半句たりと、自分の望みや交友のことに触れているのではない。 冒頭からしまいまで、すべてみなこれ主君秀吉の身にかかわることか、将来の経営について、憂いを述べ、 善処 ( ぜんしょ )を託し、また日頃から脳裡にある 経策 ( けいさく )をつまびらかに書き遺しているのだった。 どう気を取り直しても、涙が出て仕方がなかった。 ……そういつまでも、お嘆きなすっている時ではありますまい。 どうか、書中のほかの所へ眼を転じて、 篤 ( とく )とお考えを願わしゅうございます。 従来、ずいぶん秀吉に打ち込んできた官兵衛ではあるが、こんどのことについては、すこし秀吉の 痴愚凡情 ( ちぐぼんじょう )な半面を あけすけに見せられて、少しあいその尽きた顔つきであった。 と、予言はしていた。 けれど、ただ 力攻 ( ちからぜめ )して兵を損じることの不可なることを説いて、最後の一策を、味方のために、書き 遺 ( のこ )して 逝 ( い )ったものである。 自分のみるところでは、彼は大局の 帰趨 ( きすう )も分らず 盲戦 ( もうせん )に強がっているような暗将ではない。 戦前、姫路の城で同坐して、幾たびか語りあったこともあれば、自分とは浅いながら友交もあった人といえよう。 別封に、彼へ宛てて、一書を 認 ( したた )めておいたから、これを携えて、一度城中に彼を 訪 ( と )い、彼、後藤基国をして、その主君別所長治によく利害を説かせ、大勢の帰するところを 諭 ( さと )したなら、長治とて、よも 鬼神 ( きじん )ではなし、かならず 開悟 ( かいご )一転、城を開いて、和睦を乞うて来ようかと考えられる。 ただし、これを行うには、潮時の 測 ( はか )りが肝要である。 晩秋、地には枯葉 捲 ( ま )いて、天には孤月寒く、そぞろ兵の胆心にも、父母や弟妹への思慕と郷愁の多感なる頃をもって、最もよしとする。 冬近きを思うにつけ、 飢餓 ( きが )に迫っている城兵はいよいよ悲壮な 哀腸 ( あいちょう )を抱いて死の近きを覚悟しているにちがいない。 これへ 徒 ( いたず )らに力攻を加えることは、むしろ彼らによい死場所と死出の道づれを与えるに過ぎないことになろう。 ここしばしは、戦いもやめ、彼に静思のいとまを与えて然る後、それがしの書簡を送って、 懇 ( ねんご )ろに、かつ真情をもって、敵の城主と家老をお説きあれば、おそくも年内には、落着を見ること疑いもない。 とも書き添えて、その実行を信念づけることまで忘れていなかった。 にも 関 ( かか )わらず、幾分、成否を疑っているらしい秀吉の 態 ( さま )を見て、官兵衛孝高は、遺書に見えない点を云い添えた。 「実は、その策について、半兵衛どの生前にも、一、二度語られたことはありましたが、時機でない、なお早いとて、見合わせていたものです。 殿のおゆるしさえあれば、いつなりと、それがしが使いして、城中の後藤将監と会って参りますが」 「いや、待て……」 秀吉は、首を振った。 ところが、いくら待っても、返辞がない。 後に探ってみると、その者が主人の別所長治へ降伏をすすめたのを、将士が怒って、即座に斬りころされたということだった。 下手 ( へた )をしたら、寄手の弱味を知られるばかりで、得るところは何もない」 「いや半兵衛どのが、行うに機を 測 ( はか )るが大事といっているのは、そのことでしょう。 今なればと存じますが」 「しお時かな?」 「 確 ( かた )く信じまする」 「…………」 その時、 陣幕 ( とばり )の外で人声がした。 聞き馴れている将士の声のほかに、どうも女らしい声もふと聞えた。 はからずも、この陣中へ秀吉をたずねて来た一女性は、亡き半兵衛の妹のおゆうであった。 と、ひたすら急いで来たのであったが、女の脚ではあり、 物騒 ( ぶっそう )な戦地に近づくほど、道も思うまま 捗 ( はかど )らず、とうとう兄の 臨終 ( いまわ )には間にあわなかったものであった。 「…………」 おゆうは、涙ばかり先立って、いつまでも秀吉を仰ぎみられなかった。 旅寝のあいだにも、長い長い戦陣の留守のまも、夢にすら見て恋い描いていた人であるのに、ここに来ては側へも寄れない心地に打たれた。 「……聞いたか。 半兵衛の死を」 「……聞きました」 「あきらめい。 ぜひもない」 それが秀吉としても、精いっぱいの 慰撫 ( いぶ )であった。 「よせ、よせ。 見っともない」 あわてて秀吉は床几を離れて、何とはなく、立ち上がってしまった。 ここに人目はないにせよ、すぐ 幕 ( とばり )の外に 近習 ( きんじゅ )たちがいるので、家来の耳を気がねするふうなのてある。 「ふたりして、半兵衛の墓へ詣ろう。 おゆう、 尾 ( つ )いて来い」 秀吉は先に立って、陣屋の裏から山道をたどって、なお小高い一丘の上に登った。 一幹の松がうそ寒い晩秋の風に 嘯 ( うそぶ )いていた。 その下に、土色もまだ新しい土 まんじゅうが盛られてあり、一個の石が、墓標のかわりにすえられてある。 かつては、長陣の 徒然 ( つれづれ )に、この松の根 がたへ 莚 ( むしろ )をしき、月を賞しながら、官兵衛、半兵衛、秀吉と 鼎坐 ( ていざ )して、古今を談じたこともある。 「…………」 おゆうは、草むらを見まわして 手向 ( たむ )ける花をさがしていた。 そして、秀吉の次に、土まんじゅうへ向って、 額 ( ぬか )ずいた。 涙はもうこぼれなかった。 人の命数を 哭 ( な )き悲しむには、余りに山上の自然は、宇宙の当然な理を、晩秋の草木をもって 訓 ( おし )えている。 「殿さま……」 「何か」 「おねがいがござりまする。 兄のお墓を前に折入って」 「そうか。 ……ウム、そうか」 「おわかりでございましょう……。 おそらく、殿さまのお胸には」 「わかっている」 「ゆうに、お暇をくださいまし。 ……おきき入れ下されば、兄もどんなに地下でほっとすることかと存じまする」 「身は地下に埋もれても、 魂魄 ( こんぱく )はなお奉公するといって死んだほどの重治じゃ。 その重治が生前から気に 痛 ( や )んでいたこととあるのに、どうしてこの秀吉とて 反 ( そむ )けよう。 心のままにしたがいい」 「ありがとう存じまする。 おゆるしを賜わるうえは、兄の遺命どおり、兄の 遺物 ( かたみ )を抱いて……」 「どこへ行くか」 「どこか、草深い里の 尼院 ( にいん )へでも」 またしても、涙にくれた。 秀吉もあらぬ方を向いて立っていた。 同じ自然の中には 棲息 ( せいそく )していても、やはり人はあくまで 煩悩 ( ぼんのう )の外のものではあり得ないとみえる。 秀吉からいとまも許された。 亡兄 ( あに )の 遺髪 ( かたみ )や小袖を持った。 陣中に女の長居は無用。 おゆうは次の日すぐ秀吉に、 「お別れ申しまする。 くれぐれもお身を御大切に」 と、旅支度までして、最後の 暇乞 ( いとまご )いに出たが、 「まあ待て、もう二、三日、陣中にとどまっておれ」 と、ひきとめられた。 かけ離れた仮屋の一棟に、おゆうは幾日もぽつねんと、兄の遺髪を 弔 ( とむら )っていた。 四日五日と過ぎるのに、秀吉からは何の沙汰もなかった。 山には霜がおりて来た。 時雨 ( しぐれ )るたびに四山の木の葉はふり落されてゆく。 ……ええ、すぐにです」 と伝えて、使いの小姓も、先へ行ってしまった。 身支度といっても、かねて旅包みとしてある物のほかは何もない。 亡兄 ( あに )の遺臣栗原熊太郎と、ほか二人ほど連れて、おゆうはやがて、墓山へ上って行った。 草も木も枯れて、山路のながめは、 落莫 ( らくばく )たるものだったが、その夜は、霜でもおりているように、月の光が白かった。 黒い人影が、六ツ七ツ、秀吉のまわりに 佇 ( たたず )んでいる。 近習とみえ、おゆうの来たことを告げていた。 中に、官兵衛 孝高 ( よしたか )らしい影も見えたが、おゆうがそこへ行き着いた時は、もう辺りに見えなかった。 「おう、ゆうか。 総じて誰にでも女にはやさしい秀吉であるが、この際、やさしくいわれることは、却って、情けでない気がした。 「これから先は、生涯独りで草深い里に住もうと、心に誓っておりますせいか、もうどこにいても、 寂 ( さび )しいなどという心地はおこりませぬ」 彼女の答えを聞きながら秀吉はうなずき、うなずき、 「たのむ。 半兵衛の後生をよう 弔 ( とむろ )うてやってくれい。 いずこに住もうと、生あるうちには、また会う折があろうが」 と云い、そして、その人の墓のある松の下を振り向いて、 「おゆう、あれに用意させておいた。 もうこれ 限 ( き )り、そなたの 妙 ( たえ )な 琴 ( こと )の音を聞く日もあるまい。 ……ずっと遠い以前、そなたは兄半兵衛に 伴 ( ともな )われて、当時、織田どのに抗して一族たてこもっていた美濃の 長亭軒 ( ちょうていけん )の城に臨み、琴を弾じて 籠城 ( ろうじょう )の鬼となっていた将士の心をやわらげ、ついに城をひらいて 降 ( くだ )したこともあった。 秀吉も名残に聞きたい。 ……もしまた、その琴の音が、風のまに、ここから近い敵の三木城にまで聞えて、彼らの あら 胆 ( ぎも )に、 有情 ( うじょう )を思わせ、意味なき死を 覚 ( さと )らせれば、これは大きなてがらだ。 地下の半兵衛もどんなによろこぶことかしれぬ」 と、彼女をそこへ 促 ( うなが )した。 それまでは、彼女も気がつかなかったが、見ると、松の下に、 莚 ( むしろ )をのべ、その上に、一面の琴がおいてある。 足かけ三年にわたる籠城に、さすが気節を以て、上方武者は 浮華軽薄 ( ふかけいはく )のものと、一概に 見下 ( みくだ )していた中国の将士も、いまは見るかげもない姿を持ち合って、 「討死は、きょうか、あすか。 せめて 餓 ( う )え死にだけはしたくない」 と、ただそれだけを希望するに過ぎない窮極にまで 墜 ( お )ちこんでいた。 と、人のすがたには見ながらも、自分も死馬の骨を 舐 ( しゃ )ぶり、 野鼠 ( やそ )を喰い、木の皮、草の根まで 漁 ( あさ )った。 「この冬はもう、畳を煮、壁土を喰うしか、食うものはない」 窪 ( くぼ )んだ眼と、窪んだ眼とが、おたがいを憐れみながら、なおこんなことをいっていた。 小競 ( こぜ )り合いでも、敵が寄せてくると、俄然、 飢 ( う )えもつかれも忘れはてて戦える。 ところがこの半月余りは、いっこう寄手が襲って来ない。 これはどんな死にもの狂いな目にあうより 却 ( かえ )って城兵には辛かった。 日が暮れると、城中一帯、どすんと、沼の底へ落ちたように真っ暗になる。 燈火 ( ともしび )などは、一点たりと 灯 ( つ )かない。 魚油も菜 たね油もみんな食糧として 舐 ( な )め尽してしまったのだ。 朝夕は城中の冬木立へ群れる 鵙 ( もず )だの雀だのという 小禽 ( ことり )が、何よりもよい食物と兵に狙われて捕られたため、近頃は鳥も知ってきたか、少しも城内の木には集まって来ない。 鴉 ( からす )を喰ったことはたいへんな数で、その鴉さえほとんど手に入るのが稀れになったほどである。 本能的に胃が胃液を 滲出 ( しんしゅつ )するため、その後では、きっと、 「腹が 絞 ( しぼ )られるように痛い」 と顔をしかめ合うのだった。 その晩は、月がよかった。 だが、城兵は、 「ああ。 見張っている 寨 ( とりで )や、城門の屋根に、わらわらと、落葉がこぼれてくる。 ひとりの兵は、むしゃむしゃと 紅葉 ( もみじ )を喰っていた。 「うまいか」 ひとりの哨兵が聞くと、 「 藁 ( わら )よりは ましだよ」 と、また一つかみ拾って喰う。 だが、忽ち、 こそばゆくなったとみえ、しきりに 咳 ( せき )をして、喰っただけの紅葉を吐き出していた。 「……あッ、御家老が」 誰か、突然、 呟 ( つぶや )くと、みな気を 緊 ( し )め 直 ( なお )して、槍の穂へ、 確 ( しか )と、意志を示し直していた。 別所家の家老、後藤 将監基国 ( しょうげんもとくに )であった。 「やあ、大儀だのう。 ご苦労だのう。 何も変ったことはないか」 「べっして異状はございません」 「そうか……」 と、将監は、片手に携えていた矢を示して、 「夕方、平井山の敵陣から、この矢を射こんで来た。 矢文を負わせて。 ……それによると、羽柴の客将、黒田官兵衛 孝高 ( よしたか )が、こよいわしに面談したいとかで、これへ訪れてくることになっている」 「なに、官兵衛が、来ますと。 ただはおけん」 「いやいや、秀吉の使者として、あらかじめ、矢文で通告して来るものを、斬ってはならん。 使者を殺すなかれ、これは 兵家 ( へいか )のあいだの約束だ」 「敵将でも、ほかの者ならともかく、官兵衛とあっては、肉を 啖 ( くら )っても飽きたらぬ気がします」 「敵に、肚の底を、見すかされまいぞ。 そのとき三木の城は、ふしぎな静寂に 囚 ( とら )われていた。 「あッ? ……。 琴だ」 ひとりの兵が、突然、眼を宙へあげて 呻 ( うめ )いた。 じっと、 立 ( た )ち 竦 ( すく )み合っていたほかの兵も、その声につられて、 「おお、琴の音がする! ……」 「琴の音だ! ……」 と、さもさもなつかしいものにでも 巡 ( めぐ )り 会 ( あ )ったように、眼をほそめ、耳をすまして、聞き 恍 ( と )れていた。 ここばかりでなく、恐らくは、 櫓 ( やぐら )の上でも、 武者溜 ( むしゃだま )りでも、支塁のここかしこでも、一瞬 悉 ( ことごと )く同じ思いに 囚 ( とら )われたのではなかろうか。 流離した老母を思い、絶えて消息のない子や弟妹のことを思い出した兵もあろう。 いや、何も 後顧 ( こうこ )はないこの身ひとつとしている兵にしても、石でない木でない 有情 ( うじょう )の心琴を揺すぶられて、何とはない涙が 眦 ( まなじり )からひとりでに垂れてくるのをみな、どうしようもなかった。 「…………」 家老の後藤将監も、まさにそうした中の一人だったが、あたりの兵の顔に気づいて、はっと、 醒 ( さ )めたように、まず自分の心をとり直し、次に、城門の将士たちへ向って、わざと快活に、 「なに、寄手の陣地で、琴の音がすると。 ばかなッ……。 琴の音がなんじゃ。 いずれ柔弱な上方勢のことだ、長陣に 倦 ( う )んで、里の 唄 ( うた )い 女 ( め )でもつかまえて来て戯れているものだろう。 そんなものに心を掻きみださるるなど、 言語道断 ( ごんごどうだん )、もののふの鉄石心とは、そんな 脆 ( もろ )いものじゃない。 のう、そんな脆いものじゃあるまい」 と、鼓舞しながら、すぐことばを続けて、各 、われに返った顔へ、 「それよりは、 持場 ( もちば )持場の守りを怠るな。 この 城寨 ( じょうさい )はちょうど、洪水の濁流を、じっと防いでいる堤と同じだ。 堤は 蜿蜒 ( えんえん )と長いが、寸土でも一尺でも、崩れたがさいご全部の破滅だ。 貴さまたちの子孫はこの国のあるかぎり笑いものの汚名を負うぞ。 いいか、たのむぞ」 さらに、将監が、こう励ましているときであった。 城下の坂下から、二、三の兵が駈けあがって来るのが見えた。 官兵衛孝高は、 輿 ( こし )の上で待っていた。 輿は木と 藁 ( わら )と竹でつくられた軽いものである。 屋根の 蓋 ( おおい )もなく、両側の腰も浅く、 革紐 ( かわひも )を十文字 綾 ( あや )に懸けて、わずかに身を支える程度にとどめ、 輿上 ( よじょう )に 坐 ( い )ながら、大剣を 揮 ( ふる )って敵と戦闘するに便ならしめてある。 こういう構造なので、 担 ( にな )い棒は 挿 ( さ )し渡しでなく、前後べつべつに附いている。 それを士卒四人が、あと先に別れて 担 ( かつ )ぎ、千軍万馬の中をも、駈けまわるのであった。 官兵衛は黄の 鎧下着 ( よろいしたぎ )に、 卯 ( う )の花おどしの具足を着、白地 銀襴 ( ぎんらん )の陣羽織をつけて、輿のうえにあぐらを組んでいた。 非常に都合のいいことには、彼は五尺一、二寸ぐらいな小男であり、体重も人より軽いので、士卒の肩も楽だったし、彼自身もそう窮屈を覚えなかった。 城寨 ( じょうさい )の門の内で、やがて、たたたっと足音が聞えた。 幾人かの城兵が坂の上から駈け戻って来たものらしい。 「お使い。 通んなさいッ」 いかつい声と一緒に、眼のまえの 柵門 ( さくもん )が大きく口を開けた。 暗闇の中にひしめく兵の影は、一団百人以上もいるかと見えた。 その波の揺れるたびに、 閃々 ( せんせん )と槍の穂が瞳を刺す。 「大儀でござった」 と挨拶して、官兵衛は、 「それがしは、 跛行 ( びっこ )でござれば、 輿 ( こし )のまま 罷 ( まか )り通る。 無礼をゆるされよ」 と、断って、ただひとり供として連れて来た子息の松千代 長政 ( ながまさ ) (松寿丸)のすがたを後ろにふり向き、 「松千代。 先に立て」 と、命じた。 輿は、四人の士卒に 担 ( にな )われて、その後から柵門へ入ってゆく。 十三歳の一少年と、 跛行 ( びっこ )の武者とが、悪びれた様子もなく、使いとして、自分たちの陣営に入って来たのを見ると、殺気立っていた 餓狼 ( がろう )のような城兵も、敵ながらこの父子を憎む気もちは起らなかった。 柵を通り、城門をくぐり、やがて中門へかかると、そこに家老の後藤将監と城士の精鋭級が、厳然と、白眼を揃えて、来る者を待っていた。 (なるほど、これでは、食糧がなくなったくらいでは、なかなか 陥落 ( おち )ないわけ、石にかじりついても、この城はこの人々で守られよう……) 官兵衛はここへ来るまでのあいだに、なお少しも衰えていない城兵の士気を見て、いよいよ自分の任の重きを感じた。 そして当の官兵衛は、将監のすがたを見かけると、いそいで 輿 ( こし )を地上に降ろさせ、不自由な 隻脚 ( せっきゃく )を立てて、 「やあ、別所どのの御家老、後藤基国どのとは、あなたでござったか。 黒田官兵衛です。 お使いに参りました。 筑前守 ( ちくぜんのかみ )秀吉の代人として。 