厭世的時代考証。 四月 2017

紅樓夢

厭世的時代考証

この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 が含まれているおそれがあります。 ( 2019年10月)• 日本中心に書かれており、 からの説明がされていないおそれがあります。 ( 2020年5月) 時代考証(じだい こうしょう)とは、・の映像作品 や などで、用いられている衣装や道具や装置 (・)、風俗や作法 ()などが、題材となった時代のものとして適当なものか否かについてすること。 専門分野に応じて 美術考証(びじゅつ こうしょう)・ 衣装考証(いしょう こうしょう)などとも呼ばれる。 また略して単に 考証(こうしょう)ともいい、 (かんしゅう)としてクレジットされることもある。 セリフの や、制度、史実との整合性 なども考証対象とされる。 について語られることが多いが、近代・現代を扱った作品でもこうした業務は必要とされる。 なお、小説や漫画を論じるに際しても「時代考証」の語が用いられることがある(漫画では外部の専門家が時代考証としてクレジットされることがある)が、本項ではドラマ制作における時代考証を中心として述べる。 テレビドラマ制作上の時代考証 [ ] 業務概要 [ ] 時代考証の業務の主要なものとしては、事前にシナリオをチェックすることや、撮影中に現場からの疑問や質問に答えることが挙げられる。 NHKで時代考証担当ディレクターを務めるによれば、「ドラマの時代考証とは、番組で取り上げられる史実・時代背景・美術・小道具等をチェックして、なるべく史的に正しい形にしていく作業」 、突き詰めれば「へんなものを出さない」ための仕事 である。 「時代考証学会」を設立し会長を務めるは、「一言でいうと、その時代らしい映像やストーリーを作るために情報を供給する仕事」と述べている。 NHK大河ドラマの場合 [ ] 21世紀初頭(2000年代-2010年代)のNHK大河ドラマ制作においては、時代考証はおおむね以下のように行われる。 台本の初稿ができあがると、・、外部の専門家(時代考証をはじめとする各種考証担当者)、およびNHK内(制作側)の考証担当者が定期的に集まる「考証会議」が設けられる。 原稿の読み合わせが行われ、考証の見地からの意見が出されて議論が行われ、台本原稿が修正されていき、最終的な台本が仕上がる。 「考証会議」でストーリーそのものが変更されることは基本的にはないという。 また考証者の見解をどの程度反映するかは脚本家 や演出家 の判断となる。 シナリオチェックでは、セリフの言葉遣いや歴史的事実(「このような出来事はあり得ない」「この人物がここにいるのはおかしい」等)などの確認が行われる。 戦国時代を舞台とする複数の大河ドラマで考証を務めたは、この段階で修正を行った実例として、「絶対家族を守る」というセリフ(「絶対」も「家族」もにはない表現) 、4月の京都から軍勢が「桜吹雪の中で」出発する描写(旧暦と新暦の取り違い)や 、を「米どころ・酒どころ」と述べるセリフ(現代の感覚を過去にさかのぼらせたことによる誤り) などを紹介している。 小和田によれば人名の読み方(の姓をどう読むかなど)も案外に多く問題になるという。 ドラマ撮影の現場から上がってくる様々な疑問や質問に答えるのも時代考証の職掌である。 たとえば食事のシーンを撮影する際しては、どのような食材や調理法が存在するか、描写された人物の状況において適切であるかなどという情報が必要であり 、考証担当者はその場で、あるいは資料を調べたのちに折り返し回答をすることになる。 小和田は「時代考証の仕事として結構時間がとられるのが、制作・演出の人たちとのやりとりである」と述べ 、『』で時代考証を務めたも、撮影中は「何か疑問があれば四六時中プロデューサーから電話が入る」日々であったと言う。 また、同じく『真田丸』で時代考証を務めたは、制作スタッフやキャストから「この人はどういう人物なのか、どうしてこういう行動をとったのか」という質問をよく受けたという。 時代考証の担当者は、小道具の制作に関与することもある。 