京成 線。 新京成電鉄新京成線

京成本線の路線図

京成 線

路線データ [ ]• 管轄:新京成電鉄()• 路線距離():26. :1,435• 駅数:24駅(起終点駅含む)• 区間:新津田沼駅 - 京成津田沼駅間• 区間:松戸駅 - 新津田沼駅間• 区間:全線(1,500)• :自動閉塞式• 保安装置• 鎌ヶ谷大仏駅 - 薬園台駅間:• 松戸駅 - 鎌ヶ谷大仏駅、薬園台駅 - 京成津田沼駅間:• 薬園台駅 - くぬぎ山駅間:1号型ATS• 京成津田沼駅 - 薬園台駅、くぬぎ山駅 - 松戸駅間:C-ATS• 所在駅:• 最小曲線半径:139m(新津田沼駅 - 京成津田沼駅間) 運行形態 [ ] 全て(各駅停車)で、京成津田沼駅 - 松戸駅間の全線通し運転を基本とする。 朝晩に(本社)のあるくぬぎ山駅発着の列車があり、朝には新津田沼駅折り返し列車がある。 かつてはラッシュ時を中心に京成津田沼駅 - 鎌ヶ谷大仏駅間や京成津田沼駅 - 高根公団駅間の区間列車も設定されていた。 朝のラッシュ時は京成津田沼駅 - 新津田沼駅間がのため9分間隔で、他の区間が4分半間隔、夕方のラッシュ時は8分間隔で運転しており、日中でも10分間隔で運転と郊外路線ながら本数が多い。 日中に関しては一部を除き接続する直通路線よりも本数が多いほどである。 これは駅間距離の短さも手伝って日中の生活需要も大きいためである。 一方、長い区間を乗車する旅客が少ないことなどから、急行運転を行う予定はない。 車両については「」を参照のこと。 京成千葉線への直通運転 [ ] 全通したに実施したものの、同年中に取りやめて以来長らく実施してこなかったへのを再開した。 の()発生後しばらく休止されていたが、同年再開されている。 乗り入れは以外の新京成電鉄の車両により行われていて、全て6両で運行されている。 運行区間は全列車とも松戸駅 - 京成津田沼駅 - 間で、新京成線や京成千葉線の途中駅止まりの列車は運行されていない。 将来は車による相互乗り入れや運行時間の拡大、への乗り入れ区間拡大も検討している。 直通運転はラッシュ時には行っていない。 改正のダイヤでは、松戸駅発車時刻で平日は午前8時42分から午後3時40分まで、土曜・休日は午前6時20分から午後4時40分まで運転している。 なおこの時間帯は、一部を除いて京成津田沼駅始発・終着の新京成線の列車が同駅の6番線から発着するところ、同駅始発・終着の京成千葉線の千葉中央・方面の列車の多くは同一ホーム上の5番線から発着し、乗り換えの便宜を図っている。 他方、直通運転が行われていない時間帯は、5・6番線とも新京成線の列車の発着に使用されることが多く、京成千葉線の列車は2番線に到着し、3・4番線から発車する。 使用されるは全車英字入りとなっており、新京成線内では行先のみ、京成千葉線内では「普通」表示の付いた行先表示となる。 表示変更は京成津田沼駅での停車中に行われる。 乗り入れ再開時には、沿線から方面への乗客誘致をアピールするため、乗り入れ対応編成の一部に「Chiba」をあしらったステッカーを車体に貼付けするとともに、車内ドア上部には「matsudo to CHIBA 06. 10」(後に単に「matsudo to CHIBA」に変わった)というも添えられた。 歴史 [ ] (2007年1月8日) 本路線大半の区間は旧が用に敷設した軌道敷(松戸線)であり、後のへの払い下げを経て民間利用されているものである。 第二次世界大戦での後、鉄道連隊は解散した。 鉄道連隊演習線のレールはに払い下げられたが、軌道敷はそのまま残されていたことから、西武鉄道と京成電鉄は早くからこれに着目していた。 鉄道連隊の旧軍人を入社させた両社は(GHQ)に鉄道敷設のための使用許可を働きかけた。 最終的に陳情合戦は営業基盤を千葉県内に持つ京成電鉄が制し、3月に軌道敷使用が認可された(正式な払下げは)。 この背景には、京成電鉄に入社した旧鉄道連隊の椎名三郎陸軍大尉とその元上官だった陸軍少将の存在が大きかったといわれている。 鎌田少将は以前にに留学経験があり、その際に上級生に元帥がいたことから戦後はGHQの首席接待委員となり、いわゆる鎌田機関を組織。 「鎌田を通さなければマッカーサーには会えない」と言われるほどの影響力を持っていたという。 京成電鉄は同年10月に子会社として新京成電鉄を設立した。 1947年1月に開始された工事は、新たな資材の入手が困難であったため、県外に足を延ばして規格の異なる古資材をかき集めて行われた。 開業直前にGHQが旧軍用線の復活を懸念し一時は開業が危ぶまれたが、新京成電鉄幹部の説得により、予定通り12月27日に - 薬園台駅間を軌間1067 mmで開業している。 演習線は規定の線路延長(45 )を確保することと 、様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多数介在する屈曲で、旅客線開業時に可能な限り直線化を図るも現在なお良好な線形でない。 移動距離に比して道程が長く、 - 間は直線距離約16 kmに対し道程26. 5 kmである。 