ノア の 方舟 ゲーム。 動物バランスゲーム『ノアの箱舟:船を揺らさないで!』日本語版、7月上旬発売

ノアの方舟のこれ・動物・進撃の巨人が話題

ノア の 方舟 ゲーム

各国の洪水伝説の例いくつか 洪水神話で世界が崩壊の危機に陥ったという話は、世界中の神話に見られる。 たいてい多くの場合のパターンにおいて、数人だけが助かり、その助かった者たちが後の全人類の先祖と説明される。 地上に悪しき者たちや、愚かな者たちが溢れかえったために、神が大洪水を起こしたというパターンも多い。 その場合、助かる人は善人であり、事前に神に警告されたりして船を作ったりする。 最も典型的なものが、おそらく最も有名な『ノアの洪水』であろう。 とりあえず、ノアの洪水以外の洪水神話の例を、以下に三つほど紹介する。 ポセイドンの力(ギリシア神話。 ギリシャ) ギリシア神話では、人間が創造されたばかりの時代は、罪も争いもない、幸福だけが存在していた黄金時代であったとしている。 それから、苦労を覚え、生きるのが少し大変になった銀の時代。 争いをよく行うようになった青銅の時代。 最後には悪が正義となってしまった鉄の時代になり、神々の父ゼウスは、この悲劇の世界を一度滅ぼすことに決めた。 それからゼウスは、海神ポセイドンの力も借りて、地上に大洪水を起こし、パルナッソス山以外は全て海となった。 その最後の山で、神々に忠実であったデウカリオーンとピュラーだけが生き残っているのを確認したゼウスは、そこでようやく、水を引かせたのだった。 神の魚の警告(ヒンドゥー教。 インド) ヒンドゥーの聖典などでよく語られる洪水神話においては、まずヴィシュヌ神のアヴァターラとしての魚が、マヌという人に、「大洪水であらゆる生物が流されてしまう」と警告する。 マヌは警告に従って船を作り、助かったが、他の者たちはみんな死んでしまった。 再びくる(マヤ神話。 メキシコ) マヤ神話文書ポポル・ヴフなどにも、洪水神話らしきものがある。 アメリカ大陸の洪水神話は、(たいてい特定の数人だけが生き残る)他の地域の話と比べると、生き残りが普通に結構いたりするパターンが多い。 1484~1566)は、「インディオ(先住民族)たちは、いつかまた再び大洪水が起きるだろうと信じているようだ」と記録した。 彼はまた、「ブティク(大洪水)という言葉には「裁判」という意味もあり、インディオたちは、自分たちの終末の時に来るブティクは、全てが裁かれる炎の裁判なのだと考えている」とも述べているという。 そもそもこれは謎なのか しかし世界中で大洪水伝説があるというのは、そもそも奇妙なことだろうか。 神学者などの研究によると、ノアの方舟伝説の話は紀元前4000~6000年ぐらいの話らしい。 そして他の国の洪水伝説もだいたいそのくらいの時期と考えて(神話などの記述的に)矛盾はないとされる。 紀元前4000~6000年ぐらい前といえば、普通に、人類の文明というものが起こり始めた時代である。 洪水というのは恐ろしいもので、今でも街ひとつくらいなら崩壊させることがある。 初期の小さな各文明社会においては、それをもう世界壊滅をイメージさせるような大崩壊と捉える人も多かったろう。 それと、初期の文明というのはだいたい水辺の近くで起こっていることはよく知られている。 近くに水辺があるなら、特に適度に氾濫してくれる場合は、土地が農業地帯として有効になりやすい。 しかし大規模な農業を行うためには組織的な管理が必要ということで、文明は生じたと考えられている。 ようするに初期の文明においては、想定以上の洪水というのは切実な問題であったろう。 その恐れや、現実の災害から、恐ろしい大洪水の伝説が生まれたとしても、それほど不思議ではない。 各文明の相互の影響 聖書のノアの洪水は、バビロニア神話(ギルガメシュ 叙事詩 ( じょじし ))に同じような話があったりするので、陸で繋がった旧世界においては、各文化の影響が相互にあったろう。 新世界(アメリカ大陸)においてすら、現在に名前の残ってない冒険者や漂流者がいた可能性はある。 少なくともコロンブスが最初ではないとは、今は普通に考えられている。 そういうわけで、似かよった大洪水伝説が世界各地に存在するのも、そこまで奇妙なことではない。 失われた大陸はあったか 大陸移動とプレートテクトニクス 恐竜が栄えたジュラ紀(Jurassic period。 1億9960万年前~1億4550万年前)の頃くらいには、『ローラシア大陸』と『ゴンドワナ大陸』という二つの巨大な大陸が存在していたことは、現在では通説である。 