ハ っ シャクサマ ほん 怖。 【怖い話,人怖】 怪談師ルルナル 『人怖特集』 【怪談,怖い話,都市伝説】

実在苗字辞典は~はと

ハ っ シャクサマ ほん 怖

この書を外国に在る人々に呈す [#改ページ] この話はすべて 遠野 ( とおの )の人佐々木鏡石君より聞きたり。 昨 ( さく )明治四十二年の二月ごろより始めて夜分おりおり 訪 ( たず )ね 来 ( き )たりこの話をせられしを筆記せしなり。 鏡石君は 話上手 ( はなしじょうず )にはあらざれども誠実なる人なり。 自分もまた一字一句をも 加減 ( かげん )せず感じたるままを書きたり。 思うに遠野 郷 ( ごう )にはこの類の物語なお数百件あるならん。 我々はより多くを聞かんことを切望す。 国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。 願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。 この書のごときは 陳勝呉広 ( ちんしょうごこう )のみ。 昨年八月の末自分は遠野郷に遊びたり。 花巻 ( はなまき )より十余里の路上には 町場 ( まちば )三ヶ所あり。 その他はただ青き山と原野なり。 人煙の 稀少 ( きしょう )なること北海道 石狩 ( いしかり )の平野よりも 甚 ( はなは )だし。 或いは新道なるが故に民居の来たり 就 ( つ )ける者少なきか。 遠野の城下はすなわち煙花の街なり。 馬を駅亭の主人に借りて 独 ( ひと )り郊外の村々を 巡 ( めぐ )りたり。 その馬は 黔 ( くろ )き海草をもって作りたる 厚総 ( あつぶさ )を 掛 ( か )けたり。 虻 ( あぶ )多きためなり。 猿 ( さる )ヶ 石 ( いし )の渓谷は土 肥 ( こ )えてよく 拓 ( ひら )けたり。 路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。 高処より展望すれば 早稲 ( わせ )まさに熟し 晩稲 ( ばんとう )は 花盛 ( はなざか )りにて水はことごとく落ちて川にあり。 稲の 色合 ( いろあ )いは種類によりてさまざまなり。 三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきはすなわち一家に属する田にしていわゆる 名処 ( みょうしょ )の同じきなるべし。 小字 ( こあざ )よりさらに小さき区域の地名は持主にあらざればこれを知らず。 古き売買譲与の証文には常に見ゆる所なり。 附馬牛 ( つくもうし )の谷へ越ゆれば 早池峯 ( はやちね )の山は淡く 霞 ( かす )み山の形は 菅笠 ( すげがさ )のごとくまた 片仮名 ( かたかな )のへの字に似たり。 この谷は稲熟することさらに遅く満目一色に青し。 細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて 雛 ( ひな )を 連 ( つ )れて横ぎりたり。 雛の色は黒に白き羽まじりたり。 始めは小さき鶏かと思いしが 溝 ( みぞ )の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。 天神の山には祭ありて 獅子踊 ( ししおどり )あり。 ここにのみは軽く 塵 ( ちり )たち 紅 ( あか )き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。 獅子踊というは 鹿 ( しか )の 舞 ( まい )なり。 鹿の 角 ( つの )をつけたる面を 被 ( かぶ )り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。 笛の調子高く歌は低くして 側 ( かたわら )にあれども聞きがたし。 日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声も 淋 ( さび )しく女は笑い 児 ( こ )は走れどもなお旅愁をいかんともする 能 ( あた )わざりき。 盂蘭盆 ( うらぼん )に新しき仏ある家は紅白の旗を高く 揚 ( あ )げて 魂 ( たましい )を招く 風 ( ふう )あり。 峠 ( とうげ )の馬上において東西を指点するにこの旗十数所あり。 村人の永住の地を去らんとする者とかりそめに入りこみたる旅人とまたかの 悠々 ( ゆうゆう )たる霊山とを 黄昏 ( たぞがれ )は 徐 ( おもむろ )に来たりて包容し尽したり。 遠野郷には八ヶ所の観音堂あり。 一木をもって作りしなり。 この日 報賽 ( ほうさい )の徒多く岡の上に灯火見え 伏鉦 ( ふせがね )の音聞えたり。 道ちがえの 叢 ( くさむら )の中には 雨風祭 ( あめかぜまつり )の 藁人形 ( わらにんぎょう )あり。 あたかもくたびれたる人のごとく 仰臥 ( ぎょうが )してありたり。 以上は自分が遠野郷にてえたる印象なり。 思うにこの類の書物は少なくも現代の流行にあらず。 いかに印刷が容易なればとてこんな本を出版し自己の 狭隘 ( きょうあい )なる趣味をもって他人に 強 ( し )いんとするは 無作法 ( ぶさほう )の 仕業 ( しわざ )なりという人あらん。 されどあえて答う。 かかる話を聞きかかる 処 ( ところ )を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者 果 ( はた )してありや。 そのような沈黙にしてかつ 慎 ( つつし )み深き人は少なくも自分の友人の中にはあることなし。 いわんやわが九百年前の 先輩 ( せんぱい )『今昔物語』のごときはその当時にありてすでに今は昔の話なりしに反しこれはこれ目前の出来事なり。 たとえ 敬虔 ( けいけん )の意と誠実の態度とにおいてはあえて彼を 凌 ( しの )ぐことを 得 ( う )という能わざらんも人の耳を 経 ( ふ )ること多からず人の口と筆とを 倩 ( やと )いたること甚だ 僅 ( わずか )なりし点においては彼の淡泊無邪気なる 大納言殿 ( だいなごんどの )かえって来たり聴くに値せり。 近代の 御伽百物語 ( おとぎひゃくものがたり )の徒に至りてはその 志 ( こころざし )やすでに 陋 ( ろう )かつ決してその談の 妄誕 ( もうたん )にあらざることを誓いえず。 窃 ( ひそか )にもってこれと隣を比するを恥とせり。 要するにこの書は現在の事実なり。 単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。 ただ鏡石子は年わずかに二十四五自分もこれに十歳長ずるのみ。 今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をも 弁 ( わきま )えず、その力を用いるところ 当 ( とう )を失えりという人あらば 如何 ( いかん )。 明神の山の 木兎 ( みみずく )のごとくあまりにその耳を 尖 ( とが )らしあまりにその眼を丸くし過ぎたりと 責 ( せ )むる人あらば如何。 はて是非もなし。 この責任のみは自分が負わねばならぬなり。 一一九 [#改丁] 遠野郷 ( とおのごう )は今の陸中 上閉伊 ( かみへい )郡の西の半分、山々にて取り 囲 ( かこ )まれたる平地なり。 新町村 ( しんちょうそん )にては、遠野、 土淵 ( つちぶち )、 附馬牛 ( つくもうし )、松崎、 青笹 ( あおざさ )、 上郷 ( かみごう )、 小友 ( おとも )、 綾織 ( あやおり )、 鱒沢 ( ますざわ )、 宮守 ( みやもり )、 達曾部 ( たっそべ )の一町十ヶ村に分かつ。 近代或いは西閉伊郡とも称し、中古にはまた 遠野保 ( とおのほ )とも呼べり。 今日郡役所のある遠野町はすなわち一郷の 町場 ( まちば )にして、 南部家 ( なんぶけ )一万石の城下なり。 城を 横田城 ( よこたじょう )ともいう。 この地へ行くには 花巻 ( はなまき )の停車場にて汽車を 下 ( お )り、 北上川 ( きたかみがわ )を渡り、その川の支流 猿 ( さる )ヶ 石川 ( いしがわ )の 渓 ( たに )を 伝 ( つた )いて、東の方へ入ること十三里、遠野の町に至る。 山奥には珍しき繁華の地なり。 伝えいう、遠野郷の地大昔はすべて一円の湖水なりしに、その水猿ヶ石川となりて人界に流れ出でしより、自然にかくのごとき 邑落 ( ゆうらく )をなせしなりと。 されば谷川のこの猿ヶ石に落合うもの 甚 ( はなは )だ多く、俗に 七内八崎 ( ななないやさき )ありと称す。 内 ( ない )は沢または谷のことにて、奥州の地名には多くあり。 遠野の町は南北の川の 落合 ( おちあい )にあり。 以前は 七七十里 ( しちしちじゅうり )とて、七つの渓谷おのおの七十里の奥より 売買 ( ばいばい )の貨物を 聚 ( あつ )め、その 市 ( いち )の日は馬千匹、人千人の 賑 ( にぎ )わしさなりき。 四方の山々の中に最も 秀 ( ひい )でたるを 早池峯 ( はやちね )という、北の方 附馬牛 ( つくもうし )の奥にあり。 東の方には 六角牛 ( ろっこうし )山立てり。 石神 ( いしがみ )という山は附馬牛と 達曾部 ( たっそべ )との間にありて、その高さ前の二つよりも 劣 ( おと )れり。 大昔に女神あり、三人の娘を 伴 ( とも )ないてこの高原に来たり、今の 来内 ( らいない )村の 伊豆権現 ( いずごんげん )の社あるところに 宿 ( やど )りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より 霊華 ( れいか ) 降 ( ふ )りて姉の 姫 ( ひめ )の胸の上に止りしを、末の姫 眼覚 ( めさ )めて 窃 ( ひそか )にこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。 若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもう 故 ( ゆえ )に、遠野の女どもはその 妬 ( ねたみ )を 畏 ( おそ )れて今もこの山には遊ばずといえり。 山々の奥には山人住めり。 栃内 ( とちない )村 和野 ( わの )の佐々木 嘉兵衛 ( かへえ )という人は今も七十余にて生存せり。 この 翁 ( おきな )若かりしころ猟をして山奥に入りしに、 遥 ( はる )かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を 梳 ( くしけず )りていたり。 顔の色きわめて白し。 不敵の男なれば 直 ( ただち )に 銃 ( つつ )を差し向けて打ち放せしに 弾 ( たま )に応じて倒れたり。 そこに 馳 ( か )けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。 のちの 験 ( しるし )にせばやと思いてその髪をいささか切り取り、これを 綰 ( わが )ねて 懐 ( ふところ )に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて 耐 ( た )えがたく睡眠を 催 ( もよお )しければ、しばらく 物蔭 ( ものかげ )に立寄りてまどろみたり。 その間 夢 ( ゆめ )と 現 ( うつつ )との境のようなる時に、これも 丈 ( たけ )の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち 睡 ( ねむり )は覚めたり。 山男なるべしといえり。 山口村の吉兵衛という家の主人、 根子立 ( ねっこだち )という山に入り、 笹 ( ささ )を 苅 ( か )りて 束 ( たば )となし 担 ( かつ )ぎて立上らんとする時、笹原の上を風の吹き渡るに心づきて見れば、奥の方なる林の中より若き女の 穉児 ( おさなご )を 負 ( お )いたるが笹原の上を歩みて此方へ来るなり。 きわめてあでやかなる女にて、これも長き黒髪を垂れたり。 児を 結 ( ゆ )いつけたる 紐 ( ひも )は藤の 蔓 ( つる )にて、 着 ( き )たる衣類は世の常の 縞物 ( しまもの )なれど、 裾 ( すそ )のあたりぼろぼろに破れたるを、いろいろの木の葉などを添えて 綴 ( つづ )りたり。 足は地に 着 ( つ )くとも覚えず。 事もなげに此方に近より、男のすぐ前を通りて 何方 ( いずかた )へか行き過ぎたり。 この人はその折の 怖 ( おそ )ろしさより 煩 ( わずら )い 始 ( はじ )めて、久しく 病 ( や )みてありしが、近きころ 亡 ( う )せたり。 遠野郷より海岸の 田 ( た )ノ 浜 ( はま )、 吉利吉里 ( きりきり )などへ越ゆるには、昔より 笛吹峠 ( ふえふきとうげ )という 山路 ( やまみち )あり。 山口村より 六角牛 ( ろっこうし )の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に 出逢 ( であ )うより、誰もみな 怖 ( おそ )ろしがりて次第に往来も 稀 ( まれ )になりしかば、ついに別の路を 境木峠 ( さかいげとうげ )という方に開き、 和山 ( わやま )を 馬次場 ( うまつぎば )として今は此方ばかりを越ゆるようになれり。 二里以上の 迂路 ( うろ )なり。 遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。 青笹村大字 糠前 ( ぬかのまえ )の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という 猟師 ( りょうし )、 或 ( あ )る日山に入りて一人の女に 遭 ( あ )う。 怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。 驚きてよく見れば 彼 ( か )の長者がまな娘なり。 何故 ( なにゆえ )にこんな 処 ( ところ )にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。 子もあまた 生 ( う )みたれど、すべて 夫 ( おっと )が食い 尽 ( つく )して一人此のごとくあり。 おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。 人にも言うな。 御身も危うければ 疾 ( と )く帰れというままに、その在所をも問い 明 ( あき )らめずして 遁 ( に )げ 還 ( かえ )れりという。 遠野郷にも糠森・糠塚多くあり。 上郷村の民家の娘、 栗 ( くり )を拾いに山に入りたるまま帰り 来 ( き )たらず。 家の者は死したるならんと思い、女のしたる 枕 ( まくら )を 形代 ( かたしろ )として葬式を 執行 ( とりおこな )い、さて二三年を過ぎたり。 しかるにその村の者猟をして 五葉山 ( ごようざん )の腰のあたりに入りしに、大なる岩の 蔽 ( おお )いかかりて岩窟のようになれるところにて、 図 ( はか )らずこの女に逢いたり。 互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはおるかと問えば、女の 曰 ( いわ )く、山に入りて恐ろしき人にさらわれ、こんなところに来たるなり。 遁 ( に )げて帰らんと思えど 些 ( いささか )の 隙 ( すき )もなしとのことなり。 その人はいかなる人かと問うに、自分には 並 ( なみ )の人間と見ゆれど、ただ 丈 ( たけ )きわめて高く眼の色少し 凄 ( すご )しと思わる。 子供も幾人か生みたれど、我に似ざれば我子にはあらずといいて 食 ( くら )うにや殺すにや、みないずれへか持ち去りてしまうなりという。 まことに我々と同じ人間かと押し返して問えば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがえり。 一市間 ( ひといちあい )に一度か二度、同じようなる人四五人集まりきて、何事か話をなし、やがて 何方 ( どちら )へか出て行くなり。 食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。 かく言ううちにも今にそこへ帰って来るかも知れずという故、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといえり。 二十年ばかりも以前のことかと思わる。 月六度の市なれば一市間はすなわち五日のことなり。 黄昏 ( たそがれ )に女や子供の家の外に出ている者はよく 神隠 ( かみかく )しにあうことは 他 ( よそ )の国々と同じ。 松崎村の 寒戸 ( さむと )というところの民家にて、若き娘 梨 ( なし )の 樹 ( き )の下に 草履 ( ぞうり )を 脱 ( ぬ )ぎ置きたるまま 行方 ( ゆくえ )を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或る日親類知音の人々その家に 集 ( あつ )まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。 いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。 