ひょうきん 族。 ビートたけし、明石家さんまの『ひょうきん族』時代の月給明細を見て驚き「これ1日分?」

ドリフが「ひょうきん族」に負けた日

ひょうきん 族

『 オレたちひょうきん族』(オレたちひょうきんぞく)は、でからまで毎週20:00 - 20:54()に放送されていたの。 通称「 ひょうきん族」「 ひょうきん」。 土曜特集・オレたちひょうきん族』のタイトルで、中止時のとして放送され、同年より『決定! 土曜特集』の冠を取ってレギュラー放送となった。 そのため、土曜日に(や、主催の戦)がある時はしばしば番組が返上された。 放送当時、社内では視聴率ノルマが廃され、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしていた頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人のによる勢いとが相まったバラエティ番組である。 開始当時のには『』が放送されており 、雨傘番組時代の初回は9. 『』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜20時台を立て直し、バラエティのリーダー格番組に登り詰めた。 8年半の平均視聴率は、17. 最高視聴率はのスペシャル回での29. 通常回での最高視聴率はの27. 1984年度の年間平均視聴率で19. 5%を記録し、ライバル視していた「8時だョ! 全員集合」の年間平均視聴率18. しかしの暮れに、たけしがを起こして謹慎に入り、番組のメインコーナーである タケちゃんマンが たけし不在となったことや、裏番組である「全員集合」の後継番組「」の猛攻もあり、視聴率は下落し始める。 1988年には「加トちゃんケンちゃん」に逆転されてしまい、視聴率低下に歯止めが利かなくなった。 そして1989年10月14日、「ひょうきん族」は特番時代から通算8年5ヶ月の歴史に幕を下ろした。 また、に代表される在阪のプロダクションと、・に代表される東京のプロダクションのタレントがレギュラー番組で共演することが当時としては非常に画期的であり、本番組の人気は吉本興業の東京進出 に多大な貢献を果たした。 初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、「つまらない」「人気が出ない」と見るやすぐに企画をやめ、新企画を練っていた。 また、初期においてはスタジオに一般視聴者を入れてのコーナーもあったが、その後は客は入れず、ギャグごとに笑い声が被さる演出(・ラフトラック。 外国のでよく見られる、いわゆる声の)がなされた。 オープニングに流れる曲は、作曲の『』。 これは『』のオープニングをパロディしたことによるもので、放送当初は『スネークマンショー』のがナレーションを行っていた。 オープニング映像は、初期は単純な合成映像が使われたが、4月から使われた制作によるオープニングでは、当時としては珍しい最先端の映像を使用している。 エンディングはの『』。 EPOは番組初期のも担当していた。 それ以外のエンディングは後述参照。 番組のBGMには、『』、『』、『』、『』、『』、『』、『』、『』、『』、『』、『』などのがよく用いられていた。 スタジオ以外でのによる撮影は、当時フジテレビの本社があったやフジテレビ通り(現・通り商店街)一帯で主に行われたが、北海道や軽井沢などでも行ったことがある。 - には計5巻の(それぞれ3枚組)が発売されている。 また、では、放送分と放送の最終回スペシャル「TAKECHANマン忠臣蔵」を閲覧することができる。 の『』は『』と題し、当番組をベースにからにかけて放送された。 これは、ひょうきんディレクターズの一員で2代目プロデューサーだった三宅恵介が定年を迎えるにあたり、「もう一度ひょうきん族をやりたい」と、メインキャストのビートたけしと明石家さんまに声をかけたことから実現したもので、さんまが総合司会、たけしが19年ぶりの出演となった。 たけし・さんまの他にも、島田紳助、山田邦子、片岡鶴太郎、ラサール石井、渡辺正行、大平サブロー、島崎俊郎、ジミー大西、村上ショージなど、本番組のメンバーも集結。 オープニングも当番組派生のキャラクター『』によるテーマソング『世界の国からナンデスカ』の歌唱から始まり、本番組と同じ『ウィリアム・テル序曲』がテーマソングとして流され、『懺悔室』のコーナーでエンディングを迎えるなど、本番組のテイストがふんだんに盛り込まれた内容となった。 (特番第7回から出演)• (レギュラー放送より出演)• (当時)• (当初はサブロー名義で出演)• (当初はシロー名義で出演)• (1982年5月初出演。 同年10月からレギュラー。 石井章雄(現・)• (、『懺悔の神様』役)• (1984年より以下の一部メンバーが出演)• (1982年4月より出演)• (1984年より出演)• (1984年より出演)• そのまんま東(、後期のみ出演)• (後期のみ出演)• (1984年より出演)• (1982年より出演、レギュラー出演は1985年より)• (1985年より出演)• (1985年より出演) 準レギュラー・一時レギュラー 特番時代(1981年5月 - 1981年8月)• ビートきよし(ツービート)• 松本竜介(紳助・竜介)• 伊丹幸雄• 春やすこ・けいこ• 九十九一 - 1984年3月頃まで• 安倍律子(現・)• 若人あきら(現・)• (有名な「」に因み、ハチので出演)• (の雌牛) 1981年12月 - 1983年頃• 決め台詞は「ガッチョ〜ン」) 1981年12月 - 1983年頃• - 、、• - 、、• 上方よしお(のりお・よしお)• 里見まさと(ザ・ぼんち)• (ビジーフォー)• (ビジーフォー)• オール阪神・巨人• クルミ・ミルク(ビートたけしがミルクの方を、女性ではあるが顔と太目の容姿を見て「お笑い界の」と呼んでいた)• - 、、• - 、ドン川上(現・)• 1983年4月 - 1985年• [ ]• 1983年10月 - 1985年8月• 1985年4月 - ?• 松村花子(アダモステの横で三味線と合いの手を入れていた)• また、安岡・日吉・山本は最終回にゲスト出演した。 後期(1985年10月 - 最終回)• キャメロット• 天久美智子()• がってん娘• (声:)• 三田佳代• 松村花子• 浅川奈月(「ひょうきんベストテン」でを演じていた)• - 清水美子(現・)、• - きりこ(現・)、りん、ゆうこ• (たけし軍団)• - 中野真里子、阿本真亜子• 大島智子(現・)• (アッパー8、 出張懺悔の神父役) ほか フジテレビアナウンサー レギュラー(「ひょうきんベストテン」司会担当)• 山村美智子(現・)(1981年5月 - 1985年3月)• (1985年4月 - 1986年9月)• (1986年10月 - 1989年4月、1989年10月) 準レギュラー• (1983年 - 1984年ごろ「朗読の部屋」ほかコーナー進行)• (1984年ごろから不定期出演)• (1985年ごろから不定期出演)• (1986年4月ごろから「ひょうきん私の秘密」コーナー進行)• (「ひょうきんスペシャル」に数回ゲスト出演)• (1989年ごろから不定期出演)• (1986年7月ごろから「青春グラフティ」コーナー進行)• (1987年6月から1987年10月まで「関根くんの知られてる世界」コーナー進行)• (1987年10月から「ひょうきん流行通信」コーナー進行) ほか、、、などがチョイ役で出演。 オープニングナレーション• 初代 0:(「ひょうきんベストテン」にもゲスト出演) 使用期間 : 1981年5月16日 - 1982年3月27日• 2代目: 使用期間 : 1982年4月3日 - 9月11日• この期間は、週替わりでアニメ声優が担当。 詳細は後述 使用期間 : 1982年10月2日 - 1983年9月24日• リスナー向けに「こんばんはチャコです」と挨拶。 「そうよ、わたしは負けないわ。 加藤はよし子を数年ぶりに演じることになったが、平井がサリーを演じたのもこれが最後となった。 番組リスト• 第1回(1981年5月16日)初回視聴率9. オープニングコント「晩餐会」 - このコントは、レギュラー放送最終回(1989年10月14日)のエンディングで再現された。 「」初登場• 「ひょうきんニュース」初登場• 「のネタ見せコーナー」初登場。 ネタは「の青春」。 レギュラー放送初期のコーナー「ヒップアップのひょうきんな青春」の原型。 「ひょうきん族ベストテン」初登場。 司会は・栗山順子が務めた。 記念すべきこのときの第1位は、の「ラヂオ」• 「ひょうきん刑事PART1「衝動殺人! 」」 - 主役:ビートたけし。 エンディング曲は「星に願いを」• 第2回(5月30日)視聴率8. オープニングコント「オーケストラ」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」。 「ゴルゴ17」 - 主役:。 この回のエンディングからEPOの「DOWN TOWN」に変更。 