ローラシアは、「ユーラシア大陸」と「北アメリカ大陸」。 ゴンドワナは、「アフリカ大陸」、「南アメリカ大陸」、「インド亜大陸」、「南極大陸」、「オーストラリア大陸」、「アラビア半島」などがくっついて形成されていたとされる。 しかし、現在は分かれている複数の大陸がかつてはくっついて、より大きな大陸を形成していたというシナリオを、我々が簡単に受け入れられるのは、『大陸移動説(プレートテクトニクス)』というものが前提として受け入れられているからである。 プレートテクトニクス理論が登場し、大陸移動説が、有力と考えられるようになってきたのは、ようやく1960年代くらいからだ。 例えば現在では、アフリカと南アメリカのジュラ紀の地層から同種の陸上生物の化石が見つかったところで、それほど驚くにはあたらない。 しかし、1960年以前は違っていたわけだ。 陸橋説。 地球膨張説、収縮説 現在の地質学の本では、離れた大陸間で共有されているように思える陸上生物化石の謎に関する、プレートテクトニクス以前の説として紹介されてるのは、たいてい『陸橋説(Overpass theory)』である。 陸橋説は、大陸間を繋ぐ陸の道が、時折現れていたのではないかという説。 今ではバカバカしいくらいだが、古い説としてこれがよく紹介されているところを見ると、おそらくかつては最も有力な説ではあったのだろう。 陸橋出現の原理としては、地球の内部の熱の高まりによって発生する「膨張(expansion)」、あるいは内部の熱の減少により発生する「収縮(Shrinkage)」が原因でないかと考えられていたようだ。 地球の膨張収縮はまた、大陸移動の原因としても、検討されていたという。 パンゲア、ローラシア、ゴンドワナ大陸 陸橋説というより「大体陸説」と言う方がよいくらいに、壮大なスケールで考えられることもあった。 1912年に大陸移動説を提唱したアルフレッド・ローター・ヴェーゲナー(Alfred Lothar Wegener。 1880~1930)は、かつてはすべての(あるいはほぼすべての)大陸がひとつであったと考え、その超大陸を『パンゲア大陸』と名付けた。 このパンゲア大陸は、現在では、三畳紀(Triassic period。 2億5100万年前~1億9960万年前)の頃に実際にあったと考えられている。 その後に、アレクサンダー・デュ・トワ(Alexander du Toit。 1878~1948)は、パンゲアが、ローラシアとゴンドワナに別れた時期もあったと提唱。 それもまた正解であったわけである。 ローラシアはトワが出した名前だが、ゴンドワナ大陸はパンゲアよりも、大陸移動説よりも古くに提案された名前である。 その提唱者はエドゥアルド・スエス(Eduard Suess。 1831~1914)という人で、ゴンドワナという名称自体はもともとインド国内の地名らしい。 スエスが、陸橋が南アメリカ、アフリカ、インド、オーストラリア、南極大陸を繋いだ時代があったと最初に主張したのは1885年だったという。 彼は後には、陸橋というか、先にあげた大陸を繋ぐ巨大大陸があったに違いないとし、その巨大大陸を「ゴンドワナ」と名付けたのだった。 彼は地球収縮説を支持し、かつては広大であったゴンドワナ大陸の多くの部分が、その収縮による影響で海に沈んでしまったと考えたのだ。 ムー、アトランティス、レムリア 現在でこそ「ムー大陸」や「アトランティス大陸」と同列的に扱われたりもする『レムリア大陸』も、やはりヴェーゲナー以前に、このゴンドワナと同じような発想で考えられたものであった。 そこで、以下のようなシナリオまで考えだされた。 かつて地球の海の面積はもっと小さく、広大なゴンドワナ大陸があった。 しかしやがてゴンドワナの一部が沈んだが、まだレムリアと呼ばれる大陸の範囲は陸としてあった。 そのレムリアもいくらか沈んだが、まだムーやアトランティスは残っていた。 ところで、大陸がいくらか沈むたび、それは実質的に海の面積が広まっているということだから、そのたびに大洪水が起こっていた。 ムーやアトランティスでなくとも、最も最近まで残っていた大陸が一万年くらい前、あるいはもっと最近だとして、その時の記録が、現在の洪水伝説につながったという説もあったようだ。 大量の水の起源はどこか 全ての洪水伝説に共通の起源があるという説に関しては、もう少し単純なパターンもある。 例えば、まだ人類が地球のあちこちに広まる前に住んでいた場所に、大洪水があった。 