さらばまた行かんとて、再び 跡 ( あと )を 留 ( とど )めず行き 失 ( う )せたり。 その日は風の 烈 ( はげ )しく吹く日なりき。 されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの 婆 ( ばば )が帰って来そうな日なりという。 菊池 弥之助 ( やのすけ )という老人は若きころ 駄賃 ( だちん )を業とせり。 笛の名人にて 夜通 ( よどお )しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。 ある 薄月夜 ( うすづきよ )に、あまたの仲間の者とともに浜へ越ゆる境木峠を行くとて、また笛を取り出して吹きすさみつつ、 大谷地 ( おおやち )というところの上を過ぎたり。 大谷地は深き谷にて 白樺 ( しらかんば )の林しげく、その下は 葦 ( あし )など生じ 湿 ( しめ )りたる沢なり。 この時谷の底より何者か高き声にて面白いぞーと 呼 ( よ )ばわる者あり。 一同ことごとく色を失い遁げ走りたりといえり。 また ヤツとも ヤトとも ヤともいう。 この男ある奥山に入り、 茸 ( きのこ )を採るとて小屋を 掛 ( か )け 宿 ( とま )りてありしに、深夜に遠きところにてきゃーという女の叫び声聞え胸を 轟 ( とどろ )かしたることあり。 里へ帰りて見れば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹なる女その 息子 ( むすこ )のために殺されてありき。 この女というは母一人子一人の家なりしに、 嫁 ( よめ )と 姑 ( しゅうと )との仲 悪 ( あ )しくなり、嫁はしばしば親里へ行きて帰り来ざることあり。 その日は嫁は家にありて打ち 臥 ( ふ )しておりしに、昼のころになり突然と 倅 ( せがれ )のいうには、ガガはとても 生 ( い )かしては置かれぬ、 今日 ( きょう )はきっと殺すべしとて、大なる 草苅鎌 ( くさかりがま )を取り出し、ごしごしと 磨 ( と )ぎ始めたり。 そのありさまさらに 戯言 ( たわむれごと )とも見えざれば、母はさまざまに事を 分 ( わ )けて 詫 ( わ )びたれども少しも聴かず。 嫁も起き 出 ( い )でて泣きながら 諫 ( いさ )めたれど、 露 ( つゆ ) 従 ( したが )う色もなく、やがて母が 遁 ( のが )れ出でんとする 様子 ( ようす )あるを見て、前後の戸口をことごとく 鎖 ( とざ )したり。 便用に行きたしといえば、おのれみずから外より便器を持ち来たりてこれへせよという。 夕方にもなりしかば母もついにあきらめて、大なる 囲炉裡 ( いろり )の 側 ( かたわら )にうずくまりただ泣きていたり。 倅 ( せがれ )はよくよく 磨 ( と )ぎたる大鎌を手にして近より来たり、まず左の肩口を目がけて 薙 ( な )ぐようにすれば、鎌の 刃先 ( はさき ) 炉 ( ろ )の 上 ( うえ )の 火棚 ( ひだな )に 引 ( ひ )っかかりてよく 斬 ( き )れず。 その時に母は深山の奥にて弥之助が聞きつけしようなる叫び声を立てたり。 二度目には右の肩より 切 ( き )り 下 ( さ )げたるが、これにてもなお 死絶 ( しにた )えずしてあるところへ、 里人 ( さとびと )ら驚きて 馳 ( は )せつけ倅を 取 ( と )り 抑 ( おさ )え直に警察官を 呼 ( よ )びて 渡 ( わた )したり。 警官がまだ棒を持ちてある時代のことなり。 母親は男が 捕 ( とら )えられ引き立てられて行くを見て、滝のように血の流るる中より、おのれは 恨 ( うらみ )も 抱 ( いだ )かずに死ぬるなれば、孫四郎は 宥 ( ゆる )したまわれという。 これを聞きて心を 動 ( うご )かさぬ者はなかりき。 孫四郎は途中にてもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどせしが、狂人なりとて放免せられて家に帰り、今も生きて里にあり。 土淵村山口に 新田乙蔵 ( にったおとぞう )という老人あり。 村の人は 乙爺 ( おとじい )という。 今は九十に近く 病 ( や )みてまさに 死 ( し )なんとす。 年頃 ( としごろ )遠野郷の昔の話をよく知りて、誰かに話して聞かせ置きたしと 口癖 ( くちぐせ )のようにいえど、あまり 臭 ( くさ )ければ立ち寄りて聞かんとする人なし。 処々 ( ところどころ )の 館 ( たて )の 主 ( ぬし )の伝記、 家々 ( いえいえ )の盛衰、昔よりこの 郷 ( ごう )に 行 ( おこな )われし歌の数々を始めとして、深山の伝説またはその奥に住める人々の物語など、この老人最もよく知れり。 この老人は数十年の間山の中に 独 ( ひと )りにて住みし人なり。 よき 家柄 ( いえがら )なれど、若きころ財産を傾け失いてより、世の中に思いを 絶 ( た )ち、峠の上に 小屋 ( こや )を掛け、 甘酒 ( あまざけ )を 往来 ( おうらい )の人に売りて活計とす。 駄賃 ( だちん )の 徒 ( と )はこの翁を 父親 ( ちちおや )のように思いて、 親 ( した )しみたり。 少しく収入の 余 ( あまり )あれば、町に 下 ( くだ )りきて酒を飲む。 赤毛布 ( あかゲット )にて作りたる 半纏 ( はんてん )を着て、赤き 頭巾 ( ずきん )を 被 ( かぶ )り、酔えば、町の中を 躍 ( おど )りて帰るに巡査もとがめず。 いよいよ老衰して後、 旧里 ( きゅうり )に帰りあわれなる 暮 ( くら )しをなせり。 子供はすべて北海道へ行き、翁ただ一人なり。 部落 ( ぶらく )には必ず一戸の旧家ありて、オクナイサマという神を 祀 ( まつ )る。 その家をば 大同 ( だいどう )という。 この神の 像 ( ぞう )は 桑 ( くわ )の木を 削 ( けず )りて 顔 ( かお )を 描 ( えが )き、四角なる 布 ( ぬの )の 真中 ( まんなか )に穴を 明 ( あ )け、これを 上 ( うえ )より 通 ( とお )して 衣裳 ( いしょう )とす。 正月の十五日には 小字中 ( こあざじゅう )の人々この家に集まり 来 ( き )たりてこれを祭る。 またオシラサマという神あり。 この神の像もまた同じようにして造り 設 ( もう )け、これも正月の十五日に 里人 ( さとびと )集まりてこれを祭る。 その式には 白粉 ( おしろい )を神像の顔に塗ることあり。 大同の家には必ず 畳 ( たたみ ) 一帖 ( いちじょう )の 室 ( しつ )あり。 この 部屋 ( へや )にて 夜 ( よる ) 寝 ( ね )る者はいつも不思議に 遭 ( あ )う。 枕 ( まくら )を 反 ( かえ )すなどは常のことなり。 或いは誰かに 抱 ( だ )き 起 ( お )こされ、または室より 突 ( つ )き 出 ( いだ )さるることもあり。 およそ静かに眠ることを許さぬなり。 これと似たる例なり。 オクナイサマを祭れば 幸 ( さいわい )多し。 土淵村大字 柏崎 ( かしわざき )の長者阿部氏、村にては 田圃 ( たんぼ )の 家 ( うち )という。 この家にて或る年 田植 ( たうえ )の 人手 ( ひとで ) 足 ( た )らず、 明日 ( あす )は 空 ( そら )も 怪 ( あや )しきに、わずかばかりの田を植え残すことかなどつぶやきてありしに、ふと 何方 ( いずち )よりともなく 丈 ( たけ ) 低 ( ひく )き 小僧 ( こぞう )一人来たりて、おのれも手伝い申さんというに 任 ( まか )せて 働 ( はたら )かせて置きしに、 午飯時 ( ひるめしどき )に 飯 ( めし )を食わせんとて 尋 ( たず )ねたれど見えず。 やがて再び帰りきて終日、 代 ( しろ )を 掻 ( か )きよく 働 ( はたら )きてくれしかば、その日に植えはてたり。 どこの人かは知らぬが、晩にはきて物を 食 ( く )いたまえと 誘 ( さそ )いしが、日暮れてまたその 影 ( かげ )見えず。 家に帰りて見れば、 縁側 ( えんがわ )に小さき 泥 ( どろ )の 足跡 ( あしあと )あまたありて、だんだんに座敷に入り、オクナイサマの 神棚 ( かみだな )のところに 止 ( とどま )りてありしかば、さてはと思いてその 扉 ( とびら )を開き見れば、神像の腰より下は田の 泥 ( どろ )にまみれていませし 由 ( よし )。 コンセサマを祭れる家も少なからず。 この神の神体はオコマサマとよく似たり。 オコマサマの社は里に多くあり。 石または木にて男の物を作りて 捧 ( ささ )ぐるなり。 今はおいおいとその事少なくなれり。 旧家 ( きゅうか )にはザシキワラシという神の住みたもう家少なからず。 この神は多くは十二三ばかりの童児なり。 おりおり人に姿を見することあり。 土淵村大字 飯豊 ( いいで )の 今淵 ( いまぶち )勘十郎という人の家にては、近きころ高等女学校にいる娘の休暇にて帰りてありしが、或る日 廊下 ( ろうか )にてはたとザシキワラシに行き 逢 ( あ )い大いに驚きしことあり。 これは 正 ( まさ )しく男の 児 ( こ )なりき。 同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり 縫物 ( ぬいもの )しておりしに、次の間にて紙のがさがさという音あり。 この室は家の主人の 部屋 ( へや )にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思いて板戸を開き見るに何の影もなし。 しばらくの 間 ( あいだ ) 坐 ( すわ )りて居ればやがてまた 頻 ( しきり )に鼻を 鳴 ( な )らす音あり。 さては 座敷 ( ざしき )ワラシなりけりと思えり。 この家にも座敷ワラシ住めりということ、久しき以前よりの 沙汰 ( さた )なりき。 この神の 宿 ( やど )りたもう家は富貴自在なりということなり。 この神のこと『 石神 ( いしがみ )問答』中にも記事あり。 ザシキワラシまた女の児なることあり。 同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門という家には、童女の神二人いませりということを久しく言い伝えたりしが、或る年同じ村の何某という男、町より帰るとて 留場 ( とめば )の橋のほとりにて 見馴 ( みな )れざる二人のよき娘に逢えり。 物思わしき様子にて此方へ 来 ( き )たる。 お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門がところからきたと答う。 これから何処へ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答う。 その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮せる豪農なり。 さては孫左衛門が世も末だなと思いしが、それより久しからずして、この家の主従二十幾人、 茸 ( きのこ )の毒に 中 ( あた )りて一日のうちに死に 絶 ( た )え、七歳の女の子一人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近きころ 病 ( や )みて失せたり。 孫左衛門が家にては、或る日 梨 ( なし )の木のめぐりに 見馴 ( みな )れぬ 茸 ( きのこ )のあまた 生 ( は )えたるを、食わんか食うまじきかと男どもの評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食わぬがよしと制したれども、下男の一人がいうには、いかなる茸にても 水桶 ( みずおけ )の中に入れて 苧殻 ( おがら )をもってよくかき 廻 ( まわ )してのち食えば決して 中 ( あた )ることなしとて、一同この言に従い家内ことごとくこれを食いたり。 七歳の女の 児 ( こ )はその日外に 出 ( い )でて遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れしために助かりたり。 不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、或いは生前に 貸 ( かし )ありといい、或いは約束ありと称して、家の貨財は 味噌 ( みそ )の 類 ( たぐい )までも取り去りしかば、この村 草分 ( くさわけ )の長者なりしかども、一朝にして 跡方 ( あとかた )もなくなりたり。 この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。 男ども 苅置 ( かりお )きたる 秣 ( まぐさ )を出すとて三ツ歯の 鍬 ( くわ )にて 掻 ( か )きまわせしに、大なる 蛇 ( へび )を 見出 ( みいだ )したり。 これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめき出でたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。 さて取り捨つべきところもなければ、屋敷の 外 ( そと )に穴を掘りてこれを 埋 ( う )め、蛇塚を作る。 その蛇は 簣 ( あじか )に 何荷 ( なんが )ともなくありたりといえり。 右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み 耽 ( ふけ )りたり。 少し変人という方なりき。 狐 ( きつね )と親しくなりて家を富ます術を得んと思い立ち、まず庭の中に 稲荷 ( いなり )の 祠 ( ほこら )を 建 ( た )て、自身京に 上 ( のぼ )りて正一位の神階を 請 ( う )けて帰り、それよりは日々一枚の 油揚 ( あぶらげ )を欠かすことなく、手ずから社頭に 供 ( そな )えて拝をなせしに、のちには狐 馴 ( な )れて近づけども 遁 ( に )げず。 手を延ばしてその首を 抑 ( おさ )えなどしたりという。 村にありし薬師の 堂守 ( どうもり )は、わが仏様は何ものをも 供 ( そな )えざれども、孫左衛門の神様よりは 御利益 ( ごりやく )ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。 佐々木氏の 曾祖母 ( そうそぼ )年よりて死去せし時、 棺 ( かん )に取り 納 ( おさ )め親族の者集まりきてその夜は一同座敷にて寝たり。 死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。 喪 ( も )の間は火の 気 ( け )を 絶 ( た )やすことを 忌 ( い )むがところの 風 ( ふう )なれば、祖母と母との二人のみは、大なる 囲炉裡 ( いろり )の 両側 ( りょうがわ )に 坐 ( すわ )り、 母人 ( ははびと )は 旁 ( かたわら )に 炭籠 ( すみかご )を置き、おりおり炭を 継 ( つ )ぎてありしに、ふと裏口の方より足音してくる者あるを見れば、 亡 ( な )くなりし老女なり。 平生 ( へいぜい )腰かがみて 衣物 ( きもの )の 裾 ( すそ )の引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、 縞目 ( しまめ )にも 見覚 ( みおぼ )えあり。 あなやと思う間もなく、二人の女の坐れる炉の脇を通り行くとて、裾にて 炭取 ( すみとり )にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。 母人は 気丈 ( きじょう )の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち 臥 ( ふ )したる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。 その余の人々はこの声に 睡 ( ねむり )を 覚 ( さま )しただ打ち驚くばかりなりしといえり。 同じ人の二七日の 逮夜 ( たいや )に、知音の者集まりて、夜 更 ( ふ )くるまで念仏を 唱 ( とな )え立ち帰らんとする時、 門口 ( かどぐち )の石に腰掛けてあちらを向ける老女あり。 そのうしろ 付 ( つき )正しく 亡 ( な )くなりし人の通りなりき。 これは 数多 ( あまた )の人見たる 故 ( ゆえ )に誰も疑わず。 いかなる 執着 ( しゅうじゃく )のありしにや、ついに知る人はなかりしなり。 村々の旧家を 大同 ( だいどう )というは、大同元年に 甲斐国 ( かいのくに )より移り来たる家なればかくいうとのことなり。 大同は田村将軍征討の時代なり。 甲斐は南部家の本国なり。 二つの伝説を混じたるに 非 ( あら )ざるか。 『 常陸国志 ( ひたちのこくし )』に例あり、 ホラマエという語のちに見ゆ。 大同の祖先たちが、始めてこの地方に到着せしは、あたかも 歳 ( とし )の 暮 ( くれ )にて、春のいそぎの 門松 ( かどまつ )を、まだ 片方 ( かたほう )はえ立てぬうちに 早 ( はや )元日になりたればとて、今もこの家々にては吉例として門松の片方を地に伏せたるままにて、 標縄 ( しめなわ )を引き渡すとのことなり。 