演習線軌間は600 mmと極端に 狭隘 ( きょうあい )だったが京成電鉄払い下げ時に1067 mm(36)へされる。 当時のでは「地方鉄道ノ軌間ハ1. 067メートルトス特別ノ場合ニ在リテハ1. 435メートル又ハ0. 762メートルト為スコトヲ得」とあり、軌間1372 mmでの建設が認められなかったため、親会社の京成電鉄準拠の軌間1372 mmは許可されず、1067 mmに設定している。 払い下げ以後、新津田沼側から延伸し 、建設資金不足から一時期は松戸駅までの全通を諦めて - 松戸駅間にバスを運行するも、の支援で敷設工事を再開して松戸駅まで全通 する。 なお、松戸駅 - 上本郷駅間は旧軍用線ではなく、全くの新線であるため、台地を切り崩す工事が行われた。 切り崩しで生じた残土を利用して平潟土地整理事業がなされた。 開業当初、開発が進んでいない沿線付近は雨や解けでぬかるむ道路を駅まで歩き革靴やへ履き替える乗客が多く、松戸駅延伸開業時は各駅に設置もみられた。 全通は地域の人々から暖かく迎えられ、数々の恩恵を受け、近所のからや、夕飯のおかず等の差し入れが度々あったという。 古くは松戸新田駅やみのり台駅などの5駅が小さな駅舎で一人勤務のワンマンボックス駅(一帖未満の小さな建物)だった。 10月、全線の軌間を1372 mmへ、8月に1435 mmへする。 親会社の京成電鉄よりも早期の改軌で、京成電鉄の改軌予行練習も意図したと推察されている。 従前に松戸 - 間、間も免許取得して松戸市内で路線用地を買収するも、や周辺の反対や常磐線の、が計画された影響もあり、計画が頓挫してのまま頃に免許失効している。 買収した路線予定地のうち仮称三矢小台駅はと折り返し場へ、その他の多くが住宅地 へ転用されている。 までの延伸計画は、の延伸免許取得による周辺地域での路線バス運行など、営業機会損失を阻止する意図もあった。 急激な乗客増による化が行われた。 演習線軌道敷の大半は複線分あったので工事は比較的容易に進められ、1975年2月に新津田沼駅 - 京成津田沼駅間を除く全線が複線化された。 新津田沼駅は現位置へ至るまで駅舎位置や路線が変遷しており、以前の同駅と京成津田沼駅への2路線に分かれていたものを現在は急カーブで1線にまとめている。 詳細は「」を参照。 新津田沼駅 - 京成津田沼駅間の所在地は頃まで京成電鉄第二工場が存在し、京成線改軌期間中に、京成電鉄所属構内の引き込み線扱いとして先行改軌された新京成線1435 mmと京成線1372 mmの軌間を移設してレール4本を敷設している。 京成電鉄第二工場の出入構は主に深夜に行われた。 京成電鉄の車両工場がへ移転後、に新京成電鉄へ譲渡され、0は現在も新津田沼駅に設置されている。 は現在設定されていないが、かつて同線内各駅停車で京成千葉線方面へ急行「 」を運行し、なども使用した始発の同名列車も運行していた。 年表 [ ]• (7年)頃 - 一部を除き完成。 (4年)頃 - 陸軍鉄道連隊演習線として津田沼 - 松戸間26. 2km(当時)のうち付近まで完成。 (昭和7年)頃 - 松戸まで開通(現在の松戸駅の位置ではなく松戸中央公園付近)。 地元住民を無賃で乗車させたこともあった。 第二次世界大戦中 - レール等資材が転用され、軌道敷は放置。 (昭和21年)• 3月 - 京成電鉄に軌道敷の使用認可。 10月 - 京成電鉄が子会社として新京成電鉄設立。 (昭和22年) - 新京成電鉄新京成線として(初代) - 間 2. 5km 開業 (1,067mm軌間)。 (昭和23年)• - 薬園台駅 - 間 4. 1km 開業。 - 、開業。 - 開業。 (昭和24年)• - 滝不動 - 間 3. 1km 開業。 - 開業。 - 鎌ヶ谷大仏駅 - 鎌ヶ谷初富駅(現:)間 2. 1km 開業(薬園台駅 - 鎌ヶ谷初富駅間全通 )。 (昭和28年)• - 全線1,372mmに改軌。 新津田沼駅から京成駅へ乗込。 - 京成津田沼駅 - 新津田沼駅(二代目) - 前原駅間 2. 3km 開業。 新津田沼駅(初代) - 前原駅間 1. 2km 廃止。 京成第二工場への構内側線を利用。 (昭和30年)• - 鎌ヶ谷初富駅を初富駅に改称。 - 初富駅 - 間 13. 3km 開業 、新京成線全線(単線)開業。 への直通運転実施。 - 京成千葉線への直通運転廃止。 (昭和34年) - 全線1,435mmに改軌。 (昭和35年) - 金ヶ作駅をに改称。 (昭和36年)• - 開業。 - 新津田沼駅(三代目) - 前原駅間(1. 1km:現在のより前原寄り300m)開業。 新津田沼駅(二代目)はに改称。 - - 松戸駅間複線化。 (昭和37年) - - 八柱駅間複線化。 (昭和38年) - 前原駅 - 間複線化。 (昭和39年) - 高根公団駅 - 鎌ヶ谷大仏駅間複線化。 (昭和40年) - くぬぎ山駅 - 五香駅間複線化。 (昭和41年) - 開業。 (昭和43年)• - 新津田沼駅(四代目)現在地に移転。 京成津田沼駅 - 新津田沼駅(四代目)間(移転分を含め1. 5km)開業。 京成津田沼駅 - 藤崎台駅 - 前原駅間 2. 