第3回(6月6日)視聴率8. オープニングコント「ビリヤード」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はの「MAIDO」。 「根性一代記 浪花のド阿呆」 - 主役:。 第4回(6月13日)視聴率10. オープニングコント「ダンスパーティー」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はの「潮風の香りの中で」。 「カメとサラリーマン〜大人の童話より〜」 - 主役:。 第5回(6月27日)視聴率10. オープニングコント「オーケストラ」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」。 「じゃぱにーずぐらふぃてぃ」 - 主役:ザ・ぼんち。 第6回(7月11日)視聴率9. オープニングコント「オフィスレディ」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位はビートたけしの「いたいけな夏」2週連続ランクイン。 「ザ・シネマ「七人の恋人」」 - 主役:のりお・よしお。 第7回(7月18日)視聴率13. オープニングコント「赤ん坊」• 「ひょうきん族ベストテン」 - 第1位は「」の「雨の権之助坂」。 「2001年THE・TV」 - 主役:ビートたけし。 このコントでパイロット版の「タケちゃんマン」が初登場。 「」初出演• 第8回(8月29日・決定! 土曜特集版 最終回)• オープニングコント「白鳥の湖」• 「ひょうきんプロレス」初登場• 「ひょうきん族ベストテン」 - この回は、視聴者から送られてきたハガキからランキングを決めた。 その結果、第1位は明石家さんまの「いくつもの夜を越えて」。 「」初出演• 「」初出演• 「想い出しましょうあの場面」進行役:ビートたけし - この回までに放送したコントの中から名場面やNG集をたけしのトークを交えて観客と見ていくコーナー。 CSでの再放送時に関して 1998年にが開始されてからは、当番組の再放送を常時放送し、2009年8月8日にCSにおいて2度目の最終回を迎え翌週8月15日から3度目の放送を開始した。 だが、2011年8月23日の島田紳助の芸能界引退で、紳助の出演番組の2次利用が使用不可能になったことを受け、ひょうきん族のほぼ全ての回に 紳助が出演していたため、CSの放送は打ち切られ 、CSのホームページも閉鎖された。 また、紳助が不祥事を起こしてタレント活動を自粛した期間は、放送を一時中断していた。 CS放送中、権利上や諸事情により放送されない場合があった。 また、放送はするもののコーナーそのものがカットされたり、ひょうきんベストテンの10位から4位の発表時にボカシが入ったり、映像が静止画に差し替えられたことも少なくなかった。 レギュラー第1回放送分も、何らかのコーナーが10分程度カットされている。 再放送がカットされたケースは現在のところ以下の通りである。 1982年9月4日のTBSドラマ『』との連動企画を行った回• サザンオールスターズの出演した回• オフコースの出演した回• シブがき隊、少年隊などの所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む) 同事務所は、基本的にCSにおける過去番組放送を許可していないが、 やではドラマを中心に再放送されるケースもある。 また、地上波番組宣伝は放送される。 所属タレントの出演した回(過去に在籍した人も含む) 内藤やす子が出演した回はDVDには収録されている。 キヨちゃんマン(タケちゃんマンの脇役キャラクター)の登場する回• の出演した回 再放送時に不祥事が報道され、放送を控えていたが、2010年に田代が再び不祥事を起こしたために放送自粛となった。 1985年3月30日放送分の山村美智子が番組を卒業した回• ナンデスカマンロボの登場する回• ビートたけしが収録をサボタージュした回 ちなみに、ひょうきんスペシャルの回はレギュラーと分けて放送。 1982年12月25日のブラックデビル最終回もこの類に入る。 2002年の秋までスペシャルを放送。 2003年の元日にスペシャルのみを集中放送した。 しかし、2006年から1985年12月放送以降のスペシャル版も通常の枠と一括され放送されるようになった。 また、1981年5月16日 - 9月26日の単発枠時代に放送した回は、2009年で「パイロット版」として放送した。 2009年8月15日から、不定期で三宅と番組出演者、川端健嗣のトーク番組『ひょうきん族話の泉』が放送された。 (特番では時代劇コントの主役を演じた)• 藍田美豊• 佐々木功(現・)• (当時・藤井郁弥)• (ただし、当時GENJIのメンバーだった者のみがゲスト出演)• (当時・佐藤敦啓)• (現在は女優だが、歌手として出演していた)• (俳優としても活動している) 俳優・女優 スタッフ 構成作家やプロデューサー・ディレクターの姓と名の間には、あだ名のが付けられていた。 作・構成:、、、、、、、、、、、、、、、、、、、• 技術:渡辺宏、• TD:岩沢忠夫、森野憲俊、島本健司、菅原一夫• カメラ:藤江雅和、岩沢忠夫、高田治、島本健司、柴崎進、藤本敏行、田中祥嗣、、小山茂明、花島和弘• 音声:間野目政孝、篠良一、油谷真一、石井俊二、深谷高史、松本政利、杉山直樹• 映像:都築和夫、油谷忍、谷古宇利勝、瀧本恵司、田畑司• 照明:小宮俊彦、熊田則文、石井健治、藤井梅雄、八木原伸治• ロケ技術:、伊藤修一、中島光男• 美術:鈴木武治、重松照英• デザイン:高橋幸夫、、水上啓光• 美術進行:小野秀樹、藤田弘、、金子隆、船場文雄、伊藤則緒• 大道具:樋口雄一郎、今井吉一• 装飾:村木隆、中村俊介、鎌田徳夫• 持道具:松倉一郎、若林一也、藤井直也• アクリル装飾:高信作、佐藤則雄• 衣裳:城戸政人、佐藤方子• メイク:青柳いずみ、今川由美子、三田万里子、安部真人、平山美恵子、山崎富美枝• 床山:牧野勇• 視覚効果:木原正、高橋信一、中溝雅彦• 電飾:吉留正雄、福田喜作• タイトル:山形憲一• 編集:今井克彦・鈴木敬二・瓜田利昭・植松巌・石附順一()• CGテクニカルディレクター:小高金次• CGデザイナー:山田みどり• 音響効果:玉井実()、川島明則()、戸辺豊• 振付:• 広報(最終回のみ):• 制作スタッフ(クレジット無し) :・・・・・ ・・(アシスタントディレクター)、・(タイムキーパー)他• ディレクター :(初回 - 1987年8月)、、、、(初回 - 1987年8月)• プロデューサー:(初回 - 1987年8月)、三宅恵介(1987年9月 - 最終回/ディレクター兼務)• 制作著作:フジテレビ ネット局 系列は当番組終了時(1989年10月)のもの。 秋田テレビ・テレビ長崎・テレビくまもと・テレビ宮崎の4局は土曜20時台はフジテレビ系列番組枠だったため当初から同時ネットで放送された。 福島テレビ・新潟総合テレビの2局は、開始当初はクロスネット局だったため1983年9月までは遅れネットで放送されていた。 福島テレビは開始当時の土曜20時台は制作の『』をネットしていたため、本番組は開始当初は遅れネットだった(放送時間帯は、開始当初は1時間遅れの土曜21時(つまり、下記のテレビ山口と同様「8時だョ! 1983年4月にTBS系列との(1983年3月まではFNSのみ加盟)からフジテレビ系列フルネット局に再びネットチェンジ(JNNを脱退し、に加盟)したものの、ネットチェンジと同時に本番組には切り替えずに、視聴者保護のため同年9月まで『』を継続して同時ネットで放送されていた。 新潟総合テレビでは1983年9月までの土曜20時台はテレビ朝日系列番組の同時ネット枠だった。 そのため、本番組は開始から水曜16:00から放送されていた。 福島テレビはフジテレビ系列マストバイ化で、新潟総合テレビはテレビ朝日系列の開局に伴うフジテレビ系列フルネット局化で、2局とも1983年10月から同時ネットとなった。 当時日本テレビ系列とテレビ朝日系列のトリプルネット局だったテレビ大分と、日本テレビ系列とのクロスネット局だった鹿児島テレビの2局は日本テレビ系列番組の同時ネットを、1987年9月までフジテレビ系列とのクロスネット局(FNSのみの加盟)だったテレビ山口はTBS系列番組の同時ネットをそれぞれ放送していたため、当初から遅れネットで放送されていた。 テレビ山口ではフジテレビ系列番組枠だった土曜19:00から1週遅れで放送されていた。 つまり、「8時だョ! 全員集合」などザ・ドリフターズのメンバーが出演するライバル番組と連続で放送されていた。 なお、このため制作の『』は遅れネットとなり、TBS制作の『』はネットされなかった。 そして、(CS放送)でも再放送を実施していたが、島田紳助引退の影響で2011年8月から放送を休止しており、実質的に打ち切られた状態となっている。 番組の終了とその後 末期の1988年頃には視聴率が一桁台になる回が多くなっていった。 