柏崎の 田圃 ( たんぼ )のうちと称する阿倍氏はことに聞えたる旧家なり。 この家の先代に彫刻に 巧 ( たくみ )なる人ありて、遠野一郷の神仏の像にはこの人の作りたる者多し。 早池峯 ( はやちね )より出でて東北の方 宮古 ( みやこ )の海に流れ入る川を 閉伊川 ( へいがわ )という。 その流域はすなわち下閉伊郡なり。 遠野の町の中にて今は 池 ( いけ )の 端 ( はた )という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の 原台 ( はらだい )の 淵 ( ふち )というあたりを通りしに、若き女ありて一封の手紙を 托 ( たく )す。 遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を 叩 ( たた )けば 宛名 ( あてな )の人いで 来 ( く )べしとなり。 この人 請 ( う )け合いはしたれども 路々 ( みちみち )心に掛りてとつおいつせしに、一人の 六部 ( ろくぶ )に行き 逢 ( あ )えり。 この手紙を開きよみて 曰 ( いわ )く、これを持ち行かば 汝 ( なんじ )の身に大なる 災 ( わざわい )あるべし。 書き 換 ( か )えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。 これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき 石臼 ( いしうす )をくれたり。 米を一粒入れて 回 ( まわ )せば下より黄金 出 ( い )づ。 この 宝物 ( たからもの )の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき 窪 ( くぼ )みの中に 溜 ( たま )りてありし中へ 滑 ( すべ )り入りて見えずなりたり。 その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家の 旁 ( かたわら )にあり。 家の名を池の端というもその 為 ( ため )なりという。 始めて早池峯に 山路 ( やまみち )をつけたるは、附馬牛村の何某という猟師にて、時は遠野の南部家 入部 ( にゅうぶ )の後のことなり。 その頃までは土地の者一人としてこの山には入りたる者なかりしと。 この猟師半分ばかり道を開きて、山の半腹に 仮小屋 ( かりごや )を作りておりしころ、 或 ( あ )る日 炉 ( ろ )の上に 餅 ( もち )をならべ焼きながら食いおりしに、小屋の外を通る者ありて 頻 ( しきり )に中を 窺 ( うかが )うさまなり。 よく見れば大なる坊主なり。 やがて小屋の中に入り来たり、さも珍しげに餅の焼くるを見てありしが、ついにこらえ 兼 ( か )ねて手をさし延べて取りて食う。 猟師も恐ろしければ自らもまた取りて与えしに、 嬉 ( うれ )しげになお食いたり。 餅 皆 ( みな )になりたれば帰りぬ。 次の日もまた来るならんと思い、餅によく似たる白き石を二つ三つ、餅にまじえて炉の上に載せ置きしに、焼けて火のようになれり。 案のごとくその坊主きょうもきて、餅を取りて食うこと昨日のごとし。 餅 尽 ( つ )きてのちその白石をも同じように口に入れたりしが、大いに驚きて小屋を飛び出し姿見えずなれり。 のちに谷底にてこの坊主の死してあるを見たりといえり。 この話によく似たり。 鶏頭山 ( けいとうざん )は早池峯の前面に立てる 峻峯 ( しゅんぽう )なり。 麓 ( ふもと )の里にてはまた 前薬師 ( まえやくし )ともいう。 天狗 ( てんぐ )住めりとて、早池峯に登る者も決してこの山は 掛 ( か )けず。 山口のハネトという家の主人、佐々木氏の祖父と竹馬の友なり。 きわめて無法者にて、 鉞 ( まさかり )にて草を 苅 ( か )り 鎌 ( かま )にて土を掘るなど、若き時は乱暴の 振舞 ( ふるまい )のみ多かりし人なり。 或る時人と 賭 ( かけ )をして一人にて前薬師に登りたり。 帰りての物語に曰く、頂上に大なる岩あり、その岩の上に大男三人いたり。 前にあまたの金銀をひろげたり。 この男の近よるを見て、 気色 ( けしき )ばみて振り返る、その眼の光きわめて恐ろし。 早池峯に登りたるが 途 ( みち )に迷いて来たるなりと言えば、 然 ( しか )らば送りて 遣 ( や )るべしとて 先 ( さき )に立ち、 麓 ( ふもと )近きところまで来たり、眼を 塞 ( ふさ )げと言うままに、暫時そこに立ちている間に、たちまち異人は見えずなりたりという。 小国 ( おぐに )村の何某という男、或る日早池峯に竹を 伐 ( き )りに行きしに、 地竹 ( じだけ )のおびただしく茂りたる中に、大なる男一人寝ていたるを見たり。 地竹にて編みたる三尺ばかりの 草履 ( ぞうり )を 脱 ( ぬ )ぎてあり。 仰 ( あお )に 臥 ( ふ )して大なる 鼾 ( いびき )をかきてありき。 遠野郷の民家の子女にして、異人にさらわれて行く者年々多くあり。 ことに女に多しとなり。 千晩 ( せんば )ヶ 岳 ( だけ )は山中に 沼 ( ぬま )あり。 この谷は物すごく 腥 ( なまぐさ )き 臭 ( か )のするところにて、この山に入り帰りたる者はまことに 少 ( すく )なし。 昔何の 隼人 ( はやと )という猟師あり。 その子孫今もあり。 白き鹿を見てこれを追いこの谷に千晩こもりたれば山の名とす。 その白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて 片肢 ( かたあし )折れたり。 その山を今 片羽山 ( かたはやま )という。 さてまた前なる山へきてついに死したり。 その地を 死助 ( しすけ )という。 死助権現 ( しすけごんげん )とて 祀 ( まつ )れるはこの白鹿なりという。 白望 ( しろみ )の山に行きて 泊 ( とま )れば、深夜にあたりの 薄明 ( うすあか )るくなることあり。 秋のころ 茸 ( きのこ )を採りに行き山中に宿する者、よくこの事に逢う。 また谷のあなたにて大木を 伐 ( き )り倒す音、歌の声など 聞 ( きこ )ゆることあり。 この山の大さは 測 ( はか )るべからず。 五月に 萱 ( かや )を苅りに行くとき、遠く望めば 桐 ( きり )の花の咲き 満 ( み )ちたる山あり。 あたかも 紫 ( むらさき )の雲のたなびけるがごとし。 されどもついにそのあたりに近づくこと 能 ( あた )わず。 かつて茸を採りに入りし者あり。 白望の山奥にて金の 樋 ( とい )と金の 杓 ( しゃく )とを見たり。 持ち帰らんとするにきわめて重く、 鎌 ( かま )にて 片端 ( かたはし )を 削 ( けず )り取らんとしたれどそれもかなわず。 また 来 ( こ )んと思いて樹の皮を白くし 栞 ( しおり )としたりしが、次の日人々とともに行きてこれを求めたれど、ついにその木のありかをも見出しえずしてやみたり。 白望の山続きに 離森 ( はなれもり )というところあり。 その 小字 ( こあざ )に長者屋敷というは、全く無人の境なり。 ここに行きて炭を焼く者ありき。 或る夜その小屋の 垂菰 ( たれごも )をかかげて、内を 窺 ( うかが )う者を見たり。 髪を長く二つに分けて 垂 ( た )れたる女なり。 このあたりにても深夜に女の叫び声を聞くことは珍しからず。 佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて 宿 ( やど )りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。 中空を走るように思われたり。 待てちゃアと二声ばかり 呼 ( よ )ばわりたるを聞けりとぞ。 猿の 経立 ( ふったち )、 御犬 ( おいぬ )の経立は恐ろしきものなり。 御犬 ( おいぬ )とは 狼 ( おおかみ )のことなり。 山口の村に近き 二 ( ふた )ツ 石山 ( いしやま )は岩山なり。 ある雨の日、小学校より帰る子どもこの山を見るに、 処々 ( ところどころ )の岩の上に御犬うずくまりてあり。 やがて首を 下 ( した )より 押 ( お )しあぐるようにしてかわるがわる 吠 ( ほ )えたり。 正面より見れば 生 ( う )まれ 立 ( た )ての馬の子ほどに見ゆ。 後 ( うしろ )から見れば 存外 ( ぞんがい )小さしといえり。 御犬のうなる声ほど 物凄 ( ものすご )く恐ろしきものはなし。 境木峠 ( さかいげとうげ )と 和山峠 ( わやまとうげ )との間にて、昔は 駄賃馬 ( だちんば )を 追 ( お )う者、しばしば狼に逢いたりき。 馬方 ( うまかた )らは夜行には、たいてい十人ばかりも 群 ( むれ )をなし、その一人が 牽 ( ひ )く馬は 一端綱 ( ひとはづな )とてたいてい五六七 匹 ( ぴき )までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。 ある時二三百ばかりの狼追い来たり、その足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、そのめぐりに火を焼きてこれを防ぎたり。 されどなおその火を躍り越えて入り来るにより、ついには馬の 綱 ( つな )を 解 ( と )きこれを 張 ( は )り 回 ( めぐ )らせしに、 穽 ( おとしあな )などなりとや思いけん、それよりのちは中に飛び入らず。 遠くより 取 ( と )り 囲 ( かこ )みて夜の 明 ( あけ )るまで吠えてありきとぞ。 小友 ( おとも )村の旧家の主人にて今も生存せる 某爺 ( なにがしじい )という人、町より帰りに 頻 ( しきり )に御犬の 吠 ( ほ )ゆるを聞きて、酒に酔いたればおのれもまたその声をまねたりしに、狼も吠えながら 跡 ( あと )より来るようなり。 恐ろしくなりて急ぎ家に帰り入り、門の戸を 堅 ( かた )く 鎖 ( とざ )して 打 ( う )ち 潜 ( ひそ )みたれども、夜通し狼の家をめぐりて吠ゆる声やまず。 夜明 ( よあ )けて見れば、馬屋の 土台 ( どだい )の下を掘り 穿 ( うが )ちて中に入り、馬の七頭ありしをことごとく食い殺していたり。 この家はそのころより産やや傾きたりとのことなり。 佐々木君幼きころ、祖父と二人にて山より帰りしに、村に近き谷川の岸の上に、大なる鹿の倒れてあるを見たり。 横腹は破れ、殺されて 間 ( ま )もなきにや、そこよりはまだ 湯気 ( ゆげ )立てり。 祖父の曰く、これは狼が食いたるなり。 この皮ほしけれども御犬は必ずどこかこの近所に隠れて見ておるに相違なければ、取ることができぬといえり。 草の長さ三寸あれば狼は身を隠すといえり。 草木 ( そうもく )の色の移り行くにつれて、狼の毛の色も 季節 ( きせつ )ごとに変りて行くものなり。 和野の佐々木嘉兵衛、或る年 境木越 ( さかいげごえ )の 大谷地 ( おおやち )へ狩にゆきたり。 死助 ( しすけ )の方より走れる原なり。 秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあらわなり。 向 ( むこ )うの峯より何百とも知れぬ狼此方へ 群 ( む )れて走りくるを見て恐ろしさに堪えず、樹の 梢 ( こずえ )に 上 ( のぼ )りてありしに、その樹の下を 夥 ( おびただ )しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。 そのころより遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。 六角牛 ( ろっこうし )山の 麓 ( ふもと )にオバヤ、板小屋などいうところあり。 広き 萱山 ( かややま )なり。 村々より 苅 ( か )りに行く。 ある年の秋 飯豊村 ( いいでむら )の者ども萱を苅るとて、岩穴の中より狼の子三匹を見出し、その二つを殺し一つを持ち帰りしに、その日より狼の 飯豊衆 ( いいでし )の馬を 襲 ( おそ )うことやまず。 外 ( ほか )の村々の人馬にはいささかも害をなさず。 飯豊衆相談して狼狩をなす。 その中には 相撲 ( すもう )を取り 平生 ( へいぜい ) 力自慢 ( ちからじまん )の者あり。 さて野に 出 ( い )でて見るに、 雄 ( おす )の狼は遠くにおりて 来 ( き )たらず。 雌 ( めす )狼一つ鉄という男に飛びかかりたるを、ワッポロを脱ぎて 腕 ( うで )に巻き、やにわにその狼の口の中に突き込みしに、狼これを 噛 ( か )む。 なお強く突き入れながら人を 喚 ( よ )ぶに、誰も誰も 怖 ( おそ )れて近よらず。 その間に鉄の腕は狼の腹まで 入 ( はい )り、狼は苦しまぎれに鉄の腕骨を 噛 ( か )み 砕 ( くだ )きたり。 狼はその場にて死したれども、鉄も 担 ( かつ )がれて帰り 程 ( ほど )なく死したり。 一昨年の『遠野新聞』にもこの記事を載せたり。 上郷 ( かみごう )村の熊という男、友人とともに雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、 手分 ( てわけ )してその跡を ( もと )め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の 陰 ( かげ )より大なる熊此方を見る。 矢頃 ( やごろ )あまりに近かりしかば、銃をすてて熊に 抱 ( かか )えつき雪の上を 転 ( ころ )びて、谷へ下る。 連 ( つれ )の男これを救わんと思えども力及ばず。 やがて谷川に落ち入りて、人の熊 下 ( した )になり水に沈みたりしかば、その 隙 ( ひま )に獣の熊を打ち取りぬ。 水にも 溺 ( おぼ )れず、 爪 ( つめ )の傷は数ヶ所受けたれども命に 障 ( さわ )ることはなかりき。 六角牛の峯続きにて、 橋野 ( はしの )という村の上なる山に 金坑 ( きんこう )あり。 この鉱山のために炭を焼きて生計とする者、これも笛の 上手 ( じょうず )にて、ある日 昼 ( ひる )の 間 ( あいだ ) 小屋 ( こや )におり、 仰向 ( あおむき )に 寝転 ( ねころ )びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる 垂菰 ( たれごも )をかかぐる者あり。 驚きて見れば猿の 経立 ( ふったち )なり。 恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに 彼方 ( かなた )へ走り行きぬ。 猿の 経立 ( ふったち )はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。 松脂 ( まつやに )を毛に 塗 ( ぬ )り砂をその上につけておる故、 毛皮 ( けがわ )は 鎧 ( よろい )のごとく鉄砲の 弾 ( たま )も 通 ( とお )らず。 栃内村の 林崎 ( はやしざき )に住む何某という男、今は五十に近し。 十年あまり前のことなり。 六角牛山に鹿を撃ちに行き、オキを吹きたりしに、猿の経立あり、これを 真 ( まこと )の鹿なりと思いしか、 地竹 ( じだけ )を手にて 分 ( わ )けながら、大なる口をあけ嶺の方より 下 ( くだ )り来たれり。 胆潰 ( きもつぶ )れて笛を吹きやめたれば、やがて 反 ( そ )れて谷の方へ走り行きたり。 この地方にて子供をおどす 言葉 ( ことば )に、六角牛の猿の経立が来るぞということ常の事なり。 この山には猿多し。 緒 ( おがせ )の 滝 ( たき )を見に行けば、 崖 ( がけ )の樹の 梢 ( こずえ )にあまたおり、人を見れば 遁 ( に )げながら木の 実 ( み )などを 擲 ( なげう )ちて行くなり。 仙人峠 ( せんにんとうげ )にもあまた猿おりて行人に 戯 ( たわむ )れ石を打ちつけなどす。 仙人峠は登り十五里 降 ( くだ )り十五里あり。 その中ほどに仙人の像を祀りたる堂あり。 この堂の 壁 ( かべ )には旅人がこの山中にて遭いたる不思議の出来事を書き 識 ( しる )すこと昔よりの 習 ( ならい )なり。 例えば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この 山路 ( やまみち )にて若き女の髪を 垂 ( た )れたるに逢えり。 こちらを見てにこと笑いたりという 類 ( たぐい )なり。 またこの所にて猿に 悪戯 ( いたずら )をせられたりとか、三人の盗賊に逢えりというようなる事をも 記 ( しる )せり。 死助 ( しすけ )の山にカッコ花あり。 遠野郷にても珍しという花なり。 五月 閑古鳥 ( かんこどり )の 啼 ( な )くころ、女や子どもこれを 採 ( と )りに山へ行く。 酢 ( す )の中に 漬 ( つ )けて置けば 紫色 ( むらさきいろ )になる。 酸漿 ( ほおずき )の 実 ( み )のように吹きて遊ぶなり。 この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。 山にはさまざまの鳥 住 ( す )めど、最も 寂 ( さび )しき声の鳥はオット鳥なり。 