藤井 聡太。 藤井聡太七段の凄さを現役プロ棋士に聞いてみる [将棋] All About

【勝負師たちの系譜】3年連続勝率8割超! 藤井聡太七段のタイトル戦登場に期待 (1/2ページ)

藤井 聡太

3月24日。 10時に始まった対局は19時36分に終局。 結果は129手で藤井七段の勝ちとなりました。 リーグ成績は藤井七段3勝0敗、稲葉八段1勝2敗となりました。 また発表によれば、未放映のテレビ棋戦の結果も合わせ、藤井七段の今年度成績は52勝12敗に。 3月31日におこなわれる残り1戦を残して2019年度勝率8割以上が確定しました。 藤井七段は過去に誰もなしえていない、3年連続勝率8割超えという偉大な記録を、デビュー以来の3年で打ち立てました。 藤井七段、信念を貫く長考 戦型は角換わり腰掛銀の最新形。 62手目、稲葉八段が藤井陣に歩を垂らす手を見て、ここから時間を使う中盤戦となりました。 藤井七段は昼食休憩中、早めに席に戻って考え続けます。 62手目が指された後、藤井七段は休憩を合わせ1時間半近くを使って、63手目を指しました。 対して稲葉八段はすぐに応じ、今度は8筋に歩を垂らします。 ここでもまた、藤井七段はこんこんと考え続けます。 中盤で勝負所と見るや、惜しみなく時間を投入するのが藤井七段のスタイルです。 それはもちろん、仮に終盤で時間が切迫してもある程度は指せるという自信の裏返しでもあるでしょう。 そしてまた1時間半近くを使って、次の手を指しました。 応手はもっとも自然な、直前に打たれた歩を取る手です。 藤井七段は断続的に時間を使い、4時間の持ち時間がどんどん削られていきます。 藤井「中盤で長考した局面があったんですけど、そこで読み筋が当たらずに少し・・・その後は時間の面でも、形勢の面でも、苦しくなってしまったのかなあ、という気がします」 稲葉「妥協せず、時間を惜しみなく使って将棋の棋理というか、しっかりと。 時間がなくなってくると結構妥協する棋士も多いんですけど、そういうことないんだなって思いました」 74手目。 稲葉八段はほとんど時間を使わずに、王手の駒を玉をみずからで取り、三段目に上がる意表の応手を見せます。 75手目。 藤井七段はそこでまた考え、歩を打って王手をかけます。 そこで残り11分。 対して稲葉八段は3時間26分を残しています。 終盤の難しいところで、これだけ時間差がつくことはそうありません。 稲葉「予定していた局面まである程度いったんで。 あまり相手との兼ね合いとは関係なく、自分のペースを貫きました」 稲葉玉は中段四段目に上がっていきます。 「中段玉寄せにくし」の格言通りで、危険なようでも、強者は玉を上に逃げる手を最善と読めば、そうする順をいといません。 藤井七段は桂を打って王手をかけます。 そこで稲葉八段はふんだんに残された時間を使って考えます。 そして金を取らせる間に玉を逆サイドに逃げていく順を選びました。 89手目。 残り時間が切迫した藤井七段。 残り9分から1分を割いて、自陣一段目の飛車を中段五段目に浮いて、攻めに使います。 ソフトの評価値は稲葉八段に傾きました。 とはいえ、局面は難解です。 少なくともほとんどの観戦者には、何がどうなっているのか、さっぱりわかりません。 そこから最善に近い手を指し続けることができなければ、勝ちにはたどりつけないのでしょう。 稲葉八段には、2時間近い時間が残されています。 もしもこうした展開が事前にイメージした通りとすれば、その戦略はズバリ当たったことになります。 稲葉八段が考えている間、藤井七段は足早に席を立ち、トイレに行きます。 たとえトイレであっても、手番の側であれば容赦なく時間を削っていくのが将棋界の決め事です。 お隣の囲碁界はその点優雅で、トイレに立つ時間は消費時間としてカウントしないそうです。 相手が席を立った間、盤の前に残された棋士は何かをぼやくのが定跡とも言えます。 藤井七段がいない間、稲葉八段は「ひえー、そうかー」などとしきりにぼやきます。 どれだけ時間があっても、難しい局面なのでしょう。 稲葉八段はなお考え続けます。 そのうち藤井七段を前にしても「いやあ、ひえー」と口にするようになり、身をよじり、やがてぼやきが止まらなくなってきました。 90手目。 稲葉八段は37分を使って、受けに銀を打ちました。 それを左から打つか右から打つか、わずかな違いで進行はまた違ってきます。 藤井七段は1分で王手で攻防の角を打ちました。 これもまた多くの観戦者の意表をついた、めまいがしそうな手です。 