狡兎 死 し て 走狗 烹 ら る。 「狡兎死して走狗烹らる」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

Japanese Meaning of 狡兎死して走狗烹らる, こうとししてそうくにらる, kōtoshishitesōkuniraru

狡兎 死 し て 走狗 烹 ら る

狡兎 こうと 死して良狗 りょうく 煮らる 意味、狡賢い兎が死んでしまえば、猟犬は煮て食べられてしまう。 つまり「用があれば大事にされるが、済めばお払い箱になる」 楚の覇王項羽が死んで、ついに漢が天下を手中にした。 漢王劉邦が帝位につき、漢の高祖となった。 その翌年 B. C 201 のことである。 詔がおもおもしく諸侯につたえられた。 「朕は、これより雲夢湖 湖北省陸県 に游幸する。 汝ら、随行するために楚の陳 河南省淮陽県付近 にあつまれ」 しかしこれには理由があった。 高祖の武将で活躍した韓信が楚王に封じられていた。 その韓信のもとには、項羽の勇将であった鍾離バツ しゅりばつ がいた。 高祖・劉邦は項羽と争っているときに鍾離バツに手ひどく痛めつけられており、ひどく恨んでいたのだ。 そして韓信に鍾離バツを差し出すように何度も催促していた。 韓信は鍾離バツとたいそう親しくしていて匿っていたのだが、高祖の命を無視していた。 そのことを知った高祖の家臣で「韓信には謀叛の疑いあり」と告げ口したものがあった。 それで高祖は陳平の策略をもって、游幸を口実にして諸侯の軍を招集したのである。 韓信は自分が攻められそうになって、このまま謀反を起こそうと思ったという。 しかし、自分に何の罪もないのにそんなことをする必要はないと思い返した。 しかし高祖のまえにのこのこ出ていい訳したとたん捕縛されるかもしれないと迷った。 そのとき小賢しい家臣が韓信の耳元にささやいた。 「鍾離バツの首をもっておゆきなさい。 そうすれば皇帝もお喜びになられます。 」 韓信はもっともなことだと思い、鍾離バツにそう告げた。 鍾離バツは、あきれて韓信にいった。 「高祖が楚を攻めてこないのは鍾離バツがいるからだと思わないのかい。 それなのに、肝心のわたしを殺して高祖のご機嫌取りをしようとしている。 そんなことをしたら、君もたちまちやられてしまうよ。 友達だと思っていたからここにいるのに、情けない奴だ。 みそこなったよ。 君ののぞみなら死んであげるよ。 でも、君はひとの上にたてる器じゃないね。 」 そういうと鍾離バツは、みずから首を刎ねてしまった。 韓信はその首をもって陳のおもむいたが、意に反して謀反人として捕らえられてしまった。 韓信は口惜しまぎれに、高祖にいった。 「ああ、なんということだ。 狡兔死して良狗烹られ、 高鳥尽きて良弓蔵 かく れ 敵国敗れて謀臣ほろぶ、 といわれるが、まったくその通りだ。 天下が平定されて、おそるべき敵がいなくなったいま、 狡い兔が狩り尽されると忠実な猟犬が主人に烹て食われるように、 さんざん漢に尽くしてきたのに、 高祖に殺されるのが今度は自分だなんて・・・・・」 しかし高祖は韓信を殺さなかった。 韓信は楚王から淮陰侯に左遷された。 これ以後、韓信は淮陰侯と呼ばれるようになった。 「史記 ・ 淮陰侯列伝」.

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狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)