夏の 夜中 ( よなか )に 啼 ( な )く。 浜の 大槌 ( おおづち )より 駄賃附 ( だちんづけ )の者など峠を越え来たれば、 遥 ( はるか )に谷底にてその声を聞くといえり。 昔ある長者の娘あり。 またある長者の男の子と 親 ( した )しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。 夕暮になり夜になるまで 探 ( さが )しあるきしが、これを見つくることをえずして、ついにこの鳥になりたりという。 オットーン、オットーンというは 夫 ( おっと )のことなり。 末の方かすれてあわれなる 鳴声 ( なきごえ )なり。 馬追鳥 ( うまおいどり )は 時鳥 ( ほととぎす )に似て 少 ( すこ )し大きく、 羽 ( はね )の色は赤に茶を 帯 ( お )び、肩には馬の 綱 ( つな )のようなる 縞 ( しま )あり。 胸のあたりにクツゴコ(口籠)のようなるかたあり。 これも 或 ( あ )る長者が家の奉公人、山へ馬を 放 ( はな )しに行き、家に帰らんとするに一匹不足せり。 夜通しこれを求めあるきしがついにこの鳥となる。 アーホー、アーホーと啼くはこの地方にて野におる馬を追う声なり。 年により馬追鳥 里 ( さと )にきて啼くことあるは 飢饉 ( ききん )の前兆なり。 深山には常に住みて啼く声を聞くなり。 郭公 ( かっこう )と 時鳥 ( ほととぎす )とは昔ありし 姉妹 ( あねいもと )なり。 郭公は姉なるがある時 芋 ( いも )を掘りて焼き、そのまわりの 堅 ( かた )きところを自ら食い、中の 軟 ( やわら )かなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食う 分 ( ぶん )は一層 旨 ( うま )かるべしと想いて、 庖丁 ( ほうちょう )にてその姉を殺せしに、たちまちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。 ガンコは方言にて堅いところということなり。 妹さてはよきところをのみおのれにくれしなりけりと思い、悔恨に堪えず、やがてまたこれも鳥になりて庖丁かけたと啼きたりという。 遠野にては時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。 盛岡 ( もりおか )辺にては時鳥はどちゃへ飛んでたと啼くという。 閉伊川 ( へいがわ )の 流 ( なが )れには 淵 ( ふち )多く恐ろしき伝説少なからず。 小国川との落合に近きところに、 川井 ( かわい )という村あり。 その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山にて樹を伐るとて、 斧 ( おの )を水中に 取 ( と )り 落 ( おと )したり。 主人の物なれば淵に入りてこれを 探 ( さぐ )りしに、水の底に入るままに物音聞ゆ。 これを求めて行くに岩の陰に家あり。 奥の方に美しき娘 機 ( はた )を織りていたり。 そのハタシに彼の斧は立てかけてありたり。 これを返したまわらんという時、振り返りたる女の顔を見れば、二三年前に身まかりたる我が主人の娘なり。 斧は返すべければ我がこの 所 ( ところ )にあることを人にいうな。 その礼としてはその方 身上 ( しんしょう ) 良 ( よ )くなり、奉公をせずともすむようにして 遣 ( や )らんといいたり。 そのためなるか否かは知らず、その後 胴引 ( どうびき )などいう 博奕 ( ばくち )に不思議に勝ち 続 ( つづ )けて 金溜 ( かねたま )り、ほどなく奉公をやめ家に引き込みて 中 ( ちゅう )ぐらいの農民になりたれど、この男は 疾 ( と )くに物忘れして、この娘のいいしことも心づかずしてありしに、或る日同じ淵の 辺 ( ほとり )を 過 ( す )ぎて町へ行くとて、ふと前の事を思い出し、 伴 ( とも )なえる者に以前かかることありきと語りしかば、やがてその 噂 ( うわさ )は近郷に伝わりぬ。 その頃より男は家産再び 傾 ( かたむ )き、また昔の主人に奉公して年を経たり。 家の主人は何と思いしにや、その淵に 何荷 ( なんが )ともなく熱湯を 注 ( そそ )ぎ入れなどしたりしが、何の効もなかりしとのことなり。 川には 川童 ( かっぱ )多く住めり。 猿ヶ石川ことに多し。 松崎村の 川端 ( かわばた )の 家 ( うち )にて、二代まで続けて川童の子を 孕 ( はら )みたる者あり。 生れし子は 斬 ( き )り 刻 ( きざ )みて 一升樽 ( いっしょうだる )に入れ、土中に 埋 ( うず )めたり。 その 形 ( かたち )きわめて醜怪なるものなりき。 女の 婿 ( むこ )の里は 新張 ( にいばり )村の何某とて、これも川端の家なり。 その主人 人 ( ひと )にその 始終 ( しじゅう )を語れり。 かの家の者一同ある日 畠 ( はたけ )に行きて夕方に帰らんとするに、女川の 汀 ( みぎわ )に 踞 ( うずくま )りてにこにこと笑いてあり。 次の日は 昼 ( ひる )の休みにまたこの事あり。 かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者 夜々 ( よるよる ) 通 ( かよ )うという 噂 ( うわさ )立ちたり。 始めには婿が浜の方へ 駄賃附 ( だちんづけ )に行きたる 留守 ( るす )をのみ 窺 ( うかが )いたりしが、のちには 婿 ( むこ )と 寝 ( ね )たる 夜 ( よる )さえくるようになれり。 川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの 甲斐 ( かい )もなく、婿の母も行きて娘の 側 ( かたわら )に 寝 ( ね )たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。 その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、 馬槽 ( うまふね )に水をたたえその中にて 産 ( う )まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。 その子は手に 水掻 ( みずかき )あり。 この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。 二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。 この家も 如法 ( にょほう )の豪家にて何の某という士族なり。 村会議員をしたることもあり。 上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を 産 ( う )みたることあり。 確 ( たしか )なる証とてはなけれど、 身内 ( みうち ) 真赤 ( まっか )にして口大きく、まことにいやな子なりき。 忌 ( いま )わしければ 棄 ( す )てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。 川の岸の 砂 ( すな )の上には川童の 足跡 ( あしあと )というものを見ること決して珍しからず。 雨の日の翌日などはことにこの事あり。 猿の足と同じく 親指 ( おやゆび )は離れて人間の手の 跡 ( あと )に似たり。 長さは三寸に足らず。 指先のあとは人ののように明らかには見えずという。 小烏瀬川 ( こがらせがわ )の 姥子淵 ( おばこふち )の辺に、 新屋 ( しんや )の 家 ( うち )という 家 ( いえ )あり。 ある日 淵 ( ふち )へ馬を 冷 ( ひや )しに行き、 馬曳 ( うまひき )の子は 外 ( ほか )へ遊びに行きし間に、川童出でてその馬を引き込まんとし、かえりて馬に引きずられて 厩 ( うまや )の前に来たり、 馬槽 ( うまふね )に 覆 ( おお )われてありき。 家のもの馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば川童の手出でたり。 村中のもの集まりて殺さんか 宥 ( ゆる )さんかと評議せしが、結局 今後 ( こんご )は村中の馬に 悪戯 ( いたずら )をせぬという堅き約束をさせてこれを放したり。 その川童今は村を去りて 相沢 ( あいざわ )の滝の淵に住めりという。 いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。 何の故にか。 外 ( ほか )の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は 面 ( つら )の 色 ( いろ ) 赭 ( あか )きなり。 佐々木氏の 曾祖母 ( そうそぼ )、 穉 ( おさな )かりしころ友だちと庭にて遊びてありしに、三本ばかりある 胡桃 ( くるみ )の木の間より、 真赤 ( まっか )なる顔したる男の子の顔見えたり。 これは川童なりしとなり。 今もその胡桃大木にてあり。 この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。 和野 ( わの )村の 嘉兵衛爺 ( かへえじい )、 雉子小屋 ( きじごや )に入りて雉子を待ちしに 狐 ( きつね )しばしば出でて雉子を追う。 あまり 憎 ( にく )ければこれを撃たんと思い 狙 ( ねら )いたるに、狐は此方を向きて何ともなげなる顔してあり。 さて 引金 ( ひきがね )を引きたれども火 移 ( うつ )らず。 胸騒 ( むなさわ )ぎして銃を検せしに、 筒口 ( つつぐち )より 手元 ( てもと )のところまでいつのまにかことごとく土をつめてありたり。 同じ人六角牛に入りて白き 鹿 ( しか )に 逢 ( あ )えり。 白鹿 ( はくろく )は 神 ( かみ )なりという 言 ( い )い 伝 ( つた )えあれば、もし 傷 ( きず )つけて殺すこと 能 ( あた )わずば、必ず 祟 ( たたり )あるべしと 思案 ( しあん )せしが、 名誉 ( めいよ )の 猟人 ( かりうど )なれば 世間 ( せけん )の 嘲 ( あざけ )りをいとい、思い切りてこれを 撃 ( う )つに、 手応 ( てごた )えはあれども鹿少しも動かず。 この時もいたく 胸騒 ( むなさわ )ぎして、 平生 ( へいぜい ) 魔除 ( まよ )けとして 危急 ( ききゅう )の時のために用意したる 黄金 ( おうごん )の 丸 ( たま )を取り出し、これに 蓬 ( よもぎ )を巻きつけて打ち放したれど、鹿はなお動かず、あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。 数十年の間山中に 暮 ( くら )せる者が、石と鹿とを 見誤 ( みあやま )るべくもあらず、全く 魔障 ( ましょう )の 仕業 ( しわざ )なりけりと、この時ばかりは猟を 止 ( や )めばやと思いたりきという。 また同じ人、ある 夜 ( よ ) 山中 ( さんちゅう )にて 小屋 ( こや )を作るいとまなくて、とある大木の下に寄り、 魔除 ( まよ )けのサンズ 縄 ( なわ )をおのれと木のめぐりに 三囲 ( みめぐり )引きめぐらし、鉄砲を 竪 ( たて )に 抱 ( かか )えてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心づけば、大なる 僧形 ( そうぎょう )の者赤き 衣 ( ころも )を 羽 ( はね )のように羽ばたきして、その木の梢に 蔽 ( おお )いかかりたり。 すわやと銃を打ち放せばやがてまた羽ばたきして 中空 ( なかぞら )を飛びかえりたり。 この時の恐ろしさも世の常ならず。 前後三たびまでかかる不思議に 遭 ( あ )い、そのたびごとに鉄砲を 止 ( や )めんと心に誓い、 氏神 ( うじがみ )に 願掛 ( がんが )けなどすれど、やがて再び思い返して、年取るまで 猟人 ( かりうど )の業を 棄 ( す )つること 能 ( あた )わずとよく人に語りたり。 小国 ( おぐに )の三浦某というは村一の 金持 ( かねもち )なり。 今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく 魯鈍 ( ろどん )なりき。 この妻ある日 門 ( かど )の 前 ( まえ )を流るる小さき川に沿いて 蕗 ( ふき )を 採 ( と )りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。 さてふと見れば立派なる黒き 門 ( もん )の家あり。 訝 ( いぶか )しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き 鶏 ( にわとり )多く遊べり。 その庭を 裏 ( うら )の方へ 廻 ( まわ )れば、牛小屋ありて牛多くおり、 馬舎 ( うまや )ありて馬多くおれども、一向に人はおらず。 ついに玄関より 上 ( あが )りたるに、その次の間には朱と黒との 膳椀 ( ぜんわん )をあまた取り出したり。 奥の座敷には 火鉢 ( ひばち )ありて 鉄瓶 ( てつびん )の湯のたぎれるを見たり。 されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、 駆 ( か )け 出 ( だ )して家に帰りたり。 この事を人に語れども 実 ( まこと )と思う者もなかりしが、また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れてきたり。 あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば 汚 ( きたな )しと人に 叱 ( しか )られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを 量 ( はか )る 器 ( うつわ )となしたり。 しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで 経 ( た )ちてもケセネ尽きず。 家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし 由 ( よし )をば語りぬ。 この家はこれより幸運に向い、ついに今の三浦家となれり。 遠野にては山中の 不思議 ( ふしぎ )なる家をマヨイガという。 マヨイガに行き当りたる者は、必ずその家の内の 什器 ( じゅうき )家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。 その人に 授 ( さず )けんがためにかかる家をば見するなり。 女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。 キツはその穀物を 容 ( い )るる箱なり。 大小種々の キツあり。 金沢村 ( かねさわむら )は 白望 ( しろみ )の 麓 ( ふもと )、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。 六七年前この村より栃内村の山崎なる 某 ( なにがし )かかが家に娘の婿を取りたり。 この婿実家に行かんとして山路に迷い、またこのマヨイガに行き当りぬ。 家のありさま、牛馬 の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。 同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。 座敷に 鉄瓶 ( てつびん )の湯たぎりて、今まさに茶を 煮 ( に )んとするところのように見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるようにも思われたり。 茫然 ( ぼうぜん )として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してついに 小国 ( おぐに )の村里に出でたり。 小国にてはこの話を聞きて 実 ( まこと )とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨイガなるべし、行きて膳椀の類を持ち 来 ( き )たり長者にならんとて、 婿殿 ( むこどの )を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきというところに来たれども、眼にかかるものもなく 空 ( むな )しく帰り来たりぬ。 その婿もついに金持になりたりということを聞かず。 早池峯 ( はやちね )は 御影石 ( みかげいし )の山なり。 この山の小国に 向 ( む )きたる 側 ( かわ )に 安倍ヶ城 ( あべがじょう )という岩あり。 険 ( けわ )しき 崖 ( がけ )の中ほどにありて、人などはとても行きうべきところにあらず。 ここには今でも 安倍貞任 ( あべのさだとう )の母住めりと言い伝う。 雨 ( あめ )の 降 ( ふ )るべき夕方など、 岩屋 ( いわや )の 扉 ( とびら )を 鎖 ( とざ )す音聞ゆという。 