敵中に使いした官兵衛の印象は、案外、敵に好感をもたれた。 燈火 ( ともしび )もない城中の一室で、後藤将監と会見、 半刻 ( はんとき )ほどの後、官兵衛から、 「では、お答えを待つ」 と、席を立つと、 「いずれ、主人長治や諸将とも評議のうえ、御返辞つかまつる」 と、将監も立った。 こうして、会見当夜のもようでは存外、この交渉は、成立を見るかと思われたが、以来、五日経ち七日経ち十日経っても、城方からの返辞は音沙汰もなく過ぎた。 冬は、十二月に入り、とうとう対陣のまま第三年の正月を迎えてしまった。 官兵衛の使いした十一月の末から十二月に通じて、三木の城は、実に、 寂莫 ( せきばく )としたものをひそめて、沈黙していた。 もう寄手に撃つべき鉄砲の 弾 ( たま )すらないことは読めていた。 けれど秀吉も今は、 「おそらく、城の余命も長くはあるまい」 とみて、 無下 ( むげ )な強襲も 抑 ( おさ )えていた。 従って、その主体たる信長の感情は、 (なにを、 無為無策 ( むいむさく )に) と、前線の長陣を、 焦々 ( じりじり )思っているかも知れないし、また日頃、秀吉にこころよからぬ周囲の者どもも、 (筑前どのには、始めから荷の勝つ大役) とか、 (このまま、彼一手に、お任せおきあっては) とか、さまざまな 誹謗 ( ひぼう )も行われていることは、疑いもないことだった。 彼も人間であり、ふつうの感情の持主である以上、眼中にないというわけではないが、 ( 些事 ( さじ )は、どこまでも些事、 糺 ( ただ )せばいつでも明白なこと) として気に病まないだけのことであった。 ただ、彼が憂いとしているのは、何といっても、西の強大、毛利というものが、かかるあいだに、着々と国内態勢をととのえ、また大坂本願寺の強固な勢力といよいよ緊密な作戦をこらし、東は遠く北条、武田に呼びかけ、北は丹波の 波多野 ( はたの )一族から裏日本の諸豪を誘導し、全日本にわたる鉄のごとき反信長陣の 聯合 ( れんごう )を一日ましに強めてゆくことであった。 その力の、いかに 隠然 ( いんぜん )と、大きなものかは、現在、中央軍の直面している荒木 村重 ( むらしげ )一族の一 伊丹 ( いたみ )城すら、いまもって、 陥 ( お )ちないことを見てもわかる。 村重一族が頼んでいるのも、ここの別所一族が頑張っているのも、すべて自力とその城壁ではなく、 (いまに毛利軍が大挙して、救いに来る! 信長を撃つ!) それなのである。 およそ始末のわるいものは、正面の敵でなく、 陰 ( かげ )の敵である。 石山本願寺、西国の毛利、こう両面の二つの旧大勢力こそ、まさしく信長の敵だったが、直接、死にもの狂いに信長の理想へ組みついて来ているものは、 伊丹 ( いたみ )の荒木村重であり、ここでは三木城の別所長治などだった。 「佐吉、松千代。 おまえたちはさっきから、一体、何を はしゃいでいるのだ」 羨 ( うらや )ましげに、秀吉が訊くと、近頃、小姓組の仲間に入った黒田松千代が、 「何でもありません」 と、あわてて肌を入れて、具足を着直した。 すると、石田佐吉が、 「殿さま。 松千代どのは、 穢 ( きたな )いことと、お耳に入れるのを 憚 ( はばか )って、お答えを避けましたが、申しあげないと、御不審かもしれませんから、私から申しまする」 「ムム。 何じゃ 穢 ( きたな )いこととは?」 「みんなして、 虱 ( しらみ )を捕り合っていたのでございます」 「虱を」 「ええ。 いちばん初めは、助作どのが、私の 襟 ( えり )に這っていたのを見つけ、それから虎之助どのが、 仙石 ( せんごく )どのの袖にも見つけ、みんなして、移るぞ移るぞといって、からかっているうち、こうして焚火にぬくもっていたものですから、誰の姿を見ても 鎧 ( よろい )の上に、虱がぞろぞろ這い出して来ました。 そうか。 こう長の陣では、虱も籠城につかれたろう」 「けれど、三木城とちがって、ここには兵糧が豊かですから、焼討ちでもしないと 陥 ( お )ちません」 「もうよせ。 そのはなしは。 わしも 痒 ( かゆ )くなった」 「殿さまも、もう幾十日、お風呂をお浴びなさらないかしれません。 きっと殿さまのお肌にも、 雲霞 ( うんか )のごとく、敵が立て籠っているかもしれませんよ」 「佐吉。 よせと申すに」 秀吉は、わざと、彼らに体をゆすぶってみせた。 小姓たちは、自分ばかりが虱 たかりでないことを証明されると、大よろこびに歓んで、 「ハハハハ」 と、 雀躍 ( こおど )りせんばかりくるくる廻った。 すると陣幕の外から陽気な笑い声と温かい煙にみちたここを 覗 ( のぞ )いて、 「お小姓組の黒田松千代どのはここにおいでか」 と、ひとりの兵がたずねていた。 「はいッ、おります」 立ってゆくと、それは父の部下だった。 「御用の折でなければ、ちょっとお越しあるようにと、あちらのお小屋で、お父上が召されておられますが」 松千代は、秀吉の前に行って、 「参ってもよろしいでしょうか」 と、ゆるしを仰いだ。 平常あまりないことだからである。 しかしすぐ 頷 ( うなず )いて、 「行って来い」 と、いった。 松千代は父の家来に 従 ( つ )いて駈けて行った。 陣屋陣屋ではどこも火を 焚 ( た )いていた。 またどこの部隊も陽気だった。 もう餅も酒もないけれど、正月気分は幾ぶんかまだ残っている。 父は陣屋の中にいなかった。 この寒いのに、 仮屋 ( かりや )からずっと離れた山鼻の一端に、 床几 ( しょうぎ )をおかせて、腰をかけていた。 吹き 曝 ( さら )しである。 見晴らすには何の邪魔物もないだけに、寒風は好き勝手に肌をめぐって血も 凍 ( こご )えるばかりである。 が、官兵衛 孝高 ( よしたか )は、まるで 木彫 ( きぼり )の武者像のように、ひろい闇へ向って、じっとしていた。 「父上、松千代にございますが」 そばへ来て、ひざまずいた子のすがたへ、彼は初めて、少し身を動かした。 「殿のおゆるしを得て来たか」 「はい。 お断りして来ました」 「しからば、しばしの間、父に代って、ここの床几に腰かけておれ」 「はい」 「 眸 ( ひとみ )は しかと、ここから真正面の三木城をにらんでおれ。 おそらく見えまいが、じいっと、眸をこらしているうちに、自然、 太虚 ( たいきょ )のうちにも、うッすらと見えて来る。 この父がみるところでは、何となく、城の内に、ものの動きが感じられる。 ここ半年以上もたえて見なかった煙なども立ち昇った……城をつつむ唯一の目かくしとなる木立なども、惜し気もなく 伐 ( き )り下ろして 焚物 ( たきもの )にしている形跡がある。 深夜、 心耳 ( しんじ )をすまして、ここから聞けば、 哭 ( な )くような、笑うような、名状し難い人の声もするように思われる……いずれにせよ、この正月の松の内をこえて、彼らのなかに、一つの変ったうごきが起りつつあるのは事実だ」 「……あ。 そうでしょうか」 「とはいえ、それは 象 ( かたち )で 現 ( で )ているものではない。 うかと放言して、味方に 徒 ( いたず )らな緊張を起させ、誤っては、父の失態、また敵に乗ぜられる虚を作る。 ……ただ父はそれを感じておるため、こうして、おとといの夜も、昨夜も、床几をすえて、城を 観 ( み )ていたのじゃ。 むずかしい、がまた、やさしいともいえる。 心さえ 澄明 ( ちょうめい )にしておればよいのだ、妄想なく。 しばしだが、そちに代らせておくわけじゃ」 「わかりました」 「居眠るなよ。 肌をさす寒風の中だが、馴れると、ふしぎに眠うなる」 「大丈夫でございます」 「そしてもし……ひとたび城方の方に、チラとでも、火の気を認めたら、すぐ諸将に 諮 ( はか )れ。 戦陣なので、当然ではあるが、彼の父は、彼に対して、いちどでも、辛いかとか、痛いかとか、慰めらしいことばをかけたためしがない。 そして 厳 ( おごそ )かな中にも、人知れぬ温かみを感じ得ている自分を、またなき仕合せ者と思っていた。 官兵衛は杖をついて、そこから仮屋の方へ歩み出していた。 あらかじめ、供に 従 ( つ )いてゆく者は、命じられてあったとみえて、 母里太兵衛 ( もりたへえ )、栗山善助のふたりが、それと見て、彼のあとから駈け下りて行った。 「殿、殿」 「お待ち下さいまし」 官兵衛は、杖をとめて、 「おう、両名か」 と、山の中腹で振り返った。 「お早いのには驚き入ります。 御不自由なお 脚下 ( あしもと )で、お 怪我 ( けが )をあそばすといけません」 「ははは。 跛行 ( びっこ )もだいぶ引き馴れて参った。 気をつこうて歩くと却って転ぶ。 ちか頃は、勘で跳ぶのじゃ、 こつで歩くのじゃよ。 見栄 ( みえ )はいらんからのう」 「合戦の中ではいかがですか」 「戦場は 輿 ( こし )にかぎる。 乱軍となれば、 双手 ( もろて )に剣もつかえるし、敵の槍を 奪 ( と )って、突き返すことも自在。 ただし、進退の駈引は、まことにままにならぬが」 「さこそと、お察しいたしております」 「けれどやはり輿にかぎるな。 