パウル ツェラン。 パウル・ツェラン: ことばの光跡

パウル・ツェラン 『パウル・ツェラン詩文集』

パウル ツェラン

著者 祈りなさい、主よ 私たちに向かって 祈りなさい 私たちは近くにいます。 ともに第二次大戦と収容所をくぐり抜け、20世紀というジェノサイドの時代にあって、語りえない出来事を語る証言者としての使命を自らに課すことによって、かろうじて戦後を生き延びた詩人である。 詩の印象こそ違うものの二人の詩には、帰郷、死者、呪いと祈り、沈黙と失語、風と息といった、多くの共通するモチーフがある。 難解なメタファーの下に隠された意味を丹念に解きほぐし、「現代詩とは何か」という問いにもおのずと応える、ユニークな力作評論。 明治大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。 現在 鶴見大学文学部教授。 専門はドイツ文学、比較文学。 著書『植物詩の世界』(神奈川新聞社、2004年)。 共著『自然詩の系譜 20世紀ドイツ詩の水脈』(みすず書房、2004年)『詩人はすべてユダヤ人 ツェラーン詩集『誰でもない者の薔薇』集中討議』(日本独文学会、2004年)『ツェラーンを読むということ 詩集『誰でもない者の薔薇』研究と注釈』(中央大学出版部、2006年)『カフカ・シンポジウム』(日本独文学会、2010年)。 詩集『椿葬』(七月堂、2007年)。 書評情報 岡崎武志<サンデー毎日 2014年3月2日> 細見和之(詩人、大阪府立大学教授) <秋田さきがけ(共同通信配信) 2014年3月16日> 細見和之<信濃毎日新聞 2014年3月26日> 細見和之(大阪府立大学教授・詩人) <佐賀新聞 2014年3月30日> 関連リンク この本の関連書.

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『シボレート―パウル・ツェランのために』(岩波書店)

パウル ツェラン

パウル・ツェランという名前はユダヤ系の本名を隠すため化したものである。 戦後の詩人の代表的存在であり、を代表する詩人の一人とされる。 生涯 [ ] 1920年、両親ともの家庭に生まれた。 家でを用いたが、6歳でユダヤ系 の国民学校、10歳で国立 と、早くから多言語の習得を余儀なくされた。 1939年よりで文学を学んでいたが、1941年、の侵攻により両親とともにへ移住させられる。 翌年、ツェランの両親がトランスニストリアのへ移送され、ツェラン自身もに狩り出された。 同年秋、両親ともに収容所内で死去。 父親は移送中にに感染したためで、母親は射殺だった。 1942年から1944年まで、ツェランは各地の労働収容所に送られ、南の土木工事などを強いられた。 1944年、によりチェルニウツィーが解放されると、ツェランは精神的に憔悴しながらもチェルニウツィーに戻り学業を再開、などを学んだ。 1945年、親戚とともにに移住、をルーマニア語に翻訳する仕事に就く。 自作詩の発表もはじめていたが、の空気を嫌い、1948年に、同年に第一詩集『骨壷の中の砂』を上梓した。 1951年、女性版画家のジゼル・ド・レストランジュと知り合い、翌年に結婚。 1952年のこの年には、とも知遇を得ており、これが機縁となって詩集『罌粟と記憶』を出版。 この詩集にはナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにした代表作『死のフーガ』が収められている。 1955年フランスのを獲得。 同年第二子エリック誕生 第一子は生後まもなく死亡。 1960年、を受賞。 その記念講演『子午線』は彼の重要な詩論である。 1967年ジゼルと離婚。 1970年パリで死去。 で遺体が発見されており、と考えられている。 作風 [ ] 、、、といった文学的遺産を引き継ぎつつ、独特な具象的な詩を書いた。 彼の作品はいずれも収容所で失った両親や仲間への切実な思いが根底にあり、の言う「以後」に可能な詩の形を示したといえる。 後年には造語や古語を用いた訥言のような詩を書くようになり、「難解」「秘教的」といった批判も受けた。 作品 [ ] 詩集 [ ]• 『骨壷からの砂 Der Sand aus den Urnen 』, 1948• 『閾から閾へ Von Schwelle zu Schwelle 』, 1955• 『言葉の格子 Sprachgitter 』, 1959• 『誰でもない者の薔薇 Die Niemandsrose 』, 1963• 『息の転換 Atemwende 』, 1967• 『糸の太陽たち Fadensonnen 』, 1968• 『光の強迫 Lichtzwang 』, 1970• 『雪のパート Schneepart 』 遺稿 , 1971• 『子午線 Der Meridian 』, 1960 短篇 [ ]• 『迫る光』訳、、1972年• 『閾から閾へ』飯吉光夫訳、思潮社、1990年• 『雪の部位』訳著、、1994年• 『パウル・ツェラン全詩集』訳、、1992年• 『パウル・ツェラン詩論集』 飯吉光夫訳、静地社、1986年• 『闇の子午線 パウル・ツェラン』、• 『パウル・ツェラーン : 若き日の伝記』、訳、、1996年• 『ツェラーンもしくは狂気のフローラ : 抒情詩のアレゴレーゼ』未來社、2002年• 『評伝パウル・ツェラン』、2007年• 「」青土社、1992年1月号、ツェラン特集 関連 [ ]• 外部リンク [ ]• 詩集、短篇などの日本語訳.