小国、 附馬牛 ( つくもうし )の人々は、安倍ヶ城の 錠 ( じょう )の音がする、 明日 ( あす )は雨ならんなどいう。 同じ山の附馬牛よりの登り口にもまた 安倍屋敷 ( あべやしき )という巌窟あり。 とにかく早池峯は安倍貞任にゆかりある山なり。 小国より登る山口にも 八幡太郎 ( はちまんたろう )の 家来 ( けらい )の 討死 ( うちじに )したるを埋めたりという塚三つばかりあり。 安倍貞任に関する伝説はこのほかにも多し。 土淵村と昔は 橋野 ( はしの )といいし栗橋村との境にて、山口よりは二三里も登りたる山中に、広く 平 ( たいら )なる原あり。 そのあたりの地名に貞任というところあり。 沼ありて貞任が馬を 冷 ( ひや )せしところなりという。 貞任が 陣屋 ( じんや )を 構 ( かま )えし 址 ( あと )とも言い伝う。 景色 ( けしき )よきところにて東海岸よく見ゆ。 土淵村には安倍氏という家ありて貞任が末なりという。 昔は栄えたる家なり。 今も 屋敷 ( やしき )の周囲には堀ありて水を通ず。 刀剣馬具あまたあり。 当主は安倍 与右衛門 ( よえもん )、今も村にては二三等の 物持 ( ものも )ちにて、村会議員なり。 安倍の子孫はこのほかにも多し。 盛岡の 安倍館 ( あべだて )の附近にもあり。 厨川 ( くりやがわ )の 柵 ( しゃく )に近き家なり。 土淵村の安倍家の四五町北、 小烏瀬川 ( こがらせがわ )の 河隈 ( かわくま )に 館 ( たて )の址あり。 八幡沢 ( はちまんざ )の 館 ( たて )という。 八幡太郎が陣屋というものこれなり。 これより遠野の町への 路 ( みち )にはまた八幡山という山ありて、その山の八幡沢の館の方に向かえる峯にもまた一つの 館址 ( たてあと )あり。 貞任が陣屋なりという。 二つの館の間二十余町を隔つ。 矢戦 ( やいくさ )をしたりという言い伝えありて、矢の根を多く掘り出せしことあり。 この間に 似田貝 ( にたかい )という部落あり。 戦の当時このあたりは 蘆 ( あし )しげりて土 固 ( かた )まらず、ユキユキと動揺せり。 或る時八幡太郎ここを通りしに、 敵味方 ( てきみかた )いずれの 兵糧 ( ひょうりょう )にや、 粥 ( かゆ )を多く置きてあるを見て、これは 煮 ( に )た粥かといいしより村の名となる。 似田貝の村の外を流るる小川を 鳴川 ( なるかわ )という。 これを隔てて 足洗川村 ( あしらがむら )あり。 鳴川にて 義家 ( よしいえ )が足を洗いしより村の名となるという。 地形よく合えり。 西の国々にては ニタとも ヌタともいう皆これなり。 下閉伊郡小川村にも二田貝という字あり。 今の土淵村には 大同 ( だいどう )という家二軒あり。 山口の大同は当主を 大洞万之丞 ( おおほらまんのじょう )という。 この人の養母名はおひで、八十を 超 ( こ )えて今も達者なり。 佐々木氏の祖母の姉なり。 魔法に長じたり。 まじないにて蛇を殺し、木に 止 ( とま )れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらいたり。 昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語りしには、昔あるところに貧しき百姓あり。 妻はなくて美しき娘あり。 また一匹の馬を養う。 娘この馬を愛して 夜 ( よる )になれば 厩舎 ( うまや )に行きて 寝 ( い )ね、ついに馬と夫婦になれり。 或る夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を 連 ( つ )れ出して桑の木につり下げて殺したり。 その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に 縋 ( すが )りて泣きいたりしを、父はこれを 悪 ( にく )みて斧をもって 後 ( うしろ )より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に 昇 ( のぼ )り去れり。 オシラサマというはこの時より成りたる神なり。 馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。 その像三つありき。 本 ( もと )にて作りしは山口の大同にあり。 これを姉神とす。 中にて作りしは山崎の 在家権十郎 ( ざいけごんじゅうろう )という人の家にあり。 佐々木氏の伯母が縁づきたる家なるが、今は家絶えて神の 行方 ( ゆくえ )を知らず。 末 ( すえ )にて作りし妹神の像は 今 ( いま )附馬牛村にありといえり。 同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマのある家には必ず伴ないて 在 ( いま )す神なり。 されどオシラサマはなくてオクナイサマのみある家もあり。 また家によりて神の像も同じからず。 山口の大同にあるオクナイサマは木像なり。 山口の 辷石 ( はねいし )たにえという人の家なるは 掛軸 ( かけじく )なり。 田圃 ( たんぼ )のうちにいませるはまた木像なり。 飯豊 ( いいで )の大同にもオシラサマはなけれどオクナイサマのみはいませりという。 この話をしたる老女は熱心なる念仏者なれど、世の常の念仏者とは 様 ( さま )かわり、一種邪宗らしき信仰あり。 信者に道を伝うることはあれども、互いに厳重なる秘密を守り、その 作法 ( さほう )につきては親にも子にもいささかたりとも知らしめず。 また寺とも僧とも少しも関係はなくて、 在家 ( ざいけ )の者のみの 集 ( あつ )まりなり。 その人の数も多からず。 辷石 ( はねいし )たにえという婦人などは同じ仲間なり。 阿弥陀仏 ( あみだぶつ )の 斎日 ( さいにち )には、夜中人の静まるを待ちて会合し、隠れたる室にて 祈祷 ( きとう )す。 魔法まじないを 善 ( よ )くする故に、郷党に対して一種の権威あり。 栃内 ( とちない )村の字 琴畑 ( ことばた )は深山の沢にあり。 家の数は五軒ばかり、 小烏瀬 ( こがらせ )川の支流の 水上 ( みなかみ )なり。 これより栃内の民居まで二里を 隔 ( へだ )つ。 琴畑の入口に塚あり。 塚の上には木の 座像 ( ざぞう )あり。 およそ人の大きさにて、以前は堂の中にありしが、今は 雨 ( あま )ざらしなり。 これをカクラサマという。 村の子供これを 玩物 ( もてあそびもの )にし、引き出して川へ投げ入れまた路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬようになれり。 或 ( ある )いは子供を 叱 ( しか )り戒めてこれを制止する者あれば、かえりて 祟 ( たたり )を受け病むことありといえり。 遠江小笠郡大池村東光寺の薬師仏(『掛川志』)、駿河安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神(『新風土記』)、または信濃筑摩郡射手の 弥陀堂 ( みだどう )の木仏(『信濃奇勝録』)などこれなり。 カクラサマの木像は遠野郷のうちに 数多 ( あまた )あり。 栃内の字 西内 ( にしない )にもあり。 山口分の 大洞 ( おおほら )というところにもありしことを記憶する者あり。 カクラサマは人のこれを信仰する者なし。 粗末なる彫刻にて、 衣裳頭 ( いしょうかしら )の 飾 ( かざり )のありさまも不分明なり。 栃内のカクラサマは右の大小二つなり。 土淵一村にては三つか四つあり。 いずれのカクラサマも木の半身像にてなたの 荒削 ( あらけず )りの 無恰好 ( ぶかっこう )なるものなり。 されど人の顔なりということだけは 分 ( わ )かるなり。 カクラサマとは以前は神々の旅をして休息したもうべき場所の名なりしが、その地に 常 ( つね )います神をかく 唱 ( とな )うることとなれり。 離森 ( はなれもり )の長者屋敷にはこの数年前まで 燐寸 ( マッチ )の 軸木 ( じくぎ )の 工場 ( こうば )ありたり。 その小屋の戸口に 夜 ( よる )になれば女の伺い寄りて人を見てげたげたと笑う者ありて、淋しさに堪えざる故、ついに工場を大字山口に移したり。 その後また同じ山中に 枕木 ( まくらぎ ) 伐出 ( きりだ )しのために小屋をかけたる者ありしが、夕方になると人夫の者いずれへか迷い行き、帰りてのち 茫然 ( ぼうぜん )としてあることしばしばなり。 かかる人夫四五人もありてその後も絶えず 何方 ( いずかた )へか出でて行くことありき。 この者どもが後に言うを聞けば、女がきて 何処 ( どこ )へか連れだすなり。 帰りてのちは二日も三日も物を覚えずといえり。 長者屋敷は昔時長者の住みたりし 址 ( あと )なりとて、そのあたりにも 糠森 ( ぬかもり )という山あり。 長者の家の糠を捨てたるがなれるなりという。 この山中には 五 ( いつ )つ 葉 ( ば )のうつ 木 ( ぎ )ありて、その下に黄金を埋めてありとて、今もそのうつぎの 有処 ( ありか )を求めあるく者 稀々 ( まれまれ )にあり。 この長者は昔の金山師なりしならんか、このあたりには鉄を吹きたる 滓 ( かす )あり。 恩徳 ( おんどく )の 金山 ( きんざん )もこれより山続きにて遠からず。 また黄金埋蔵の伝説も諸国に限りなく多くあり。 山口の 田尻 ( たじり )長三郎というは土淵村一番の 物持 ( ものもち )なり。 当主なる老人の話に、この人四十あまりのころ、おひで老人の 息子 ( むすこ ) 亡 ( な )くなりて葬式の夜、人々念仏を終りおのおの帰り行きし 跡 ( あと )に、自分のみは 話好 ( はなしず )きなれば少しあとになりて立ち出でしに、軒の 雨落 ( あまお )ちの石を枕にして 仰臥 ( ぎょうが )したる男あり。 よく見れば見も知らぬ人にて死してあるようなり。 月のある夜なればその光にて見るに、 膝 ( ひざ )を立て口を開きてあり。 この人大胆者にて足にて 揺 ( うご )かして見たれど少しも身じろぎせず。 道を 妨 ( さまた )げて 外 ( ほか )にせん 方 ( かた )もなければ、ついにこれを 跨 ( また )ぎて家に帰りたり。 次の朝行きて見ればもちろんその 跡方 ( あとかた )もなく、また誰も 外 ( ほか )にこれを見たりという人はなかりしかど、その枕にしてありし石の形と 在 ( あ )りどころとは昨夜の 見覚 ( みおぼ )えの通りなり。 この人の曰く、手をかけて見たらばよかりしに、 半 ( なか )ば恐ろしければただ足にて 触 ( ふ )れたるのみなりし故、さらに何もののわざとも思いつかずと。 同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。 かつて夜遊びに出でて遅くかえり来たりしに、主人の家の門は 大槌 ( おおづち )往還に向いて立てるが、この門の前にて浜の方よりくる人に逢えり。 雪合羽 ( ゆきがっぱ )を着たり。 近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみてこれを見たるに、往還を隔てて向側なる畠地の方へすっと 反 ( そ )れて行きたり。 かしこには 垣根 ( かきね )ありしはずなるにと思いて、よく見れば垣根は 正 ( まさ )しくあり。 急に怖ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、のちになりて聞けば、これと同じ時刻に 新張村 ( にいばりむら )の何某という者、浜よりの帰り 途 ( みち )に馬より落ちて死したりとのことなり。 この長蔵の父をもまた長蔵という。 代々田尻家の奉公人にて、その妻とともに仕えてありき。 若きころ夜遊びに出で、まだ 宵 ( よい )のうちに帰り来たり、 門 ( かど )の 口 ( くち )より入りしに、 洞前 ( ほらまえ )に立てる人影あり。 懐手 ( ふところで )をして 筒袖 ( つつそで )の袖口を垂れ、顔は 茫 ( ぼう )としてよく見えず。 妻は名をおつねといえり。 おつねのところへ来たるヨバヒトではないかと思い、つかつかと近よりしに、奥の方へは 遁 ( に )げずして、かえって右手の玄関の方へ寄る故、人を馬鹿にするなと腹立たしくなりて、なお進みたるに、懐手のまま 後 ( あと )ずさりして玄関の戸の三寸ばかり明きたるところより、すっと内に 入 ( はい )りたり。 されど長蔵はなお不思議とも思わず、その戸の 隙 ( すき )に手を差し入れて中を探らんとせしに、中の 障子 ( しょうじ )は 正 ( まさ )しく 閉 ( とざ )してあり。 ここに始めて恐ろしくなり、少し引き下らんとして上を見れば、今の男玄関の 雲壁 ( くもかべ )にひたとつきて我を見下すごとく、その首は低く 垂 ( た )れてわが頭に触るるばかりにて、その眼の球は尺余も、抜け出でてあるように思われたりという。 この時はただ恐ろしかりしのみにて何事の前兆にてもあらざりき。 この家などそのよき例なり。 栃内の字 野崎 ( のざき )に前川万吉という人あり。 二三年前に三十余にて亡くなりたり。 この人も死ぬる二三年前に夜遊びに出でて帰りしに、 門 ( かど )の 口 ( くち )より 廻 ( まわ )り 縁 ( えん )に沿いてその 角 ( かど )まで来たるとき、六月の月夜のことなり、 何心 ( なにごころ )なく 雲壁 ( くもかべ )を見れば、ひたとこれにつきて寝たる男あり。 色の 蒼 ( あお )ざめたる顔なりき。 大いに驚きて病みたりしがこれも何の前兆にてもあらざりき。 田尻氏の息子丸吉この人と懇親にてこれを聞きたり。 これは田尻丸吉という人が自ら 遭 ( あ )いたることなり。 少年の頃ある夜 常居 ( じょうい )より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、 座敷 ( ざしき )との境に人立てり。 幽 ( かす )かに茫としてはあれど、衣類の 縞 ( しま )も眼鼻もよく見え、髪をば 垂 ( た )れたり。 恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも 触 ( さわ )りたり。 されどわが手は見えずして、その上に影のように 重 ( かさ )なりて人の形あり。 その顔のところへ手を 遣 ( や )ればまた手の上に顔見ゆ。 常居 ( じょうい )に帰りて人々に話し、 行灯 ( あんどん )を持ち行きて見たれば、すでに何ものもあらざりき。 この人は近代的の人にて 怜悧 ( れいり )なる人なり。 また虚言をなす人にもあらず。 山口の大同、 大洞万之丞 ( おおほらまんのじょう )の家の建てざまは少しく 外 ( ほか )の家とはかわれり。 その図次のページに出す。 玄関は 巽 ( たつみ )の方に向かえり。 きわめて古き家なり。 この家には出して見れば 祟 ( たたり )ありとて開かざる古文書の 葛籠 ( つづら )一つあり。 佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。 この人の青年のころといえば、 嘉永 ( かえい )の頃なるべきか。 海岸の地には西洋人あまた来住してありき。 釜石 ( かまいし )にも山田にも西洋館あり。 船越 ( ふなこし )の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。 耶蘇 ( ヤソ )教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて 磔 ( はりつけ )になりたる者あり。 浜に行きたる人の話に、異人はよく抱き合いては 嘗 ( な )め合う者なりなどいうことを、今でも話にする老人あり。 海岸地方には 合 ( あい )の 子 ( こ )なかなか多かりしということなり。 土淵村の 柏崎 ( かしわざき )にては両親とも 正 ( まさ )しく日本人にして 白子 ( しらこ )二人ある家あり。 髪も肌も眼も西洋人の通りなり。 今は二十六七ぐらいなるべし。 家にて農業を 営 ( いとな )む。 語音も土地の人とは同じからず、声細くして 鋭 ( するど )し。 土淵村の中央にて役場小学校などのあるところを字 本宿 ( もとじゅく )という。 此所に 豆腐屋 ( とうふや )を業とする政という者、今三十六七なるべし。 この人の父大病にて死なんとするころ、この村と 小烏瀬 ( こがらせ )川を隔てたる字 下栃内 ( しもとちない )に 普請 ( ふしん )ありて、地固めの 堂突 ( どうづき )をなすところへ、夕方に政の父ひとり来たりて人々に 挨拶 ( あいさつ )し、おれも堂突をなすべしとて暫時仲間に入りて仕事をなし、やや暗くなりて皆とともに帰りたり。 あとにて人々あの人は大病のはずなるにと少し不思議に思いしが、後に聞けばその日亡くなりたりとのことなり。 人々悔みに行き今日のことを語りしが、その時刻はあたかも病人が息を引き取らんとするころなりき。 人の名は忘れたれど、遠野の町の豪家にて、主人 大煩 ( おおわずら )いして命の境に臨みしころ、ある日ふと 菩提寺 ( ぼだいじ )に訪い来たれり。 和尚 ( おしょう ) 鄭重 ( ていちょう )にあしらい茶などすすめたり。 