しらふ で 生きる。 『しらふで生きる 大酒飲みの決断』生きることは寂しい、だからこそ酒を断つ

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しらふ で 生きる

30年間毎日酒を飲み続けた作家は、4年前の年末、「酒をやめよう」と突如、思い立った。 禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。 『小説幻冬』連載を改題、加筆・修正し単行本化。 【「TRC MARC」の商品解説】 痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。 些細なことにもよろこぶ自分が戻ってきた! 4年前の年末。 「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。 「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。 全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。 町田さんがいなければ、今の自分はありません。 少なくとも小説は書いていないのじゃないかしら。 町田さんの影響で小説を書き始め、小説を書くのに膨大な時間を費やしてきました。 この膨大な時間を、金儲けのために使っていたら、今ごろ自分は……。 いえ、町田さんには本当に感謝しています。 町田さんと言えば、大酒飲みで知られています。 エッセーにも、酒にまつわるエピソードが数多く出てきます。 その町田さんが酒を断ち、それも4年前から1滴も飲んでいないと本書で知り、腰を抜かすほど驚きました。 酒を飲まない町田さんは、果たして町田さんと言えるのでしょうか。 そうも考えました。 本書を読んで、本当に止めたんだと何だか感動さえしました。 町田さんほどではないにしても、酒飲みにとって禁酒は大変に辛いことです。 かく言う私は毎晩、缶ビール1缶とワインをグラスに2杯飲むことを習慣にしています。 休肝日は週1回。 ただ、1日お酒を止すだけでも寂しい、何か人生を損したような気分になります。 しかし、本書によれば、そんなことはありません。 酒があろうとなかろうと、人生は寂しいものなのだとか。 心に沁みますね。 本書は、禁酒をしたい人のための一級のハウツー本になっています。 ぼくも、読みながら、禁酒を何度も考えた次第。 さらに、例によって町田節が炸裂し、随所に笑いが散りばめられていて飽きさせません。 個人的には、酒を止した町田さんの作風が変わってしまわないか心配です。 で、ちょっと調べてみました。 町田さんが酒を止したのは2015年12月です。 最新刊は、9編の短編を収めた「記憶の盆をどり」。 9編のうち、後半の4編は恐らく酒を止してから書いた作品です。 で、前半の5編と比べてみました。 全く分かりませんでした笑。 表題作「記憶の盆をどり」(2016年11月配信)は、次のような書き出しで始まります。 「去年の暮れに酒をよした。 人にそう言うと必ず、『どうしてよしたのですか』と問われる。 」 最後はこんな文章で締めくくられています。 「ああ。 酒をやめなければ。 酒をやめさえしなければ死後の生を生きていられたのに。 そんな後悔が頭を駆けめぐる。 シャワーの音がやむ。 」 このころはまだ、酒に未練があったのでしょうか。 禁酒して初めの頃は、7秒に一度くらい酒のことを考えていたのだとか。 それが3カ月も経つと、酒のことを考える時間の方が少なくなったそう。 酒を止して、「痩せた」「眠れる」「仕事が捗る」などの利得があったのも自信につながったようです。 そうですか。 うーむ、酒を止めようか、どうしようか。 果たして止められるのか。 うーむ、うーむ、うーむ。 という本。 30代中盤で小池龍之介氏の著作を読んで、仏教、禅の考え方に傾倒したことがあった。 私の理解では、その考え方というのは「人生一切皆苦。 心を休めるためには、禅の力で苦の源泉の雑念を放つことが肝要」というもの。 修行(禅)で無意味な刺激、それに起因する雑念を切り離し、捨てるということ。 この考え方を身に着けるため修行に時間を使い、一切皆苦(=人生)から解脱するというのは、ある意味自殺と同じような気もして、やはりなんとなく気持ちが離れていって、修行に身を投じず、普通の生活をして、50代を迎えている。 この「しらふで生きる」は、ちょっと禅の考え方に似ている気がした。 なんでも程度問題、というのが一つの答えな気もする。 町田さんの本を読むようになって早、十数年が経ってしまった。 僕も歳をとったし、町田さんも歳をとったんだなぁ、とつくづく感じる一冊だった。

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しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふ で 生きる