3km 廃止。 - 新津田沼駅 - 前原駅間複線化。 (昭和50年)• - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間複線化(全線複線化)。 - 全ダイヤ6両編成運転開始。 (昭和54年) - (当時)と開始。 (昭和57年) - 4両を2本連結した8両編成の運転を開始。 (昭和59年) - 住宅・都市整備公団線(当時)と相互直通運転開始。 (昭和62年)• 4月1日 - 京成津田沼駅 - 旧京成第二工場( - 新津田沼駅)間構内側線 1. 2km を京成電鉄より譲受。 全線が新京成の所属となる。 11月1日 - 運行管理システムを電算化。 (4年) - 開業。 (当時)との相互直通運転廃止。 土曜ダイヤを設定。 (平成16年) - 内のため一部( - 初富駅間)に切り替え。 (平成18年) - 京成千葉線への再開。 これによって千葉方面と・松戸方面が乗り換えることなく結ばれる。 (平成23年)• - ()が発生。 全線運休となる。 - 大震災による発電所の停止に伴う電力供給 逼迫 ( ひっぱく )のため、がを実施。 これに伴い、この日から一部区間でが実施され、京成千葉線への直通運転が休止される。 - 節電ダイヤで中止されていた京成千葉線への直通運転が一部再開される。 - 一部区間での徐行運転を終了し、新津田沼駅 - 京成津田沼駅間の運転および京成千葉線への直通運転を全面的に再開する。 (平成25年)• - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため初富駅付近の上り線の線路を仮線に切り替え。 - 全営業車両がになる。 (平成26年)• - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため北初富駅付近の線路を仮線に切り替え。 2月23日 - 導入。 - 鎌ケ谷市内連続立体交差事業のため初富駅付近の下り線の線路を仮線に切り替え。 - 全営業車両が6両編成となる。 - 前原駅 - 京成津田沼駅間でC-ATSの使用を開始。 (平成29年) - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間の下り線が高架化。 (元年)• - 鎌ヶ谷大仏駅 - くぬぎ山駅間の上り線が高架化 (同区間全線の高架化が完了 )。 - が営業運転開始。 今後の予定 [ ]• C-ATSを全線に拡大する予定。 駅一覧 [ ]• 全駅に所在。 は2014年2月23日から導入。 「SL」とは「Shinkeisei Line」の略。 その他の時間は。 遠隔監視システム導入。 各駅とも上の「特定旅客施設」に該当する一日5,000人以上の乗降人員がある。 駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 駅員 接続路線 所在地 SL01 - 0. 7 1. 7 2. 6 3. 8 3. 8 5. 8 7. 3 8. 9 9. 8 11. 7 12. 2 13. 1 15. 9 16. 8 17. 4 18. 0 19. 6 20. 9 21. 7 21. 8 22. 4 23. 4 25. 2 26. (前原駅 - 京成津田沼駅間 1953年11月1日開業、1968年5月14日廃止) 沿線風景 [ ] 松戸駅 - 新鎌ヶ谷駅間 [ ] を出発すると右側に大きくカーブをし、を登る緩やかな勾配にさしかかる。 を超え、勾配を登り終えるとがあった へと到着する。 松戸駅 - 上本郷駅間は新たに建設された区間であり、切り通しの残土は松戸駅の向こう側である平潟の土地整理に利用された。 元々の跡とは上本郷駅手前で合流する。 次の と は駅間距離が短く、しばらく住宅地の中を走る。 との乗換駅である を過ぎると、左手にやを見ながら右にカーブし、 へと至る。 この周辺は新京成線の開通後にとして化した街である。 次の を過ぎるとカーブが連続するが続き、併走する(一部区間はとの重複区間)とはこの先で4回も交差をすることになる。 を出るとの横を走り、新京成電鉄本社のある へと至る。 沿線は園が多く、シーズンになると観光農園として賑わっている。 線路は東に進路を変え、を右手に見ながら・の高架をくぐった後高架線となり へ至る。 この先、 までは北総線・成田スカイアクセス線と併走して走る。 新鎌ヶ谷駅 - 京成津田沼駅間 [ ] 新鎌ヶ谷駅を出ると南へ大きく進路を変え、 へと至る。 この区間はの街の開発にあわせ、が行われた。 次の はの車庫に隣接しており、駅の近くには駅名の由来にもなったがある。 しばらく直線区間が続くが、 を過ぎると再びカーブの多い線形となる。 から にかけては沿線に畑やなどの田園風景が広がるが、次の を過ぎると再び住宅地の中を走る。 にかけての周辺には(現在のの前身)により開発されたが広がり、「高根公団」駅の駅名の由来にもなっている。 やがて線路はとの乗換駅である へと到着する。 周辺にはが広がり、また学校が多く朝夕は学生で賑わっている。 