輿の上から 雪崩 ( なだ )れ打つ敵軍を眺めやると、むらむらと満身から大気が発する。 叱 する自分の声に、敵も 退 ( ひ )くかと思われる」 「……あ。 危のうございます。 この辺の崖道、山陰に雪があるため、 雪解 ( ゆきげ )のしずくで 辷 ( すべ )りまする」 「下は渓流だな」 「お 負 ( お )いいたしましょう」 母里太兵衛が、背を向けた。 官兵衛は、負われて渓流を越えた。 さて、何処へ行くのか? それをまだ家来の二人とも聞いていない。 「殿……」 だいぶ歩いてから、ふと、そのことにふれてみた。 栗山善助の口からである。 「こよいは何ぞ麓の陣地にあるお味方の部将から、お招きでもあって 臨 ( のぞ )まれますので?」 すると官兵衛は、からからと笑って、 「なに馳走にでも、呼ばれて行くというのか。 いつまで、正月をしていられるものぞ。 筑前どののお茶会もすんだし……」 「では、どちらへ」 「行く先か」 「さればです」 「三木川の柵だ」 「えッ、河原の柵へ。 あの辺は危険です」 「もちろん危ない。 だが、敵にとっても、危ないところだ。 ちょうど、相互の陣地と陣地が、相接しているところだから」 「それでは、もっと御人数を……」 「いやいや、敵も大勢は引き連れて来ぬ。 従者一名に子どもひとりぐらいだろう」 「子どもを……」 「そうだ」 「 解 ( げ )しかねまするが」 「まあ、黙って来い。 知れても悪いことではないが、ひそかな 方 ( ほう )が、今のうちはよい。 筑前どのへも、落城のあとになって、御披露に及ぼうと思うている」 「城は陥ちましょうか」 「陥ちないでどうする」 「失言しました。 近いうちにと申し足すのを忘れました」 「まず、落城も、ここ両三日を出ることはあるまい。 まかりちがえば、 明日 ( あす )にも」 「えッ、明日にも?」 ふたりは、孝高の顔を見まもった。 その 面 ( おもて )に、はや 仄白 ( ほのじろ )く、水明りがうごいていた。 母里太兵衛と栗山善助のふたりは、そのときギクと足を 竦 ( すく )めた。 河原の 蘆 ( あし )の中に、敵らしい人影を見たからだった。 「やッ? ……何者か」 次の 愕 ( おどろ )きは、刹那のそれとは違っていた。 敵方の大将らしい者には相違ないが、ひとりの従者に 幼児 ( おさなご )を 担 ( にな )わせ、それ以外に、郎党もつれていないし、敵対して来る 容子 ( ようす )も見えない。 「その方たちは、ここでしばらく待っておれ」 官兵衛のことばである。 すべては主人の意中にあるものと察して、 「お気をつけて」 のみ答えながら、先へ歩いてゆく主人の影を見まもっていた。 官兵衛が近づいて行くと、蘆の中に 佇 ( たたず )んでいた敵も、すこし前へ歩み出して来た。 そして相見るやいかにも 昵懇 ( じっこん )そうに挨拶を 交 ( か )わしていた。 十年の 知己 ( ちき )でもあるかのように。 かかる場所で、かかる敵味方のあいだで、こういう密会をしているのを認められたら、直ちに、敵へ 気脈 ( きみゃく )を通じるものと疑われよう。 この戦陣の中、明日にも城とともに相果てる身をもちながら、なお 煩悩 ( ぼんのう )な親心とおわらい下さるまい。 ……余りにもまだ何も知らぬ 頑是 ( がんぜ )ない者にござりますれば」 こういっているのは、敵方の将だった。 それは、三木城の家老、後藤 将監基国 ( しょうげんもとくに )にちがいない。 「やあ、それへ、お連れ召されたか。 どれどれ、お会い申そう。 ……御家来、背から下ろして、その和子をこれへ」 やさしく 麾 ( さしまね )いているのは、官兵衛孝高である。 将監の従者は、主人のうしろからおそるおそる進んで、背に 紐 ( ひも )で十文字に負って来た幼い者を解いて下ろした。 「お 幾歳 ( いくつ )じゃ」 「お八ツにおなり遊ばします」 日頃から 傅役 ( もりやく )として 侍 ( かしず )いていた郎党であろう。 解いた紐で眼の涙を 拭 ( ふ )きながら、答えると、辞儀をして、うしろへ退った。 「お名は」 こんどは、父なる人の 将監 ( しょうげん )が答えて、 「 巌之助 ( いわのすけ )といいます。 母もすでに 亡 ( な )し……父もやがて。 それがしもまた子をもつ父。 あなたの父としてのお気持はよう分る。 かならずそれがしの手にお育て申して、成人の後は、後藤の家名を絶やさすまい」 「それ聞いて……あすの夜明けは……心おきなく討死ができまする……巌之助よ」 と、将監基国は、そこへ膝を折って具足のふところに幼いわが子を抱えて云い 諭 ( さと )した。 「いま申す父のことばを、よう聞けよ、そちもはや八歳。 さむらいの子というものは、いかなる時でも泣くではない。 父にわかるるも是非なし、また君と共に死ぬるも当然、すべて、そなた独りが不運というのではない。 よいか……。 ……わかったか。 わかったであろうな」 頭 ( つむり )を撫でて、こう云い聞かせると、巌之助は、黙って幾たびも 頷 ( うなず )いた。 ぽろぽろと涙はもとよりこぼしていたが。 三木城の運命も、いまは 旦夕 ( たんせき )に迫っていた。 城中数千のもの、もとより城主別所長治と、かたく死をちかい、 潔 ( いさぎよ )く死ぬべく、斬って出る覚悟をしていた。 家老後藤将監も、もちろん鉄石の心に、今とて寸分の揺るぎもない。 この 頑是 ( がんぜ )ないものまでを、死なすにはしのびない。 一見、敵ながら、頼みがいある人物とみていた官兵衛孝高に、彼は書を送って、 (父母なき一孤児を、養育して賜わるや) と、意中を明かしてみた。 (父と父、武士と武士、相見たがいのこと、おひきうけした。 明夜、三木川の 畔 ( ほとり )までお連れあれ) とは、将監がきょう手にした官兵衛からの返辞だった。 で、ここへ、わが子を従者に負わせて、連れて来たわけであったが、さすがに、あすは死を期している身だけに、 (これが最後) と思うと、つい、子を 諭 ( さと )しながらも、彼もまた、不覚の涙をどうしようもなかった。 突き放すように、 「巌之助。 そちからも、ようおねがいせい」 と、膝を立てて、その 可憐 ( いじら )しいものを、官兵衛の方へ、わざと力づよく、追いやった。 官兵衛は、 幼児 ( おさなご )の手をとって、 「かならず、お案じあるな」 と、くれぐれも約し、やがて 母里太兵衛 ( もりたへえ )を呼んで、 「陣地まで、負って行け」 と、いいつけた。 太兵衛、善助のふたりも、初めて主人の心と、こよいの用向きを解した。 心得て候と太兵衛が巌之助を負う。 善助がそばに 従 ( つ )いて行く。 「……では」 「では、これにて」 云いつつも、 別 ( わか )れ 難 ( にく )かった。 官兵衛も、心を鬼にして、早く去ることが、情けだと思いながら、つい 逡巡 ( しゅんじゅん )して、去りがてに、同じことばを繰り返していた。 おさらば。 貴公もまたおぬかりあるな」 と、笑って、さらに、 「さらば」 と、投げ捨てるようにいうやいな、足を早めて、すたすたと城の方へ駈けて行った。 官兵衛は、早速、平井山へもどると、秀吉の前に出て、敵将から託されたこの 幼児 ( おさなご )を見せた。 「育ててやれ。 よい 善根 ( ぜんこん )だ。 おそらく、まだ何もわかるまい、この正月でわずか八つになったばかりの巌之助である。 知らない 小父 ( おじ )さんばかりいるこの本陣の中では、ただ 団栗 ( どんぐり )のような丸い目をきょろきょろさせているだけだった。 黒田家の数ある武士の中でも、彼こそ 真 ( まこと )の黒田武士ぞ、と世にいわれた 後藤又兵衛基次 ( ごとうまたべえもとつぐ )とは、このときの木から落ちた山猿みたいなこの一孤児、巌之助であった。 ここに、三木城も遂に陥落を告げる日が来た。 天正八年正月十七日である。 城主別所長治は、弟の友行、一族の治忠とともに割腹して、城を開き、家臣 宇野卯右衛門 ( うのうえもん )を降使として、秀吉へ一書をもたらし、 (抗戦二年、武門の尽くすところは果した。 ただ忠勇な部下数千と、一族の 不愍 ( ふびん )なる者どもを、すべて殺すは情として忍びない。 ねがわくば足下に託し、足下の寛大に仰ぎたいが、尊意如何) と、あった。 もちろん秀吉は、 欣然 ( きんぜん )その 潔 ( いさぎよ )きねがいをいれ、併せて、三木の城を収めた。 降使、宇野卯右衛門が、 長治 ( ながはる )以下、三名の首を献じて、三木城内にある数千の助命を仰いだ日、秀吉側からは、浅野弥兵衛が応接に出た。 検分もすみ、開城の手続きも、 滞 ( とどこお )りなく、終った。 秀吉は、全軍に令して、 「城内から出て来る降人どもには、わけて 懇 ( ねんご )ろにしてつかわせ。 病人には薬を。 怪我人には手当を」 と注意した。 開城の日はほとんど、そうした 餓鬼振舞 ( がきぶるまい )と、 施薬 ( せやく )などに暮れてしまった。 宥 ( いた )わる方も、宥わられる者も、いまはおたがいに熱い眼をもち合っていた。 「三木の城は、この後、そちに守りを申しつける。 