稲葉八段が逆サイドに銀を打てば、この角打ちはありませんでした。 天才のみ演出しえる大逆転劇 藤井七段が追い込むか。 それとも稲葉八段が逃げ切るか。 手に汗握る、白熱の終盤戦です。 95手目を藤井七段が考える間、稲葉八段もトイレに立ちます。 稲葉八段には1時間以上の残り時間がありますが、ここはやはり足早になるようです。 藤井「途中からかなり複雑で、考えてもなかなかわからないという局面が続いたんですけれども、かなり時間がなくなってしまって、厳しいかなと思ってました」 局面は次第に稲葉八段優勢がはっきりしてきたようです。 しかしわずか一手のミスでひっくり返されるのが将棋であり、藤井七段の終盤です。 106手目。 この王手もかなりの迫力で、対応もまた悩ましい。 どちらかといえば、いつもそっと指す藤井七段が、ここはかなりの駒音をさせての着手でした。 考慮中に残り時間50分を切った稲葉八段。 しきりに「いやあ」とぼやき、舌打ちも聞かれます。 名人挑戦経験のあるA級棋士にして、この終盤を読み切るのは至難の業。 改めて「将棋は難しすぎる」と感じさせる一場面でした。 「稲葉先生、残り40分です」 記録係の声がした後、稲葉八段は一呼吸おいた後「はい」と答えます。 そして「いやあ」とぼやいて、また舌打ちをしました。 「稲葉先生、残り30分です」 その声を聞いて、「はい」と答える稲葉八段は落ち着いているようにも見えました。 稲葉「ある程度有利に進んでいったかなと思うんですけど。 時間がない中で勝負手を連発されて、長考する場面が多かったですけれど・・・。 驚くべきことに、ここで形勢は逆転したようです。 稲葉八段の終盤の指し手が、不自然だったとは思われません。 ひどい悪手を指したという印象もありません。 しかし現実として、盤上の形勢は逆転しています。 将棋は難しすぎる。 改めて、そう感じざるをえません。 「正直、これが逆転するとは思いませんでした」 佐々木勇気七段はそうつぶやきました。 おそるべきは藤井七段の終盤力というよりありません。 111手目。 藤井七段は残り2分のうち1分を使って、成桂を引きます。 この王手もまた、そう簡単な手ではありません。 しかし多くの観戦者は、藤井七段がその最善手を逃しはしないであろうことを予想していました。 これまでつちかわれてきた、藤井七段の強さに対する信頼がそうさせるのでしょう。 逆転して、形勢は藤井七段勝勢です。 そして稲葉八段の手が止まりました。 藤井七段には残り時間がないのだから、本来であれば少しでも早く指したいところです。 しかし指せない。 稲葉八段は7分考えた後、玉を一つ上がって逃げます。 そして稲葉玉には三十数手にもおよぶ即詰みが生じました。 藤井七段が中段五段目に上がった飛車がよく利いていて、逃げる場所がなくなっています。 すべての駒が、不思議と藤井七段が勝つように配置されているように見えてしまう。 しかしそれはもちろん、藤井七段が導いて、そうなっているわけです。 122手目を指した後、稲葉八段は残り22分。 そしてまた足早にトイレに立ちます。 123手目。 盤の前に一人残された藤井七段は、一分将棋で秒を読まれながらも、指し手はずっと誤りません。 稲葉八段が戻ってきてみると、そこには稲葉玉の死命を制する銀が王手で置かれていました。 130手目、金打ちの王手を見て、稲葉八段の首ががくっと折れました。 そして一呼吸を置いて「負けました」。 投了を告げました。 藤井七段はこれで王位戦リーグ白組で3連勝。 リーグ優勝、挑戦者決定戦進出に向けて、大きく前進しました。 藤井「残り2局も最善を尽くして指したいというふうに思っています」 史上初の3年連続勝率8割を達成した藤井七段。 その記録については、どう感じていたのか。 藤井「そのことはまったく意識してなかったですけど、今年度も一局一局全力を尽くしてきた結果、そういう結果を残せたことはよかったかなと思います」 われらの時代を代表する天才は、そうした記録にまったく無頓着のようです。 天才藤井七段の奇跡的な大逆転劇、そして達成された記録の偉大さを前に、筆者は同時代の観戦者の一人として、泣きたくなるような思いがします。 脱帽し、ただただ拍手を送るよりありません。

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【最新】今後の対局予定