北習志野駅を過ぎると右にカーブし、すぐに へと到着する。 と称するものの、駅はではなくに位置している。 次の 付近は直線区間が続くが、 を過ぎるとと交差し、線路はを左に見ながら大きくカーブして へと至る。 周辺はとなっているが、JRのとは400m程離れており徒歩連絡となる。 これから先は区間となり、大きく逆S字カーブを描きながらと合流し、終点・ へと到着する。 車両 [ ] 自社車両 [ ] 現用車両 [ ]• - 営業運転開始。 新京成線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。 輸送人員は年度での値。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 特記事項 通勤定期 通学定期 定期外 合計 1975年(昭和50年) 4397. 7 1391. 5 1816. 5 7605. 7 1976年(昭和51年) 1977年(昭和52年) 1978年(昭和53年) 4660. 2 1458. 2 2190. 9 8309. 4 北総開発鉄道北総線(当時)と相互直通運転開始 1979年(昭和54年) 4897. 3 1467. 5 2277. 7 8642. 6 1980年(昭和55年) 5083. 3 1548. 2 2360. 4 8992. 0 1981年(昭和56年) 1982年(昭和57年) 1983年(昭和58年) 住宅・都市整備公団線(当時)と相互直通運転開始 1984年(昭和59年) 1985年(昭和60年) 5409. 5 1716. 8 2508. 3 9634. 6 1986年(昭和61年) 5535. 5 1794. 9 2591. 2 9921. 6 1987年(昭和62年) 5693. 6 1894. 3 2647. 4 10235. 3 1988年(昭和63年) 5987. 7 1981. 7 2791. 8 10761. 2 1989年(平成元年) 6123. 6 2014. 4 2901. 6 11039. 6 1990年(平成2年) 6324. 5 2140. 1 3050. 7 11515. 3 1991年(平成3年) 6087. 5 2059. 1 3158. 2 11304. 8 1992年(平成4年) 6116. 9 2086. 7 3265. 4 11469. 0 新鎌ヶ谷駅開業 北総公団線(当時)との相互運転廃止 1993年(平成5年) 6125. 7 2065. 2 3411. 7 11602. 6 1994年(平成6年) 6097. 2 2025. 4 3661. 4 11784. 0 1995年(平成7年) 6087. 9 2001. 3 3651. 5 11740. 7 1996年(平成8年) 5753. 3 1780. 0 3578. 6 11111. 9 1997年(平成9年) 5589. 7 1626. 6 3472. 5 10688. 8 1998年(平成10年) 5450. 9 1540. 3 3420. 5 10411. 7 1999年(平成11年) 5319. 8 1485. 9 3427. 2 10232. 9 2000年(平成12年) 5210. 9 1412. 4 3430. 9 10054. 2 2001年(平成13年) 5124. 7 1355. 4 3479. 5 9959. 6 2002年(平成14年) 4990. 4 1327. 2 3507. 3 9824. 9 2003年(平成15年) 4971. 8 1318. 1 3603. 1 9893. 0 2004年(平成16年) 2005年(平成17年) 2006年(平成18年) 京成千葉線と直通運転開始 2007年(平成19年) 2008年(平成20年) 2009年(平成21年) 5143. 1 1232. 6 3733. 0 10108. 6 2010年(平成22年) 2011年(平成23年) 東日本大震災発生 2012年(平成24年) 5074. 1 1328. 7 3738. 0 10140. 8 2013年(平成25年) 5171. 1 1374. 6 3763. 3 10309. 0 2014年(平成26年) 5107. 7 1326. 4 3714. 4 10191. 5 全営業車両が6両編成化 2015年(平成27年) 5218. 4 1350. 5 3764. 7 10333. 6 2016年(平成28年) 5237. 8 1356. 2 3736. 7 10330. 7 収入実績 [ ] 新京成線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。 数値は年度での値。 表中、最高値を赤色で、最低値を青色で表記している。 2-4 2012年7月. 2017年6月7日閲覧。 - 、2017年6月6日閲覧。 PRODUCTS INFORMATION VOL. 36-37. 2018年10月10日閲覧。 『日本史A』、2002年、 [ ]。 