こうして 陥 ( おと )した大事な一城であるぞ。 心してよく守れよ」 「はい」 秀長は、 重責 ( じゅうせき )を感じたように、首をたれた。 いうまでもなく、彼は後の 大和大納言秀長 ( やまとだいなごんひでなが )である。 幼時は、父こそちがうが、秀吉と同じ尾張中村の 茅 ( あば )ら 屋 ( や )に生れ、同じ母のひざに甘え、同じ貧苦と 寒飢 ( かんき )の中に育てられてきた骨肉である。 秀吉としては、自身、三木城に入るつもりだったが、 ( 不得策 ( ふとくさく )です。 要害 ( ようがい )の堅城というのでは、三木の地形がすぐれている。 しかし、領政交通の利は、断じて姫路が 優 ( まさ )っている。 なお、中国の攻略、四国の征定など、将来の大計を考えれば、姫路城に 拠点 ( きょてん )をおくことの利は、議論の余地もない。 「しかし……」 と、遠慮ぶかそうに秀吉はいった。 「姫路の城は、前々よりお 許 ( もと )ら 父子 ( ふし )一族の 住居 ( すまい )ではないか。 秀吉が入城しては」 「なんの、それがしどもへは、べつに一城を取って下し賜わらば結構です」 「うむ。 黒田父子の主人筋で、一たん織田方へ味方しながら、中道で寝返りを打った 御著 ( ごちゃく )の小寺 政職 ( まさもと )は、三木陥落と聞くやいな、戦いもせず、居城御著をすてて、 備後 ( びんご )方面へ 潰走 ( かいそう )してしまった。 世間は、もの笑いにした。 しかし官兵衛孝高は、 「惜しむべし、惜しむべし」 と、痛嘆幾たび、このみじめな主家の末路に 哭 ( な )いた。 中国 探題 ( たんだい )の居城として、まさに姫路は絶好な拠点だった。 秀吉はそこに移るとすぐ、 「この 城郭 ( じょうかく )もよいが、様式のすべてが旧い。 この城の設けられたときは、一地方の 防塞 ( ぼうさい )として築かれたのだろうが、いまは時代がちがう、目的もちがう。 信長公の 図南西覇 ( となんせいは )の基点として、秀吉がその 前駆 ( ぜんく )をうけたまわるところのもの。 彼の建築好きは、いわゆる私生活中心のそれとはちがう。 建設好きなのである。 信長が旧態を 壊 ( こわ )してゆくそばから、彼は新しいものを建ててゆく。 信長の性格は、破壊によくあらわれ、秀吉の特性は、その建設好きによく出てくる。 「こんな大工事を起されて、信長公からお疑いをうけはしませんか」 官兵衛は心配した。 信長の一面を知っているし、 懲 ( こ )りていることもあるからである。 ……わしの母や妻は長浜に置いてあるじゃないか」 と、いった。 「いかにも」 官兵衛もうなずいた。 「ところで、 孝高 ( よしたか )。 幸いに、小寺政職が捨てて逃げたからそのあとへ」 「過分です」 「いや、お礼などは、却って、こちらが過分に存ずる。 あの御著に住むには、なおなかなか骨が折れよう。 何分たのむ。 秀吉、 但馬 ( たじま )、 播磨 ( はりま )のうちの諸般にわたり、一掃除すました上は、直ちに、第二段の策に乗り出して合体申せば」 その約束は、六月から七月にかけて果された。 この二ヵ国にあった地方の小群雄も、西の毛利と、東の織田を見くらべて、きょうまでは 叛服 ( はんぷく )常なく、あしたに和を乞い、夕べには裏切り、始末の悪い存在だったが、秀吉の 旗幟 ( きし )をいま眼前に見ると、ことごとく陣前に来て 降順 ( こうじゅん )を約した。 ここに、中国攻進の覇業は、いちじるしく 曙光 ( しょこう )を見た。

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ROCK in TAKARAZUKA

さえ ぐさ あきな

王子は 成長するにつれ、 根本的な苦/生・老・病・死…を 鋭敏に感じ取り、ついに、 聖 なる真理をもとめ、 出家します。 私達の 素朴な 疑問です。 それは 非常に深い所での、 命に対する疑問だったのでしょうか。 一方、 言葉は 物事 の真相を、 幻影の藪の彼方に隠します。 苦も 平安も、その 幻影に 端を発しています。 王は 仙人達 に 吾子の行末を占わせ… 仙人達は述べます。 彼は 赤子の顔を見て 落涙し…こう歌います… 太子は 無上の覚位に至り… 衆生の 安穏 (あんのん)と 福利のために 法輪を転じ… 涅槃 (ね はん)を説いて、 教法くまなく 普 (あまね)からん… 明確に、 太子の 求道の道が 予言されます。 真直で 寡 黙、 観察と 内省を好む少年だった様です。 全学問に長じ、 武技は 弓で優れていた様で す。 戦の暗雲や 武勇… 生・老・病・死の 苦しみには…ひときわ 鋭敏な少年だったので しょうか。 余暇は、一族の少年たちと遊ぶより、 馬で野山へ出向く方を好んだ様です。 しかし、この下にさらに卑しい、 死体や 汚物を処理する チャンダーラがいた。 29歳の春、 太子はこの チャンダーラに身を落とし、 出家したのである。 空網は、 太子を一目みた時、 勇気と 理性とを失わぬ限り、いずれ、 一切の真理に 到達 するであろうと、予想します。 そして 15歳の時、 太子は豁然と 業 (ごう)を理解し、 出家を 決意した様です。 王宮の中と、 夏と秋の宮殿です。 コーサラ国の 舎衛城 (しゃえいじょう) の 大商人…後に 祇園精舎を建立する スダッタから、 太子は様々な情報を得ます。 幾多の 沙門 (しゃもん/僧侶) が、 業や 輪廻を説くことも聞き ます。 太子は 業の 鉄 鎖に縛られた事を知り、 病に倒れます。 それほど 業の 想いは深かった様です。 闘病の中で、 太子は 王に 出家の 許しを 懇願します。 王は、これでは 吾子の身を滅ぼす と判じ、ついに 出家を許します。 出会った チャンダーラの老人と 着衣を 交 換し、 南方を目指します。 まず、 商人の スダッタから聞いた、 アーラーラという 瞑想の達 人を訪ねるつもりでした。 そこは ガンジス川の彼方、 マガダ国のはるか 南でした。 シッダールタの 病は抜け、 体も次第に 回復します。 初 めて目にする 広大な ガンジス川を泳いで渡り、 マガダ国に入って、 建設途上の 王舎城 に立ち寄ります。 コーサラ国は通り抜けるも、 マガダ国は全てを見て (/重要 人物・釈迦族の太子の動静などは常に把握)いたわけです。 国王は 千頭の象軍を与えると 提案しま す。 が、断って 南方へ去ります。 シッダールタは 畏敬の念に打たれ、枯れ細った 足に 額を押し当てて 礼拝する。 そして己の 過去を懺悔 (ざんげ) し、 合掌して言った。 「そなたは、 欲望と 愛憎を越えてここに来た。 純白なる意志で、 形態のみの残存するこ の山に至った。 しかしわしは、その 形態さえない 無所有の境地におる。 形は形、 音は音、 匂いは 匂い、 味は味、 感触は感触として去来し、 欲望を誘うものではない。 しかしさらに 精進 し、その上の 無色界に至るがよい。 欲界にいた 過 去を悲しみ、 無色界へ歩む 未来を喜び、今、 落涙しております。 今、そなたは 最後の 絶望の涙を流した。 そ れは同時に 清浄なる色界に至り、 無色界へ歩まんとする 喜びの涙でもあった。 無色界へ赴く者は、その 死 の恐怖を 克服しなければならぬ… その 手段として、私はそなたに 矢を与えよう。 多くの弟子が散らばる 岩山の 1所を選 び、 決死の 結跏趺坐 (けっかふざ/仏の坐法。 禅定修行で行う蓮華座) を始めた。 仲間が運んでく れる 食物で 命を繋ぎ、 無色界をめざした。 眼を半眼に開き、 額の中央に射ち込まれる 矢に、 生きようと、 全意志力を 集中した。 集中を緩めれば、 矢は 額を貫き、あるいは 竿頭から真っ逆さまに 落下する。 季節は…夏の終わりから秋の初めの 雨季… 結跏趺坐する シッダールタの 五体に、 雨 が容赦なく叩き続けていた。 切れ切れの時の中で昼と夜が過ぎ、 感覚の無いままに 五体 が濡れ続けた。 そうした日々が重なり… シッダールタには次第に、 冷厳な眼光が充実していった。 アーラ ーラはその様相を認め、腹の底から湧く様な… 「オーム!」 という 聖音を発した。 シッダールタは 驚愕し、 結跏趺坐がほどけた。 眼前には、輝かし い 師の姿があった。 「そなたは 己すら 所有しない、 無色界/無所有の境地に至ったのである。 しかしそな たはまだ、この事の 真の意味は分からないであろう。 しかしある日、 師の元を訪れて 言った。 「 師よ、私は 無色界でも、 命の真相が見えませぬ。 心の平安も得られませぬ。 宇宙はいずこより生じ、 命はいずこへ去る のか。 何故、 欲界・ 色界・ 無色界の 3界に分かれているのか。 無色界の 無欲・ 無色・ 静 寂の 境涯こそ 至高の知恵である。 他に、如何なる 存在の真理があろうか。 それが 無色界よりも 色界を、 色界よりも 欲界を 本能が求めるのである。 それゆえ 人間界に、 ありえぬ救済をもたら そうと、 苦悩するのである」 シッダールタは頭を垂れ、 沈思した。 そしてそなたは、 遍歴の果てに、再びここに 戻って来るであろう。 