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6月23日に開幕した第4期叡王戦(主催:ドワンゴ)も予選の全日程を終え、本戦トーナメントを戦う全24名の棋士が出揃った。 類まれな能力を持つ彼らも棋士である以前にひとりの人間であることは間違いない。 盤上で棋士として、盤外で人として彼らは何を想うのか? 叡王戦特設サイトは ニコニコでは、本戦トーナメント開幕までの期間、ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』作者である白鳥士郎氏による本戦出場棋士へのインタビュー記事を掲載。 「あなたはなぜ……?」 白鳥氏は彼らに問いかけた。 将棋界ではそう思われているし、永瀬本人もそう語っている。 大地に根を張った巨木のごとき『根性』という揮毫は、永瀬の性質を何よりもよく表現していると感じる。 将棋ファンが付けたあだ名は『軍曹』。 その真骨頂が発揮されたのは、電王戦FINALでの対局だろう。 永瀬は将棋ソフトを圧倒した上に、バグまで指摘したのだ。 「それ放っとくと投了すると思うんですけど」という台詞を聞いて、私は背筋が寒くなるのを感じた。 ……いったい、どれだけ練習将棋を指せば、こんな勝ち方ができるんだ? 藤井聡太が四段に上がった直後に行われた非公式戦『炎の七番勝負』においても、ただ一人、勝利した。 完勝だった。 その永瀬が、藤井と研究会を行っているという。 『努力』と『天才』。 永瀬七段: はい。 あの時、鈴木先生にはどんなことを言われたのですか? 永瀬七段: そうですねぇ。 その時に言われたのは……『自分ならば加來さんに負けるわけがない』『プロ棋士が負けるのはありえない』というふうなことでしたね。 永瀬先生は奨励会を抜けてプロになったのだから、負けてはいけないと? 永瀬七段: 鈴木先生はけっこう、アマとプロの差をすごく重んじる先生でして。 元奨励会員ということは全く関係無く、アマチュアには負けてはいけないということだと思います。 やはり最初は……そういうふうに自分を否定した相手にお願いするというのは、後輩ではあるんですが、すごい抵抗がありまして……。 でもそういう抵抗というのは、すごい恥ずかしいことで。 そういう抵抗を持つということ自体がすごく恥ずかしいことで、やはり謙虚さを持って、自分より強い相手に頭を下げて教えていただけるなら教えていただいて。 現実に対して素直になるというのは……つらいことなんですけど、大切なことなのかなと思いました。 けれど永瀬先生が何度も連絡してくる熱意に打たれて研究会が始まります。 そこで永瀬先生は、鈴木先生の次の対局相手が誰かを聞くと、その相手の棋譜をものすごく調べて……。 永瀬七段: あ、はい。 ありましたね。 40手目くらいまで当たって、こわいと。 永瀬七段: ははははは(笑)。 だから鈴木先生になったつもりになって考えることで、強い人と戦うことができるんです』と。 永瀬七段: そうですね。 そういう気持ちでしたね。 自分の考えていることが、トッププロに対して通用するかどうかを試していただきたかったという気持ちがあったと思います。 お恥ずかしい限りなんですけど、謙虚さが全く無く……。 そんな無駄な、上っ面だけのものを剥がしてくれたのは、鈴木先生で。 そういうことに早く気付かせていただけたのは、とても感謝しています。 それはとても嬉しいことで、感謝の念がわいてきました。 あの段階の私の棋力では、強い先生と指せるというのは厳しいと思っていましたので。 お相手していただくうちに、徐々に尊敬の念が芽生えてきたといいますか……そういう気持ちの移り変わりもあったと思います。 そういったところも、鈴木先生から教わったことなのでしょうか? 永瀬七段: んー……それは、関係ないというか……。 永瀬七段: ただ、現在トップで活躍しておられる先生というのは、人格的に素晴らしいか、人格的に超越しているか、どちらかと思っていまして。 そのどちらかでないと結果を出すのは難しいんじゃないかと。 永瀬七段: 超越の方でできればいいなと思うんですけど(笑)。 かなり年上の私が拝見していても、ここまでしっかりした若い方というのは珍しいと思いますし。 永瀬七段: あ、いえいえ。 それは意識してやっておられることなのですか? それも含めて努力なんでしょうか? 永瀬七段: 少し昔の言葉なんですけど……『同階級は格上』という言葉が、将棋界には昔からあってですね。 自分と同階級だと思う相手で、それが年下なら、その相手は格上なんです。 