そしてその記憶が、各地に散らばった後にも、印象深く残っていて、様々な洪水伝説につながったとかだ。 現在では、陸橋も、間の巨大大陸も、あまり価値がなくなっている。 しかし、地球の収縮、膨張はないにしても、陸地が減ったり、増えたりするシナリオはシミュレーションする価値くらいはあるかもしれない。 例えば大量に水を含む天体が地球をかすめた時に、結果的には大量の雨をもたらす可能性はある。 それでまさしく、地球は全ての表面において水の惑星になってしまうことは、なくはない。 他に面白い仮説として、「地球リング落下説」なんてのもかつてはあったらしい。 地球にはもともと、水を多く含む、土星のそれのようなリングがあって、それが何らかの原因で、地球に落下してくる形となり、それが莫大な水をもたらしたという説だ。 この派生かどうかは知らないが、地球を覆っていた氷の層があったという「アイスシェルター説」なんてのもあったという。 ちなみに水はどこへ消えたのかだが、単純に現在の地球の水量は、大洪水以前より増えているとする説もあるようだ。 もちろん、それに関しては別に大した根拠もない。 ノアの方舟は実在したか 聖書で語られた物語 聖書によると、 堕落した人間への裁きとして神は破滅的な大洪水を起こすことを決定したが、信仰心の厚かったノアと、その一族だけは助けられることになった。 神はノアに「木を使って、小部屋がいくつもついた、三階建ての方舟を作りなさい」と告げた。 船の長さが300アンマ(キュビト)、幅が50アンマ、高さ30アンマと、その大きさまで明確に指示されている。 1キュビトというのは、だいたい50センチくらいとされている。 つまり方舟は長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルくらいだったと考えられる。 さらに神は、人間界のあらゆる生物もそれぞれオスとメスを一頭ずつ選び方舟に避難させてやるように指示(ただし神は、清い動物は七つがいずつとも述べていて、少し曖昧)。 ノアはすべて神の言うとおりにして、箱舟に乗っていた者たちは全員助かったのだった。 神は40日続けて大雨を降らせ、世界はまさに水ばかりになった。 さらに150日は、地上を沈めた水の勢いはそのままだったらしい。 やがて水がひいていく時に、方舟は『アララト山(トルコの東の山)』、あるいは「アララトの山々」の上にあったという。 以降、聖書には、方舟がどこか新たな場所に移動したかの記述はない。 それに、洪水が完全に去り、ノアたちが方舟から出てきてから、それがどうなったかも、ちゃんと説明されない。 そういうわけで、聖書を信じる者たちは、アララト山に残されたと思われるノアの方舟の痕跡を探し続けている。 常識的な問題点 常識的な目で見れば、ノアの方舟は、単に神に従ったからで片付けるには、あまりに非現実的である。 長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルの船なんてかなり大きい。 聖書の記述からは、ノアに協力者がいたとは読み取りにくいから、これほどの船を、ノアとその家族(妻と三人の息子夫婦)だけで造ったということになる。 当時の人間の寿命は、1000年以上生きるくらいに長かったそうだから、じっくり長い時間をかけて方舟を作ったのだとする説もある。 しかし、そんな大きな方舟を作る作業なんて目立つだろう。 地上に悪がはびこっていたなら、資源を贅沢に使うノアたちは、略奪の危機などにさらされていたのでなかろうか。 また、方舟が造れたとしても、まだ問題はある。 船が大きく、一組ずつとはいえ、あらゆる動物をそこに入れれるだろうか。 もちろん数百日生きれるくらいの食料もいるはず。 それと船は木造らしいが、大地をすべて沈めてしまうくらいの水量の豪雨に、数十日間も耐え続けることができるのだろうか、という疑問もある。 しかし、聖書の記述を信じる者に、そのような合理的な説明は明らかに無意味である。 そもそも、聖書は、「光あれ」という神の一言で、光が発生するような世界観なのだ。 ようするに、全部、神の奇跡で説明がつく。 もしかしたら、神の力で、ノアは魔術的に巨大な船を造れたのかもしれない。 船の内部は特殊な空間が生じていたのかもしれない。 船の中で動物たちは長い居眠り状態にされていたのかもしれない。 雨はノアの方舟だけを避けたのかもしれないわけだ。 雨に関しては、ノアの方舟は実は船というより潜水艦で、水中にいることで雨の圧力を回避できたのでないかという説もある。 