世間話 ( せけんばなし )をしてやがて帰らんとする様子に少々不審あれば、跡より小僧を見せに 遣 ( や )りしに、門を出でて家の方に向い、町の 角 ( かど )を廻りて見えずなれり。 その道にてこの人に逢いたる人まだほかにもあり。 誰にもよく挨拶して 常 ( つね )の 体 ( てい )なりしが、この晩に死去してもちろんその時は外出などすべき 様態 ( ようだい )にてはあらざりしなり。 後に寺にては茶は飲みたりや否やと茶椀を置きしところを改めしに、 畳 ( たたみ )の 敷合 ( しきあ )わせへ皆こぼしてありたり。 これも似たる話なり。 土淵村大字土淵の 常堅寺 ( じょうけんじ )は 曹洞宗 ( そうとうしゅう )にて、遠野郷十二ヶ寺の 触頭 ( ふれがしら )なり。 或る日の夕方に村人何某という者、 本宿 ( もとじゅく )より来る路にて何某という老人にあえり。 この老人はかねて大病をして居る者なれば、いつのまによくなりしやと問うに、二三日気分も 宜 ( よろ )しければ、今日は寺へ話を聞きに行くなりとて、寺の門前にてまた言葉を掛け合いて別れたり。 常堅寺にても和尚はこの老人が訪ね来たりし 故 ( ゆえ )出迎え、茶を進めしばらく話をして帰る。 これも小僧に見させたるに門の 外 ( そと )にて見えずなりしかば、驚きて和尚に語り、よく見ればまた茶は畳の間にこぼしてあり、老人はその日 失 ( う )せたり。 山口より柏崎へ行くには 愛宕山 ( あたごやま )の 裾 ( すそ )を 廻 ( まわ )るなり。 田圃 ( たんぼ )に続ける松林にて、柏崎の人家見ゆる辺より 雑木 ( ぞうき )の林となる。 愛宕山の 頂 ( いただき )には小さき 祠 ( ほこら )ありて、 参詣 ( さんけい )の路は林の中にあり。 登口 ( のぼりくち )に 鳥居 ( とりい )立ち、二三十本の杉の古木あり。 その 旁 ( かたわら )にはまた一つのがらんとしたる堂あり。 堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。 昔より山の神出づと言い伝うるところなり。 和野 ( わの )の何某という若者、柏崎に用事ありて夕方堂のあたりを通りしに、愛宕山の上より 降 ( くだ )り来る 丈 ( たけ )高き人あり。 誰ならんと思い林の樹木越しにその人の顔のところを目がけて歩み寄りしに、道の 角 ( かど )にてはたと行き逢いぬ。 先方は思い掛けざりしにや大いに驚きて此方を見たる顔は非常に赤く、眼は 耀 ( かがや )きてかついかにも驚きたる顔なり。 山の神なりと知りて 後 ( あと )をも見ずに柏崎の村に走りつきたり。 松崎村に 天狗森 ( てんぐもり )という山あり。 その麓なる 桑畠 ( くわばたけ )にて村の若者何某という者、働きていたりしに、 頻 ( しきり )に 睡 ( ねむ )くなりたれば、しばらく畠の 畔 ( くろ )に腰掛けて 居眠 ( いねむ )りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は 真赤 ( まっか )なるが出で来たれり。 若者は気軽にて 平生 ( へいぜ ) 相撲 ( すもう )などの好きなる男なれば、この 見馴 ( みな )れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを 面悪 ( つらにく )く思い、思わず立ち上りてお前はどこから来たかと問うに、何の答えもせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、 力自慢 ( ちからじまん )のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。 夕方に正気づきてみれば無論その大男はおらず。 家に帰りてのち人にこの事を話したり。 その秋のことなり。 早池峯の腰へ村人大勢とともに馬を 曳 ( ひ )きて 萩 ( はぎ )を苅りに行き、さて帰らんとするころになりてこの男のみ姿見えず。 一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。 今より二三十年前のことにて、この時の事をよく知れる老人今も存在せり。 天狗森には天狗多くいるということは昔より人の知るところなり。 遠野の町に山々の事に明るき人あり。 もとは南部 男爵 ( だんしゃく )家の 鷹匠 ( たかじょう )なり。 町の人 綽名 ( あだな )して 鳥御前 ( とりごぜん )という。 早池峯、六角牛の木や石や、すべてその形状と 在処 ( ありどころ )とを知れり。 年取りてのち 茸採 ( きのこと )りにとて一人の 連 ( つれ )とともに出でたり。 この連の男というは水練の名人にて、 藁 ( わら )と 槌 ( つち )とを持ちて水の中に入り、 草鞋 ( わらじ )を作りて出てくるという評判の人なり。 さて遠野の町と猿ヶ石川を隔つる 向山 ( むけえやま )という山より、 綾織 ( あやおり )村の 続石 ( つづきいし )とて珍しき岩のある所の少し上の山に入り、両人別れ別れになり、鳥御前一人はまた少し山を登りしに、あたかも秋の空の日影、西の山の 端 ( は )より四五 間 ( けん )ばかりなる時刻なり。 ふと大なる岩の 陰 ( かげ )に 赭 ( あか )き顔の男と女とが立ちて何か話をして居るに 出逢 ( であ )いたり。 彼らは鳥御前の近づくを見て、手を 拡 ( ひろ )げて押し戻すようなる手つきをなし制止したれども、それにも 構 ( かま )わず行きたるに女は男の胸に 縋 ( すが )るようにしたり。 事のさまより真の人間にてはあるまじと思いながら、鳥御前はひょうきんな人なれば 戯 ( たわむ )れて 遣 ( や )らんとて腰なる 切刃 ( きりは )を抜き、打ちかかるようにしたれば、その色赭き男は足を 挙 ( あ )げて 蹴 ( け )りたるかと思いしが、たちまちに前後を知らず。 連なる男はこれを 探 ( さが )しまわりて谷底に気絶してあるを見つけ、介抱して家に帰りたれば、鳥御前は今日の一部始終を話し、かかる事は今までに更になきことなり。 おのれはこのために死ぬかも知れず、ほかの者には誰にもいうなと語り、三日ほどの間病みて身まかりたり。 家の者あまりにその死にようの不思議なればとて、 山臥 ( やまぶし )のケンコウ院というに相談せしに、その答えには、山の神たちの遊べるところを邪魔したる故、その 祟 ( たたり )をうけて死したるなりといえり。 この人は伊能先生なども 知合 ( しりあい )なりき。 今より十余年前の事なり。 昨年のことなり。 土淵村の里の子十四五人にて早池峯に遊びに行き、はからず夕方近くなりたれば、急ぎて山を下り 麓 ( ふもと )近くなるころ、 丈 ( たけ )の高き男の下より急ぎ足に昇りくるに逢えり。 色は黒く 眼 ( まなこ )はきらきらとして、肩には麻かと思わるる古き 浅葱色 ( あさぎいろ )の 風呂敷 ( ふろしき )にて小さき包を負いたり。 恐ろしかりしかども子供の中の一人、どこへ行くかと此方より声を掛けたるに、 小国 ( おぐに )さ行くと答う。 この路は小国へ越ゆべき方角にはあらざれば、立ちとまり不審するほどに、行き過ぐると思うまもなく、はや見えずなりたり。 山男よと口々に言いてみなみな遁げ帰りたりといえり。 これは和野の人菊池菊蔵という者、妻は笛吹峠のあなたなる橋野より来たる者なり。 この妻親里へ行きたる間に、糸蔵という五六歳の男の 児 ( こ )病気になりたれば、 昼過 ( ひるす )ぎより笛吹峠を越えて妻を連れに親里へ行きたり。 名に負う六角牛の峯続きなれば山路は樹深く、ことに遠野分より栗橋分へ下らんとするあたりは、路はウドになりて両方は 岨 ( そば )なり。 日影はこの岨に隠れてあたりやや薄暗くなりたるころ、後の方より菊蔵と呼ぶ者あるに振り返りて見れば、 崖 ( がけ )の上より下を 覗 ( のぞ )くものあり。 顔は赭く眼の光りかがやけること前の話のごとし。 お前の子はもう死んで居るぞという。 この言葉を聞きて恐ろしさよりも先にはっと思いたりしが、はやその姿は見えず。 急ぎ夜の中に妻を 伴 ( とも )ないて帰りたれば、果して子は死してありき。 四五年前のことなり。 東海道の諸国にて ウタウ坂・謡坂などいうはすべてかくのごとき小さき切通しのことならん。 この菊蔵、柏崎なる姉の家に用ありて行き、 振舞 ( ふるま )われたる残りの 餅 ( もち )を 懐 ( ふところ )に入れて、愛宕山の 麓 ( ふもと )の林を過ぎしに、 象坪 ( ぞうつぼ )の藤七という 大酒呑 ( おおざけのみ )にて彼と 仲善 ( なかよし )の友に行き逢えり。 そこは林の中なれど少しく 芝原 ( しばはら )あるところなり。 藤七はにこにことしてその芝原を 指 ( ゆびさ )し、ここで 相撲 ( すもう )を取らぬかという。 菊蔵これを諾し、二人草原にてしばらく遊びしが、この藤七いかにも弱く軽く自由に 抱 ( かか )えては投げらるる 故 ( ゆえ )、面白きままに三番まで取りたり。 藤七が曰く、今日はとてもかなわず、さあ行くべしとて別れたり。 四五 間 ( けん )も行きてのち心づきたるにかの餅見えず。 相撲場に戻りて探したれどなし。 始めて狐ならんかと思いたれど、外聞を恥じて人にもいわざりしが、四五日ののち酒屋にて藤七に逢いその話をせしに、おれは相撲など取るものか、その日は浜へ行きてありしものをと言いて、いよいよ狐と相撲を取りしこと露顕したり。 されど菊蔵はなお他の人々には包み隠してありしが、昨年の正月の休みに人々酒を飲み狐の話をせしとき、おれもじつはとこの話を白状し、大いに笑われたり。 象坪という地名のこと『 石神問答 ( いしがみもんどう )』の中にてこれを研究したり。 松崎の菊池某という今年四十三四の男、庭作りの 上手 ( じょうず )にて、山に入り草花を掘りてはわが庭に移し植え、形の面白き岩などは重きを 厭 ( いと )わず家に 担 ( にな )い帰るを常とせり。 或る日少し気分重ければ家を出でて山に遊びしに、今までついに見たることなき美しき大岩を見つけたり。 平生 ( へいぜい )の道楽なればこれを持ち帰らんと思い、持ち上げんとせしが非常に重し。 あたかも人の立ちたる形して 丈 ( たけ )もやがて人ほどあり。 されどほしさのあまりこれを負い、我慢して十間ばかり歩みしが、気の遠くなるくらい重ければ怪しみをなし、 路 ( みち )の 旁 ( かたわら )にこれを立て少しくもたれかかるようにしたるに、そのまま石とともにすっと空中に 昇 ( のぼ )り行く 心地 ( ここち )したり。 雲より上になりたるように思いしがじつに明るく清きところにて、あたりにいろいろの花咲き、しかも 何処 ( いずこ )ともなく大勢の人声聞えたり。 されど石はなおますます 昇 ( のぼ )り行き、ついには昇り切りたるか、何事も覚えぬようになりたり。 その後時過ぎて心づきたる時は、やはり以前のごとく不思議の石にもたれたるままにてありき。 この石を家の内へ持ち込みてはいかなることあらんも 測 ( はか )りがたしと、恐ろしくなりて遁げ帰りぬ。 この石は今も同じところにあり。 おりおりはこれを見て再びほしくなることありといえり。 遠野の町に 芳公馬鹿 ( よしこうばか )とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。 この男の癖は路上にて木の切れ 塵 ( ちり )などを拾い、これを 捻 ( ひね )りてつくづくと見つめまたはこれを 嗅 ( か )ぐことなり。 人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何ものにても眼の先きまで取り上げ、にこにことしておりおりこれを嗅ぐなり。 この男往来をあるきながら急に立ち 留 ( どま )り、石などを拾い上げてこれをあたりの人家に打ちつけ、けたたましく火事だ火事だと叫ぶことあり。 かくすればその晩か次の日か物を投げつけられたる家火を発せざることなし。 同じこと幾度となくあれば、のちにはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を 免 ( まぬか )れたる家は一軒もなしといえり。 飯豊 ( いいで )の菊池 松之丞 ( まつのじょう )という人 傷寒 ( しょうかん )を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて 菩提寺 ( ぼだいじ )なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。 足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に 前下 ( まえさが )りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。 何とも言われず 快 ( こころよ )し。 寺の門に近づくに人群集せり。 何故 ( なにゆえ )ならんと 訝 ( いぶか )りつつ門を入れば、 紅 ( くれない )の 芥子 ( けし )の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。 いよいよ心持よし。 この花の間に 亡 ( な )くなりし父立てり。 お前もきたのかという。 これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。 お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。 この時門の辺にて騒しくわが名を 喚 ( よ )ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。 親族の者寄り 集 ( つど )い水など打ちそそぎて 喚 ( よ )び 生 ( い )かしたるなり。 路の傍に山の神、田の神、 塞 ( さえ )の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。 また早池峯山・六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。 土淵村の助役北川清という人の家は字 火石 ( ひいし )にあり。 代々の 山臥 ( やまぶし )にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。 清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ 婿 ( むこ )に行きたるが、先年の 大海嘯 ( おおつなみ )に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに 元 ( もと )の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も 浪 ( なみ )の打つ 渚 ( なぎさ )なり。 霧の 布 ( し )きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は 正 ( まさ )しく亡くなりしわが妻なり。 思わずその跡をつけて、 遥々 ( はるばる )と 船越 ( ふなこし )村の方へ行く崎の 洞 ( ほこら )あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。 男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。 自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。 今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は 可愛 ( かわい )くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。 死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば 足元 ( あしもと )を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち 退 ( の )きて、 小浦 ( おうら )へ行く道の 山陰 ( やまかげ )を 廻 ( めぐ )り見えずなりたり。 追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで 道中 ( みちなか )に立ちて考え、朝になりて帰りたり。 その後久しく 煩 ( わずら )いたりといえり。 船越の漁夫何某。 ある日仲間の者とともに 吉利吉里 ( きりきり )より帰るとて、夜深く四十八坂のあたりを通りしに、小川のあるところにて一人の女に逢う。 見ればわが妻なり。 されどもかかる夜中にひとりこの辺に 来 ( く )べき道理なければ、 必定 ( ひつじょう ) 化物 ( ばけもの )ならんと思い定め、やにわに 魚切庖丁 ( うおきりぼうちょう )を持ちて後の方より差し通したれば、悲しき声を立てて死したり。 しばらくの間は正体を現わさざれば 流石 ( さすが )に心に懸り、 後 ( あと )の事を 連 ( つれ )の者に頼み、おのれは馳せて家に帰りしに、妻は事もなく家に待ちてあり。 今恐ろしき夢を見たり。 あまり帰りの遅ければ夢に途中まで見に出でたるに、山路にて何とも知れぬ者に 脅 ( おびや )かされて、命を取らるると思いて目覚めたりという。 