マー 君 神 の 子 不思議 な 子。 月見草、ID野球、ぼやき…代名詞で振り返る「ノムさん」

野村克也氏「マー君、神の子、不思議な子」発言誕生秘話解説|NEWSポストセブン

マー 君 神 の 子 不思議 な 子

出身地:兵庫県伊丹市 生年月日:1988年11月1日 31歳 身長:190. 5cm 体重:97. Instagram(インスタ)から抜粋。 制球力も高く、外角低めを意識した投球で多くの打者から三振を奪ってきました。 また、ピッチャーに重要な要素のひとつでもあるメンタル面が強く、ピンチに陥っても冷静さを崩さず、安定した投球でチームに大きく貢献します。 ファルケンボーグのスプリットを武器に 速球と変化球を巧みに操る田中将大選手ですが、その中でも特に得意としているのがスプリットです。 楽天の守護神ブライアン・ファルケンボーグが野球雑誌に握り方を公開しているのを田中選手は参考にして修得。 今では伝家の宝刀として、田中選手の代名詞ともなっています。 グランドを離れると純朴なキャラクター グランドでは常に真剣な顔つきで笑みを零さず、気迫だけで打者を打ち取ってしまうのではないかという表情を浮かべる田中将大選手。 そんな田中選手もグランドを一度出れば、柔和な顔つきでなんとも可愛らしいキャラクターへと変貌します。 明石家さんまさん、上地雄輔さん、浅田美代子さん、里田舞さんとの記念撮影。 Instagramから抜粋。 史上最強のアイドルオタク 田中将大選手のプライベートでは 「アイドル好き」を公言しています。 田中選手はCD収集だけでなく、 練習用のグローブや2012年以降の入場曲をアイドル仕様にするなど、アイドルにかける情熱は並々ならぬものです。 一部では、田中選手を 史上最強のアイドルオタク(ドルオタ)とも呼んでいます。 また、田中選手はツイッター(Twitter)を通じて様々なアイドルメンバーを応援しており、話題に事欠かない人物でもあります。 田中選手は2012年以降の登場曲のほとんどが 「ももいろクローバーZ(ももクロ)」の楽曲を使用しています。 バラエティ番組で共演するなど、仲が良いようです。 「走れ! 」 ももいろクローバー(2012年)• 「ファースト・ラビット」 AKB48(2012年)• 「overture」 ももいろクローバーZ(2013年)• 「DNA狂詩曲」 ももいろクローバーZ(2013年)• 「My Dear Fellow」 ももいろクローバーZ(2014年)• 「勝手に君に」 ももいろクローバーZ(2015年)• 「GET Z, GO!!!!! 」 ももいろクローバーZ(2016年)• 「何時だって挑戦者」 ももいろクローバーZ(2017年)• 「吼えろ」 ももいろクローバーZ(2018年)• 「背番号」 ももいろクローバーZ 2019年 上の動画は2019年の登場曲として使用された、ももいろクローバーZの 「背番号」です。 ちなみにこの楽曲は 「GReeeeN」が制作を担当しました。 田中選手のために作られた曲といっても過言ではないですね。 田中選手の主な経歴を紹介! ここでは田中将大選手が獲得したタイトルについて触れています。 2011年以降から徐々に頭角を現しており、2013年には7つものタイトルを獲得するなど、名実ともにプロ野球界を代表する投手となりました。 現在はメジャーにて強打者を相手に戦う田中選手。 Instagramから抜粋。 今も語られる甲子園での熾烈の戦い 北海道の駒大苫小牧高校に進学した田中将大選手。 3年生の時にはエース兼主将を務めており、第88回全国高等学校野球選手権大会へとチームを引っ張ります。 そして、早稲田実業高等学校との決勝戦は今でも語られています。 決勝戦では3回途中からリリーフとして投げ、 延長15回まで1失点という粘り。 その試合は引き分けで終わり、なんと 37年ぶりの決勝引き分け再試合を実現させました。 再試合でも1回途中から登板し、前日の疲労から3失点を取られてしまいますが、7回まで投げ抜く気迫を見せつけました。 しかし、早稲田実業が3-4の1点差でリード。 自身が最後の打者となって敗れてしまいます。 マウンド上で雄叫びを上げる高校時代の田中選手。 Instagramから抜粋。 MEMOちなみに春夏12試合の通算成績は8勝無敗でした 最高年俸で楽天に入団 田中将大選手は高校時代の成績や、決勝戦での熾烈な戦いが評価され、その年のドラフト候補に選ばれます。 