この頃には同番組の顔であるたけしが1986年12月にを起こして以降、収録をボイコットするようになり ほとんど出演しなくなったため、「タケちゃんマン」の代わりに「かまへんライダー」を入れる、「ひょうきんベストテン」を終了する、『全員集合』に似た形式の公開収録をたびたび行なうといったテコ入れを施すも、結局視聴率を回復させるには至らなかった。 当時さんまは、多くの出演者が多忙なスケジュールで疲れていたうえに、楽屋では笑いに貪欲だった頃と打って変わって(副業や投資による)金儲けの話や将来の話しかしなくなり、そんな状況に嫌気が差していたたけしの「もう(番組を)終わりにしたい」という旨の発言などを受け、スタッフからさんまに番組存続か終了か最終の決定権を委ねられたので「やめます」と言ったことで、(1989年9月に)終了することが決まったと後年語っている。 なお、番組終了後にたけしが『』にゲスト出演した際「なんでアレ(ひょうきん族)終わっちゃったの? 予算がなくなったから?? 」とさんまに問うたところ「アンタが終わりにしたいと言うたからやないか!! 」と突っ込まれていた。 後年、さんま曰く「まあ、ほっていても終わってたとは思いますけど。 でも早めたのは事実です」としたうえで、たけしが「さんまという"毒"を飲み過ぎて、おかげで意外と番組が早く終わった。 毒で『全員集合』をやっつけたけど、その毒で自分たちも終わっちゃった」と独自の表現で番組終了について説明した事を明かしている。 1989年10月14日に最終回を迎えた。 最終回はのパロディ(浅野内匠頭と大石内蔵助はたけし、吉良上野介はさんま)を行いつつ、歴代キャラクターが総出演する『タケちゃんマン忠臣蔵』が行われた。 エンディングでは、1981年5月16日の単発放送時オープニングで出演者たちがディナー・コントをする場面を、1989年10月14日時点の出演者で再現。 放送開始時ディナーの最後にビートたけしが「オレたち! 」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!! 」と叫んで番組が始まったのを、最終回でも再現し、ディナーの最後にビートたけしが「オレたち! 」と叫んだ後、他の出演者全員で「ひょうきん族!! 」と叫んだ後、ビートたけしが続けて「おしまい! 」と言い、間をおいて「さあ帰りましょう! 」の言葉で締められた後、最終回エンディング曲が始まり、出演者・番組スタッフの拍手歓喜の中、エンドロールが流れ始め、ディナーテーブルのセットがあるスタジオから、次々に出演者 が去り、照明が落とされ、スタッフの三宅恵介・荻野繁が見守る中、ディナーテーブルだけが照らされ、最後は「長いあいだ本当にありがとうございました」のテロップで締められ、8年半の歴史に幕を閉じた。 ちなみに、単発放送時でのこのコントのBGMは「」の「春」で、最終回には同曲の「秋」を入れたが、ほとんど誰も気づいてくれなかったと『ひょうきん族話の泉』で三宅が明かしている。 なお、最終回エンディング曲は、EPOの「DOWN TOWN」(ニューレコーディングバージョン)だった。 なお、タケちゃんマンの忠臣蔵に登場した歴代キャラクターは• 桂三枝 サブロー• ナンデスカマン さんま• レレレのおじさん(松尾)• 九官鳥のキューちゃん 鶴太郎• アダモステ 島崎• お花畑コンビ たけし・さんま• 田原総一郎 石井• マイ爺さん 鶴太郎• 横山やすし・西川きよし サブロー・シロー• 泉アツノ 邦子• 大橋巨泉(渡辺)• ホタテマン 安岡• タネマキトカゲ シロー• 山田教授 シロー• ゴックン娘 リンダ・ミミ• 西川のりおとフラワーダンサーズ のりお・ヒップアップ・赤信号• おまち娘 さんま• パーデンネン さんま• 浜村淳 サブロー• 奈良の春日野 さんま・渡辺• 工藤静香 邦子• 砲丸の美少年 さんま• 芦屋雁之助 シロー• ピヨコ隊 鶴太郎・ウガンダ・ヒップアップ・赤信号• 洗濯女 紳助• おとぼけブラザーズ たけし・さんま• ツッタカ坊や のりお• ちょっといいですか神父 さんま• レトロなんやそれ さんま• 懺悔の神父(三宅)• 懺悔の神様 ブッチー• 知っとるケ さんま• バイキンガーZ さんま• トン・ティン・タン・カッパ さんま• アミトリおばさん さんま• 石井社長 石井• かまへんライダー さんま・石井・ショージ・政二・オクレ• コーモリ星人 紳助• 狩人 のりお・おさむ• カスタネットマン たけし・さんま• 鬼瓦権蔵 たけし• アミダばばぁ さんま• タケちゃんマンロボ たけし• ブラックデビル さんま• タケちゃんマン たけし 登場順。 