223. , p. 224. 「」『CiaO』Vol. 120、新京成電鉄、2015年5月20日、 10頁。 , p. 225. 草町義和『鉄道未完成路線を往く 生まれなかった幻の鉄道路線』、2001年、130-132頁。 『』、、1983年2月、 111頁。 『』 朝日新聞社 : p. 朝刊 27. 1987年10月30日• 交通新聞社 : p. 1992年6月29日• 交通新聞社 : p. 1992年7月4日• プレスリリース , 新京成電鉄, 2019年10月11日 , 2019年10月11日閲覧。 鉄道コム 2019年12月9日. 2019年12月28日閲覧。 ツイート. より 2019年12月27日閲覧。 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』3号 関東1、、2008年、p. - 習志野市• より算出。 広報資料・プレスリリースなど一次資料 [ ]• - 北総鉄道、2018年10月10日閲覧• - 東葉高速鉄道、2018年10月10日閲覧• よくある質問. 新京成電鉄. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2013年2月4日. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2014年2月3日. 2017年3月5日閲覧。 新京成電鉄 2014年12月8日. 2017年1月19日閲覧。 - 千葉県県土整備部道路整備課、2018年11月26日閲覧。 - 新京成電鉄(2019年11月20日)2020年1月7日閲覧。 参考文献 [ ]• 『ちばの鉄道一世紀』、1996年。 白土貞夫 編著『新京成電鉄 駅と電車の半世紀』、2012年。 関連項目 [ ]•

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京成押上線

京成 線

概要 [ ] 京成津田沼駅でから分岐する路線で、同駅で本線・、千葉中央駅でと接続、を行っている。 (JR東日本)との中間地帯の総武本線寄りの場所を走り、京成津田沼 - 京成幕張間ではJRと、京成千葉駅 - 千葉中央駅間ではJRと並走している。 路線データ [ ]• 路線距離:12. 9km• :1435mm• 駅数:10駅(起終点駅含む)• 複線区間:全線• 電化区間:全線(直流1500V)• :自動閉塞式• 保安装置:• この2つの系統が交互に運転されるため、京成千葉線内では10分間隔の運行である。 また、京成津田沼駅 - 京成千葉駅間の途中駅はホーム長が6両編成分しかないため、すべての電車が6両編成で運行されている。 4両編成での運転は、実施のダイヤ改正で消滅した。 朝夜の一部に本線直通の京成上野駅発着列車があるが、全区間が各駅停車の普通のみの設定である。 朝は上り(京成津田沼方面)は日中と同じ10分間隔、下り(千葉中央方面)は への通勤利用が多いことを考慮して、 [ ]6 - 10分間隔で設定されている。 新京成線との直通運転においては、を除く「京成・新京成直通車両規格」に準拠したの車両が乗り入れている。 新京成線内では「普通」の表示を出さない新京成車両も千葉線では「普通」の表示および運行番号表示を出して運行している。 表示の切り替えは京成津田沼駅で行われる。 千原線ちはら台行きの列車の・行き先表示は「(千葉)ちはら台」(ちはら台の前に改行)となっているがLED表示車や新京成電鉄の車両は「ちはら台」と表記されている。 「(千葉)ちはら台」行き方向幕を掲出して走行する かつて運行された列車種別 [ ] なお、運転実績はないが土曜・休日の夕方に1往復不定期特急の設定があり、試運転列車などでこのダイヤを使用していたこともあった。 千葉線内の停車駅はとのみである。 このため千葉線内の速度標識には特急の速度表示も示してある。 また、これとは別に1968年(昭和43年)5月1日より同年6月14日までは線内に通過駅がある急行が、同年6月15日より(昭和49年)12月15日までは同じく線内に通過駅がある快速が存在した。 停車駅は、急行は稲毛のみ。 快速は幕張・稲毛・黒砂(現・みどり台)・国鉄千葉駅前(現・京成千葉)。 なお国鉄千葉駅前の停車は1968年(昭和43年)11月改正からである。 また過去には臨時特急や臨時急行、ごく短期間ながら上記の急行とは別に定期急行が1度設定されていた。 臨時特急は千葉線内は京成津田沼と京成千葉(現・千葉中央)以外は無停車であった。 歴史 [ ] 1930年頃(初頭)の千葉市周辺の地図。 千葉線は東京湾の砂浜海岸沿いの諸集落の背後を通っていた。 京成と国鉄の千葉駅は各々現在と異なる位置にあり、西院内通町(現・栄町通り「ハミングロードパルサ」)で繋がっていた。 (10年)に本線の - 津田沼間と同時に津田沼 - 千葉間が開業した。 これは本線の津田沼 - 成田間よりも優先され早い開業となった(京成津田沼駅から京成本線が当線下をくぐり、大きく内陸方へカーブする形で分岐しているのはそのためである)。 