たとえばドラマ内で使われる書状について、制作・演出の狙いに沿い、当時のものとして不自然ではない文面や書式で作成するなどの作業である。 文書に関しては 古文書考証の担当を外部に依頼することもある。 また、テレビ放送後に番組に寄せられる問い合わせや「時代考証の誤り」ではないかとする指摘に対する、番組側からの回答にも関わることになる。 丸島和洋によれば、時代考証担当者の作品への関わり方は様々である。 事前にシナリオをチェックしてセリフを直し、撮影後に映像をチェックするだけの場合もあれば、脚本段階から議論を重ね作品制作に参加することもある。 小和田哲男は『』で原作者のと執筆段階からコンタクトを持っており、大河ドラマでは従来「ねね」と呼ばれていたの名を「おね」とするよう説得したと記している。 丸島は『真田丸』で脚本段階から関わり、資料提供を行ったという。 時代考証の担当者 [ ] 『』で使用された衣装。 衣裳考証は小泉寛明()が務めた。 一般的に、ドラマのクレジットで「時代考証」あるいは「監修」として名前が挙げられる歴史学者や考証家が行うと認知されている。 また制作側でも時代考証の能力や知識は必要とされ、制作側に時代考証の担当者が置かれることもある。 NHK職員向けの考証資料をもとに『考証要集』(文春文庫)等を上梓した大森洋平は、NHKのディレクターとして時代考証業務を担当する。 「時代考証の専門家とドラマ制作現場をつなぐ仕事」であり 、専門家が専門分野から検討するのに対して、専門家の守備範囲外をカバーする「雑学」的知識の集積に努めているという。 TBSドラマ『』などの時代考証を担当したは「時代考証家」の肩書で活動している。 山田は放送作家・番組制作の経験の持ち主であり、テレビ番組のリサーチと企画構成を専業としている。 『天皇の料理番』において、山田は台本以前の仮本の段階から言い回しを確認にあたった。 山田はドラマのロケにも同行するスタイルをとっており、ロケ地には事前に入って建築物の様式のチェックも行う。 美術や衣裳など、「時代考証」と別に「考証」の役職が設けられることがある。 美術考証 [ ] 映画やテレビドラマにおいて、大道具・小道具・衣裳のデザインなどは一般にの職掌とされており、ある時代や状況に即したものかを考証することもそのうちに含まれる。 衣装考証 [ ] 演劇や映画などでは、一般的に美術担当スタッフが衣装を決定するが、時代的考証のために専任者を置くことがある。 歴史的事実とドラマ的真実 [ ] の一つ、。 一部は長野県に指定されている。 「時代考証をやりながら、これは絶対に無理だというものがある。 〔…中略…〕まず、馬である。 」「本当はそうした馬を使って撮影してもらいたいところであるが、そうなると頭数を揃える難かしさが生まれてくる。 」(小和田哲男) 時代考証は、歴史的事実とドラマ的真実(リアリティ)の整合をはかる作業である。 小和田は「歴史ドラマはどこまでフィクションが許されるのか。 このことについての明快なガイドラインはまだない。 だからこそ、時代考証という仕事の重要性があるのではないかと考えている」と述べる。 丸島は時代考証について、「史実に忠実でさえあればいいのかというと、そうではない」と述べている。 ある言葉や言い回しがその時代にあったかという点は考証の重要な対象の一つであるが 、たとえば戦国時代の言葉だけでセリフを構成するのは不可能であり、視聴者が理解できなくなってしまってはドラマとして本末転倒である。 映像作品を仕上げるという目的のために、考証担当者が「誤り」と知りつつ認める点も多々ある。 近代以前の日本の馬は体高の低いであるが、調達することが困難であることと、映像的な見栄えの点でが使用されるのが代表的な例である。 近代以前の日本では一定の身分の者や既婚女性はをしていたが、今日の視聴者の感覚には相いれない。 事業が進んだ今日、中世・近世さながらの田園風景をロケ地として確保するのは困難であり 、燭台しかなかった時代の室内照明の「暗さ」を表現しようとすれば画面の見やすさに関わる。 「歴史的な正確さ」への期待 [ ] 小和田は、多くの人々がNHK大河ドラマを「歴史再現ドラマ」として捉えている、という認識を示している。 