その 仙人は、 非想非々想処 (ひそうひひそうじょ) という 不思議な境地を説いといると言 う。 齢 (よわい) すでに 130歳に達しているらしい。 シッダールタは 雨季の終わりに、緑深いその 山地を訪れた。 そして… 「 沙門よ…わしは、 宇宙の3界を説かず、 眼に見えぬ矢を授けない。 すでに 禅定の達 人であるそなたは、ただ 結跏趺坐を続けよ。 しかし今度は、 眼に見えぬ矢に 意志を集中する事もなく、 煩 悩を排してただ 端坐 (たんざ/姿勢を正して座ること)した。 菩提樹の 香りが満ち、 小鳥の 囀 (さえ ず) りが聞こえたが、全て去来するままにまかせた。 己の 関知しない 何者とも知れ ぬ思念や 想念が去来する。 それを 非々想という」 シッダールタは頭を垂れた。 左右の手に 葉を 1枚づつ持ち、 1方を 握りつぶした。 「見よ…この 葉は 土水火風の 和合にすぎぬ。 土より生まれ、 水と 風で生き、枯れて 燃え る。 それゆえに、 事物の真相は、 幻影が 幻影を生み出していると言えよう。 それが 生老病死する 肉体に、 くり 返し出入すると言いまする。 ウツダカは、笑みを浮かべうなっいた。 「 バラモンの教えは、 2つの意味で 迷妄である。 本能において、 死/無化を恐れている。 それゆえ アーラーラの 無色界に、 安住することが出来なかった。 シッダールタは、 故郷の北の方向へ歩み出した。 もはや 求めるべき師はなく、 迷妄は 深かった。 アーラーラの住む 岩山を過ぎ、 鉄山で 酷使される、 鎖に繋がれた スードラ ( シュードラ。 カーストの最下位身分、隷属民/・・・このさらに下に、チャンダーラ身分の 不可触民がいる。 シッダールタ はこのチャンダーラに身分を落とし、托鉢しつつ放浪する) たちを眺めた。 苦し む スードラの 幻影…しかし 幻影であろうと… 苦しみは現前している。 彼らは 苦しみ、 解 放を 渇望している。 しかし、 アーラーラと ウツダカの教えは、 結跏趺坐における 個人の 救済であった。 結局私は、 2人の仙人が指摘した通りに、 欲界で 苦しむ声に惑わされ、 欲界に舞い 戻ってきたのである。 動けなくなった スードラに、甲冑 (かっちゅう)を纏 (まと) った クシャトリー (武士、貴族 階級)が 槍をかざした。 スードラが 呪詛 (じゅそ/のろうこと)を叫ぶ! 「 傲慢 (ごうまん)なる 征服民・アーリア人 (紀元前2000年頃、中央アジアの遊牧民・アーリア人が大移動で 南下した。 紀元前700年頃には、アーリア人が建設したガンジス川流域の小王国は6つあった。 そして自分が 出家に至った苦を顧みた。 私は 小国といえども 王子として育ち、 桃源郷 (とうげんきょう: 俗 界を離れた別世界)で暮らしてきた。 出家後の 苦行も、 スードラの 苦の生涯に比べれば 安 易なものだ。 少年の 頃に出会った 苦行者同様、 裸形で 鼻と 口のみを 布切れで覆った。 その 布切れで、 微 小な生物も吸い込んで 殺すまいとした。 また、 地上を見つめて 慎重に歩き、どんな 微 小な命も 殺すまいとした。 托鉢) の時は、家の戸口に無言で立 ち続けた。 僅 (わずか) な食物を得た時も、 犬が寄れば犬に与え、 蝿が止れば蝿にも与 えた。 そして、 少年の頃出会った 裸形の 苦行者の様に、 伽耶山 (がやさん/ガヤーシーサ)を 目指した。 そこはあえて 地獄を体験する、 苦行者のみの集まる所だった。 そして、 最悪と言われ る 止息 (しそく) の行にいどんだ。 仲間に両手をしばらせ、 口と 鼻孔を赤土で埋めさせた。 すると、 内部から 肉壁を押し破ろうとする 息は、 熱炎の様に 五体で荒れ狂った。 焼いた槍で胸を突かれ る スードラ、生きながら 祈祷 (きとう) の炎に投じられる 生贄 (いけにえ)の スードラの叫びが、 全身を襲った。 しかし 命 の真相は見えなかった… シッダールタは 苦行に疲れ果て、心は 絶望した。 そうしたある夜、 少年の頃に出会っ た、 裸形の 苦行者の言葉と、彼が示した 丸い小石を思い出した。 失神する 苦行も、 楽々と 無色界に至る 瞑想も、 命の深奥に接近していないと思い当たった。 まさに彼が 指摘した様に、 断食によって ゆっくりと死に接近し、 命の真相が見えて来るのであろう。 1期を 472日と し… 384日の絶食日に 88日の行乞日をはさむ。 しだいに 断食に身を慣らし、ついに 15日の断食日に 1日の摂食日をはさむ。 日数の連なりが、 首飾りの様になっていた。 チャンダーラの 死体が棄てられる谷を訪れ、 その 屍衣 (/しい) を纏って 結跏趺坐をした。 また、牧童たちに 唾や 尿をかけられても、 微動もしなかった。 チャンダーラの襤褸)や 獣皮や 鳥の羽を纏い、 頭髪や 髭を全て抜き取 り、焼けつく 陽光に晒された。 また、 棘の筵 (とげのむしろ)の上にも座り続け、 雨季には1度も 沐浴 (もくよく: 髪や体を洗うこと) をせず、肌の 垢 (あか)の上には 苔 (こけ)が生えたが、それを洗おうとはしなかった。 孤独の行では遠い森に独り住み、 人が近づけば逃げ去った。 また 汚穢 (おわ い/けがれていること。 大小便、糞尿)を食う行では、牛舎に忍んで 子牛の糞を食べた。 やがて 恐怖は消え、 生死を越えた無 我の 境地に至った。 しかし、 禅定の達人には 容易に近づけなかった。 さ らに 無我の境地に到達して、 殺気は シッダールタを 補足できず、 素通りした。 殺気を 放てば、それは 虎自身に 反射したであろう。 彼はついに、 少年の頃に出会った 裸形の 苦行者の 言葉に従 い、 結跏趺坐したまま、 餓死に至ろうとした。 豆粒か 米粒か 胡麻粒を、 1日に1粒…ついには 7日に1粒づつで 命をつなぎ… 命が燃えつき る様を、 見極めようとした。 そして 命そのものが 業の鉄鎖と分かったなら、そのまま 命 を 吹き消そうといどんだ。 肋骨が浮き、 腹がくぼみ、 全身の毛髪は腐れ落ちた。 しかし 全意志力を 集中する 額中央に、 1筋 の 白い巻毛が伸びた。 結跏趺坐する周囲には、いつしか 5人の 若い苦行者が取巻 き、祈り始めた。 彼等が幾度となく 周囲で囁く声が、 シッダールタには 悪魔の声に聞えていた。 私は… 汝らに敗れて生きるより死を選ぶ…と言うと声は去った。 し かし 知は得られず、 死が先行しようとした。 ついに… 額に集中する 意志力も消え…前方に崩れ、 息絶えようとした。 が…ヨロヨロ と立ち上がると…何度も倒れつつ 伽耶山 (がやさん)を 東に下って行った。 まばゆい朝の 中、眼にははっきりと物が見えず、 河は 望洋とした光の帯であった。 水の匂いと 河音 にいざなわれ、這い進み、ようやく 河岸に着いた。 そこで、 我しらず 水をすくって飲み、 顔に 水を当てた。 が、力無い 脚と 五体が流れにとられた。 そのまま 枯木の様に流された。 ようやく 手に 触れた 葦 (あし)の1本を掴み、そろそろと 岸へ寄った。 そしてしばらく、 岸辺に倒れ伏し ていた。 彼女は 耳元に口を寄せ語りかけた。 涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして 書かれている。 これを五味相生の譬 (たとえ) という。 /製造方法の伝承が絶たれていて、幻の食品・・・)を食べさ せようとした。 シッダールタが気づき、 我しらず 小鉢を受け取り、手ですくって食べた。 ついに、 欲 望の魔軍に敗れたのである…死ねば 餓鬼道に堕ちるであろう… 5人は 失望し、 別の師を求め、西の 鹿野苑 (ろくやおん/・・・カーシー国の都・バーラーナシー城の郊 外。 仙人の居所として名高かった)を目指した。 断食行では感じ得なかった、 命の息吹の 鼓動だった。 やがて シッダールタは、 我しらず立ち上がり、 金剛座 (こんごうざ)のある 南方に歩き始めた。 菩提樹 がまばらに茂る 巨岩は、 大地の最奥にまで達していると言われる。 求道者たちの、 格好の静坐の場であった。 シッダールタも、幾度となく 結跏趺坐した場であり、我しら ず足が向いたのである。 今度は 真新しい白衣を着せた。 金剛座では1本の 菩提樹下に、 農夫が 吉祥草 (きっしょうぐさ)を刈って敷いていた。 手を 取ってそこへ シッダールタを招き (/・・・吉祥草を手渡したともあります) 、 結跏趺坐の形をとると … 農夫は 合掌した。 半眼を開いて 静坐し、ただ全てを 去来するに任せた。 乳酥 (にゅうそ)が 血管や 細胞にしみ、ひび割れ た大地が潤うように、 全身に 力がみなぎった。 天地万物の根拠の理)との 一体感を得たのであろう。 そ の中で 《 私は星を見ている 》 …という クリアーな 知が生じた。 命の 真相が 忽然 (こつぜん: にわかに)と湧き、 確信に到達した。 しかし、この 成道 (じょうどう: 釈迦が 仏になったこと)は 言外 (/言葉に出さない部分)のものであった。 星は 半眼の中で… 毎朝、 見ていた…のである。 が… 知によっては見ていなかったのである。 