千葉線はこの年に市となった県都である千葉市への輸送、岸への観光客の輸送を目的として設置された。 当時の千葉線はみどり台駅、西登戸駅のそれぞれ開業時の駅名「浜海岸駅」、「千葉海岸駅」が示すとおり現在よりも遥かに海に近く(おおよそ現在の線が昭和30年代ごろまでの海岸線であると考えて相違ない)、客や、を楽しむ行楽客でにぎわった。 また住環境が良かったため、京成稲毛駅や西登戸駅周辺は地としても賑わいを見せた。 (10年)に省線()のまでのが完成する前までは、千葉線の方が運転間隔や利用客数において圧倒的優位に立っていた。 省線電化後は、両者の線路が並行する津田沼-幕張間において「国鉄の電車が走っていたら必ず追い抜け」との通達が出ていたとされる ほどライバル意識があり、戦後からこの区間での競走を禁止する通達が出された。 以降、旧国鉄の「」の一環としての、(昭和47年)のとを結ぶ開通(と合わせ、総武線が津田沼まで化)や(昭和56年)の複々線区間の千葉駅までの延長、さらにには海側に建設された新規路線であるが東京駅まで開通したことで、京成千葉線は東京駅と千葉市を結ぶJRの両路線に挟まれた形となり、千葉線は都心アクセスの上で不利な状況となり、本線直通列車の本数も大幅に削減された。 2006年(平成18年)からは松戸・鎌ケ谷方面へのアクセス強化を図るため、1955年(昭和30年)に約4か月ほど実施されただけであった新京成線との直通運転を再開する。 新京成車両による片乗り入れで、千原線への直通運転は行わないものの、千葉への新たなアクセスルートが確立した。 年表 [ ]• (10年) - 津田沼(現在の京成津田沼) - 千葉(現在の千葉市中央区・中央公園付近)間開業。 (大正11年) - 千葉海岸駅(現在の西登戸駅)開業。 (大正12年)• - 浜海岸駅(現在のみどり台駅)開業。 - 新千葉駅開業。 (6年) - 幕張駅を京成幕張駅、稲毛駅を京成稲毛駅、千葉駅を京成千葉駅に改称。 (昭和17年) - 浜海岸駅を帝大工学部前駅に改称。 (昭和20年) - 全線をによる軌道からによる鉄道に変更。 (昭和23年)4月1日 - 帝大工学部前駅を工学部前駅に改称。 (昭和26年) - 工学部前駅を黒砂駅に改称。 (昭和30年)• - と直通運転開始。 - 新京成電鉄新京成線との直通運転を廃止する。 (昭和33年) - 京成千葉駅を現在の千葉中央駅の場所に移転。 新千葉 - 京成千葉間の線路を移設。 (昭和34年) - 軌間を1372mmから1435mmに改軌。 (昭和41年) - 新千葉 - 京成千葉間高架線完成。 暫定的に単線運転での運行。 (昭和42年)• 4月1日 - 千葉海岸駅を西登戸駅に改称。 - 国鉄千葉駅前駅(現在の京成千葉駅)開業。 (昭和46年) - 黒砂駅をみどり台駅に改称。 (昭和62年)4月1日 - 京成千葉駅を千葉中央駅に、国鉄千葉駅前駅を京成千葉駅に改称。 (3年) - 京成幕張本郷駅開業。 (平成4年)4月1日 - ((平成10年)10月1日京成電鉄に路線を譲渡しとなる)と相互直通運転開始。 (平成18年) - 新京成電鉄車両による片乗り入れにより、新京成線松戸から千葉中央までの直通運転が再開される。 (平成22年) - から変化した熱帯低気圧がもたらした集中豪雨によって検見川 - 京成稲毛間で土砂崩れが発生し、千葉線・千原線が終日運休となる。 平成22年集中豪雨復旧時の作業• (平成23年)• - ()が発生した影響で、千葉線・千原線が運休となる。 - を理由としてがを実施。 これに伴い、この日から新京成線との直通運転が休止される。 -12日 - 東北地方太平洋沖地震の余震とみられる巨大地震が発生したため、千葉線・千原線が一時運休となる。 - 新京成線との直通運転が一部再開される。 9月10日に全面再開。 (平成30年) - 京成千葉線内では初となるLED式発車標が京成千葉駅に導入される。 これにより、駅構内放送が更新される(英語放送対応)。 なお、元から取り付けられている行灯式の接近表示機は取り付け時点では撤去されず。 駅一覧 [ ]• 全線内に所在。 全列車全駅に停車する。 駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 所在地 直通運転区間 まで(新京成車のみ、日中) まで(京成車のみ、日中以外) KS26 - 0. 0 : (直通運転:上記参照) : (SL24、直通運転:上記参照) KS52 2. 1 2. 1 : (:JB 34) KS53 1. 9 4. 0 東日本旅客鉄道: 総武線(各駅停車)(:JB 35、徒歩5分) KS54 1. 3 5. 3 KS55 2. 8 8. 1 KS56 1. 8 9. 9 KS57 1. 0 10. 9 KS58 0. 8 11. 7 KS59 0. 6 12. 6 12. 9 京成電鉄: (直通運転:下記参照) 直通運転区間 まで(平常時は京成車のみ) ホームは京成津田沼駅、京成幕張本郷駅、京成千葉駅、千葉中央駅が8両編成、その他の駅は6両編成対応である。 脚注 [ ] [].