大河ドラマはもとよりフィクションであるが、映像になっているものが史実として刷り込まれるかもしれない 、ゆえにドラマの制約の中でも「史実に近づける努力」はしなければならない と小和田は言う。 小和田はドラマの影響力の大きさを認知し、「従来のイメージ」ではあるが誤りと考えられる点を退け、学界での通説や、新たな研究成果を取り込むことも試みているという。 一般に「真田幸村」の名で知られる戦国武将について、小和田は『』(2009年)監修時に「信繁が正しい名乗りであることを世間にアピールするよい機会と考え」て考証会議で信繁を使用することを主張したが、通らなかったと述べている(なお「幸村」の使用を主張する側も、江戸時代にが編纂した『左衛門佐君伝記稿』を論拠に論陣を張った)。 なお、NHK大河ドラマで「真田信繁」が実現するのは『』(2016年)からである。 『』で監修を務めた丸島は「この時代」のはしていたこと を描写すべく、「演出上わかりづらい」と難色を示す制作側と交渉し、終盤で映像化を実現している。 「の際に織田信長が自ら鉄砲を持って応戦し、銃撃戦を展開するシーン」は、多くのドラマ・映画・漫画でたびたび描かれてきた。 『』(2006年)の脚本でも銃撃シーンがあり、小和田は考証会議の席で『』を示しながら信長が鉄砲を持ち出す記述がないと修正を主張したが、制作側から「その夜の本能寺に鉄砲が一挺もなかったという史料はありますか」と反論され、それ以上「だめ」と言えなくなったという。 小和田は『』(2009年)においてはが倒れるシーン(史実ではの厠で倒れた)で演出側から「場所の変更」の打診を受け、当初は史実通りの描写を主張したが、厠で倒れる姿は映像にしにくいなどの意見を受けた結果、「謙信ほどの英雄が厠で倒れるというのも少しかわいそうだ」とも思われて場所の変更を可としている。 なおその結果放送後に「抗議」が殺到し、小和田は「謙信が厠で倒れた」ことが広く知られていることに驚くとともに、NHKには「演出上の変更」と回答してもらったという。 考証の結果として導かれたものであるとしても、視聴者の期待するイメージと考証が反する場合は反発を醸すことがある。 大河ドラマ『』では、考証に基づいて原色の色使いの衣装を採用したが、否定的なものを含め「さまざまなご意見」があったという。 「面白いドラマ」への期待 [ ] NHKの大森は「資料が残っていない部分は演出のさじ加減」 、「時代考証とは、登場人物の服装、行動、話し方などの枠組みを決める作業です。 その枠の中では、自由に遊んでもいいんです。 あくまで史実に引っかけた『ファンタジー』ですから」としている。 『』の時代考証を務めたは、大河ドラマは「歴史ドラマ」であり「歴史ドキュメント」ではないと述べる。 原口は『西郷どん』のプロットづくり(脚本は)から関わっているが、あえて史実と異なる「フェイク」 も多く通している。 歴史学者のには、映画化された著書もあるが(『』『』)、「歴史映画」について「その時代のエッセンスがわかるということは重要ですが、必ずしも史実にのっとっている必要はない」「実際起きていなくても、起きうる出来事を描いていれば、それは歴史映画だと言っていい」と述べている。 時代劇研究家のは『なぜ時代劇は滅びるのか』(2014年)において、「極端に言えば、それ〔注:時代劇〕が作品として面白ければ考証として正しかろうが間違っていようがどうでもいい」と自らの関心を述べ 、「多くの観客が時代劇に求めるのは「正確な史実」でも「最新の学説の発表」でもない。 「ロマン」つまり「こうだったら面白い」という世界である」とする。 春日は、テレビドラマ『』(中村吉右衛門主演)で表現された「江戸情緒」を高く評価しているが、一方で時代劇というジャンルが「時代考証」に過剰に縛られドラマとしての表現を窮屈にする結果を招いてしまい、作り手にとっても視聴者にとっても時代劇が「敷居の高い」「つまらない」ジャンルになって衰退してしまったとする。 