北海道日本ハムファイターズ、オリックス・バファローズ、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスから1位指名を受け、くじ引きの結果、楽天に入団することが決定しました。 田中選手のその時の 契約金はなんと1億円。 そして年俸は1500万円という驚きの額で契約を交わしました。 マー君 神の子 不思議な子 田中将大選手は高卒ルーキーながらも、当時の野村克也監督から 「マー君は、実践でどんどん経験を積ませていった方が絶対に伸びる」という方針で、開幕から一軍ローテーション入りを果たします。 公式戦初登板では田中選手もプロの打者に苦戦していました。 しかし、すぐにそれを修正すると高卒ルーキーでありながらプロの強打者を抑え込み、エースの片鱗を覗かせました。 また、運が強いのか、田中選手が登板した日にリードを許しても、その後打線が爆発。 田中選手の負けを帳消しにしてしまう事態が相次ぎます。 このことに関して野村監督は報道陣を前に、 「マー君 神の子 不思議な子」 と、得意のボヤキで田中選手の不思議な力を評価していました。 なんとスタンプまであるようです。 Instagramから抜粋。 最年少でWBC日本代表に選出 田中将大選手は着々と実力をつけていき、2008年には北京オリンピック野球日本代表に選出され、翌年の2009年には最年少でワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として活躍しました。 2011年には 田中選手初となる沢村栄治賞(沢村賞)を受賞し、名実ともに楽天のエースとして、そしてプロ野球界を代表する投手の一人となりました。 異次元の投球でギネス記録を達成 そんな田中将大選手がギネス世界記録(ギネス記録)を達成します。 WBC日本代表に再び選ばれた2013年。 田中選手は開幕から連勝記録を重ねると、8月2日の日本ハム戦においてプロ野球タイ記録となる 開幕15連勝を達成します。 開幕からの20連勝で世界記録達成 続く9月6日の日本ハム戦での勝利で開幕20連勝を飾り、稲尾和久の単独シーズン20連勝のプロ野球記録に並びました。 開幕からの20連勝は、1912年のルーブ・マーカードが記録した19連勝を超える 世界記録でもあります。 優勝、胴上げ、そして24連勝 9月26日の西武戦ではリリーフ登板を務め、ランナーを抱えるも最後はストレートで抑え、 楽天史上初の優勝を決めました。 田中選手は胴上げ投手となり、最終成績はなんと 24勝0敗1セーブという、まさに怪物と呼べる記録を叩き出し、NPB歴代新記録の 勝率1. 000、 防御率1. 28を記録して、 沢村賞を受賞しました。 実際にリーグ優勝を果たした際の動画です。 そして日本一へ そしてその連勝記録とともに田中選手は読売ジャイアンツとの日本シリーズに臨みました。 巨人打線に打ち込まれるも、チーム一丸となって喰らいつき、第7戦までもつれ込んだ試合で最後のマウンドに上りました。 そして巨人を制した楽天は、 球団初となる日本一を達成し、田中選手はレギュラーシーズン、クライマックスシリーズに続いて3期連続の胴上げ投手となりました。 The most consecutive baseball games won by a pitcher in a single season is 24. (1シーズン連続勝利記録:24連勝) (「1シーズン記録」のみがカウントされる記録です) おそらく、この記録は今後も破られることはないでしょう。 それだけ驚異的な数字であり、これを達成した田中選手は、改めて素晴らしい投手であることを実感できるでしょう。 名門「ニューヨーク・ヤンキース」で活躍 前述した記録を達成した田中将大選手は、以前よりメジャー挑戦を希望しており、ポスティングシステムを行使して、メジャーの名門 「ニューヨーク・ヤンキース」へと入団します。 この時の田中選手の契約金は、 7年で総額1億5500万ドル。 日本円でおよそ170億円という額での契約を結びました。 メジャー屈指の選手たちと共に戦う田中選手。 Instagramから抜粋。 メジャーの打者相手に圧巻のピッチング メジャーへと移籍した田中将大選手は、開幕ローテーション入りを果たし、デビュー戦でのトロント・ブルージェイズ戦において7回3失点と好投し、メジャー初勝利を飾りました。 オールスターにも選出され、前半戦終了時点で12勝4敗の成績を残しました。 