永瀬七段: なので、大概の相手は自分より下ではない。 最低でも同格だと思われる。 で、それが後輩だと年下なので、格上になるという。 永瀬七段: こと、なんですね。 なのであまり意識して謙虚でいるというわけではなく、ただその教えを実践しているということなんだと思います。 永瀬先生は『将棋に才能は必要ない。 努力だけだ』『努力すること、頑張ることは、何かに繋がっている』と仰っておられましたよね。 それがタイトル挑戦に繋がったと。 永瀬七段: はい。 努力というのは。 永瀬七段: 全て……ですし、自分の印象としましては、そのレールというものを作ったのは羽生世代の先生方だと思っているんですね。 羽生先生を筆頭に、佐藤康光先生だったり森内俊之先生だったり、他にも大勢の先生方がいらっしゃって……。 そのレールを上手く敷いていただいたという認識があるんですね。 努力という過程の。 まあただ私と違うのは、その先生方は大天才なんですよ(笑)。 それはもう、当然こちらも存じ上げていることなんですが。 ただ、年代が違うわけですね。 こちらのほうが二十歳近くも若い。 だからこちら側としても世代交代できる確かな実力を身につけなければ、と。 その時代に居合わせたわけではないので、棋書などで拝読しただけではあるのですが……。 たとえば羽生先生たちの研究会では、一つの局面を駒を動かさず何人かでじっと見続けて、時間をかけてから、お互いの読みを披露し合うというような。 今の時代はソフトというものがあって、ちょっと原始的に感じるのかもしれませんが、自分としてはとても尊敬できるので。 大切なものだと思うので。 そういう、羽生世代の先生方が築いてくださった土台。 礎みたいなものは、ちゃんと取り入れて、自分のものにしたいと思っています。 知識という単なる情報を知恵にする過程が努力ということなのでしょうか? 永瀬七段: そうですね。 知識というのは見るだけで……これも難しい問題ですね。 知識をすぐ知恵にできてしまう人もいるんですけど、自分はできないんですよー(笑)。 それをできる人は尊敬するしかないんですけど、自分はそういうタイプではないと思っているので。 上手く知識を磨いて磨いて、知恵という形に昇華してあげないと、なかなか実用できないので。 漫画からも得られるものはあるとお考えですか? 永瀬七段: あの漫画から感銘を受けた部分は、前と後ろで揺さぶって……あの、自分はテニスをしたことがないので詳しくはないんですが……前と後ろでボールの落ちる場所を揺さぶれば、必ず取れない場所がある、みたいなことが書いてあったんですね。 上手くコントロールできれば、絶対に取れない場所があると。 将棋では、それはちょっと難しいことなんですが……ただ、他の競技でできるのであれば、将棋にも応用できるはずだとは思うので。 そういう原理があるのであれば、少しでも取り入れて……まあ全然競技が違うので、できないかもしれないんですが、そういう発想は勉強になりました。 永瀬拓矢七段の対局で勝利し、本戦トーナメント進出を決めた永瀬七段より勝者コメントをいただきました。 永瀬七段: あ、はい。 そのジャンプで一番盛り上がるのは、天才が勝つ場面ではなく、才能のない主人公が努力して努力して、ライバルである天才に追いついて、追い越して……。 永瀬七段: はい、はい。 それがいいところで(笑)。 仰っていただいたように、凡人みたいな人が、友情や努力で勝利するという流れなので。 その努力の過程を勉強するというか……。 誰にでも参考になると思うんですよね。 何も持っていない人間が、どうやって成長していくのかということが……どうやって勝利を掴むのかということが。 やはり漫画なので誇張表現もあるとは思うのですが、一つの方法論として、とても勉強になると思っていて。 あとは、最終目標が勝利ですから。 それは……よいな、と思いますね。 主人公はいつも死にかけてて……。 永瀬七段: はい! そうですね。 【第43期棋王戦 五番勝負】本日9時より、渡辺明棋王 vs. 永瀬拓矢七段の第1局を生放送中です。 振り駒の結果、先手:渡辺棋王、後手:永瀬七段となりました。 大差と思われていた局面から、永瀬先生が全く諦めずに指し続けて……渡辺先生が局後に恐怖をおぼえるほど追い詰めて……あのとき、永瀬先生にしか見えない勝ちがあったんですか? 永瀬七段: 将棋だとですね、王様を詰まされなければ負けではないと思っているので、定義がわかりやすいんですよね。 どれだけ形勢が離れていても、相手の王様を先に詰ませば勝ちなので。 