春日は考証とドラマ制作との関係について、「考証に忠実な美術監督」と評価されているの、時代劇のセット設計で最も重要なのは考証に忠実かではなく、ドラマの情感をどれだけ表現できるかであるという言葉を紹介している。 春日は、制作者側が自由にイマジネーションを働かせ、細部まで完成された虚構世界を築き上げた「ファンタジーとしての時代劇」 の復活を期待するが、「いい加減に作られた時代劇」を「ファンタジー」と呼ぶ傾向を批判する。 なお春日は大河ドラマに関して、「歴史の残酷さに翻弄される人間たちの無力さ、儚さ」 や「寂寥感」 が魅力という見方を示しており、「史実を忠実に再現することが必ずしも正解ではない」と主張する。 その証左として、「名作」と呼ばれる大河ドラマ作品のほとんどは物語性のために創作を盛り込み史実を改変してきたと述べる。 春日は2000年代以降の大河ドラマの一部についてリアリティがないと酷評しているが 、考証の観点ではなく物語性の観点からであり、「わかりやすさ」を追究したご都合主義的な脚本を批判している。 歴史 [ ] 舞台演劇 [ ] 過去の歴史や人物を扱ったを、実際のものに近づけようとする試みはさまざまに存在した。 19世紀後半、ドイツのが自ら指導にあたった (、) は、近代演劇運動に重要な足跡を残したが 、この劇団が行った革新の一つが「歴史的に正確な」衣装や装置を導入することであった。 たとえばシェイクスピアの『』を上演するにあたっては、が暗殺されたのの景観(、議場であった、)を、当時の研究に基づいて舞台装置で再現しようとしている :7。 当時の新聞には博物館のようであるという評が、肯定的にも批判的 にも用いられた :4。 考証に凝りすぎることを「マイニンゲン風」( meiningerei マイニンゲライ)と呼ぶ言葉も残した。 が演じる『』の平重盛 日本においては、明治期のの革新運動()の中で、従来の荒唐無稽な「時代物」に代わり、演目の設定、人物像、筋立て、扮装、装置などの時代考証を厳密にした「」の制作が行われるようになった。 中心となったのはで 、()座元の 、狂言作者の第一人者である 、漢学者・劇作家の らが協力した。 黙阿弥やらによる脚本の新作・改作、衣装や小道具・装置を史実に沿ったものにするなど 、写実的な新演出を試みた。 活歴物は史実に忠実であろうとするあまり芸術的完成度の点は不十分であったと評され 、一般観客には受け入れられなかった。 「活歴」という言葉自体、劇評家でもあったが『二張弓千種重藤』を「活歴史」と評したことに由来し、これは依田学海らの「時代物は活きたる歴史でなくてはならない」とする発言を受けたものであるが、魯文は「これは芝居ではない」という揶揄的な意味で用いたのであった。 活歴物はほとんどが途絶し、現在も演じられているのは『』(通称『高時』)程度である。 しかし、活歴物で試みられた演出や演技は、歴史演劇に大きな影響を残した。 テレビドラマ [ ] 歴史雑誌編集者で著書に『時代劇の「嘘」と「演出」』があるによれば、「「時代考証家」という肩書きで常に語られ、また時代考証という営み自体が一般に知られるようになる端緒を開いた人物」はであるという。 なお、NHK大河ドラマで初めてスタッフ・クレジットに「時代考証」が記されるようになったのは、1967年の第5作『』(担当は歴史学者の)である。 著名な時代考証家 [ ] 文筆家 [ ] (1870年 - 1952年) 江戸文化・風俗を研究して広範な分野で膨大な書籍を残し「の祖」と呼ばれ、また時代考証の「元祖」として扱われることの多い人物。 ただし、鳶魚の時代に「時代考証」という言葉は使われておらず、本人も「時代考証家」と名乗ってはいない。 大正時代から盛んになったにおいて考証が杜撰であることについて、著書『大衆文芸評判記』『時代小説評判記』で辛辣な非難を加えている。 (1912年 - 1996年) 新聞記者・雑誌記者から文筆業に入る。 NHK大河ドラマでは第6作『』(1968年)にはじまり、『』、『』、『』、『』(1976年)まで5作の時代考証を担当。 『歴史考証事典』『時代考証事典』など数多くの著書がある。 (1922年 - 1999年) 宣伝部に勤務し監督作品の時代考証に従事(1960年に退社)。 