狡兎 死 し て 走狗 烹 ら る

指定された部分の全文訳です。 漢の五年正月、高祖は斉王の韓信を移して楚王とし、下邳に都を築かせた。 韓信は領国に到着すると、かつて食事の世話を受けた布さらしの婦人を召して、千金を与えた。 また、下郷の南昌の亭長には百銭を与え、「お前は小人である。 恩恵を施しながら、最後まで全うしなかった。 」と言った。 それから、自分を侮辱した少年で、その袴下をくぐらせたものを召して、楚の中尉に任じ、諸将らに告げることには、「この者は壮士である。 わたしを侮辱したときに、わたしはこの者をどうして殺せなかったであろうか。 いや殺すことができた。 だか、殺しても名声は得られなかったからだ。 ゆえに、耐えて大きな功績を立てたのだ。 項王から亡命してきた将軍である鍾離眜の家は伊廬にあった。 もともと韓信と親しかった。 項王の死後、逃げて韓信に帰属した。 高祖は眜を怨んでいた。 眜が楚にいるのを聞き、楚に詔して眜を捕らえさせようとした。 韓信は領国に赴いたばかりで、県邑を巡回するのに警備の兵を連ねて出入した。 漢の六年、ある人が上書して、韓信が謀反したと密告した。 高祖は陳平の計によって、巡狩と称して諸侯と会合しようとした。 南方に雲夢がある。 そこで、使者を発して諸侯に告げることには、「陳に会合せよ。 私はまさに雲夢に着こうとしている。 」ということだが、実は韓信を襲撃しようとしたのである。 韓信はそれを知らなかった。 高祖は楚に着こうとしていた。 韓信は兵を発して謀反しようかとも思ったが、どう考えても、とがめられる罪はなかった。 高祖に拝謁しようかとも思ったが、捕らえられることを恐れた。 ある人が韓信に説いていうことには、「眜を斬って高祖に拝謁しなさい。 高祖はきっと喜んで、あなたの憂いは無くなるでしょう。 韓信は眜に会って相談すると、眜が言うことには、「漢が攻撃して楚を取らないのは、私があなたの元にいるからです。 もし、あなたが私を捕らえて自ら漢に媚びようと望むなら私は今日にでも死にます。 あなたも私に続いて滅びるでしょう。 さらに韓信を罵って言うことには、「あなたは徳のある人物ではありません。 そして、ついに自ら首を刎ねた。 韓信はその首を持参して高祖に陳で謁見した。 高祖は武装兵に命じて、韓信を縛り上げて後車に乗せた。 韓信が言うことには、「やはり世人の言う通りだ。 『すばしっこい兎が死ぬと、優れた猟犬は煮殺され、高く飛ぶ鳥が尽き果てると、優れた弓はしまいこまれ、敵国が敗れ去ると、知謀の家臣は滅ぼされる。 』とか。 天下はすでに定まっていることであるので、私が煮殺されるのは当然である。 高祖が言うことには、「お前の謀反を密告したものがいるのだ」と。 こうして、韓信に枷をはめて、洛陽に到着すると韓信の罪を赦し、王から位を下げて淮陰侯とした。

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「史記」の淮陰侯列伝の狡兎死良狗煮の現代語訳を教えてください。「漢五...

狡兎 死 し て 走狗 烹 ら る

とーとです。 大切な人を喪くしましたが、くさびとなる存在を失うと、人同士のつながりもとだえてゆくのかなあと、さびしさと、やるせなさを感じて、です。 喪った人の、存在の大きさを、改めてかみしめています。 さて、今回は「狡兎死して走狗煮られる(こうとししてそうくにられる)」について、話す。 本文は、 「狡兎死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓蔵し、敵国破れて謀臣滅ぶ」 長いので、ふりがなをふるのをやめた。 なんとなく、意味はわかるのではないかな。 ずるがしこいうさぎが死んだら、猟犬は煮て食べられてしまう。 鳥がいなくなれば、立派な弓も、蔵の中にしまわれてしまう。 敵の国が滅んだら、作戦を立てる優秀な部下は粛正されてしまう。 これは、「(りゅうほう)」が天下を平定した後、大きな勢力を持っていた「(かんしん)」が、危険な存在になったので、その力を奪い、一国の王様から、小さな領地の領主に格下げした。 その時に、「(かんしん)」が言ったとされる。 「(りゅうほう)」は、ライバルの「(こうう)」を倒して、優秀な将軍が、今度は自分を脅かす存在になることを恐れ、それまでの部下たちに、疑いの目を向けるようになる。 もともと、「(かんしん)」は独立の兆しを見せていたから、真っ先に力を削られる対象になったんだろうね。 なにせ「(こくしむそう)」だから、危険視された。 この言葉は、もともと、先に話した「(ごえつどうしゅう)」の話に出てきた、「越(えつ)」の国が、ライバルの「呉(ご)」を滅ぼした後に、その家臣の間で交わされた会話でもある。 ひとつの目的が達成されると、それまでの部下が、優秀であればあるほど、自分にとって危険な存在になるというのは、歴史の中で、語られていること。 よくあるのは、共通の敵がいなくなると、それまで手を携えて戦っていた味方同士が、仲違いして、争いになってしまうことだ。 それこそが「(ごえつどうしゅう)」の逆パターン。 船が港に着いたら、もともと仲が良くなかった人同士は、けんかをはじめるだろう。 中国が、昔、日本と戦争をしていた時代に「」と「国民党」が手を組んで日本と戦った。 もともと、この両者は、考え方の全く違う人たちだったので、日本が戦争に負けると、たちまち、内戦状態になる。 「」が中国本土を勢力下におさめ、「」を樹立。 「国民党」は台湾にをたてた。 この状態が、紆余曲折を経ながら、現在にまで続いている。 人というのは、難しく、悲しいものでもある。 それまでの強い絆が、状況の変化の中で、たもとを分かったり、ときには争いあったりするようになるのだ。 「」のとはどうなって行くのか、下書きをしている今の時点では、どのように描かれるのかわからない。 「(りゅうほう)」の家来たちの中には、粛正されてしまった人も多かったが、地位も、領地も辞退して、安泰を得た人もいた。 欲を見せないで、相手を安心させたんだね。 手柄をたてても、かえって身の危険になる。 生き残るのもなかなか難しい。 この続きは次回。 今日はここまで。 to-todes.

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