「ひょうきん懺悔室」などが終わると同時に番組は完全に終了して曲のみを流し、その日のダイジェストをCG映像内の小さい映像で流しながらスタッフロール・提供クレジット・エンドカード を流すという手法だった。 これは後年当枠で放送された『』や『』にも受け継がれていた。 しかし直前で発売中止となり、2020年現在まで発売されていない。 原因は不明。 土曜の夜はパラダイス 1982年10月 - 1983年2月 麻香ヨーコ グラマー・ボーイ 1983年3月 ED放送の前年1982にシングルレコードで発売された曲で、当番組のエンディング用に用意された曲ではない。 歌詞に「土曜」のキーワードは入っておらず、4回しか使用されなかった。 2020年現在までCD化されたことはない。 なお、歌手の麻香ヨーコは、のフォロワーとして、1976年頃にデビューした小中学生(当時)5人組ユニット「クリケッツ」 のメインボーカルの浅香容子の別名義である。 1983年4月 - 1983年11月 1982年に再リリースされた の「」のカップリング曲。 歌詞に「土曜」のキーワードは入っていない。 DOWN TOWN (ニューレコーディングバージョン) 1984年10月 - 1985年9月 1989年10月14日 1984年10月放送用にテレビスタジオで収録されたアレンジバージョン。 当初は演奏シーンともにエンディングに流れた。 そのためこの演奏形態でのDOWN TOWNはEPOのレコードおよびCDには収録されておらず、当番組のエンディング映像以外での視聴は困難である。 最終回のエンディングでは、提供紹介時も含めて、ほぼフルコーラス使用された。 山下達郎 1985年10月 - 1986年9月 1986年10月 - 1987年9月 1987年10月 - 1988年9月 1988年10月 - 1989年9月 卒業写真 1989年10月7日 最終回直前スペシャルのエンディングテーマ• 尤も、吉本自体大正時代には早くも東京に進出しており、当時東京最大の歓楽地であったに劇場を建設、戦前にはプロ野球のの設立や映画会社の経営に関与するなど全国規模での活動をしていたが、戦後の浅草の急激な斜陽化とともに吉本は撤退した。 その後に上京する芸人のマネジメントをする「東京連絡事務所」を設立していたが、社員は2名のみと戦前と比較して小規模な状況でのスタートだった。 ビートきよしの出演が無くなってからは『ツービート』表記は無くなった。 初代OP時でのクレジット上での扱いは正式レギュラーが顔つきで紹介された後に、タレント名だけがテロップで表示される、いわゆる準レギュラー格での扱いで、正式レギュラー扱いとなったのは1983年4月、3代目のOPに切り替えられてからのことであった。 一時、裏番組『』()に出演して番組を離れるも1982年に復帰。 「ぼんちおさむ」を名乗るようになってからも当番組では「おさむ」名義のままだった。 『赤信号』名義• 当初は本名の「松尾憲造」名義• 収録の度に牛を連れてから来ていたが、ビートたけしの発案で番組に出演するようになった。 ただし、衛星受信の放送のみに許可されており、IPTV向けの放送では許可されていない。 最終回では「SPECIAL THANKS」として表記。 栗原は「ひょうきん族」で接したジミー大西を見てドラマ『』の主人公の着想を得たという。 1982年に「ひょうきんディレクターズ」としてレコード「ひょうきんパラダイス」をリリースした。 最後に退場した山田邦子にスタッフから大きな拍手が送られた。 これは『ひょうきん族』の流れを『』で継ぐ意味もあった。 翌週が特番やナイター中継の場合はその告知。 なお、初期の放送や「ひょうきんスペシャル」では提供・エンドカードはCMを挟んで別途表示していた。 2004年9月10日「懐かしのお笑い、なぜ人気(サブch. [ ]• 90sチョベリグー 2020年4月19日閲覧• このことを1989年10月14日に放送された 最終回スペシャル タケちゃんマンの忠臣蔵で さんまから、「今日は早退とかは絶対するなよ」と言われている。 『』()2015年1月18日放送より。 『』(系)2018年10月15日放送より。 スポニチアネックス. スポーツニッポン. 2018年10月16日. 2018年11月26日閲覧。 『朝日新聞』1989年10月14日付朝刊、32面、テレビ欄。 『』タワーレコード オンライン商品紹介•

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『ひょうきん族』『めちゃイケ』の間に放送していたフジテレビ土曜8時の番組を調べてみた!