映像メディアに必要とされる風俗考証から、江戸時代の草双紙や浮世絵の研究へと進み 、江戸文学・浮世絵の研究家として活動するとともに、映画・舞台・テレビ番組などの時代考証家としても活躍した。 時代考証をめぐる随筆集『時代風俗考証事典』(1977年)において、「考証のためにドラマがある」のではなく「ドラマのために考証がある」という考証スタンスを主張している。 (1958年 - 2005年) 稲垣史生に師事。 漫画家・江戸風俗研究家として知られる。 1993年に漫画家を引退し、江戸風俗や浮世絵の研究に専念した。 NHKのバラエティー番組「」に解説者として9年間レギュラー出演したほか、多くのエッセイを記した。 画家 [ ] (1875年 - 1954年) 日本画家。 舞台装置や時代考証も手掛け、知られた。 (1887年 - 1940年) 日本画家。 風俗考証に定評があったといい、挿絵・装幀のほかに舞台や映画の装置も手掛けた。 林美一は『時代風俗考証事典』において、1926年(大正15年)に監督が『』を撮影した際に髪や衣装のデザインを小林に依頼し、この時に用いたのが「時代考証」という用語の始まりという説を書き留めている。 (1901年 - 1974年) 画家。 「連載小説の挿絵画家の第一人者」と評されるとともに、1937年の映画『』(監督)で「美術考証」を務めたのをはじめ、『その前夜』、『すみだ川』、『』、『』(監督、1956年)で考証を行った (1904年 - 1963年) 日本画家。 に師事し歴史風俗画を描く。 黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を行ったほか、歌舞伎『新忠臣蔵』の舞台装置制作、吉川英治『太閤記』の挿絵を手掛けた。 (1922年 - 1997年) 日本画家。 大仏次郎や山本周五郎の小説に挿絵を多く描いたほか、舞台や映画の時代考証も多く手がけた。 学者 [ ] (1884年 - 1979年) 日本風俗史学者。 1911年に風俗史研究会を組織。 研究発表・講演や実演を通して普及に努めたほか、映画やテレビ番組、京都のやの時代考証家としても活躍した。 (1902年 - 1979年) 歴史学者。 専門は法制史であるが、家学の研究を受け継ぎ、葵祭や時代祭、などの時代考証を行った。 子の(考古学者) も時代祭考証委員長などを務めている。 (1902年 - 1987年) 歴史学者。 専門は日本中世史・茶道史。 『』など、大河ドラマの時代考証・監修を4度にわたって務めた。 (1940年生) 歴史学者。 専門は日本中世史(戦国時代)。 有職故実研究の第一人者とされるとともに『花の乱』(1994年)から、『軍師官兵衛』(2014年)まで時代考証・風俗考証として14作に関わる。 時代考証に関する著書として『時代劇と風俗考証:やさしい有職故実入門』(吉川弘文館、2005年)。 テレビにおける時代劇表現の向上を図るなど放送文化の向上に貢献したことを理由として、2005年度のを受賞している。 (1944年生) 歴史学者。 専門は日本中世史(戦国時代)。 NHK大河ドラマでは『』(1996年)以来、『』『』『』『』『』『』で時代考証を務める。 時代考証に関する著書として『歴史ドラマと時代考証』などがある。 (1953年生) 歴史学者。 専門は日本近世史。 『』『』『』『』『』で時代考証を担当。 2009年に「時代考証学会」を設立し会長に就任。 (1957年 - 2020年) 歴史学者。 専門は日本近世史。 テレビ番組の歴史解説や時代劇作品の時代考証も多数務めた。 その他 [ ] 3代目(1891年 - 1952年) 歌舞伎小道具方。 画家に師事、鎧づくりの名手とされた。 有職故実、時代考証に造詣が深く、歌舞伎のほか、新派、新国劇、オペラ、バレエ、新劇などの小道具も手掛けた。 (1912年 - 2006年) 武術家。 武術の実践とともに時代考証家としても著名であり 、捕り物道具のコレクションがに寄贈されている。 