その定義はどうやっても崩れないので。 なので、自分の王様さえ詰まされなければ、勝負……『戦(いくさ)』は続いていくという。 ですからあの将棋も、自分の中ではまだまだ終わる戦いではなかたっということです。 それは、良くも悪くも……色んな面があるとは思うのですが。 この二つの努力は、永瀬先生の中では同じものなのですか? それとも違うものなのですか? 永瀬七段: それについては、自分は思っていることがあるんですけど……『対局で努力するのは当たり前だ』というのが、昔から将棋界ではありまして。 盤の前に座れば、誰だって死にものぐるいで戦うというのが、昔から将棋界の中ではあって。 だから盤から離れた所でいかに努力するかが大切なんだと、鈴木先生に言っていただきました。 誰でも当然する努力をするんじゃなく……他の誰もやらないこと、続けることが難しいことをするのは、価値が違うんじゃないかなと自分は考えています。 対局で頑張るのは当然。 その前の、準備などの段階から勝負は始まっていると思うので。 そこでいかに努力するかが大切だと。 永瀬七段: あ、はい。 その前は、市場で働いていたと思うんですが……。 ラーメン屋さんを続けていく中でも、修業に出られたと記事にありました。 そういったお父さまの姿をご覧になって、永瀬先生も他のプロ棋士に声を掛けることができるようになったのでしょうか? 永瀬七段: 父は……修業に出た段階でも50歳くらいだったと思います。 今は66歳なのですが……年齢が上がれば上がるほど、自分を守る鎧が増えていく……傷つきたくないという思いが濃くなるという印象なんですね。 剥がされたくない、傷つきたくない、自尊心がある。 よくわかります。 永瀬七段: 父も、ラーメン屋をやっておりまして、一家を支えているという自負があって……家族を守るために、頭を下げて、弟子入りをしたり……向上心もあったと思うんですけど、つらい部分も当然あったと思って。 でもそこを受け容れた上で、前に進もうということだったと思うので……。 それは、どの世界にも通じるものなんだろうなと思いました。 ましてや自分はまだ30歳にもなっておりませんので、プライドは持つ必要がありませんから、もっと謙虚に、ひたむきに……しなければいけないのかなと、感じましたね。 なぜ藤井聡太はフィクションを超えたのか?【叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー vol. 永瀬七段: あ、はい。 彼も忙しいので、まあそんなに多くは……という感じなんですけど。 それがきっかけとなって? 永瀬七段: えー……と、そうですね。 きっかけは……具体的に何がというものはなかったんですけど。 まあ当時から強かったんですけど、対局してみて、聞いてた話と違ったんですよね。 とても謙虚だと感じたんです。 謙虚な人は、それだけで強いんですよ。 謙虚じゃない人は、それだけで自分は評価しないので。 藤井さんは当時まだ14歳とかですけど、既に実力を身に付けていながら謙虚でいるというのは……普通に考えたら天狗になると思うんですよ。 自分からしたら(笑)。 凡人からしたら、天狗になって当然。 それだけの才があって、それだけの棋力があって……どうやったって負けがないわけじゃないですか。 にも関わらず、その段階でも謙虚でいる。 それは、才能以上にすごい精神力なのかな、と。 永瀬七段: そうですね。 それで受けてくれるかは別問題かなと思いましたけど。 永瀬先生は、才能とはどういうものとお考えでしょう? 永瀬七段: 才能は、天から与えられるものだと思っていまして。 自分ではどうしようもない。 ちょっと脱線するかもしれないんですけど……ゲームとかだと、同じ初期値から戦えると思うんですよ。 でも人生というのは……他人と比べたら、すごく低い初期値で戦わないといけないと思うんです。 それはまあ、仕方がないとした時に。 才能というのは……相手の才能というのは、自分ではどうしようもない。 だから関心を持つところではないということは、思っているんですね。 ジェラシーというのは、人間だからあっても仕方がないと思います。 でも、そういうことじゃなくて、評価することはあれども、関与できるものではない。 こちらが干渉できる部分から脱していると思いますので、それに……何というんでしょうかね、難しいんですけど……。 こちらも、それ以上のものを……。 磨くというのは難しいんですけど。 