方舟に、いかにあらゆる動物を収容したかという問題についてもしっかりと言及しているようで、(19世紀くらいまでの)後の版においても、実は一部地域のみの出来事であったと想定していたりしているという。 すでに述べたように大洪水伝説は、レムリアやゴンドワナ大陸説とも、それなりに整合性が取れそうでもあった。 ルネサンス(14~16世紀)くらいからは、方舟が具体的にどのようなものだったか、ギリシャからの伝統的な幾何学などを用いて説明しようとする試みもあったという。 さらに18世紀くらいには、(微妙だが)進化論を取り入れたような説もあったらしい。 例えば、動物の数の問題に関して、動物は環境に適応し、その姿を大きく変えるが、その基本型はせいぜい数十か数百程度であり、方舟に入れられたのはそれだけの数だった。 そして洪水がされ各地に再び動物たちが広がる中でその姿はそれぞれの環境に適応し様々なものとなったというような説だ。 方舟が残っているのは、ありえないのか アララト山にてノアの方舟、あるいはその残骸らしきものが見つかったという話は非常に多い。 多すぎて、もうそれだけで、大半が勘違いか嘘であることが間違いないと言ってもいいくらいだろう。 そもそも前提がおかしいとも言われる。 聖書には、船の最終の到達地点がアララト山だとはっきり断言されているわけではないからだ。 正確には「アララトの山々」で、それはかなり広い範囲の地域を指しているとも言われる。 また、仮に方舟がアララト山に到達したのだとして、現在にまでそれが残っているだろうか、と疑問を抱く人は、聖書を信じている人にすら多い。 聖書に記述はないが、普通に考えるなら、方舟は必要なくなった時点で、すぐにバラされたろうとも言われる。 大洪水が、大地の上にあるものを一掃したのなら、その荒れ果てた世界で、ノアたちが真っ先に利用できた資源は何かを考えれば明らかだ。 方舟を分解すれば、家などの材料としても使えたろう。 アララト山探索の興味深い記録 真実かどうかはともかく、(主にアララト山での)ノアの方舟探索の話には、興味深いものも多いので、いくつかを紹介しておく。 古代と中世のアルメニアの噂話 古い記録としては、フラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus。 37~100)が、カスピ海付近の辺りのアルメニア人たちに聞いた噂話がある。 彼らは、方舟が上陸した場所(アララト山?)を普通に知っていて、その残骸を持ち帰っては、お守り代わりに使ったりしていたのだという。 また、ヨセフスと同時代くらいの人らしいダマスカスのニコラウスは、豊富な知識によって膨大な歴史の本を書いたとされる。 今となっては彼の著作の大半は失われてしまったが 残された者の中にノアの洪水と関係ありそうな記述がある。 どうも、大洪水があって、バリスというアルメニアに大きな山に逃げた人たちは救われた。 そして箱舟で運ばれた人が来た。 その材料である木材は素晴らしいものだったというような感じらしい。 中世には、有名なマルコ・ポーロ(Marco Polo。 1254~1324)も、アルメニアの特に高い山に、ハコかカップみたいに削られたみたいな場所があり、そこにノアの方舟があるらしい、というふうに、「東方見聞録(Book of the Marvels of the World )」に書いてたりするという。 アルメニア人の噂においては、近代までに多くの記録があり、その方舟の破片は、木にしてはかなり硬いという話もあるようだ。 アコリ修道院の聖ヤコブ 公式には、アララト山の登頂に最初に成功したのは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・パルロット(Johann Jacob Friedrich Wilhelm Parrot。 1791~1841)という人だとされている。 彼は、ベースキャンプ地として、「アコリ修道院の聖ヤコブ(Saint Hakob of Akori monastery)」なる修道院を使っていたそうだが、そこには方舟の残骸で作られた「イコン(聖像)」があったという話が伝わっている。 しかし、パルロットの時代のアコリ修道院の聖ヤコブは、1840年に近くの村共々、地震で崩壊し、その貴重なイコンも失われてしまった。 先の修道院を建てた聖ヤコブ自身もまた、ノアの箱舟を探して、アララト山に何度も登ったという伝説がある。 彼はノアの箱舟を見つけることができたが、それはアララト山頂上の氷河に埋まっていた。 