『絵でみる時代考証百科』『間違いだらけの時代劇』などの著書がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 小和田は『』において、シナリオでは秀吉と蜂須賀小六の出会いの場所をに架かる橋()の上としていたものを、当時矢作川に橋が架けられていなかったという知見に照らして修正したこと(小舟の上で出会うこととなった)を、呼称等の修正に対して「ドラマの根幹」にかかわる変更を行った例として挙げている。 NHKの大河ドラマでは夜の室内が明るく表現されすぎていると考えていた小和田は、『秀吉』で初めて時代考証を担当した際にいつもより暗く撮ってもらい「まずまず」満足していたところ、の団体からこれでは何も見えないと抗議を受けたという。 『真田丸』での「信繁」使用は制作陣からの提起で、考証を打診された丸島が「制作陣の本気を感じました」と述べている。 も参照。 西郷隆盛と妻の糸(史実では糸が16歳年下)を幼馴染するなど。 この設定について原口は「脚本のさんが『2人は子供のときに会わせたい』との希望でしたので、『まあ、いいでしょう』と」と述べる。 考証的正しさに囚われない作品として、映画『』(監督)で、西部劇的なスタイルを求め、ピストルやマフラーを仲代達矢演じる人物に持たせた例などを挙げている。 『』(1979年)で架空の人物「伊東祐之」が物語の根幹にかかわる重要な役割を担った例、など。 『』以降の俗に「スイーツ大河」と呼ばれる風潮、特に『』を俎上に挙げている。 マイニンゲン劇団、マイニンゲン公劇団、マイニンゲン宮廷劇団とも訳される。 主席演出家は ()。 批判的なものには、この劇団の演出で重要なのは役者ではなく考古学者・歴史家・背景画家などであると書かれた :5。 出典 [ ]• デジタル大辞泉(コトバンク所収). 2020年5月6日閲覧。 精選版 日本国語大辞典(コトバンク所収). 2020年5月6日閲覧。 大辞林 第三版(コトバンク所収). 2020年5月6日閲覧。 SEKAI. 2020年5月6日閲覧。 マイナビニュース(週刊ポスト2013年4月26日号の転載). 2020年5月6日閲覧。 大森洋平『考証要集』(文春文庫)• exciteニュース. 2020年5月6日閲覧。 歴人マガジン. 2020年5月6日閲覧。 Smart FLASH 2016年7月24日. 2020年5月6日閲覧。 小和田(2010年)、kindle版位置No. 221• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 230• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 331• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 280• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 159• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 902• 996• 黒田基樹『羽柴家崩壊』(平凡社〔中世から近世へ〕、2017年)、kindle版No. 3022• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 1000• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 203• 文藝春秋. 2020年5月6日閲覧。 スポーツニッポン. 2015年5月24日. 2020年5月6日閲覧。 日本映画テレビ美術監督協会. 2020年5月11日閲覧。 日本映画テレビ美術監督協会. 2020年5月11日閲覧。 きもの用語大全. きもの館 創美苑. 2020年5月11日閲覧。 923• 明治大学リバティアカデミー. 明治大学. 2020年5月6日閲覧。 小和田(2010年)、kindle版位置No. 小和田(2010年)、kindle版位置No. 953• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 363• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 992• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 小和田(2010年)、kindle版位置No. 小和田(2010年)、kindle版位置No. 小和田(2010年)、kindle版位置No. 618• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 680• 小和田(2010年)、kindle版位置No. 645• 2020年5月11日閲覧。 smartFLASH. 2018年1月28日. 2020年5月10日閲覧。 産経新聞. 2018年6月10日. 2020年5月10日閲覧。 トレンドニュース. 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孚佑帝君呂洞賓/呂純陽《百字銘》長生不老/八仙之首,道教仙人之一/呂純陽的《百字銘》/“丹田有寶休尋道,對境無心莫問禪/呂純陽說:“一粒粟中藏世界,半鐺鍋內煮山川/【養氣忘言守,降心為不為,動靜知宗祖,無事更尋誰,真常須應物,應物要不迷,不迷性自住,性住氣自回,氣回丹自結,壺中配坎離,陰陽生反復,普化一聲雷,白雲朝頂上,甘露灑須彌,自飲長生酒,逍遙誰得知,坐聽無弦曲,明通造化機,都來二十句,端的上天梯。】 @ 姜朝鳳宗族 :: 痞客邦 ::

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第9章 009媽咪,請喊我寶寶 時間一晃,過去了三個月. 已經是入秋,落英苑卻依舊是百花齊放. 只是這些花,顏色都鮮豔的異常. 此時,一個身穿大紅色衣衫的女子步出了房門,她的手里抱著的是個粉雕玉琢的小嬰兒. 不知道東方厭世是用了什麼方法,逼迫君禦寒把孩子給送了過來. 讓她意外的是,她生出來的兒子,居然逆天到這種地步. 只是三個月的時間,他不但會說話,還會自己思考,而且那一身內力,居然比自己還要深厚. 她自然而然的把這些都歸功于東方厭世. 他不但調制了各種藥泉讓懷里的人洗澡,而且還煉制了各式各樣的丹藥給他當飯吃. 甚至,離開的時候,還給了他一面鏡子,說什麼里面含有幾道神秘力量,關鍵時刻會被觸動. 而這鏡子,也當著她的面,鑽進了寶寶的身體內. 這三個月,顛覆了她所有的認知,但也讓她對這個時代了有了一些了解. 她穿越到了玄靈大-陸上,這片大-陸很遼闊,到底有多遼闊,至今沒有人能說出個所以然. 因為玄靈大-陸的極東是無邊的森林,據說森林內隱藏著無數的凶獸,就算是這片大-陸上數一數二的強者,也無法進入到最深處. 森林的西邊,有東凰朝,紅焰朝,西臨朝,天璽朝,洛華朝五個國家. 基中天璽朝實力是最強,洛華朝的實力最弱,甚至于有天璽朝附屬國之稱. 紅焰朝,西臨朝,東凰朝,三朝實力相當,各有所長,難分勝負. 而她所在的就是東凰朝. 不得不說的是,當她問及東方厭世關于那無邊森林的時候,他的臉上滿是不屑,還賣關子的跟她說了句:"你的世界,不會只局限于這大-陸上. " 等她再次問的時候,對方卻來一句:"天機不可泄露. " 這可不是她要的答案,于是她開始死纏爛打,最後終于從東方厭世的嘴里套出了一個名字"仙歧大-陸". 再多,他就怎麼都不願意說了. 而關于她,非常巧合的,無論是樣貌還是名字,都跟二十一世紀的她,一模一樣. 她是東凰朝四大世家,勢力最弱的朱家的二小姐. 很狗血的,是個庶出的小姐. 庶出也就罷了,偏偏是個無法修-煉內功的廢材,自然而然到哪里都被嫌棄. 關于她這身體原主人的事跡,這里就省略N個字了,說出來,完全會影響她的一世英明. 這個時候,胸口傳來了一陣擠壓,她下意識的低頭,看著懷里滴溜溜的轉著黑白分明的雙眸的人,無奈的說:"朱寶寶,你又要吃奶? " "媽咪,不准連名帶姓的喊我,一點都不有愛,請喊我寶寶……" 聽到耳邊傳來的抱怨聲,朱純抬起頭手,捏了捏他小巧精致的鼻子,板起了臉:"跟你說過多少次了? 天才遭嫉,不准開口說話了……" 朱寶寶抬起小手,捂住了紅嘟嘟的嘴巴,他不斷眨著明亮的雙眸,一層霧氣浮了出來.

