尼崎連続変死事件 まとめ。 尼崎事件をわかりやすく時系列で解説!加害者達が語った証言は?

分かりやすいと話題“サザエさん相関図” 尼崎連続変死事件

尼崎連続変死事件 まとめ

この記事の目次• 尼崎事件とは 出典: そもそも、尼崎事件がどのような事件なのか、みなさんはご存知でしょうか。 尼崎事件とは、 2012年10月、兵庫県尼崎市で起きた連続殺人死体遺棄事件です。 1987年頃に発生していた女性失踪事件を発端とし、数多くの被害者が確認されており、主に暴行や監禁などの虐待によって死亡しているという、凄惨で悲しい事件なのです。 25年以上という長期間に渡って、複数の家族があたかも本物の家族かのように生活していた中で起こったこの尼崎事件について、詳しくまとめました。 報道などでは、「尼崎連続変死事件」と呼ばれることも多いです。 その中で亡くなってしまった犠牲者は、少なくとも9人はいると言われています。 また、角田美代子が直接手を下すのではなく、 取り込んだ家族を自由自在に操って、家族同士にて暴力を振るわせるなど壊滅させていったのです。 角田美代子のこのような手口は、 マインドコントロールが挙げられます。 「なぜこんな女性にマインドコントロールできたのか」と疑問に思う方も多いでしょうが、それは何らかの力、そして黒幕がいたのではと言われています。 背乗り手口とは、 他人の身分や戸籍を乗っ取る行為のことで、「戸籍ロンダリング」とも言われ、養子縁組をすることによって戸籍情報をリセットすることです。 角田美代子は、この背乗りや戸籍ロンダリングを繰り返し行っていたことが判明しており、養子縁組制度を悪用したことにより、事件が発覚するまで時間もかかったのでした。 これは、日本人では思いつかない手口であり、 朝鮮半島出身者特有の手口だとも言われています。 尼崎事件の犯人・角田美代子の生い立ち 出典: ここでは、主犯の角田美代子の生い立ちを見ていきましょう。 幼い頃の角田美代子は 裕福な家庭で育っていたようで、お金に困ることはなく、家族全員が好き勝手な生活をして暮らしていました。 そんな角田美代子の 父親は、多額のピンハネ凄腕手配師だったようです。 当時の尼崎には、全国から体力自慢の荒れくれ者達が集まっており、そんな輩たちを圧倒的な圧力・暴力・恫喝などで手懐けていたのが、角田美代子の父親だったのです。 さらに、汗水流して稼いだ日給(当時3500円ほど)を、食事代や酒代などの名目で4割程度をピンハネしていたんだとか。 しかし、食事はしっかりと与えて、時には酒も飲ませるなど、アメとムチの使い分けをしていたのです。 よく考えるとこれもマインドコントロールの一種かも知れませんが、荒くれ者たちを従わせることができた角田美代子の父親は人の扱いが上手かったことは間違いありません。 そんな父親を見て育ってきていたからこそ、人心支配のテクニックを角田美代子は知らず知らずのうちに覚えたのかもしれません。 角田美代子さんは、10代の頃・20代の頃にそれぞれ結婚し、 離婚歴が2回あるようです。 尼崎事件の家族相関図を紹介 出典: 尼崎事件には、主犯女性である角田美代子を軸に、娘や息子家族を始め、知人や友人家族など合わせて 少なくとも6家族以上が関わっています。 具体的には、角田美代子の幼馴染の女性の家族、遠縁の家族、内縁の夫の同級生の実家家族、その同級生の実家の長女が嫁いだ家族、父親が大手私鉄会社勤務の家族とその父の実家家族です。 これまで日本で起こっている大量殺人事件の中でも、この尼崎事件は、 逮捕・書類送検されている人物が17名とかなり多いことが特徴的です。 その17名の中には、 被害者の子供や姉妹といった親族も含まれています。 つまり、主犯が本来別の家族でありながら、 同じ家族内に被害者と加害者がいるという、異様な相関図が浮かび上がってくるのです。 次からは、そんな尼崎事件に関係している人物について紹介していきます。 数十年間共同生活をしていましたが、1998年に 角田美代子の母と養子縁組を結んだことをきっかけとして、角田美代子の義理の妹になったのでした。 2001年、 角田美代子の指示により、A家の長男と結婚をしました。 この義理の妹Pは、 金庫番の役割をしていたことでも知られており、角田美代子からかなりの信頼を置かれていたようです。 さらには、他の同居人と比べても 事件への関与を極力控えさせられていたほど大事にされていたのでした。 この義理の妹Pは、 合計3件の殺人などに関与している疑いで起訴されており、 懲役21年の判決を受けています。 内縁という関係でしたが、 角田美代子に虐待されることもあったと言われており、内縁の夫Qが角田美代子に従うという 従属的な間柄であったようです。 この内縁の夫Qについても、妹Pと同じく 合計3件の殺人などに関与しているということから、起訴をされており、 懲役21年という判決を受けています。 1999年に 角田美代子の養子になっており、2005年には新しい名前に改名もしています。 この義理の長男Rについても、妹P同様、角田美代子からは かなり大事にされていたことが分かっています。 義理の長男Rについても、義理の妹Pや内縁の夫Qと同じく 合計3件の殺人などに関与しているとの疑いで起訴されており、 懲役21年という判決を受けています。 この次男Sは、2007年になると D家の次女と結婚しており、子供が2人います。 また、次男Sは角田美代子からとても大事にされていたようで、 虐待行為などを受けたことが一切ないと言われています。 しかしながら、日常生活において常に行動を監視されるなど、精神的な息苦しさを感じていたと次男Sの口から明かされています。 次男Sは、 合計2件の殺人に関与している疑いで起訴されており、 懲役17年の一審判決が確定しています。 2002年頃に角田美代子と知り合って以降、角田美代子の下で生活するようになったようです。 背中に入れ墨があります。 角田美代子の指示により、周囲に激しい暴力を振るっており、「 角田美代子の暴力装置」としてみんなから恐れられていました。 そして、2004年になると 角田美代子の叔父と養子縁組を結んでおり、角田美代子とは義理のいとこ関係になりました。 F家の母に対して死体遺棄容疑で、2012年9月に懲役2年6月という判決を受けており、一連の事件発覚時にはすでに服役中でした。 しかしながら、後に 合計3件の殺人罪、そして1件の傷害致死罪によって起訴され、 無期懲役判決が確定しています。 家政婦的な存在で、角田美代子と長い間に渡って共同生活をしていました。 2000年には、角田美代子が自宅マンションを購入する時の連帯債務者になっていることも明らかになっています。 この同居人女性Uは、 2008年11月頃に死亡したようです。 この死亡に関しては、7名もの人物が監禁罪などによって起訴されており、同居人女性Uは被害者のうちの1人です。