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京成本線の路線図

京成 線

概要 [ ] 京成津田沼駅でから分岐する路線で、同駅で本線・、千葉中央駅でと接続、を行っている。 (JR東日本)との中間地帯の総武本線寄りの場所を走り、京成津田沼 - 京成幕張間ではJRと、京成千葉駅 - 千葉中央駅間ではJRと並走している。 路線データ [ ]• 路線距離:12. 9km• :1435mm• 駅数:10駅(起終点駅含む)• 複線区間:全線• 電化区間:全線(直流1500V)• :自動閉塞式• 保安装置:• この2つの系統が交互に運転されるため、京成千葉線内では10分間隔の運行である。 また、京成津田沼駅 - 京成千葉駅間の途中駅はホーム長が6両編成分しかないため、すべての電車が6両編成で運行されている。 4両編成での運転は、実施のダイヤ改正で消滅した。 朝夜の一部に本線直通の京成上野駅発着列車があるが、全区間が各駅停車の普通のみの設定である。 朝は上り(京成津田沼方面)は日中と同じ10分間隔、下り(千葉中央方面)は への通勤利用が多いことを考慮して、 [ ]6 - 10分間隔で設定されている。 新京成線との直通運転においては、を除く「京成・新京成直通車両規格」に準拠したの車両が乗り入れている。 新京成線内では「普通」の表示を出さない新京成車両も千葉線では「普通」の表示および運行番号表示を出して運行している。 表示の切り替えは京成津田沼駅で行われる。 千原線ちはら台行きの列車の・行き先表示は「(千葉)ちはら台」(ちはら台の前に改行)となっているがLED表示車や新京成電鉄の車両は「ちはら台」と表記されている。 「(千葉)ちはら台」行き方向幕を掲出して走行する かつて運行された列車種別 [ ] なお、運転実績はないが土曜・休日の夕方に1往復不定期特急の設定があり、試運転列車などでこのダイヤを使用していたこともあった。 千葉線内の停車駅はとのみである。 このため千葉線内の速度標識には特急の速度表示も示してある。 また、これとは別に1968年(昭和43年)5月1日より同年6月14日までは線内に通過駅がある急行が、同年6月15日より(昭和49年)12月15日までは同じく線内に通過駅がある快速が存在した。 停車駅は、急行は稲毛のみ。 快速は幕張・稲毛・黒砂(現・みどり台)・国鉄千葉駅前(現・京成千葉)。 なお国鉄千葉駅前の停車は1968年(昭和43年)11月改正からである。 また過去には臨時特急や臨時急行、ごく短期間ながら上記の急行とは別に定期急行が1度設定されていた。 臨時特急は千葉線内は京成津田沼と京成千葉(現・千葉中央)以外は無停車であった。 歴史 [ ] 1930年頃(初頭)の千葉市周辺の地図。 千葉線は東京湾の砂浜海岸沿いの諸集落の背後を通っていた。 京成と国鉄の千葉駅は各々現在と異なる位置にあり、西院内通町(現・栄町通り「ハミングロードパルサ」)で繋がっていた。 (10年)に本線の - 津田沼間と同時に津田沼 - 千葉間が開業した。 これは本線の津田沼 - 成田間よりも優先され早い開業となった(京成津田沼駅から京成本線が当線下をくぐり、大きく内陸方へカーブする形で分岐しているのはそのためである)。 千葉線はこの年に市となった県都である千葉市への輸送、岸への観光客の輸送を目的として設置された。 当時の千葉線はみどり台駅、西登戸駅のそれぞれ開業時の駅名「浜海岸駅」、「千葉海岸駅」が示すとおり現在よりも遥かに海に近く(おおよそ現在の線が昭和30年代ごろまでの海岸線であると考えて相違ない)、客や、を楽しむ行楽客でにぎわった。 また住環境が良かったため、京成稲毛駅や西登戸駅周辺は地としても賑わいを見せた。 (10年)に省線()のまでのが完成する前までは、千葉線の方が運転間隔や利用客数において圧倒的優位に立っていた。 省線電化後は、両者の線路が並行する津田沼-幕張間において「国鉄の電車が走っていたら必ず追い抜け」との通達が出ていたとされる ほどライバル意識があり、戦後からこの区間での競走を禁止する通達が出された。 