少しでも積み上げて、対抗できるような形に……対抗することはできると思うんですよ。 永瀬七段: 勝負する、ということはできると思うんですね。 人と人ですから。 いくら天分というものがあっても、人と人ですから、相手も勝つのは難しいと思うんです。 ただ、こちらに少しでも隙があると……向こうは別のものを与えられているわけですから、はい。 そういう意識ではあります。 尊敬すれども、嫉妬は全く必要ないという心持ちですね。 永瀬七段: そうなんですよ! 自分の中だけで完結できる話で。 尊敬以外のものは必要ないかなと思っています。 永瀬七段: 鈴木先生に教えていただいてからですね、佐藤天彦名人だったり、先輩の先生方からとてもお世話になることが多かったんですね。 技術面で。 あちらはほぼメリットがなかったはずなのに、色々と教えていただいて……そのことは自分にとってとても大きな財産で。 それは、運が良かったということもあったとは思うんですけど、いただいたものだと思っていまして……。 それを、返していかなければというか…………何ですかね…………驕ってはいけないんですけど…………これは、何ですかね…………ええと……。 誰よりも、謙虚でいなければいけないと……。 もとから持っている棋士は、自分のものだと思えばいいんです。 でも自分は全くそうは思っていませんので……。 常に教わる気持ちで歩き続けないと、この将棋界という世界は、厳しいので……前に進み続けるのが困難になってしまうかなと思いましたので……。 ひたむきで、謙虚で、前を向いて歩き続けたいと思っています。 漫画みたいな綺麗事ではないんですけど、自分は、感謝している棋士はたくさんいますし。 そこに情が生まれても、仕方がないと思うんですけど……。 情ではなくて……。 永瀬七段: 感謝。 永瀬七段: やはり、当たることもありますので。 情が生まれると、よくないと思っていますので。 それは、誰に対してもないほうがいいかなと思っています。 では最後に、叡王戦の本戦で当たってみたい棋士というのは、どなたかおられますか? 永瀬七段: メンバーを拝見しても、どなたと当たっても厳しいなと思っています。 ただ、強豪と指せるというのは、自分自身モチベーションが上がることですので。 こういう機会に感謝しつつ、対戦相手が決まったら全力で準備し、教えていただきたいと思っています。 ニコニコニュースオリジナルでは、第4期叡王戦本戦トーナメント開幕まで、本戦出場棋士(全24名)へのインタビュー記事を毎日掲載。

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藤井聡太七段にあの名門大学が熱視線!? 棋士に学歴はいらない…中卒が当たり前だった将棋界|日刊サイゾー

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1 6月23日に開幕した第4期叡王戦(主催:ドワンゴ)も予選の全日程を終え、本戦トーナメントを戦う全24名の棋士が出揃った。 類まれな能力を持つ彼らも棋士である以前にひとりの人間であることは間違いない。 盤上で棋士として、盤外で人として彼らは何を想うのか? ニコニコでは、本戦トーナメント開幕までの期間、ライトノベル『りゅうおうのおしごと!』作者である白鳥士郎氏による本戦出場棋士へのインタビュー記事を掲載。 「あなたはなぜ……?」 白鳥氏は彼らに問いかけた。 叡王戦24棋士 白鳥士郎 特別インタビュー 『なぜ藤井聡太はフィクションを超えたのか?』 ラノベ作家が4年間苦労して出版に漕ぎ着けた「ぼくがかんがえた、さいきょうのしょうぎラノベ」の設定を事もあろうかアニメ放送のタイミングで超えてくる「藤 井 聡 太 」の四文字がパワーワードすぎてつらい— 白鳥士郎 nankagun 私は2015年から『りゅうおうのおしごと!』という、将棋界を題材にしたライトノベルを出版している。 第1巻出版当時、13歳の藤井聡太は奨励会二段。 中学1年生だった。 まだ世界は藤井聡太の存在を知らず……私もほとんど意識していなかった。 『りゅうおうのおしごと!』 ここで『りゅうおうのおしごと!』について説明しておこう。 中学3年の秋にプロ棋士となった主人公が、その1年後、16歳で『竜王』のタイトルを獲得する……というところから物語は始まる。 そしてその竜王位を狙うのが、永世七冠・タイトル100期を目指す絶対王者『名人』。 主人公は、小学生の幼い弟子と共に様々な苦難を乗り越えて成長し、名人と激闘を繰り広げる……というストーリーである。 