しかし、一時は右肘の靭帯を断裂するなどで故障者リスト入りのアクシデントもありました。 その後も好不調の並はあったものの、 2019年時点で日本人投手初の6年連続2桁勝利を達成し、メジャーの強打者相手にも通用することを示しました。 メジャーの舞台で強打者を相手取る田中選手。 Instagramから抜粋。 田中選手の海外の反応は? メジャーでも屈指の名門であるヤンキースの投手として活躍する田中将大選手。 大型契約で渡米した日本人投手を海外はどのように評価しているのでしょうか。 海外の反応について触れてみます。 海外の反応はやや辛口 田中選手は得意のスプリットなどで強打者を相手に立ち回る一方、大量失点による炎上が問題視されています。 さすが野球の本場であるだけに、ほんの少しの隙が失点に繋がってしまいます。 海外のメディアでは 「恐ろしいほどの確立で被弾」など、田中選手の実力に疑問視する声も上がっています。 また、右肘を故障したことにより、田中選手は 「時限爆弾持ち」であると辛辣な言葉も投げかけられます。 日本以上に実力が全てを物語るメジャーでは、どんなに日本で活躍しても、それは井の中の蛙でしかないのかもしれません。 一部では田中選手の活躍を評価 しかし、中には 「マサヒロ・タナカは過小評価されている。 正当な評価をするべきだ」という声も挙がっています。 一部のメディアやファンの中にも田中選手を擁護する声があり、田中選手の海外の反応は半々といったところでしょう。 様々な声が挙がっていますが、今年で契約が最終年となる田中選手の活躍を見守りましょう。 田中選手のお嫁さんは里田まい 現在、ヤンキースで活躍する田中将大選手を支えるのは、日本の歌手、バラエティタレントでもある里田まい(現:田中舞)さんです。 田中選手が楽天に所属していた2012年1月26日に結婚を発表し、3月20日に正式に婚姻届を提出して、結婚へと至りました。 結婚後の現在は、田中選手をサポートするために主婦業を優先。 芸能活動は休止しており、田中選手がヤンキース移籍にともない、自身もニューヨークへと移住しました。 2020年で結婚8年目を迎える 2020年の3月20日で結婚8年目を迎える田中将大選手と里田まいさん。 現在も仲睦まじく、田中選手は「これからもよろしくお願いしますね」と最愛の妻へ向けてメッセージを送っていました。 画像は田中将大選手のInstagramから抜粋したものです。 2人の笑顔が仲の良さを物語っています。 一方こちらは里田まいさんのInstagramからの抜粋です。 お茶目な田中選手の姿に、こちらも笑顔にさせられてしまいますね。 現在では2人の子供が そんな田中将大選手と里田まいさんの間には、2人の子供が産まれています。 2016年には第一子となる男児が誕生しており、2019年には第二子となる女児が誕生しています。 今年で結婚8周年を迎える2人を応援する声も多く、田中選手も家族のために今後も活躍してくれるでしょう。 ファミリーデイにて、息子と野球を楽しむ田中選手。 Instagramから抜粋。 最後に… 以上、田中将大選手の紹介でした。 今年で契約最終年となる田中選手の活躍がどのようなものになるのか。 そして、去就など気になることが多くなる年でもあります。 田中選手の今後の活躍を期待して、ファンも応援しましょう。 ここまでご覧いただきありがとうございます。

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『マー君、神の子、不思議な子』シーズン24連勝という大記録を達成した日本のエース【田中将大】

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高校生ドラフト1巡目で、2007年に東北楽天に入団した田中将大。 チームを率いて2年目、当時71歳の野村克也氏は、球界の宝として期待された18歳の、スライダーにまず惚れ込んだという。 新人時代に打たれても黒星がつかない強運ぶりを、「マー君、神の子、不思議の子」と表し、その言葉は新聞各紙で大きく報じられた。 あれから11年。 海を越えてなお、進化を続ける教え子は、18年で30歳。 ヤンキースで先発の一角を担い、毎年二けた勝利をあげるなどベテランの風格も漂いつつある。 そんな教え子に、野村氏は「野球選手は足腰から衰える。 すべてにおいて『腰』が要になる」。 本格派から技巧派へと今後、変化が予想される「マー君」に、激励の一通をしたためた。 