以降、旧国鉄の「」の一環としての、(昭和47年)のとを結ぶ開通(と合わせ、総武線が津田沼まで化)や(昭和56年)の複々線区間の千葉駅までの延長、さらにには海側に建設された新規路線であるが東京駅まで開通したことで、京成千葉線は東京駅と千葉市を結ぶJRの両路線に挟まれた形となり、千葉線は都心アクセスの上で不利な状況となり、本線直通列車の本数も大幅に削減された。 2006年(平成18年)からは松戸・鎌ケ谷方面へのアクセス強化を図るため、1955年(昭和30年)に約4か月ほど実施されただけであった新京成線との直通運転を再開する。 新京成車両による片乗り入れで、千原線への直通運転は行わないものの、千葉への新たなアクセスルートが確立した。 年表 [ ]• (10年) - 津田沼(現在の京成津田沼) - 千葉(現在の千葉市中央区・中央公園付近)間開業。 (大正11年) - 千葉海岸駅(現在の西登戸駅)開業。 (大正12年)• - 浜海岸駅(現在のみどり台駅)開業。 - 新千葉駅開業。 (6年) - 幕張駅を京成幕張駅、稲毛駅を京成稲毛駅、千葉駅を京成千葉駅に改称。 (昭和17年) - 浜海岸駅を帝大工学部前駅に改称。 (昭和20年) - 全線をによる軌道からによる鉄道に変更。 (昭和23年)4月1日 - 帝大工学部前駅を工学部前駅に改称。 (昭和26年) - 工学部前駅を黒砂駅に改称。 (昭和30年)• - と直通運転開始。 - 新京成電鉄新京成線との直通運転を廃止する。 (昭和33年) - 京成千葉駅を現在の千葉中央駅の場所に移転。 新千葉 - 京成千葉間の線路を移設。 (昭和34年) - 軌間を1372mmから1435mmに改軌。 (昭和41年) - 新千葉 - 京成千葉間高架線完成。 暫定的に単線運転での運行。 (昭和42年)• 4月1日 - 千葉海岸駅を西登戸駅に改称。 - 国鉄千葉駅前駅(現在の京成千葉駅)開業。 (昭和46年) - 黒砂駅をみどり台駅に改称。 (昭和62年)4月1日 - 京成千葉駅を千葉中央駅に、国鉄千葉駅前駅を京成千葉駅に改称。 (3年) - 京成幕張本郷駅開業。 (平成4年)4月1日 - ((平成10年)10月1日京成電鉄に路線を譲渡しとなる)と相互直通運転開始。 (平成18年) - 新京成電鉄車両による片乗り入れにより、新京成線松戸から千葉中央までの直通運転が再開される。 (平成22年) - から変化した熱帯低気圧がもたらした集中豪雨によって検見川 - 京成稲毛間で土砂崩れが発生し、千葉線・千原線が終日運休となる。 平成22年集中豪雨復旧時の作業• (平成23年)• - ()が発生した影響で、千葉線・千原線が運休となる。 - を理由としてがを実施。 これに伴い、この日から新京成線との直通運転が休止される。 -12日 - 東北地方太平洋沖地震の余震とみられる巨大地震が発生したため、千葉線・千原線が一時運休となる。 - 新京成線との直通運転が一部再開される。 9月10日に全面再開。 (平成30年) - 京成千葉線内では初となるLED式発車標が京成千葉駅に導入される。 これにより、駅構内放送が更新される(英語放送対応)。 なお、元から取り付けられている行灯式の接近表示機は取り付け時点では撤去されず。 駅一覧 [ ]• 全線内に所在。 全列車全駅に停車する。 駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 所在地 直通運転区間 まで(新京成車のみ、日中) まで(京成車のみ、日中以外) KS26 - 0. 0 : (直通運転:上記参照) : (SL24、直通運転:上記参照) KS52 2. 1 2. 1 : (:JB 34) KS53 1. 9 4. 0 東日本旅客鉄道: 総武線(各駅停車)(:JB 35、徒歩5分) KS54 1. 3 5. 3 KS55 2. 8 8. 1 KS56 1. 8 9. 9 KS57 1. 0 10. 9 KS58 0. 8 11. 7 KS59 0. 6 12. 6 12. 9 京成電鉄: (直通運転:下記参照) 直通運転区間 まで(平常時は京成車のみ) ホームは京成津田沼駅、京成幕張本郷駅、京成千葉駅、千葉中央駅が8両編成、その他の駅は6両編成対応である。 脚注 [ ] [].

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