7日7夜の 静坐の中、 乳酥 (にゅうそ)によって 命が 再形成されて行く過程の中で、 シッダールタに 真理の知が成立したのであろう。 その 主体がある時 …私は星を見ている… という 知/覚醒が生じ た。 これが 釈尊の 開悟 (かいご: 迷いから脱却して真理を悟ること) だが、 知の真髄/知的生命の 進化においては、 巨大な1歩となった。 暁天 (ぎょうてん) の明星は 幾度となく目撃して来たが、初めて 真の星を見たのである。 それは、彼が カピラ城の 東門を出て 6年後、 35歳の冬のことであった。 しかし、この 成道 (じょうどう) は、言葉で説明できるものではなかった。 やがて、この 真理を 衆生に説かねばならぬ が …同じ真理を、体得できるものだろうか… と思われた。 そして、まさに この難しさこそ … 真理の体験的伝承/覚醒的継承の世界宗教 … の 最大の特徴となってゆくのである。 かつて カピラ城で、 様々な 情報を提供した 商人である。 「 太子よ…あなたは 正覚を得られたに相違ない。 あなたは 真理を伝えなければなりま せぬ。 「 スダッタよ…何を求めて 金剛座に来たか? 肥満した 五体から、 様々な欲念が噴き出しておるぞ。 目論見 (もくろみ) は 7年前に申し た、 商 (あきな)いのための 天竺 (てんじく/インドの古称)の 統一か。 「 私は 王舎城の ビンバシャーラ王の所へは行かぬ。 が…おかげで方向が見つかっ た。 アーラーラが 予言したように、 かの地へ戻って行こう。 ウツダカも訪ねよう。 思え ば 私の 体得したものは、それと 同じであった。 「 空網はすでに亡いが… アーラーラと ウツダカに、 私が体得した 全てを語ろう。 私は 2人の仙人より若く、 苦しい遍歴を要した。 それゆえ、より 明確な 滅への道 を切り 開いた。 「 太子よ… 釈尊よ… 2人の仙人はすでに亡く、 弟子たちも 四散しております」 釈尊は無言で立ち上がった。 「いずこへ行かれます?」 「 鹿野苑 (ろくやおん) へ行く…そこに 5人の 沙門がいる。 古来より 仙人の居所として名 高い。 広大な庭園に 鹿が放し飼いされ、 仙人や 沙門が 木陰に集う。 その姿は、まだ人を 恐怖させる、 極限の荒行の 香が残っていた。 頭髪が抜け落ち、 額に伸びた 1本の白毛が巻き、 不屈の意志を表す 顔は強く引き締められていた。 眼 は 死者のように静かで、 深い光輝をたたえていた。 そして静に言われた。 「そなたらが去った後… 私は 正覚を得た…そなたらが見たとおり、 尼蓮禅河で 沐浴し 流された。 その後、我しらず 娘が与える 乳酥 (にゅうそ) を食べた。 その 縁起により、 命の真相を体得したのである。 「 伽耶山 (かやさん) において、そなたらは、 私から 正覚の言葉を聞こうとした… 今こそそれを語り、そなたたちを、 私と 同じ境地に導こう。 最高位の 苦行者と知りつつも、 欲望 の 魔軍に敗れたと判じた 5人に、次第に 尊崇の念が戻った。 以後… 朝は、 3人づつ 交代で 托鉢に出て食事をまかない、 菩提樹下で 結跏趺坐を続 けた… 《初転法輪》 の始まりである。 《四諦 (したい) ・八正道 (はっしょうどう) 》 と言われ、 仏教の 網格 (/網目のような骨格) をなすと言われます。 四諦の 諦は… 真理の意味で… 4つの真理。 苦諦 (くたい) ・集諦 (じったい) ・滅諦 (めったい) ・道諦 (どうたい) で、 迷いと 悟りの両方にわたって、 因果を究めた、 4つの真理です。 4苦 とは… 生・老・病・死。 8苦 とは…これに 愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・ 五蘊盛苦 …を言います。 愛する者との離別、 怨憎を持つ者との出合、 求めて得ら れない苦悩、そして 生きていること自体の苦悩です。 その 苦の 原因は、 煩悩であると言 う 真理です。 また、 滅諦 とは… 人の生の 苦を滅した境地が、 涅槃であるという真理 です。 それから、 道諦 とは… 苦を滅し、 涅槃を実現する道が、 八正道であるという 真 理です。 鹿野苑の 菩提樹下の一所で、 釈 尊を半月に囲み、 結跏趺坐を続けた。 5人の沙門を教導しつつ、 釈尊は各々の 境地に、 著しい差があることをお知りになっ た。 無用の苦行を捨てた、 仏道の 試行錯誤であった。 釈尊を信じ、 百尺の竿頭で 集 中していた。 私は 衆生に 真 理を説く 自信を得た。 忠実なる求道者は、 私と 同じ境地に達するであろう。 しかし、そ なたが、 私と 等しい覚者とは認めぬ。 教えを乞う者は拒まず、 法をお説きになられた。 富 豪の酔いどれの息子も、 死児を抱いて泣き伏す母親にも、丁寧に教え、お諭しにな った。 一切万有の真 理を問う者には、 無明の 縁によって 集束解離する、 知られざる流れを説かれた。 そして 自らは… 苦の根源/無明を 滅却するための… 真理を体得している者である… と言われた。 雨季にはそれが 痛む。 名声は隠れもな く、 50人余が 同行を望んだ。 釈尊は通る村々の 布施 (ふせ) の負担を避け、 1人マガダ 国を目指された。 途中、 霊鷲山 (りょうじゅせん/マガダ国の首都・王舎城の北東にある山。 釈尊が 『法華経』などを説いた所)麓 (ふもと)の 竹林で 瞑想中に、再び ビンバシャーラ王の 訪問を受けた。 「 尊者よ…覚えておられるであろう… 私は前に 白善山 (びゃくぜんさん)の 洞穴で会った時… 深夜に訪ね…立ったままで話した。 残る3つは… 正覚者に会い、 正法を聞き、それを 私が理解する ことであった。 「 王よ、 覚者の 住居は 空なる天地である。 法はそこで語られる。 城は 相応 (ふさわ)しい 所ではない。 また 王よ、 法を聞くには 相応しい心も必要である。 王の心は常に 人を疑 う。 「 尊者よ… 孤独の城壁/牢獄の中に住む 王が、 あなたを声のかぎり呼んでも…なお、 訪れてはくれぬであろうか?」 「 その者が真に私を求めれば、 私はきっと訪れよう…」 それを聞くと 王は、 一礼し、 釈尊の前から去った。 この辺りに、 苦行者が集まっていたからである。 そして再び 霊鷲山 (りょうじゅせん/釈尊が 『無量寿経』や 『法華経』を説いたとされる山)を訪れ、 洞穴で 1人で住んでおられた時、 5人の弟子の1人/アッサジが、 1人の苦行者を連れて来 た。 舎利弗 (しゃりほつ/釈迦の十大弟子の1人。 最高の悟りを得た舎利弗は釈迦の信任も厚く、釈迦に代わって 法を説くこともあった。 )との出合いである。 「 尊者よ、 この者は 真理を求めておりまする。 尊者の 言葉に 驚愕し、すぐ連れて行っ て欲しいと 懇願されました」 釈尊は 憂悶の漂う 苦行者を見、 苦悩の深さを見抜かれた。 それは 自らの苦悩の姿 に重なるものだった。 それから、 深くひれ 伏した。 その 高弟の 舎利弗/サーリプッタ (パーリ語の名前)と 目連 (もくれん)/マハーモッガラーナ (パーリ 語の名前)が、 250人の弟子と共に 釈尊に 帰依 (きえ)した。 サンジャヤにも勧めたが、彼 は 激怒し、 血を吐いたと言われる。 釈尊の教えをよく 理解し 《智慧第 一》 と言われる。 目連とは子供の頃からの友人。 教団をよくまとめ、 釈尊より先に没 した。 舎利弗と共に 懐疑論者/サンジャヤの 弟子だった。 目連 が 餓鬼道に落ちた 母を救うために行った 供養が 《盂蘭盆会 (うらぼんえ) 》 の 起源。 釈迦の 死 後、 教団を統率。 釈迦の 教法を編集 (第一結集) し、 付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の 《第1祖》 となった。 空を説く 大乗経典にしばしば登場。 『西遊記』 /三蔵法師 が天竺へ取経の旅をする物語では、なぜか 孫悟空の 師匠として登場。 富楼那の弁と言われ… 弁舌がさわやかであった。 他宗教との 対論を担当したり、 聖典の中で主として 哲学的 論議を多くしていることから、 論議第一と称された。 釈尊の従弟 (いとこ)。 阿難と共に出家した。 釈尊の前で 居眠 りして 叱責をうけ、 不眠の行を行った。 そのため 失明したが、かわりに 天眼 (てんげん/ 智慧の眼 )を得た。 もと 理髪師。 戒律 制度を 否定する 釈尊により… 出家した順序にしたがい… 貴族出身の 比丘 (びく:修行僧) の 兄弟子とされた。 釈尊の実子。 釈尊の 帰郷に際し 出家、 最初の沙弥 (しゃみ: 少年僧) となる。 そのことから、 日本では 寺院の子弟のことを 仏教用語で 羅子 (らご) と 言う。 釈尊の従弟 (いとこ)。 出家以来、 釈尊が入滅するまで、 25年 間付き人をした。 第一結集の時、 アーナンダの 記憶に基づき 経を編纂。 120歳まで生 きた。 天竺5精舎1つ) で 安居 (あんご/ 個々に活動していた僧侶が、一定期間一カ所に集まって集団修行すること)が開かれた。 