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パウル・ツェラン: ことばの光跡

パウル ツェラン

(*この記事は今年2020年1月の取材に基づいて書かれたものです。 実在の団体と実在の場所、非現実的だが尚も存命中の人物などと多少の関係がありますが、概ねのところ事実無根の戯言です。 あらかじめご了承ください。 関西学院大学は阪神間モダニズムの瀟洒な建築様式の一角を成すものとして数えることのできる校舎を有しており、同じ屋根の装飾が宝塚劇場にも施されているのを見ることができる。 近年は西宮市がこの大学と背後の自然や近辺の住宅街を景観地区に指定され、教育施設としては何と全国初だという。 構内には色合い柔らかなクリーム色の壁に統一された校舎、洒落めかした学生、小綺麗な楕円の芝生には子供たちが遊び、その足元の食べ散らかしを椋鳥たちが啄み安らぎ、辺りの田んぼへ注ぐ小川が校舎の合間に流れて趣ある日本庭園を彩っている。 筆者はこれを公式サイトや訪れた人々の写真を通して時間も忘れて眺めていた。 まさに素晴らしさ以外の何ものでもなく、世界市民を標榜するからには誰から見ても美しい景観を保つという試みは褒めちぎる以外に何を言うべきか筆者は分からない。 筆者は満を持して胸を襲うであろう美の戦きに身構えながら、甲東園駅から関学へ続く坂道を登っていった。 20分ほどしてかの美が目の前に現れた。 こんもりと眺め心地の良い甲山を背景に建てられたキャンパスは自然豊かな土地らしく、頭上を大きな鵜が一羽飛んでゆくのが見えた。 そんな境地も束の間で、辺りの学生たちが慌ただしくテストの日程や教授のテスト問題の傾向についてびくびく論じ合っている光景のすさまじい瘴気にあてられた筆者は、ひとまず一服することにした。 当初はこの寛大な計らいに遠慮して部屋の中に入らずに階段に座って煙草を燻らせ石造りの階段に吸い殻の彩りを添えて立ち去るという粋な光景をしばしば見かけたものだが、年々減少している希少な喫煙者の臀部を汚しては面目が立たぬという大学当局の並々ならぬ好意により、階段の半分を魔除けの効果のある縁起物の柊が植え込まれ、保護のためか入り口脇に警備員までが配置されている喫煙者たちの客間。 お喋り好きの愉快な老人による煙草業界と政治の癒着を取り上げる目覚ましい講義が不定期で行われる。 24時間温度調節がされて過ごしやすく、ヤニカスが散らばる偶然性の美と煙に醸し出されるロマンティックな雰囲気を薫りとともに味わうことができるためデートスポットとしてお勧め。 ・喫煙所2:共同会館脇喫煙所 ここも前述した喫煙室と同じ運命を辿っており つまり植え込みと警備員があしらわれている 高い躑躅と延々と同じ木の並ぶ模様をあしらった緑豊かな工事用塀に囲まれている我らが憩いの場所。 建物の壁際に凭れて見上げてみると、校舎に区切られた晴れやかな空にはなぜか竹がそよいでいるのが見えた。 狭い道を吹き抜ける風に固い壁に葉を打ち付けている雅な響きを立てる様を聞いていると何とも言えない思いになった。 ここで幸運にも喫煙所にいた学生の方に話を伺うことができた。 ヒールブーツに裾が踵まである十万円するという極彩色の背広を羽織り、なおかつ坊主頭というどこかソヴィエト時代の詩人を思わせる異様な出で立ちをしたその青年は、貧窮する経済事情からかそれとも趣味が高じてか、わざわざ紙巻き煙草を作ろうとしているものらしかったが、上手くいかずに辺り四方に乾し草を撒き散らして周りの喫煙者から冷ややかな眼差しとそれを端的に表す距離を置かれて途方に暮れている様子だった。 