当初、その設定に対して世間の声は厳しいものだった。 『16歳で竜王とか将棋バカにしすぎ』 『現実感がない』 『ラノベ特有のガバガバ設定』 だが、藤井の登場によって状況は一変する。 史上最年少となる14歳2ヵ月で四段昇段。 そしてデビュー後無敗の29連勝で全世界を震撼させると……どういうことか、私と作品への評価も変わってきたのだ。 『りゅうおうの作者、ちゃんと調べて書いてたんだな』 『ラノベが現実になっとる』 『予言者かな?』 ……今まで荒唐無稽とバカにされていたのが『予言者』などと呼ばれ、先見の明があったと評価され始めたのである。 テレビの取材まで受けてしまった。 イエス・キリストも真っ青な掌返し……。 とはいえ私は「ありがたいなー」と感じていた。 2018年1月から始まった『りゅうおうのおしごと!』のアニメ放送にとって、藤井ブームの盛り上がりは確実に追い風になってくれていたからだ。 しかし……事態は私の予測を遙かに超える展開を見せる。 アニメも佳境に入った2月。 藤井は佐藤天彦名人と羽生善治竜王を連続撃破し、決勝戦では今期の竜王戦挑戦者ともなった広瀬章人八段にも完勝。 朝日杯将棋オープン戦という全棋士参加棋戦に史上最年少で優勝し、これによって五段昇段からわずか16日で六段になる。 もう『りゅうおうのおしごと!』どころではない。 15歳で羽生に勝って棋戦優勝。 完全にラノベを超えてしまった。 『現実に追い越される程度の想像力』 『作者震えてるだろこれ』 設定に現実感がないと叩かれていた私だったが、今度は想像力がなさすぎると叩かれるようになっていた……。 だが確かにこうなってくると、作家としては立つ瀬がない。 現実のほうがフィクションよりも面白いのであれば……フィクションは必要ない。 藤井ブームの後に始まった将棋漫画が次々と連載終了に追い込まれるのを横目に見つつ、私は背筋が寒くなるのを感じていた……。 藤井は竜王戦でも快進撃を続ける。 2年連続の決勝トーナメント入りを決め、これにより七段へと昇段。 16歳の竜王は誕生しなかった。 『りゅうおうのおしごと!』はその一点においてのみ、フィクションとしての役割を果たしたのだった……。 ホッとしつつも一抹の寂しさを感じていた私のもとに、ドワンゴからこんな依頼がもたらされた。 『叡王戦本戦に出場する24名の棋士にインタビューして、記事を書いてほしい』 藤井にも直接インタビューできるという。 インタビューする人数の多さに驚きはしたものの、私はその依頼を受けた。 確かめたいことがあったからだ。 藤井は昇段スピードが早すぎるため、16歳にして既に新人王戦に出られるチャンスはこれが最後。 ラストチャンスとあって記者の数も多い。 終局予想時刻は「早ければ17時頃」といわれていたが、藤井は16時30分に勝利。 最初で最後の三番勝負へと駒を進めた。 終局と同時に、対局室は記者で溢れかえる。 誰もが藤井の表情を撮影しようと、敗者である青嶋未来五段の右斜め後方にひしめき合っていた。 感想戦で藤井の笑顔がこぼれれば、大量のシャッター音が響き渡る。 そんな状況に対して、藤井は全く動じた様子は見せない。 本当に高校生なのか……堂々としたその佇まいは、風格すら漂っていた。 第49期新人王戦 準決勝 藤井聡太七段 vs 青嶋未来五段 17時13分、感想戦は終わった。 4階から3階へと移動して、これから私の独占インタビューである。 叡王戦のために大量に備蓄されている生茶を2本用意し、ニコ生の運営さんと写真撮影の打ち合わせをしていると、声を掛けられた。 「そろそろお呼びしてもよろしいでしょうか?」 「……はい。 お願いします」 そう返事をしつつ、私は自分の中にある疑問を再確認していた。 なぜ藤井聡太はフィクションを超えたのか? 藤井が三段になったとき、関西奨励会の幹事をしていた西川和宏六段は、三段リーグ初参戦の藤井についてこう語ったといわれる。 『一期抜けはない』 幹事として奨励会員を見守り続けてきた西川は、他の三段と比べて、藤井の実力が飛び抜けているわけではないと考えていたのだろう。 その言葉を裏付けるかのように、藤井は三段リーグの開幕戦で1勝1敗。 13勝5敗が昇段ラインとされる三段リーグで、このスタートは厳しい。 もう一人、三段時点の藤井について貴重な証言をしてくれた棋士がいる。 増田康宏六段。 藤井と同じように『中学生棋士』になる可能性があった彼は、藤井三段と戦った印象をこう述べている。 