11年前、君のピッチングを初めて見たとき、私はそのスライダーに惚れ込んだ。 古くは西鉄・稲尾和久に、もう少し時代を下るとヤクルト・伊藤智仁に重なった。 あれこそバッターが嫌がる球だった。 特に開幕18連勝(君自身は22連勝だった)を挙げた日(13年8月23日、ロッテ戦=Kスタ宮城)のスライダーは、稲尾と肩を並べるものだった。 「誘う、稼ぐ、(バッターが) 避ける」スライダーを、君は自在に投げ分けた。 運もあったと思う。 もし巨人など強いチームに入っていたら、デビューは1、2年遅れていただろう。 弱い楽天に指名されてよかったな。 あのときの楽天は、なんせピッチャーがいなかった。 先発ローテーションピッチャーを5人、指折り数えようとしても、まず「岩隈久志……」と、親指だけ折ったところで止まってしまう。 そこで、君を先発ローテ入りさせることにした。 二軍から育て上げるのではなく、一軍で投げながら勉強させるのも一つの育成方法、と自分にも言い聞かせ、先発マウンドに送り出した。 初めは勝てなかったな。 3試合連続KOだ。 「まだ無理なんじゃないですか」 「二軍に落としたほうがいいんじゃないですか」 記者たちにも、散々言われたよ。 しかしあれだけ打たれ、KOされながら、不思議と君には黒星がつかなかった。 終わってみれば、「敗戦投手・田中」が消えているのだ。 やはり、強運の持ち主だったのだろう。 「マー君、神の子、不思議の子」 いやあ、あれは我ながら、大ヒットだったと思う。 私は監督として、よくマスコミを利用させてもらっていた。 野球も、要は人気商売だ。 特に私は、今と違って人気のまったくなかったパ・リーグ育ち。 君たちの世代からしたら信じられないほど、パ・リーグのスタンドは閑散としていた。 マスコミも、パラパラ。 南海など、日本シリーズを戦っても大阪の新聞の一面に来ないことが多かった。 だからいつも、「どうしたらスポーツ紙の一面を取れるか」ばかりを考えていたんだ。 昔取った杵柄か、「マー君〜」は口なじみもよく、まさに見出しにピッタリだ。 おっと、自画自賛はこのくらいにしておこう。 君はKOされながらも、光るものがあった。 打たれたのは皆、真っすぐだっただろう。 あの高速スライダーはバッターも嫌がっていたし、打たれてもいなかった。 そこで、私はこう、キャッチャーに言った。 「ストレートを見せ球にして、スライダーで打ち取れ」 君を生かすには、基本的にその考え方がいいと思った。 ストレートを使うときだけ慎重に、と念押ししておいたんだ。 4試合目、君はソフトバンク相手に完投で、見事プロ初勝利を収めてくれた。 そこからの活躍は、もうこの手紙には書ききれない。 私が『原点能力』と呼ぶ外角低めへのストレートの制球力も、君は稲尾に負けず劣らず持っている。 そこも楽天時代、私が惚れ込んだところだ。 知っての通り、ピッチングの原点は外角低め。 外角低めは、バッターにとって最も打ちにくい球だからだ。 バッターは初球、あるいは自分に有利なカウントのとき、外角低めの難しい球にはわざわざ手を出さない。 だから、この球でカウントが取れるんだ。 2球で0ボール2ストライク、もしくは1ボール1ストライクと自分に有利なカウントにし、そこからストライクゾーンを広げていくのが、君の基本的なピッチングだった。 1球目、2球目にまずストライクを取る。 これは、ピッチャーすべてにとっても基本である。 ピッチャーとバッターの勝負には、「ピッチャー有利」「ピッチャー不利」「五分五分」という3つの状況が存在するが、君は常に「ピッチャー有利」の状況に持っていくことができる。 君は負けん気が強いだけでなく、打たれても自分の課題をしっかり見つけ、反省し、次の登板に備えるクレバーさがあった。 そうやって、楽天の『エース』に成長した。 『エース』は『勝てるピッチャー』ではない。 『負けないピッチャー』だ。 厳しい試合を乗り切っての1対0、チームが苦しいときの1対0。 トータルで20勝すればいいというものではなく、「チームが困っているときの1勝」を挙げられるのが、真のエースだと私は思う。 開幕18連勝したときのマー君は、まさにそうだった。 18連勝目は、チームの連敗を5で止める貴重な勝利。 これぞ、エースの働きだった。

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マー君こと田中将大とは?里田まいとの現在、海外の反応を紹介!