ひょうきん 族

「土8」。 フジテレビが、この枠に特別な思い入れを持っているのは間違いありません。 『ひょうきん族』は80年代、TBSの同枠に君臨していた『8時だョ! 全員集合』との視聴率争いを制し、「バラエティのフジ」の礎を築いた、ある意味で創造主的番組。 『めちゃイケ』は「楽しくなければテレビじゃない」の精神性を受け継ぎ、90年代後半から00年代前半までのフジを盛り上げた、いわば中興の祖。 異なる時代を代表する2つのバラエティを輩出した枠として、今後も語り継がれていくのは間違いありません。 「あいつがトラブル」(1989年12月2日~1990年3月24日) 『全員集合』を討ち果たした『ひょうきん族』でしたが、次なる刺客『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』には歯が立たず、89年3月、あえなく放送終了。 「土8」の覇権は再びTBSのものとなりました。 あまりにも強力だった『加トケン』と真っ向勝負することを避けたいフジは、同枠で実に8年ぶりとなる連続ドラマの放送を決意。 萩原健一と南野陽子の凸凹コンビによるオシャレでファッショナブルな刑事モノ『あいつがトラブル』で、TBSが取りこぼしているであろう視聴者層の獲得を狙います。

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オレたちひょうきん族とは (オレタチヒョウキンゾクとは) [単語記事]

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面白くないのは当然でしょう。 『ひょうきん族』は「時代性」を大事にした「今しかできないお笑い」を目指しました。 当時の映画・ドラマ・CM・ヒット曲などを元ネタにしたパロディが多かったのです。 内輪ネタ(楽屋落ち・暴露話)も多かったので、当時の芸人の力関係やプライベートを理解していないと訳の分からないネタもあるでしょう。 アクシデントやふと出た一言が、次の週にはネタになったりもしました。 毎週続けて観ないと分からないネタもあるでしょう。 「同時代を生きているヒト」にだけに向けて放送していたので、後世になって再放送されることなどは想定されていなかったのです。 ワタシも当時は腹を抱えて観ていましたが、今再放送を見ても当時と同じように笑える自信はありません。 (「懐かしさ」は感じるでしょうが…。 ) 対極にあるのが『ドリフ』です。 )を演じることで、「普遍性」を持たせることに成功したのです。 娯楽番組やドラマでも、昔TVで放送されて数十年経っても見られる時代になりました。 特に娯楽番組の場合、時代背景、環境が物凄く影響すると思うのです。 娯楽番組は何か新しいもの、新鮮な刺激を求めて見る番組ですから、今の時代に「ひょうきん族」を見ておなかを抱えて笑うのは無理でしょう。 私自身、子供の頃に夢中になってみていた番組でしたが、今見てもあなたと同じ、たぶんつまらない番組に見えると思います。 新鮮さを求められていた番組ですから、今見ても新鮮な感じは皆無だと思います。 遠い昔、その番組が放送された日の、7時のニュースを見るのと同じなように感じます。 歴史に残るような、映画とかと同レベルで期待して見てはいけないように感じます。 新鮮でないギャグ?なんて、つまらないものです。 許されるのは古典落語くらいだと思います。

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