やがて見かねた筆者が近寄って手伝ってやると彼は礼を言い、そこから会話が始まった。 どうやら彼は何かいかがわしい趣もしないではない文芸雑誌を作ろうと構内を巡り歩きながら詩神を引き出そうとしているものらしく、物好きな筆者の趣向を大いに誉めてくれた。 この学生が言うにはこの喫煙所を囲む塀はつい最近になって設置されたということらしく、詳しく聞き出そうとして質問を重ねるとこの喫煙所の変遷について以下のように語ってくれた。 喫煙所の撤去自体については、私には感動を通り越したような禁断症状しかありませんでした。 それは必ずしも予期されたものではありませんでしたが、今まで吸ってきた空間がこのままどのように変わってゆくのかそれが不思議でなりませんでした。 留年したら、あるいは喫煙所が撤去されたらこの世界は崩壊するはずであるのに、まだ周りの木々が、灰皿が、濃いヤニの煙を浴びている。 殊にそれは私立の大学で起きたことでありますから周りには煙を吹かす不健康な灰色の顔があり、打ち捨てられた吸殻があり、莫大な学費の請求がある。 それが不思議でたまらなかった。 あまりの救いようのなさに私は彼の懐から草のはみ出た紙巻を一本失敬した。 迷える子羊の告解は止みそうにもない。 )、「ヤニモクの悪夢が終わって、これからは禁煙の時代が来るんだ」、「これから新しい喫煙所を我々が建設するのだ」といわば誇張して言えば欣喜雀躍という様子でありました。 私は今も昔もこれからもヘビースモーカーでありますから、その様子を吹かしながら聞いていて「へえ、そんなもんか」と思っていた。 「絶望だ」と灰の苦い浅瀬に浸された舌を突き出してそう一言呟くと、薄青い冷えた空気のなか青年は何処へともなく去って行った。 また別の喫煙場の方へ。 ・学生会館裏喫煙所 この喫煙所は上に述べたどの喫煙所よりも広く、集まる面子も態度が大きくのびのびとしている。 ヤニケ(*20世紀から今世紀にかけて活躍した詩人・批評家。 ウパニシャッド哲学の影響を受けニコチンの有用性を基調とする哲学詩を生涯書き続けた。 彼自身は寝たばこの火傷を負って以来その恐怖がもとで電子煙草に乗り換えており、現在もなお劇的な喫煙生活を享受している)がどこかで書いていたような気がするが、現代人というものはもうドラマティックな喫煙ができなくなってしまった。 喫煙所の一室で閉ざされた狭い花の中で一匹の蜂が蜜を吸うように吸っている、と我々の詩人はこう的確に言い表している。 現代の喫煙は電子煙草にしろ禁煙外来にせよ何のドラマもない。 英雄的な喫煙者のいない時代に我々はニコチンを摂取しているのである。 去年の冬 2019年 、自由と尊厳とニコチンを求めて止まぬ我らが同志の誰かが好ましい座り心地のよろしくないこの喫煙所の砂利絨毯に虹色の煙を吹きかけて魔法の如く何脚ものパイプ椅子を生み出してヤニの玉座を設えたことがあった。 忽然とこの椅子が立ち並んだはじめの頃、この奇跡を目の当たりにした私たちヤニモク協賛会・シケモク共産組合・電モク分離派協会の多くの面々は無邪気にも大学当局直々の気紛れな情けとばかり思い込み、座る順番を待ってはぬくぬくと腰かけてのんきに吹かしていたものだった。 しかし変化は突然訪れた。 数日経ったある日、喫煙所は寒風吹きすさぶ元の荒れ野と化し、幻の玉座は宝の価値も分からぬ異民族の不埒な兵隊か不遜な家臣の何ものかに掠め取られていたのだった。 私たちの安息はその夢のような出現同様突如として消え去ったのである。 この目覚めの悪い状況にどうにもならなず煙を吹かして憔悴の面持ちで四角い煙場を歩き回っているとふと壁に紙が二枚大きく貼られてあるのに気がついた。 