増田「いや負けました。 増田「ああ、三段の頃ですか? あの頃はまだそんな、強くなかったんで。 あの後の1年間くらいで急成長してます」 ……このように、藤井は三段の頃、他の三段と比べて破格の強さを誇っていたというわけではなさそうである。 だが結果からすると、藤井は見事三段リーグを一期抜けし、しかも幹事だった西川を公式戦で負かしている。 増田も、非公式戦の『炎の七番勝負』を皮切りに、公式戦ではあの29連勝目の相手として敗北を喫した……。 導かれる結論は一つ。 藤井は……三段リーグの途中で急激に強くなったのだ。 そこで、フィクションを超えるほどの力を身に付けたのだ。 藤井聡太という現実の前に敗れ去ったラノベ作家としては、せめてそれが何だったのかを知りたいと思った。 このインタビューは、私にとっての感想戦なのだ……! そう決意を固める私の前に、リュックサックを背負った藤井はひょっこりと姿を現した。 「よろしくおねがいします……」 ニコニコと挨拶する藤井を見て、私は意外に感じた。 さっき対局室で見た、座っている姿よりも……遙かに小柄に感じたからだ。 まるで普通の高校1年生のように……。 慌てて名刺を取り出しながら、私も挨拶を返す。 「は、はじめまして……わたくし、普段は子供向けの小説などを書いております、白鳥と申します……」 緊張のあまり噛みながら名刺を差し出す。 藤井は私よりも深くお辞儀をすると、ニコニコしながらこう言った。 「あ、はい。 存じ上げてます」 えっ。 嬉しい……。 知ってるって、どの程度のことを知ってくれてるんだろう?『りゅうおうのおしごと!』の存在を知ってくれてるって意味だろうか? そういえば竜王戦の観戦記で、記者の相崎修司さんが『りゅうおうのおしごと!』に絡めた質問をしてくれてたけど……。 様々な思いが頭を駆け巡ったが、今回のインタビューは叡王戦本戦に出場する24名の棋士の一人として、だ。 まずは叡王戦に関連する話題から始めるのがマナー。 前置きが長くなったが……ではこれから、藤井七段へのインタビューをご覧いただこう。 1時間(予選と同じ。 感覚を拡張し、候補手を増やした場合、より膨大な読みが必要になるのでしょうか? 「はい。 糸谷八段「終盤のテクニックが完成されている。 本質的には終盤型」 屋敷九段「最初の頃は受けが強く、地力の強さで勝っていました。 しかし最近は鋭い踏み込みを見せています」 永瀬七段「変わったと感じた点は、将棋がとても手厚くなった。 丁寧な手が多く、単調な将棋は指しません。 実際、1級は77日間だったのに比べて、初段は252日間、二段は233日間と、昇段のペースが緩やかになっています。 それまであまりなかった3連敗があったり……。 羽生世代の先生方と渡辺明先生がずっとタイトルを独占し、名人戦でも羽生森内戦が何年も続くといったような……。 「そうですね。 でも怖くなかったんですか? 大事な三段リーグの途中で変えるというのは……。 「試してみたら自分に合っていたので(笑)」 角換わりに衝撃を与えたのは、塚田泰明九段が将棋ソフトを使って発見した、ある一手だった。 公式戦での初採用は、電王戦での対局から約1年後の2014年2月。 その後しばらく動きはなかったが……深浦康市九段が2015年11月に採用すると、プロ間で爆発的な流行が発生した。 1ヵ月後には中村太地王座も採用。 次々とトップ棋士・若手棋士が新手を繰り出すという状況が生まれ、それまでの角換わりとは全く異なる、シンプルで攻め合える戦法へと生まれ変わった。 塚田本人が「とりあえず革命は起こした」と語るほど、それは大きな変化だった。 当時の藤井は、2015年の10月に三段に昇段したもののタイミングが悪く、翌年4月から開幕する三段リーグが始まるまで待機せねばならなかった。 その期間を利用して、師匠の杉本昌隆七段が藤井を関東へ武者修行に連れて行った話は有名だ。 杉本は増田康宏六段の師匠である森下卓九段に、師弟での研究会を依頼。 快諾した森下が他の関東の若手棋士にも声を掛けて合宿が開かれた。 増田が藤井について「あの頃はまだそんな、強くなかったんで」と語ったのは、この合宿のことである。 野澤亘伸さんの力作『師弟』(光文社)によれば、このとき藤井は若手棋士に対して全く歯が立たなかった。 帰りの新幹線で杉本から誰の将棋が一番印象に残ったかを問われると、「増田さんです」と答えたという……。

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