小式部内侍が大江山の歌の事 御簾。 教科書では教えてくれない「大江山」小式部内侍の親孝行と、10年後の親不孝。【現役ライターの古典授業04】|Bran

「古今著聞集/小式部内侍が大江山の歌のこと」

小式部内侍が大江山の歌の事 御簾

前回に引き続き、授業での取り組みについて考えてみたいと思います。 今回はひと通り文法の確認ができた段階で行いたいことをまとめていきます。 そこに生徒自身が考えるの隙間はあまりなく、教師の講義によって進められる場合がほとんどです。 私はほとんど答えが決まっている中で生徒が自らの力で教材に関する発見をする機会をできるだけ与えたいと考えています。 それは品詞分解が必要でないというのではありません。 私自身大学では古文を専攻しましたし、学ぶ中で文法知識がきちんと見についていることの重要性を感じてきました。 どんなに面白く読みたい、どんなに新しい発見をしたいと願っても適切に読む技量がなければそれが叶わないのです。 そのため文法を学ぶのは非常に重要なことだと思います。 しかし学ぶ過程でテストのような「この文での単語の扱いや内容は必ずこうなる」というような押しつけは間違っていると思います。 なぜなら単語や内容の解釈には幅をもたせることができるからです。 それが文字の芸術として表れているのが掛詞です。 前回でまとめた助詞「に」の扱いも幅を持った解釈ができる部分です。 そのような要素に目を向け、「あなたならどう考えましたか?」という問を投げかけたいと考えています。 どのような捉え方ができるかを挙げ、あなたはどの解釈を支持しますか?理由も答えてください。 オーソドックスなものだと思います。 大切なのは自分で疑問を持って考えること、調べることです。 なぜこのような言い方をしたんだろう、というものに目を向けていってもらいたいです。 いわゆる遊びのある設問で、ただ知識を受け取るだけではなく、自分発信で古典と向き合うきっかけになってほしいと思います。 御簾の構造を理解し、少し上に上がった御簾の下から上半身を出したという話をすると面白がる生徒もいます。 このような絵を描くのは御簾だけでなく当時の服装や建物の構造、慣例にも興味が向きますし、内容把握に役立ちますね。 また古語で和歌を読もうとすることで単語や古語文法の習得にも役立つと思います。 和歌に関連するものであれば、俵万智が伊勢物語の和歌で行ったように和歌を現代短歌にリメイクするというのも取り入れてみたいと考えています。 受身の授業よりも生徒が身を乗り出して取り組んでもらえるような授業の方が、私も授業を行う立場として面白いですから。 そのための話の持って行き方や生徒のノせ方は日々勉強です。 動画撮影で自分の発信力のなさを痛感しました。 今回挙げているものはありきたりなものだと思いますので、他にもいいものがあればぜひ教えて下さい。

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古典解説「小式部の大江山の歌」~気に食わない上司の撃退法~

小式部内侍が大江山の歌の事 御簾

その時に、 【二】<代作は届いたかとの定頼の揶揄> 定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 「 丹後へ遣はしける人は参りたりや。 いかに 心もとなく思すらむ。 」と言ひて、局の前を過ぎられ けるを、 =定頼中納言がふざけ(からかっ)て、小式部内侍が 局(私室)にいた時に「丹後国へ遣わした人は京都 に帰って参りましたか。 さぞかし待ち遠しくお思い になっていることでしょう」と言って、小式部内侍 のいる局の前を通り過ぎなさったところ、 【三】<小式部が返事に詠んだ即興の見事な歌> 御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へ て =小式部内侍は、御簾から半分ほど体を乗り出して、 少し定頼の直衣の袖を引き止めて 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 =大江山を越え、生野を通って行く(丹後への)道が 遠いので、まだその先の天の橋立に足を踏み入れた ことはなく、母からの手紙も見てはいません と詠みかけけり。 =と詠みかけ(て返歌を求め)た。 思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやう やはある」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引 き放ちて逃げられけり。 =定頼は、意外な事で驚き呆れて、「これはどうした ことか、このようなことがあるものか、いやある筈 がない」とだけ言って、返歌を詠むことも出来ず、 袖を引っ張り放してお逃げになったと言う。 【四】<評判が広がった小式部内侍> 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。 =小式部内侍は、この一件以来歌詠みの世界で評判が 広がることになった。 京都から山陰道を下る時、必ず通る山城と丹波の 国境にあり、交通・軍事の要所・歌枕の地。 平安初期以来、貴族の間に流行。 平安後期 には歌人の実力を争う場となった。

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「古今著聞集/小式部内侍が大江山の歌のこと」

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小式部内侍の母は当時の有名な歌人であった和泉式部。 「和泉式部日記」の作者としても知られていますね。 当時、小式部内侍が歌が上手なのは、この母親の代作ではないかと疑われることもあったようです。 そして、ある時、小式部内侍は歌合の歌人として選出されます。 このことは、当時の歌人にとっては大変名誉なことでした。 そんな中、定頼中納言がおもしろがって、今度の歌合で詠む歌は、お母さんからもう教えてもらったのかという意味合いのことを言って、小式部内侍をからかいます。 すると、小式部内侍はすぐさま歌を詠んでやり返しました。 「お母さんがいるところは、ここから遠いから、まだ会いに行ったこともないし、もちろん手紙ももらってないわ。 (歌はお母さんから教えてもらっているんじゃないんだから。 )」 この歌が、掛詞の技法を用いつつ、すばやくその場にふさわしい内容を詠み込んだすばらしい出来栄えだったんですね。 してやられた感のある定頼中納言は、何も言い返すこともできずに逃げていくしかなかったわけです。 ですが、この一件が、小式部内侍の歌人としての名声を上げるのに一役買うことにもなったようですね。 鎌倉時代中期の説話集で、十の教訓の説話を集めています。 なお、この話は教科書によっては、「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」から出典されているものもあります。 内容はほぼ同じものになっていますが、多少違いがありますので注意してください。 それでは、原文と現代語訳と注釈です。 いかに心もとなく思(おぼ)すらむ。 」 と言ひて、局の前を過ぎられけるを、 6 御簾(みす)より半(なか)らばかり出(い)でて、わづかに直衣(なほし)の袖(そで)を控へて、 7 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天(あま)の橋立(はしだて) と詠みかけけり。 8 思はずにあさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、 9 返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。 10 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出(い)で来(き)にけり。 11 これはうちまかせて、理運のことなれども、 12 かの卿(きやう)の心には、これほどの歌、ただ今詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。 どんなにじれったくお思いになっていることでしょう。 」 と言って、部屋の前を通り過ぎなさったが、 6 (小式部内侍は)御簾から半分ほど身を乗り出して、かろうじて(定頼の)直衣の袖を引き止めて、 7 (小式部内侍の歌)大江山を越えて行く、生野の(丹後までの)道が遠いので、まだ(丹後の)天の橋立は踏んだこともありませんし、(母からの)手紙も見ていません。 と詠みかけた。 8 (定頼は)思いがけないことに驚いて、 「これはどうしたことか、このようなことがあろうか(いや、あるはずがない)。 」 とだけ言って、 9 返歌をすることもできず、袖を引き離してお逃げになった。 10 小式部は、このときから、歌人としての世間での評判が立つようになった。 11 これは普通一般に、道理にかなっていることであるが、 12 あの卿(定頼)の心の中では、これほどすぐれた歌を、今すぐに詠み出すことができようとは、ご存知ではなかったのであろうか。

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