三十年間、酒を飲み続けてきた作家の町田康さんが突然酒をやめた。 本書には、酒をやめて、良かったこと、考えたことなどがユーモアたっぷりに書かれている。 これまで私は、飲酒をやめようと思ったことすらなかった。 けれども読んでいたら、どうして自分が酒を飲んでいるのかわからなくなってきた。 元アルコール中毒の知人に、どうしてそこまで飲酒していたのか 訊 ( たず )ねたことがある。 すると彼は少し考え、「キャラ作りだった」と言った。 私はその答えに戸惑った。 だが、読み終えたとき、彼の言っていたことがわかった気がした。 それは、「こんな世の中、キャラでも作らなきゃ、やってられないよ」ということだったのかもしれない。 飲むも飲まぬも人それぞれではあるが、本書は断酒のすすめではない。 それよりも短い人生を、いかに楽しくやり過ごすかのヒントが書かれている。 (幻冬舎、1500円).

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しらふで生きる / 町田 康【著】

しらふ で 生きる

内容 大伴旅人の「酒を褒むる歌」を唱えながら30年間大酒を喰らって来た著者が、2015年12月から断酒を始める。 すぐに言葉にできる明確な理由はない。 あの時自分を断酒にいざなった「狂気」は何を考えていたのか? 著者が断酒後に気づいた酒をやめるべき理由と、酒をやめてからの変化が語られる。 問題飲酒のメカニズムと意識改造 本書の話題は多岐に渡っている。 悪く言えば散漫だ。 断酒に至る心境の考察や、自助グループ、抗酒剤、周囲に断酒宣言することに対する著者の考え方も語られる。 中には「酒を禁じるイスラム教やモルモン教に改宗すれば断酒できるか?」 というような一見不真面目なネタもある。 ただ、自分もウェルベックの「服従」の影響で改宗を2,3日考えたことがある。 その中で一冊の本として見た時に最も重要なのは 「飲酒にいたるメカニズムと、それをどう意識改造するか」という部分だと感じた。 詳細な説明は本書でご確認いただきたいが、自分が最も目からウロコが落ちたのは 「幸福追求権」という言葉が独り歩きした結果「自分には『幸せになる権利』がある」という誤った認識が広がった という旨の主張だ。 こういった現象は自分もよく考えていたので、我が意を得たりと感じた。 本の内容からは離れるが、自分が考えていたのは 啓蒙思想が生んだ誤解だ。 啓蒙思想家達は決して「国家の誕生前は万人の万人に対する闘争状態だった」とか「国家は社会契約のもとに成り立っている」と考えていたわけではないだろう。 これらは、市民革命の時代の新しい人間観の中で、王権神授説に代わる国家と権力の正当性を主張するためのメタファーだったはずだ。 だが、言葉が独り歩きするようになると「社会契約なのだから法に従うべきだ」というような誤った認識が出てくる。 幸福追求権という言葉もその手の影響を与えてしまっているのだ。 ロジックで戦う 結局のところ、アルコールを断つために必要なのは、自分の中にアルコールを求めないロジックを確立することなのではないかと感じる。 もちろん、連続飲酒でボロボロになるところまで来たら入院治療が必要だし、その手前でもカウンセリング、自助グループ、抗酒剤、行動療法といった有力なアプローチがある。 だが、ずっと入院していられるわけではないし、援助者がいつも近くにいるわけではない。 最終的に簡単に手に入りすぎるエチルアルコールという物質をを嚥下するかどうかは、自分の手に委ねられる。 自分が酒を求める理由を把握し、それを凌ぐ酒を必要としない理由を手に入れる。 アルコールに限らず、意に反して囚われてしまう行動を律する方法は、最終的にはここに行き着くのではないだろうか。 想像になるが、実は著者自身も断酒を続けるために、本書の内容のような定期的な動機の言語化を行うことが必要だったのではないかと感じた。 おわり 酒を依存に置き換えて 本書は、基本的に習慣的な酒飲みを対象に書かれている。 作家・町田康のファンならともかく、下戸で晩酌や「暇だから飲む」という習慣が無い人には理解し難い話が多いだろう。 ただ、そういう時は「酒」をあなたがハマっていて制御しあぐねている別の習慣に置き換えてみてると面白いと思う。 ショッピングでもゲームでもSNSでもかまわない。 酒飲みの話ではあるが、依存の本質として参考になる部分があるのではないだろうか。 関連記事 底つきまで行かない依存者が酒をやめるためのマインドセットをまとめて記事にしたが、本書の内容も参考にしている。

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