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輪迴在三千世界

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第二篇 《詩》《書》時代的社會變革與其思想上之反映 序說:考証材料 第一章 由原始公社制向奴隸制的推移 第一節 原始公社社會的反映 唐虞時代亞血族群婚,姊妹共夫,兄弟共妻 p94。 氏族評議會選舉制 p95。 氏族社會的制度一直到殷代末年都還沒有消滅 p96 ,但在殷代中就已開始動搖,奴隸制漸漸發生。 這從周室也可得到不少明証:古公亶父是母系社會;武王母有百子;父子相承制還未確立。 p97-99 第二節 奴隸制的完成 原始氏族社會向奴隸制的推移,當以牧畜的發現為開始,以農業的發達而完成 ,男子產業固定,而女子成為附庸,私有財產權確定,民主性的政治組織便成為有產者的保護與榨取的機關,貧人俘虜自然淪為奴隸 p99。 商代大約自中期以後農業已是發明了,但還沒有十分發達 p101。 奴隸制的社會組織是在周初才完成,它的原因是在農業的發達。 農業的發達可能是在鐵的耕器的發明。 p122 * 郭沫若的關懷 批當權的欺騙詐術 p113。 批周公、批聖人 119。 第三節 宗教思想的確立 《詩經》和《書經》上的宗教思想,就是奴隸制下的支配階級的根本概念,和《和易》上所表現的是一致。 一 人格神的存在 二 神權政治的主張 三 想以折衷主義來消滅辯証式的進化。 p125 《洪範》的出發點是先承認了一個唯一神的「天」或「帝」的。 九疇則是天予「天子」治國平天下的大法,是一個嚴整的神權政治的系統。 依次為「五行」、「五事」 人事 、「農用八政」 國家的起源 、「協用五紀」 歲時 、「皇極」 王的支配權 、「三德」 帝王損益的權衡 、「稽疑」 宗教迷信 、「庶徵」 休咎 、「向用五福,威用六極」 天子的生殺予奪之權 p128-137。 《洪範》全篇的意旨的串衍,目的很鮮明的是: 一 肯定人格神的存在,當然不準有絲毫的懷疑,更說不上那個敢于狎侮否認了。 二 極端主張神權統治的神聖,政權教權合于一尊,整個的宇宙就是一個神國。 三 有意識地要利用折衷手段來消滅社會的進化,使神皇的位置得以子子孫孫繼繼承承。 p137 第二章 由奴隸制向封建制的推移 第一節 宗教思想的動搖 《詩經》中的「變風」、「變雅」,充滿怨天尤人之作。 分列如下:對於天的怨恨;對於天的責罵;徹底的懷疑;憤懣的厭世;厭世的享樂;祖宗崇拜的懷疑;人的發現:被否定的人,否定自己的被否定,不歸罪於天,而歸罪於人,殉葬成為問題 p138-46。 秦穆公的時代應該是新舊正在轉換的時代,《秦誓》高調人的價值,《黃鳥》同時也在痛悼三良,所以從人的發現,我們可以知道正是新來時代的主要脈搏。 p147 第二節 社會關係的動搖 一、階級意識的覺醒。 p149-155 二、舊家貴族的破產。 p155-159 三、新有產者的勃興。 p159-163 第三節 產業的發展 一、刑罰的買賣:《呂刑》中刑罰的公然買賣。 當時的被支配階級已有錢到可以買賄刑戮的地步。 這實際上是奴隸解放的表現 p164-5 二、爵祿的買賣 p165-166 三、工商業的發達:自漁獵向牧畜 貝、物的字源考察 :工商業的發達要以手工業和農業的發達為前提。 從手工業來看,《詩經》上有許多消極証明其發達的根據,鐵已存在,但為賤金,少用於兵器、禮器等。 p166-172 四、農業的發達:戰爭的二面性,破壞產業,拓展產業 p172。 當時所謂開彊辟土,其實就是推廣自己的農業。 漢民族發展的路徑,從《詩經》中可以看出,是對北取守勢,對南取攻勢,這目的是很明了的。 因為北地苦寒,不適于農業;南土膏沃,特別便于農業的發展。 而舊日的王宮,不免成為田地,反映當時的農業已經發展到差不多是地無寸隙了。 p172-8.

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