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尼崎連続変死事件 26歳の被害女性に対する凄惨な虐待内容

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兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、男女3人への殺人や詐欺などの罪に問われた角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義妹、角田三枝子被告(62)。 一連の事件の関係者の中でも、〝ファミリー〟を率いた首謀者とされる元被告のそばに約40年間、寄り添い続けた「事件のキーマン」とも言える人物だ。 風俗で稼いだ約3億円もの金を「疑似家族」の家計に回し、お腹を痛めて産んだ息子まで差し出す…。 これまでの公判で明らかになったのは、ときに元被告への「殺意」を胸に秘めながらも、想像を絶する忠誠ぶりを示してきた悲惨で壮絶な人生だった。 (佐藤祐介) 決定づけられた主従関係 2人の出会いは、幼少期のころまでさかのぼる。 昨年11月21日に開かれた元被告の次男、優太郎受刑者(28)=殺人罪などで懲役17年の判決確定=の公判に証人出廷した際の三枝子被告の証言などによると、三枝子被告の家族が、元被告の母親の家を間借りしたことが2人の特殊な関係の始まりだった。 「物事は白か黒、好きか嫌いか、イエスかノーか」。 若い頃から口癖のように話し、中途半端なことを極端に嫌ってきた元被告。 三枝子被告は18歳から共同生活を始めたがなじめず、約1年後、両親のもとに戻った。 その後、元被告から両親とともにののしられ続けた。 元被告の激しい怒りをおさめるには、共同生活に戻るしかなかった。 これを機に2人の主従関係が決定づけられた。 それから人生の歯車が大きく狂い始める。