ー 【喫煙学生ニ告グ】お前たちはこの喫煙所にパイプ椅子があるのをプロレスのリング外に置かれているように自然にあるものと信じて怠惰にもその罪深い椅子に座して誠心誠意吹かしてきたのであろうが、お前たちの誰かがその椅子を持ち込んだのは間違いなのである。 【模範タラン学生諸君ニ告グ】 一. 今カラデモ遅クハナイ。 たばこヲ止メロ。 抵抗スル者ハ、全部不良デアルカラ学費ヲ上ゲル。 課題ヲ増ヤス。 単位ハアゲナイ。 反省文ノ提出ヲ強要スル。 オ前達ノ父母兄弟ハ、オ前ノ息ガ甚ダ臭ク、留年生トナルノデ皆泣イテオルゾ。 12月24日 学生生活充実支援センター ー このふざけた宣戦文に私たちは激怒した。 王座の返還と今学期すべての単位を要求すべくランバスの胸像と学長のカツラを盾に時計塔に立て籠もらねばならぬ。 私は喫煙所脇に生えている竹に打ち跨り、熱弁を振るったが同志の顔は冷めていた。 それどころは私に罵声を飛ばしせせら笑ったのである。 おまえら、聞け。 静かにせい。 静かにせい。 話を聞け。 男一匹がニコチンをかけて諸君に訴えているんだぞ。 いいか。 それがだ、今、関学生がだ、ここでもって立ち上がらねば、喫煙者が立ち上がらなきゃ、喫煙所ってものはないんだよ。 諸君は永久にだね、ただ健康な体になってしまうんだぞ。 おれは4年待ったんだ あと3年だって待つぞ。 喫煙者が立ち上がる日を。 4年待ったんだ。 諸君は大学生だろう。 大学生ならば自分を否定する単位をどうして守るんだ。 どうして自分を否定する単位のために、自分らを否定する単位にぺこぺこするんだ。 これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。 そう言っても同志らは「私たちには単位もGPAも無い。 四畳半の乾麺主食の独り暮らしだ。 いずれこの生活充実センターとやらの世話になることになるだろう」の一点張りで女を連れてどこかへ行ってしまった。 「ヤニ椅子も すり替わる代ぞ 阿片窟」 恨みの一句を灰皿の面に掛け置いた。 傍らにギターケースを置いた音楽家志望の若人たちが就活戦線への厭戦的な詞と短調の調べから成るロックな論理が奏でられていたり、はたまた学問的憂愁に襲われた教授が独り煙草を吹かして英字新聞を読み耽っていたり、我らが眉目秀麗なペリステリ編集委員たちが壮大にして微細な詩論と高遠にして洒落のきいた猥談を交わす光景が芳しい白煙に満ちた店内から観察することができる(もちろん禁煙スペースはきちんと確保されているのでご安心を)。 」 ・拙宅(関西学院付近の高級高層マンション) 「ペリステリ委員がアポなし遠慮なしで乗り込んで夜な夜な天下を論じ、いわくありげな文学的陰謀を巡らすアパートの一室。 しかしあろうことか我らが品行方正にして仁徳をそなえもつはずのペリステリ委員の一部の者は、冷酷にも冷蔵庫の酒類つまみを北方の蛮族の如く掠奪して食べかすを散らかし、南蛮人の如く卑しく酔いどれ涎を垂らして眠りをむさぼり厚かましくも筆者の一番良いベッドを朝まで占領するというおぞましい犯罪行為を連日のごとく犯している。 哀れな私は戦々恐々の態で彼らの非人道的な蛮行に為すすべなく震えており、2020年現在、国連人権高等弁務官事務所に彼らの振る舞いの詳細を一つ残らずしたためた報告書と正当な怒りの産物である訴えをおこしているが不当にも無視されている(ただし女性の来訪は大歓迎。 熱烈歓迎。 謝謝)。 」 文責K. Y 写真:竹村.

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