最後の伝道は、 竹林精舎 (ちくりんしょうじゃ/仏教で建てられた最初の寺院。 マガダ国の首都/王舎城にあった)から始め たという。 やがて 「如来のヴァイシャーリーの見納めである」 と 涅槃 (悟りの境地、釈尊の死)が 近い事を告げた。 最後の歩みを クシナーラー (故郷/釈迦国のカピラ城の手前70キロほど)に向 け、 サーラ ( 沙羅双樹/ さらそうじゅ/ツバキ科のナツツバキ)の林で横たわり 入滅した。 彼等は 出身 (土地・身分などの生まれ)や 出自 (出生と同時に組み込まれる集団)を離れた、 思 想家、 宗教家、 修行者たちです。 バラモン教の土壌の中、 仏教はこうした 沙門を 出 発点とした、 智慧の道/実践的宗教でした。 この為、 2回目 (/・・・ 1回目は付法蔵の第1祖/釈迦十大弟子/大迦葉=マハーカッサパを中心に行われた)の 三蔵結集 (/釈迦の 言葉、経典を集める作業) を行い、 釈尊の教えを 再検討した。 王舎城から遷都された。 現在のビハール州/パトナ) で、 第3回目の 三蔵 (経蔵・律蔵・論蔵) 結集を行 う。 アショーカ王は、 仏教全盛時代を創出… 西の ヘレニズム (地理的には・・・ギリシア・マケドニア を中心に、アレキサンダー大王の東征地域)、 東の 東南アジア、 北の 中央アジアに、 伝道師を派 遣した。 北イン ドで サンスクリット文字 (/古代から中世にかけ、インドや東南アジアにおいて用いられていた言語・・・梵語 (ぼんご、ブラフマンの言葉) ・・・)が発達。 南方では パーリ語 (/南伝仏教経典 (原始仏典) で主に使用さ れる言語)が発達して、 上座部の 古典語となった。 この時代の 仏典を 日本語訳した著 名人に、 中村元/東大名誉教授がいます。 仏智)を備えた 仏 (仏陀、悟りの最高位・・・仏の悟りを開いた人)となって、 一切衆生 (この世に 生を受けた全ての生き物。 特に人間をいう)を 済度 (さいど/仏が迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導 くこと)する教えが起こる。 この 大乗仏教 (だいじょうぶっきょう)の 思想は急速に広まる。 ガン ダーラ (パキスタン北西部。 ペシャーワルにほぼ相当する地方の古称)を 経由し、 中国・ 韓国・ 日本に 伝来する。 世界で約9億 人) の 神秘主義 (絶対者と自己との合一体験)の 1部と合体し、 密教 (/秘密仏教・・・ 秘密といっても、 怪しいものではなく、1人の弟子に対して、1人の師匠がついて教えを説く。 いわゆる、口伝が秘密といわれる由縁) が興る。 様々な土地の 習俗 (/風習、ならわし)や 宗教を包含し、 仏を中心に 世界観を統一。 高度 に象徴化した独自の 修行体系を作った。 秘密の儀式で、 究極の境地に到達し、 即身 成仏 (そくしんじょうぶつ/・・・人間が肉身のまま、究極の悟りを開き仏になること)ができるとする。 土地の 習俗を 包含しつつ 変容を繰り返す。 日本へは… 空海 (/平安時代初期の僧。 真言 宗の総本山。 比叡山と並ぶ日本仏教の聖地)を 開山した。 同時期に インドに存在した 仏教の諸潮流を、 数 十年間で 一挙に導入。 以後、 チベット僧侶の 布教により、 チベット仏教は モンゴルや 南シベリアまで拡大する。 しかし、 中国経由で 仏教を移入した国 は、 釈尊の極意を、 特定の教典、 特定の行 (/禅や密教など・・・) 、を実践する方向を指 向した。 チベットでは、 初期仏教から 密教までを、 1つの体系に統合する方向を指向 した。 大きくは… 『原始仏典』と、 『大乗仏典』に 分類される。 『大乗仏典』は… 西暦紀元 (西暦0年/イエス・キリストの誕生) ・前後以降 から、 大乗仏教教団 によって サンスクリット語で 編纂 (へんさん) された。 しかし、 仏 説とする考えが 一般的である。 釈尊の 入滅後、 教えを正しく伝えるため、 弟子 たちは 経典編集の集会/結集 を開き、 経典整理を開始… しかし、 入滅後 100~200年 で、 教団は 多くの部派に分裂。 各自が 三蔵を保持す るようになった。 完全な形で現存するのは、 スリランカに伝えられる 上座部系の パーリ語経典のみです。 現在は、 スリランカ、 タ イ、 ミャンマーなど、 東南アジアの仏教国で用いられている。 以後、多 くの 蔵外の 注釈書、 綱要書、 史書等が作られた。 日本では、若干の 蔵外文献も含 めて 『南伝大蔵経 』 65巻 (/1935年~1941年) に 完訳されている。 (大蔵経/一切経の作業は、中国では皇帝名で行われることが多く、編入される書物の基準が厳格。 当時の 『欽定大蔵経』 (きんてい/・・・欽定とは、君主の命令 によって制定すること) と 推定される。 平安時代末から 鎌倉時代にかけては、 栄西 (ようさい、 えいさい/平安時代末期から鎌倉時代初期の僧/日本・臨済宗の開祖/建仁寺の開山) 、 重源 (ちょうげん/ 平安時代末期から鎌倉時代の僧。 源平の争乱で焼失した、東大寺の復興を果たした) 、 慶政 (けいせい/鎌倉 時代の僧/藤原道家の兄) 、その他の 入宋僧 (にっそうそう/中国・宋に渡った僧) により、 『宋版一 切経』 (そうはんいっさいきょう) が 導入された。 マーヤー・デーヴィー寺院を中心に、 アショーカ 王が 巡礼時に建立した 石柱、 釈尊の 産湯の池などが残る。 巡礼者で賑わうが、 12 月から1月にかけて多い。 まわりに、 日本 寺、 中国寺、 ネパール寺などがある。 大菩提寺には 大塔、 金剛宝座、 菩提樹、 沐 浴の蓮池がある。 鹿が 多く、 鹿野苑とも言われる。 『般若経』 『法華経』 『無量寿経』 など、多くが、近郊の 霊鷲山 (りょ うじゅせん) や 竹林精舎、そして 祇園精舎 (ぎおんしょうじゃ)を舞台としている。 ネパールとの 国境 (釈迦国/カピラ城はネパールに入るのか)に近く、 舎衛城は コ ーサラ国の 首都。 祇園精舎は、ここの 長者/スダッタと、 この国の ジェータ太子によ って 寄進された 林園。 釈尊が 亡き母/マーヤの為に、 彼女の住 む 刀利天 (欲界における六欲天の第2の天部。 三十三天ともいう) に 昇天し、 説法して 降りてきた所。 8大聖地で 唯一の、 伝説に基づいた 聖地。 ストゥーパ/仏塔がある。 華麗な ダンサー/遊女の アンバーパリーが マンゴ-園を 寄進、後に 尼僧に なった。 死期を悟った 釈尊は、 霊鷲山か ら 生まれ故郷に向う途中、この地で 入滅した。 『大般涅槃経』 (だいはつねはんぎょう) は 、 この地で、 釈尊が 涅槃するまでの模様を描写する。 < 完 >.

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季節別季語一覧(時候、天文、地理、動物、生活、植物、行事など)

さえ ぐさ あきな

(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: 、また、シバクサとされるが未詳。 ( 精選版 精選版 ) (補注)ねつこ草は女性の譬え。 「寝つ子」を懸ける。 HP「生物情報 収集・提供システム いきものログ」で「」をみてみると、次のように書かれている。 「 双子葉類 離弁花類 Pulsatilla cernua 分布 本州・四国・九州 ランク 絶滅危惧II類 VU は日当たりのよい草地に生育するです。 日本では本州、四国、九州のほとんどの府県に自生し、海外では、中国大陸にかけて分布しています。 各地にオバガシラ、オジノヒゲ、カワラノオバサン、ユーレイバナなどのさまざまな地方名があることからも分かるように、かつては身近に見られ、それほど希少な植物ではありませんでした。 花は4月から5月に咲き、花茎の先に一輪ずつつけます。 鐘形の花は、はじめ下向きに咲きますが、やがて上向きになります。 ガク片は6枚で、内側は暗紫色ですが、外側はに覆われています。 葉の表面はほとんど無毛ですが、根出葉や花茎にも長いを密生し、全体的に白い毛で覆われたような印象を受けます。 花の後、球状に集まった多数の種子がつき、長さ3mmほどの種子の先1つひとつから、3~5cmの長い花柱が伸びます。 花柱は灰白色の羽毛を密生します。 和名のはその姿を白髪の翁に見立てたものです。 が減少した大きな要因として、園芸目的の採集があげられます。 美しくかつ珍しい植物の多くが、このような採集の対象になっています。 もう一つの理由として、が生育していた草地が管理放棄により別の植生へと遷移が進んでしまったことや、草地そのものの開発によって自生地が少なくなったことも減少要因として考えられています。 」 植物のの問題も考えておくべきである。 は、いたるところに生息しており、万葉歌碑などの撮影の際には興ざめとなる。 ススキや葦を撮影することが多いが、と陣取り合戦をやっている。 日本の歴史の重みをもあらためて感じて行きたいものである。

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