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尼崎事件

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李被告、殺人罪など大半を否認「亡くなるとは思わず」 産経WEST() 李被告、殺人罪など大半を否認「亡くなるとは思わず」 産経WEST 2015. 19 12:38 兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件で、角田美代子元被告=自殺、当時(64)=の義理のいとこで、男女5人に対する殺人や傷害致死など計10の罪に問われた韓国籍、李正則被告(41)の裁判員裁判初公判が19日、神戸地裁(平島正道裁判長)で開かれた。 李被告は「亡くなるとは思っていなかった」などと述べ、起訴内容の大半を否認した。 起訴状によると、李被告は元被告らと共謀。 平成17年、元被告の義妹、角田三枝子被告(62)=殺人罪などで懲役30年求刑=の夫、久芳さん=当時(51)=に崖からの飛び降り自殺を命じて死亡させ、20年には仲島茉(ま)莉(り)子(こ)さん=同(26)=を尼崎市のマンションの小屋に監禁し、暴行や虐待の末に衰弱死させた。 23年には橋本次郎さん=同(53)=を小屋に監禁、虐待して衰弱死させ、遺体を岡山県の海中に遺棄したなどとされる。 李被告は罪状認否で、皆吉さんへの傷害致死罪について「頭を振るなどの暴力はしていない。 死なせたというのは間違い」と主張。 一方、検察側は、一連の事件の首謀者である元被告や他の親族らとの共謀の成立とともに、李被告自身が殺人や死体遺棄などの実行行為に強く関与したことを立証するとみられる。 李被告は24年9月、ドラム缶から遺体で見つかった大江和子さん=当時(66)=への死体遺棄罪などで懲役2年6月の実刑判決を受けた。 尼崎の町中が警察官で溢れかえった 私の地元尼崎で起きた事件なので、今回は少し「腕」を振るってみたい。 兵庫県尼崎、通称、尼 あま の小さな街・杭瀬を一気に全国区にしてしまった、この事件。 国道2号線を大阪方面から西へと走り、大阪府と兵庫県の県境となる左門殿橋を渡ると、今回の舞台となった杭瀬の街が姿を現わす。 李容疑者の母親も五色横丁でスナックを経営していたというが...... だが、塩野義製薬の多くの社員が高槻支店に異動されていった事や木村鉛鉄の大幅な人員削減等で一気に過疎化が進み、今では一時の賑わいは影を潜め、商店街や五色横丁も空き店舗が目立つ。 そんな街並みが角田ファミリーを生み出し、世間に晒される事になろうとは、誰も想像だにしていなかったのではなかろうか......。 事件当時は、杭瀬の街並みの至る所に警察官が配備されていた。 それだけではなく24時間体制でパトカーや覆面 警察車両 が巡回にあたり、異様な物々しさを呈していた。 そういった警察官の面々の中には、普段制服に袖を通す機会の少ない暴力団専門の刑事の制服姿の顔もちらほらあり、兵庫県県警はもとより、尼崎市内に3つある各所轄が総力を挙げて取りかかっていることを窺わせた。 後述するが、別件で知り合いの暴力の刑事と話した時にも、「今、例の角田の件の応援やっとるから、手一杯なんや」と愚痴をこぼされ、その慌ただしさがひしひしと伝わってきた。 私はそうしたピリピリした空気を実は好ましく感じていた。 私だけではない。 尼崎のヤクザ者は例外なく安堵を覚えていたのではあるまいか。 当時、私の所属する組織の本部(編集部注・ある広域暴力団の二次団体の本部事務所のこと)でTVから流れる角田事件を見て、私の同僚たちや上司たちが、「えらいオバハンもいとるもんやな~」とのんきな声を出していた記憶がある。 本部のある場所から数kmのところで発生した事件だというのに、皆がそんな感じだったのも、尼のヤクザ者が安堵を覚えていた証拠と言えるかもしれない。 ちょうどこの頃、兵庫県にも暴力団排除条例が施行され、何で持っていかれても パクられても おかしくなかったので、暴力団に向けられている目が緩むこの状況が不謹慎ではあるが有り難かったのである。 余談だが暴排条例に関しては、現場の暴力の刑事ですら、「何でパクるか見当もつかん」と漏らしていたほどだった。 だが事態はやがて笑い事ですむような話ではなくなってきた。 死者はいつまでも増え続け、それと比例するかのように町中の警察官の数も増え続けたのである。 そのとばっちりを最初に受けたのは私の義理の弟だった 自業自得ともいう。 この頃、私は義理の弟らを使い、尼崎の繁華街、通称"中央"で、夕方から朝までの居酒屋風バーを経営していた。 当時、中央から2駅の杭瀬に住んでいた義理の弟は、いつもは通勤に自転車を使っていたのだったが、その日に限ってたまたま車を使用していた。 そしてパーキングに車を停めて帰れば良かったのだが、ちょっとくらいなら大丈夫だろう、と客から頂いた酒の残る身体で戦場と化している杭瀬へと帰ってしまったのだ。 結果、巡回中のパトカーから職務質問に合い、免許を取り消され罰金30万円也を納めさせられる事になってしまった 自業自得である。 さらに義理の弟はその件を私に言い出せず、私の当時の部下に相談した所、散々怒り挙げられた挙句、きっちり私にチンコロされてしまい、私からも大目玉を喰らってしまったのである。 そして、次のとばっちりを受けたのは、何を隠そう私であった。 ただ私の場合は自業自得というよりも、とんだオッチョコチョイと言ったほうが適切か。

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