さてはと 合点 ( がてん )して再び以前の場所へ引き返してみれば、山にて殺したりし女は連の者が見ておる中についに一匹の 狐 ( きつね )となりたりといえり。 夢の野山を行くにこの獣の身を 傭 ( やと )うことありと見ゆ。 旅人 豊間根 ( とよまね )村を過ぎ、夜 更 ( ふ )け疲れたれば、 知音 ( ちいん )の者の家に灯火の見ゆるを 幸 ( さいわい )に、入りて休息せんとせしに、よき時に 来合 ( きあわ )せたり、今夕死人あり、 留守 ( るす )の者なくていかにせんかと思いしところなり、しばらくの間頼むといいて主人は人を 喚 ( よ )びに行きたり。 迷惑千万 ( めいわくせんばん )なる話なれど是非もなく、 囲炉裡 ( いろり )の側にて 煙草 ( タバコ )を吸いてありしに、死人は老女にて奥の方に寝させたるが、ふと見れば 床 ( とこ )の上にむくむくと起き直る。 胆潰 ( きもつぶ )れたれど心を 鎮 ( しず )め静かにあたりを 見廻 ( みまわ )すに、流し 元 ( もと )の水口の穴より狐のごとき物あり、 面 ( つら )をさし入れて 頻 ( しきり )に死人の方を見つめていたり。 さてこそと身を 潜 ( ひそ )め 窃 ( ひそ )かに家の外に出で、 背戸 ( せと )の方に廻りて見れば、正しく狐にて首を流し元の穴に入れ 後足 ( あとあし )を 爪立 ( つまた )てていたり。 有合 ( ありあ )わせたる棒をもてこれを打ち殺したり。 正月十五日の晩を 小正月 ( こしょうがつ )という。 宵 ( よい )のほどは子供ら福の神と称して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、 明 ( あけ )の方から福の神が舞い込んだと 唱 ( とな )えて餅を 貰 ( もら )う習慣あり。 宵を過ぐればこの晩に限り人々決して戸の外に出づることなし。 小正月の夜半過ぎは山の神出でて遊ぶと 言 ( い )い伝えてあればなり。 山口の字 丸古立 ( まるこだち )におまさという今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。 いかなるわけにてか唯一人にて福の神に出で、ところどころをあるきて遅くなり、 淋 ( さび )しき路を帰りしに、向うの方より 丈 ( たけ )の高き男来てすれちがいたり。 顔はすてきに赤く眼はかがやけり。 袋を捨てて遁げ帰り大いに煩いたりといえり。 小正月の夜、または小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でて遊ぶともいう。 童子をあまた引き連れてくるといえり。 里の子ども冬は近辺の丘に行き、 橇遊 ( そりっこあそ )びをして面白さのあまり夜になることあり。 十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるるは常のことなり。 されど雪女を見たりという者は少なし。 小正月の晩には行事 甚 ( はなは )だ多し。 月見 ( つきみ )というは六つの 胡桃 ( くるみ )の 実 ( み )を十二に割り 一時 ( いっとき )に 炉 ( ろ )の火にくべて一時にこれを引き上げ、一列にして右より正月二月と数うるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には 直 ( すぐ )に黒くなり、風ある月にはフーフーと音をたてて火が 振 ( ふる )うなり。 何遍繰り返しても同じことなり。 村中いずれの家にても同じ結果を得るは妙なり。 翌日はこの事を語り合い、例えば八月の十五夜風とあらば、その 歳 ( とし )の稲の 苅入 ( かりいれ )を急ぐなり。 陰陽道 ( おんようどう )に出でしものならん。 また 世中見 ( よなかみ )というは、同じく小正月の晩に、いろいろの米にて餅をこしらえて鏡となし、同種の米を 膳 ( ぜん )の上に 平 ( たい )らに敷き、 鏡餅 ( かがみもち )をその上に伏せ、 鍋 ( なべ )を 被 ( かぶ )せ置きて翌朝これを見るなり。 餅につきたる 米粒 ( こめつぶ )の多きものその年は豊作なりとして、早中晩の種類を択び定むるなり。 海岸の山田にては 蜃気楼 ( しんきろう )年々見ゆ。 常に外国の景色なりという。 見馴 ( みな )れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。 年ごとに家の形などいささかも違うことなしといえり。 上郷村に河ぷちのうちという家あり。 早瀬川の岸にあり。 この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。 丈 ( たけ )高く面 朱 ( しゅ )のようなる人なり。 娘はこの日より 占 ( うらない )の術を得たり。 異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。 山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。 附馬牛 ( つくもうし )村にもあり。 本業は 木挽 ( こびき )なり。 柏崎の孫太郎もこれなり。 以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神よりその術を得たりしのちは、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。 その占いの法は世間の者とは全く異なり。 何の書物をも見ず、頼みにきたる人と世間話をなし、その中にふと立ちて 常居 ( じょうい )の 中 ( なか )をあちこちとあるき出すと思うほどに、その人の顔は少しも見ずして心に浮びたることをいうなり。 当らずということなし。 例えばお前のウチの 板敷 ( いたじき )を取り離し、土を掘りて見よ。 古き鏡または刀の折れあるべし。 それを取り出さねば近き中に死人ありとか家が焼くるとかいうなり。 帰りて掘りて見るに必ずあり。 かかる例は指を屈するに 勝 ( た )えず。 盆のころには雨風祭とて 藁 ( わら )にて人よりも大なる 人形 ( にんぎょう )を作り、道の 岐 ( ちまた )に送り行きて立つ。 紙にて顔を 描 ( えが )き 瓜 ( うり )にて陰陽の形を作り添えなどす。 虫祭の藁人形にはかかることはなくその形も小さし。 雨風祭の折は一部落の中にて 頭屋 ( とうや )を 択 ( えら )び定め、 里人 ( さとびと )集まりて酒を飲みてのち、一同 笛太鼓 ( ふえたいこ )にてこれを道の辻まで送り行くなり。 笛の中には 桐 ( きり )の木にて作りたるホラなどあり。 これを高く吹く。 さてその折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という。 ともに玄武神の信仰より来たれるなるべし。 ゴンゲサマというは、 神楽舞 ( かぐらまい )の組ごとに一つずつ備われる 木彫 ( きぼり )の像にして、 獅子頭 ( ししがしら )とよく似て少しく 異 ( こと )なれり。 甚だ 御利生 ( ごりしょう )のあるものなり。 新張 ( にいばり )の八幡社の神楽組のゴンゲサマと、土淵村字 五日市 ( いつかいち )の神楽組のゴンゲサマと、かつて途中にて争いをなせしことあり。 新張のゴンゲサマ負けて 片耳 ( かたみみ )を失いたりとて今もなし。 毎年村々を舞いてあるく故、これを見知らぬ者なし。 ゴンゲサマの 霊験 ( れいげん )はことに 火伏 ( ひぶせ )にあり。 右の八幡の神楽組かつて附馬牛村に行きて 日暮 ( ひぐ )れ宿を取り兼ねしに、ある貧しき者の家にて 快 ( こころよ )くこれを 泊 ( と )めて、五升 桝 ( ます )を伏せてその上にゴンゲサマを 座 ( す )え置き、人々は 臥 ( ふ )したりしに、夜中にがつがつと物を 噛 ( か )む音のするに驚きて起きてみれば、 軒端 ( のきばた )に火の燃えつきてありしを、桝の上なるゴンゲサマ飛び上り飛び上りして火を 喰 ( く )い消してありしなりと。 子どもの頭を病む者など、よくゴンゲサマを頼み、その病を噛みてもらうことあり。 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および 火渡 ( ひわたり )、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。 その近傍にこれと相対して必ず 蓮台野 ( れんだいの )という地あり。 昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの 習 ( ならい )ありき。 老人はいたずらに死んで 了 ( しま )うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を 糊 ( ぬら )したり。 そのために今も山口土淵辺にては 朝 ( あした )に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 すなわち丘の上にて塚を築きたる場所ならん。 境の神を祭るための塚なりと信ず。 蓮台野もこの類なるべきこと『石神問答』中にいえり。 ダンノハナは昔 館 ( たて )のありし時代に囚人を 斬 ( き )りし場所なるべしという。 地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。 仙台にもこの地名あり。 山口のダンノハナは 大洞 ( おおほら )へ越ゆる丘の上にて 館址 ( たてあと )よりの続きなり。 蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。 蓮台野の四方はすべて沢なり。 東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。 此所には 蝦夷屋敷 ( えぞやしき )という四角に 凹 ( へこ )みたるところ多くあり。 その 跡 ( あと )きわめて明白なり。 あまた石器を出す。 石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。 他の一は 小字 ( こあざ )をホウリョウという。 ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然 殊 ( こと )なり。 後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは 模様 ( もよう )なども 巧 ( たくみ )なり。 埴輪 ( はにわ )もここより出づ。 また石斧石刀の類も出づ。 蓮台野には 蝦夷銭 ( えぞせん )とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。 これには単純なる 渦紋 ( うずもん )などの模様あり。 字ホウリョウには丸玉・ 管玉 ( くだたま )も出づ。 ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。 ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き 一町歩 ( いっちょうぶ )ほどの場所なり。 星谷は底の 方 ( かた )今は田となれり。 蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありしなりという。 このあたりに掘れば 祟 ( たたり )ありという場所二ヶ所ほどあり。 これも境の神を祀りしところにて地獄の ショウツカの 奪衣婆 ( だつえば )の話などと関係あること『石神問答』に 詳 ( つまびらか )にせり。 また象坪などの象頭神とも関係あれば象の伝説は 由 ( よし )なきにあらず、塚を森ということも東国の風なり。 山口のダンノハナは今は共同墓地なり。 岡の頂上にうつ木を 栽 ( う )えめぐらしその口は東方に向かいて 門口 ( もんぐち )めきたるところあり。 その中ほどに大なる青石あり。 かつて一たびその下を掘りたる者ありしが、何ものをも発見せず。 のち再びこれを試みし者は大なる 瓶 ( かめ )あるを見たり。 村の老人たち大いに 叱 ( しか )りければ、またもとのままになし置きたり。 館 ( たて )の主の墓なるべしという。 此所に近き館の名はボンシャサの館という。 いくつかの山を掘り割りて水を引き、三重四重に堀を取り 廻 ( めぐ )らせり。 寺屋敷・ 砥石森 ( といしもり )などいう地名あり。 井の跡とて 石垣 ( いしがき )残れり。 山口孫左衛門の祖先ここに住めりという。 『 遠野古事記 ( とおのこじき )』に 詳 ( つまびら )かなり。 御伽話 ( おとぎばなし )のことを 昔々 ( むかしむかし )という。 ヤマハハの話最も多くあり。 ヤマハハは 山姥 ( やまうば )のことなるべし。 その一つ二つを次に記すべし。 昔々あるところにトトとガガとあり。 娘を一人持てり。 娘を置きて町へ行くとて、誰がきても戸を明けるなと戒しめ、 鍵 ( かぎ )を掛けて出でたり。 娘は恐ろしければ一人炉にあたりすくみていたりしに、 真昼間 ( まひるま )に戸を叩きてここを開けと呼ぶ者あり。 開かずば 蹴破 ( けやぶ )るぞと 嚇 ( おど )す 故 ( ゆえ )に、是非なく戸を明けたれば入りきたるはヤマハハなり。 炉の 横座 ( よこざ )に 蹈 ( ふ )みはたかりて火にあたり、飯をたきて食わせよという。 その言葉に従い 膳 ( ぜん )を支度してヤマハハに食わせ、その間に家を遁げ出したるに、ヤマハハは飯を食い終りて娘を追い来たり、おいおいにその 間 ( あいだ )近く今にも 背 ( せな )に手の 触 ( ふ )るるばかりになりし時、山の 蔭 ( かげ )にて 柴 ( しば )を苅る翁に逢う。 おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、 隠 ( かく )してくれよと頼み、苅り置きたる柴の中に隠れたり。 ヤマハハ尋ね来たりて、どこに隠れたかと柴の 束 ( たば )をのけんとして柴を 抱 ( かか )えたるまま山より 滑 ( すべ )り落ちたり。 その 隙 ( ひま )にここを 遁 ( のが )れてまた 萱 ( かや )を苅る翁に逢う。 おれはヤマハハにぼっかけられてあるなり、隠してくれよと頼み、苅り置きたる萱の中に隠れたり。 ヤマハハはまた尋ね来たりて、どこに隠れたかと萱の束をのけんとして、萱を抱えたるまま山より滑り落ちたり。 その隙にまたここを遁れ出でて大きなる沼の岸に出でたり。 これよりは行くべき 方 ( かた )もなければ、沼の岸の大木の梢に 昇 ( のぼ )りいたり。 ヤマハハはどけえ行ったとて 遁 ( の )がすものかとて、沼の水に娘の影の 映 ( うつ )れるを見てすぐに沼の中に飛び入りたり。 この間に再び此所を走り出で、一つの 笹小屋 ( ささごや )のあるを見つけ、中に入りて見れば若き女いたり。 此にも同じことを告げて石の 唐櫃 ( からうど )のありし中へ隠してもらいたるところへ、ヤマハハまた飛び来たり娘のありかを問えども隠して知らずと答えたれば、いんね来ぬはずはない、人くさい香がするものという。 それは今 雀 ( すずめ )を 炙 ( あぶ )って食った 故 ( ゆえ )なるべしと言えば、ヤマハハも 納得 ( なっとく )してそんなら少し 寝 ( ね )ん、石のからうどの中にしようか、木のからうどの中がよいか、石はつめたし木のからうどの中にと言いて、木の唐櫃の中に入りて寝たり。 家の女はこれに 鍵 ( かぎ )を 下 ( おろ )し、娘を石のからうどより連れ出し、おれもヤマハハに連れて来られたる者なればともどもにこれを殺して里へ帰らんとて、 錐 ( きり )を 紅 ( あか )く焼きて木の唐櫃の中に差し通したるに、ヤマハハはかくとも知らず、ただ 二十日鼠 ( はつかねずみ )がきたと言えり。 それより湯を 煮立 ( にた )てて 焼錐 ( やききり )の穴より 注 ( そそ )ぎ込みて、ついにそのヤマハハを殺し二人ともに親々の家に帰りたり。 昔々の話の終りはいずれもコレデドンドハレという語をもって結ぶなり。 昔々これもあるところにトトとガガと、娘の嫁に行く支度を買いに町へ出で行くとて戸を 鎖 ( とざ )し、誰がきても明けるなよ、はアと答えたれば出でたり。 昼のころヤマハハ来たりて娘を取りて食い、娘の皮を 被 ( かぶ )り娘になりておる。 夕方二人の親帰りて、おりこひめこ居たかと門の口より呼べば、あ、いたます、早かったなしと答え、 二親 ( ふたおや )は買い来たりしいろいろの支度の物を見せて娘の 悦 ( よろこ )ぶ顔を見たり。 次の日 夜 ( よ )の明けたる時、家の鶏 羽 ( は )ばたきして、 糠屋 ( ぬかや )の 隅 ( すみ )ッ 子 ( こ )見ろじゃ、けけろと 啼 ( な )く。 はて 常 ( つね )に変りたる鶏の啼きようかなと 二親 ( ふたおや )は思いたり。 それより花嫁を送り出すとてヤマハハのおりこひめこを馬に載せ、今や引き出さんとするときまた鶏啼く。 その声は、おりこひめこを載せなえでヤマハハのせた、けけろと 聞 ( きこ )ゆ。 これを繰り返して歌いしかば、二親も始めて心づき、ヤマハハを馬より引き 下 ( おろ )して殺したり。 それより糠屋の隅を見に行きしに娘の骨あまた 有 ( あ )りたり。