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高校生ドラフト1巡目で、2007年に東北楽天に入団した田中将大。 チームを率いて2年目、当時71歳の野村克也氏は、球界の宝として期待された18歳の、スライダーにまず惚れ込んだという。 新人時代に打たれても黒星がつかない強運ぶりを、「マー君、神の子、不思議の子」と表し、その言葉は新聞各紙で大きく報じられた。 あれから11年。 海を越えてなお、進化を続ける教え子は、18年で30歳。 ヤンキースで先発の一角を担い、毎年二けた勝利をあげるなどベテランの風格も漂いつつある。 そんな教え子に、野村氏は「野球選手は足腰から衰える。 すべてにおいて『腰』が要になる」。 本格派から技巧派へと今後、変化が予想される「マー君」に、激励の一通をしたためた。 11年前、君のピッチングを初めて見たとき、私はそのスライダーに惚れ込んだ。 古くは西鉄・稲尾和久に、もう少し時代を下るとヤクルト・伊藤智仁に重なった。 あれこそバッターが嫌がる球だった。 特に開幕18連勝(君自身は22連勝だった)を挙げた日(13年8月23日、ロッテ戦=Kスタ宮城)のスライダーは、稲尾と肩を並べるものだった。 「誘う、稼ぐ、(バッターが) 避ける」スライダーを、君は自在に投げ分けた。 運もあったと思う。 もし巨人など強いチームに入っていたら、デビューは1、2年遅れていただろう。 弱い楽天に指名されてよかったな。 あのときの楽天は、なんせピッチャーがいなかった。 先発ローテーションピッチャーを5人、指折り数えようとしても、まず「岩隈久志……」と、親指だけ折ったところで止まってしまう。 そこで、君を先発ローテ入りさせることにした。 二軍から育て上げるのではなく、一軍で投げながら勉強させるのも一つの育成方法、と自分にも言い聞かせ、先発マウンドに送り出した。 初めは勝てなかったな。 3試合連続KOだ。 「まだ無理なんじゃないですか」 「二軍に落としたほうがいいんじゃないですか」 記者たちにも、散々言われたよ。 しかしあれだけ打たれ、KOされながら、不思議と君には黒星がつかなかった。 終わってみれば、「敗戦投手・田中」が消えているのだ。 やはり、強運の持ち主だったのだろう。 「マー君、神の子、不思議の子」 いやあ、あれは我ながら、大ヒットだったと思う。 私は監督として、よくマスコミを利用させてもらっていた。 野球も、要は人気商売だ。 特に私は、今と違って人気のまったくなかったパ・リーグ育ち。 君たちの世代からしたら信じられないほど、パ・リーグのスタンドは閑散としていた。 マスコミも、パラパラ。 南海など、日本シリーズを戦っても大阪の新聞の一面に来ないことが多かった。 だからいつも、「どうしたらスポーツ紙の一面を取れるか」ばかりを考えていたんだ。 昔取った杵柄か、「マー君〜」は口なじみもよく、まさに見出しにピッタリだ。 おっと、自画自賛はこのくらいにしておこう。 君はKOされながらも、光るものがあった。 打たれたのは皆、真っすぐだっただろう。 あの高速スライダーはバッターも嫌がっていたし、打たれてもいなかった。 そこで、私はこう、キャッチャーに言った。 「ストレートを見せ球にして、スライダーで打ち取れ」 君を生かすには、基本的にその考え方がいいと思った。 ストレートを使うときだけ慎重に、と念押ししておいたんだ。 4試合目、君はソフトバンク相手に完投で、見事プロ初勝利を収めてくれた。 そこからの活躍は、もうこの手紙には書ききれない。 私が『原点能力』と呼ぶ外角低めへのストレートの制球力も、君は稲尾に負けず劣らず持っている。 そこも楽天時代、私が惚れ込んだところだ。 知っての通り、ピッチングの原点は外角低め。 外角低めは、バッターにとって最も打ちにくい球だからだ。 バッターは初球、あるいは自分に有利なカウントのとき、外角低めの難しい球にはわざわざ手を出さない。 だから、この球でカウントが取れるんだ。 2球で0ボール2ストライク、もしくは1ボール1ストライクと自分に有利なカウントにし、そこからストライクゾーンを広げていくのが、君の基本的なピッチングだった。 1球目、2球目にまずストライクを取る。 これは、ピッチャーすべてにとっても基本である。 ピッチャーとバッターの勝負には、「ピッチャー有利」「ピッチャー不利」「五分五分」という3つの状況が存在するが、君は常に「ピッチャー有利」の状況に持っていくことができる。 君は負けん気が強いだけでなく、打たれても自分の課題をしっかり見つけ、反省し、次の登板に備えるクレバーさがあった。 そうやって、楽天の『エース』に成長した。 『エース』は『勝てるピッチャー』ではない。 『負けないピッチャー』だ。 厳しい試合を乗り切っての1対0、チームが苦しいときの1対0。 トータルで20勝すればいいというものではなく、「チームが困っているときの1勝」を挙げられるのが、真のエースだと私は思う。 開幕18連勝したときのマー君は、まさにそうだった。 18連勝目は、チームの連敗を5で止める貴重な勝利。 これぞ、エースの働きだった。

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