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「銀齢の果て」−用語集

ハ っ シャクサマ ほん 怖

概要 [ ] 当初は、専らの手法を用いた修行が行われていた。 その後、本来「加入礼」を意味する宗教用語であった「イニシエーション」という言葉を、オウム独自の「解脱者のエネルギーを伝授することで弟子を成就、解脱させる」という意味で使う ことで信者を増やしていった。 しかし一方で、は「ヴァジラヤーナの実践」「シークレット・ワーク」などと呼ばれた反社会的活動を「修行の一環、功徳を積む行為」 などと正当化し「を回避するため三万人の成就者を出す」「が起きるまでに修行を完成させなければならない」 などとを煽り、そして「ヴァジラヤーナの妨げとなる弟子の中の『観念』を崩す、すり替える、消し去る」。 つまり修行の妨げになるからという名目で麻原の考えや反社会的活動に反抗する意志や能力を信者から奪うための様々な施策を取るようになった。 前後には違法薬物や機械によるイニシエーションが始まり、やによるを利用してへ教義を刷り込む「バルドーの悟りのイニシエーション」(ナルコ)、また、のやの薬理作用などを利用して「神秘体験」を誘導する「キリストのイニシエーション」「ルドラチャクリンのイニシエーション」が大掛かりに行われた。 そして最終的にはを悪用して記憶を消す「ニューナルコ」まで行われるようになった。 麻原はこのような機械的な修行を「完全しかない」といって奨励した。 薬物や電気ショックという手法まで駆使したため、他のと異なりオウム真理教の教えはのレベルにまで浸透しており 、その事が教団からの脱会をより困難にしている。 修行 [ ] ヨーガの体操。 ヨーガの呼吸法。 ムドラー 気がよく流れるようにする行法。 クンバカ 息を数分間止める修行。 水の中に潜る「 水中クンバカ」やその変形「 水中エアータイトサマディ」などがある。 「水中クンバカ大会」も何度か開催された。 オウム最高記録は14分。 などの取材陣を前にして5分30秒間潜ったに対し麻原は「 何を怖がってんだよ」と発言していたが、当の麻原は「毒ガスが入っていた」と言い訳しクンバカ実演を拒否して逃亡した。 も参照。 ガージャガラニー 塩水を飲んで吐き出し胃を洗う修行。 ダウティ 布を飲み込む修行。 ダルドリー・シッディ いわゆる空中浮揚(座禅ジャンプ)現象のこと。 自分の意思で行っているのではなく、のエネルギーが上昇して起こるとされていた。 だがによると「(力学的な)データをみせてもらったが明らかに脚の力で跳んでいた」とのこと。 反オウムの弁護士は麻原より高く跳んでみせて脱会者をつくっていたためで殺されかけた()。 この他も跳んでいる。 マハームドラー 弟子にわざとやりたくないことをさせて、帰依を試す修行。 グル麻原への盲従を正当化するために用いられた。 によると、は、指示を出した際に「これはマハームドラー(麻原のいう第一段階の解脱)の修行なんだからね」と言い、それを聞いた林は「サリンをまくことはヴァジラヤーナのポアの実践なのだ」と考え「この指示からは逃げられない、やらなくてはならない」と判断したという。 アンダーグラウンド・サマディ 土中のコンテナで何日間も瞑想する修行。 チベット仏教の聖者がとよばれる一種の仮死状態になって何十日も瞑想修行をしたという話に因み、土中のコンテナ内の酸素がなくなる時間を過ぎても瞑想を続け、無事に生還することで成就の証明とした。 やが実行し、林郁夫が医学的な分析をしたことになっている。 カルマ落とし 苦行によってを減らすこと。 竹刀で叩いたり逆さ吊りにされたりといった自力の修行のほか、事故など不幸な出来事に遭うことも「カルマが落ちる」のでそれはそれで良いとされ 、ついには猛毒をかけられることも カルマ落としなのでセーフとされた(を参照)。 温熱療法 熱湯に浸かるもの。 多くの死者を出した。 詳細はを参照。 立位礼拝 「グルとシヴァ大神に帰依し奉ります!」などと述べながらする修行。 決意の修行 決意文を声に出して、繰り返し読み上げる修行。 逆さ吊りの修行 「カルマを落とす」ために、肉体に苦痛を与える修行。 後に単なるとして用いられた。 死亡事故も発生している()。 沈黙の行 エネルギーの保全と口業の防止と内観を目的とした、長時間何もしゃべらない修行。 無言の行ともいう。 がされた際、弁護士のより命じられたとされる(=黙秘せよ)。 経行(きんひん) 1時間から2時間程度の散歩。 歩いている途中に反オウム陣営から脱会させようと拉致されることがあったため、個人特定できないように白頭巾を被って歩くこともあった。 独房修行 独房やコンテナに監禁される修行。 もっぱら懲罰としても行われた。 手錠をされる、真夏にストーブを点けられる、睡眠禁止など過酷なものもあった。 1994年に監禁された女性信者よると、コンテナ内には男女一緒に全員手錠をかけられて監禁されており、24時間睡眠禁止、横になることも禁止。 食事は小さい饅頭、パン、バナナひとつとお菓子ひとつ程度、それすら出ない日もあったという。 また、コンテナ内は雨漏りが酷い一方で一切窓がなく、さらにが水蒸気を放出するため異常な湿度となっていた。 護摩供養 やなどを丸ごと食べる修行。 食べるといっても生で食べるので大変な修行である。 音楽 麻原は音楽好きで、を聴くことも精神を浄化する修行のひとつとされていた。 サブリミナル オウムの修行ビデオには効果を狙って「尊師大好き」の文字などが混入されていた。 イニシエーション [ ] 特に、霊的エネルギーを注入する修行のことを、「 イニシエーション initiation 」という。 によると、修行方法を教えたり「のエネルギーを込めることができる物体」を与えたりすることをイニシエーションと呼んでいた。 眉間を指圧するイニシエーション。 などステージが高い人間が行う。 麻原がであったこととの関連も指摘されている。 血のイニシエーション 1988年3月から行われた、麻原の入りの液体を飲むイニシエーション。 100万円以上ので受けることができた。 愛のイニシエーション のを抽出し技術でに組み込んで培養した液体を飲むイニシエーション。 1989年1月頃から行われるようになった。 別名「 DNAイニシエーション」。 で殺害されたのは、このイニシエーションの欺瞞を追及していた。 飴のイニシエーション 麻原の霊力が込められた飴を口の中に入れるイニシエーション。 左道タントライニシエーション 麻原とするイニシエーション。 当然の事ながら妙齢の女性限定である。 麻原に体をベタベタ触られつつ強姦されたと訴える女性もいる。 イニシエーションかと思ったら、服を脱がされキスをされたり体をベタベタ触られたり、強姦されたりしたという。 証言者曰く、「若い女の子はずいぶんやられています」。 実際、麻原はらを妊娠させている。 も参照のこと。 杖のイニシエーション 在家信者が実費で教団の本を購入して、外部に向けて布教活動するイニシエーション。 「この本を捨てると地獄に落ちます」等という注意書きが書かれることもあり 、この場合さらに徳を高めるとされた。 刻印のイニシエーション の血液を額に皮下注射するイニシエーション。 1993年6月に行われた。 を煽り信者に忠誠を誓わせる儀式として行われた。 PSI(パーフェクト・サーベーション・イニシエーション) 1993年9月頃から行われるようになった。 の内側にを通す粘着性の物質が塗布され、数Vの電流がそこからを刺激し、麻原のを直接伝えるというもの。 LSDと同時に使用されることもあった。 これは教団に20億円もの利益をもたらしたという。 詳細はを参照のこと。 バルドーの悟りのイニシエーション(ナルコ) やを点滴投与してに入るイニシエーション。 「ナルコ」とも呼ばれる。 また、当時オウム内では「内部情報をさぐったり、毒ガスをまいたりして、破壊工作をしている」スパイが存在していると信じられており、同じ手法がスパイと疑われた信者への尋問(スパイ・チェック)にも使われた。 ニューナルコ 電気ショックを与えることで記憶を消失させる。 の分野で広く行われているを悪用したもので、頃に麻原から「記憶を消す方法を考えろ」と言われたが精神科の看護師の発言や『拷問と医者』(ゴードン・トーマス著)を参考に開発した。 麻原は当初「どっかん」と命名したが、林が「ニューナルコ」に改めた。 なお、これは正確にはイニシエーションではなく、対象者には「バルドーの悟りのイニシエーション」を行うと偽り、麻酔をかけてから無断で実施し、麻酔から覚める前に装置を隠してニューナルコをされたことがわからないようにした。 1994年11月から行われはじめた。 ルドラチャクリンのイニシエーションを併用することで教義の刷り込みを行ったり、教団にとって不都合な記憶を抹消させるために使用された。 実際に記憶が無くなる効果があり100人ほどが受けた。 ろうそくのイニシエーション 1本のろうそくを囲んでみんなでを歌っていると、ろうそくに薬物か何かが仕込まれているのか悪臭が漂い、眠くなるイニシエーション。 女神のイニシエーション を投与するイニシエーション。 朝から晩までチオペンタールを打たれ続け、決意文(後述)を睡眠学習する修行もあった。 キリストのイニシエーション をサットヴァレモンに混ぜた液体を飲み、独房やコンテナ、「 ポアの間」と呼ばれる麻原の説法が24時間流れ続ける部屋 などに1週間監禁するイニシエーション。 LSDの幻覚作用で手っ取り早く神秘体験を体験させるために用いられた。 なお、このLSDは麻原が一度口に含んだものである。 LSDの残留成分を抜くためとして行われた温熱療法と合わせ、多くの死者を出した。 ルドラチャクリンのイニシエーション LSDとを混ぜた液体を飲むイニシエーション。 によると、決意文の教義を表層意識、に記憶させた後、このイニシエーションにおける薬物飲用で、音や光や言葉に誘導されやすい状態におき、「肯定・否定・正当、批判・糾弾、優しさ・いたわりを駆使」して、記憶を揺さぶり定着させ、神秘体験を誘導し教義を受容させる。 なお、の際、麻原彰晃はまず決意文とこの「ルドラチャクリンのイニシエーション」関係の資料を破棄するよう指示したと言われている。 なおルドラ・チャクリンとはに登場する王の名前である。 (も参照) 交叉信号によるイニシエーション(仮称) 黒いをかけ、左目で赤い光、右目で緑ないしは青い光を別々に点滅させるのを見る。 さらにその状態のまま液体の入った厚いクッションの上であぐらを組む。 クッションはが施され小刻みに激しい振動を繰り返す。 LSDを投与されを見る。 自分の体をに座り操縦しているような感覚に捉えられ、意識だけが肉体の外に放り出され、自身の肉体を高台から見下ろすような「」や「」のような感覚を体感する。 その瞬間には超能力を得た感覚を味わうがそれもつかの間で、さらにその後、意識が何者かによって引きずられるように人間界ではないような全く別世界へ放り込まれ、激しい恐怖感を味わう。 気絶する信者も多い。 登場する物品 [ ] ミラクルポンド 聖水。 尊師インドを行くでは、釈迦牟尼が体を洗った泉があるからそこの水を飲みなさいと言っていた。 この時点では、自分の残り湯を飲むというのは、汚さの極みで受け入れられないだろうと言っていた。 麻原が入った 風呂の残り湯。 料理等に使用する。 200mlあたり2万円である。 甘露水 麻原がエネルギーを込めた水。 実態はドラム缶に入れてを流した水。 こちらもが浮いているなど不衛生であった。 麻原の毛 麻原の髪の毛は 尊師御宝髪として1本1000円で販売されていた。 お守りにしたり、煎じて飲むこともあった。 は一時期毎日麻原の髭を煎じて飲んでいたという。 麻原の爪 がたくさん貯めていて、爪を煎じて飲んでいた。 によると、飲むとエネルギーが上昇したとのこと。 麻原の血 血のイニシエーションに使用。 麻原の 麻原の が培養していた。 とが製造したもので「 」「 キリストの骨」「 キリスト」「 骨」「 L」などと呼ばれた。 当初は仏舎利だったが、仏教を冒涜しているということでキリストの骨になった。 土谷らが製造したもので「 ブッダ」と呼ばれた。 当初はが購入していたが、使用量が増え業者から買いきれなくなった(大病院の一年分並の量を買っていたため怪しまれた)ので遠藤らが製造した。 でも使用し、過剰投与で被害者は死亡した。 ナーディーポンプ 鼻から水を通して浄化するための、電動ポンプとホースがセットになったものである。 サットヴァレモン オウム製の食品のひとつで、溶かすとドリンクになる。 決意文 「修行するぞ」「ポアするぞ」などと書かれた文章。 中には弟子達をすら肯定する兵士にしようとする内容や、「国家に税金は払わないぞ」(法務省決意) などといったものもある。 決意I~V、省庁特別決意はやが作成したとされる。 バルドーの導き バルドーの悟りのイニシエーション中に見せられる死体映像などが流れるビデオ。 音声も「ね・つ・じ・ご・く」「南の門の、扉が閉まった」「熱い!熱い!熱い!」といった独特の内容である。 ヘラクレス オウムが開発した攻撃に耐えることのできる体をつくるトレーニング器。 決意文では「ヘラクレストレーニングは楽しいな。 なんて楽しいんだ。 」と褒められている。 オウム真理教のバッジ。 最初は限定配布だったがでが坂本家に落としてきたのを誤魔化すため大量生産されることとなった。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• 104. , p. 218-222, 259-263. , p. 187,211. , p. 209. 公式サイト• 『「オウム真理教」追跡2200日』、502ページ。。 , p. オウム出版『ズバリ!浮揚』 1991年• 週刊朝日増刊『「オウム全記録」』 p. , p. 125. 『オウム真理教の精神史』 p. 236• , p. 460-461. , p. , p. AUM13 オウム裁判対策協議会• , p. 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』 p. 432-434• 『救世主の野望』 p. 100• 麻原彰晃『尊師、麻原彰晃が斬る!』 p. 94-111• , p. 『オウム真理教の精神史』 p. 226• 元R師のブログ• , p. , p. 『「オウム真理教」追跡2200日』 p. 133• , p. , p. 186-187. , p. 188. 476『隣のオウム真理教』()• 『「オウム真理教」追跡2200日』p. 114-121。 , p. 283-290. , p. 337. , p. 283-290, 312-313. 降幡賢一『オウム法廷3』 p. 138• 江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記1』、350ページ。。 , p. 335-337. , p. 313. ブログ• カナリヤの会• 「オウム宗教儀式に薬物」 読売新聞 1995年3月28日• 田村智『麻原おっさん地獄』 p. 142• 「『麻原公判』検察冒頭陳述」 読売新聞 1996年4月25日• , p. 119. , p. , p. 138. , p. 324-331. 476『隣のオウム真理教』()• , p. 129. 『増刊 オウム全記録』、2012年7月、p. , p. 『救世主の野望』 p. , p. 、『私にとってオウムとは何だったのか』 2005年 p. 降幡賢一『オウム法廷2下』 p. 282• 降幡賢一『オウム法廷2上』 p. 292• 『「オウム法廷」連続傍聴記』 p. 232• 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち上』 p. 227• , p. 『「オウム法廷」連続傍聴記』 p. 206• , p. 上祐史浩『オウム事件 17年目の告白』 p. 128• 『オウム』 p. , p. 111. 『さよなら、サイレントネイビー』集英社、2006年11月、p. , p. 142. 降幡賢一『オウム裁判と日本人』 p. 206• , p. 117. , p. 113. 参考文献 [ ]• 林郁夫『オウムと私』、2001年10月。 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』、2003年11月。 関連項目 [ ]•

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雨の1日。 階段を降りた時に何か香ると思ったら、少し前に作ったユーカリのリースだった。 湿気を吸って香りが立っている。 生きてるんだなー、とふいに思う。 外壁塗装の営業さんと話し、後回しにしていたお仕事をして、一歩も家から出ず過ごす。 夕方は、久々に4人で「丸亀」にうどんを食べに出た。 麺がおいしい。 帰宅後、強烈な偏頭痛。 珍しい。 そうちゃんを夫にまかせて横になった。 バファリン飲んで、暗い中でウォークマン聴いてるうちに治まってきた。 頭痛にはマッキーが効くね。 キングヌーはザワザワしていけなかった。 ウォーキングには良かったんだけど。 今夜のそうちゃんは、裏声率がめちゃ高い。 なんでや。 これも頭痛に響く。 湿気吸って超音波ボイス発散してるんかなぁ。 雨 「子育てブログ」 カテゴリー一覧 参加人数順•

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