通常、氷河は動くものであるから、ノアの方舟がずっとそこにあったものかは謎だが、とにかくそれはあったらしい。 しかし彼はある時、探索中に居眠りし、夢の中で神に告げられた。 「箱舟を探すのはもうやめておきなさい。 その破片の一つをあなたにあげるから」 そしてそれは見つかり、ヤコブはその発見場所に修道院を建て、破片はイコンにしたのだという。 懐疑論者が見てしまった真実 方舟が氷河に埋まっているという話も多い。 1856年頃。 三人の科学者のチームが、アララト山にやってきた。 彼らは典型的な懐疑論者で、方舟の存在を、どちらかというと否定するためにやってきたのだとも言われる。 三人は、アルメニア人のガイドを二人雇い、方舟らしきものが見えるという氷河に案内してもらった。 そして、そこには本当に、方舟にしか見えないようなものが確かにあった。 しかし、逆に狂信的なまでの無神論者であった三人は、二人のガイドに、「このことを誰かに話せば命の保証はないぞ」と脅したらしい。 ガイドの一人は忠告を守り天寿をまっとうしたが、巡礼者エレミヤとして知られるようになっていたもう一人は、亡くなる少し前に、アメリカの友人たちに話を伝えた。 それとほぼ同時期に、三人いた科学者の一人も、新聞記者に、自分が見た真実を告白し、一応は当時、新聞でも報じられたという。 空からの探査と陰謀論 20世紀以降は、空中から撮影した写真に、方舟らしきものが写っていたという報告も多い。 また、アポロ15号に搭乗した宇宙飛行士であったジェームズ・アーウィン(James Irwin。 1930~1991)と共に、ノアの方舟を長い期間探索したという、航空会社勤めのパイロット、リチャード・カール・ブライトなどは、各国政府がノアの方舟をすでに発見していながら、それを隠しているという陰謀説を唱えているらしい。

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ノア の 方舟 ゲーム

あなたは揺れ動く箱舟の上に、 何匹の動物を乗せることができるでしょうか? 大洪水により、地上の生物を滅ぼす…… ノアは神の啓示に従って、箱舟を建造し、動物たちをつがいで乗せることで、生物を絶滅から救った。 カードを引いて、動物たちがバランスよく箱舟に乗船するのを手伝ってください。 1匹の動物が船を揺らしてしまい、他のすべてを箱舟から落としてしまわないように注意しましょう。 このゲームでは、プレイヤーは順番に以下を実行します。 動物カードを山札から1枚引く。 その動物の名前を読み上げます。 その動物のミニチュアを箱舟の上に、他の動物たちを船から落とさないように注意して乗せましょう! 動物たちはそれぞれ重さが異なるので、箱舟が傾いて動物たちが落ちないように、バランス良く乗せることが重要です。 箱舟から動物を落してしまったプレイヤーは、自分が落した動物を自分の前に置き、カードは引かずに手番に自分の前に置いた動物を乗せなければなりません。 これを動物カードが無くなるまで続け、最初に自分の前の動物が無くなったプレイヤーが勝利です。 『ノアの箱舟:船を揺らさないで!』は、このゲームに登場する15種類の動物について解説する「動物ガイドブック」がついた、簡単なルールで大人から子供まで学びながら楽しめるバランスゲームです。

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各国の洪水伝説の例いくつか 洪水神話で世界が崩壊の危機に陥ったという話は、世界中の神話に見られる。 たいてい多くの場合のパターンにおいて、数人だけが助かり、その助かった者たちが後の全人類の先祖と説明される。 地上に悪しき者たちや、愚かな者たちが溢れかえったために、神が大洪水を起こしたというパターンも多い。 その場合、助かる人は善人であり、事前に神に警告されたりして船を作ったりする。 最も典型的なものが、おそらく最も有名な『ノアの洪水』であろう。 とりあえず、ノアの洪水以外の洪水神話の例を、以下に三つほど紹介する。 ポセイドンの力(ギリシア神話。 ギリシャ) ギリシア神話では、人間が創造されたばかりの時代は、罪も争いもない、幸福だけが存在していた黄金時代であったとしている。 それから、苦労を覚え、生きるのが少し大変になった銀の時代。 争いをよく行うようになった青銅の時代。 最後には悪が正義となってしまった鉄の時代になり、神々の父ゼウスは、この悲劇の世界を一度滅ぼすことに決めた。 それからゼウスは、海神ポセイドンの力も借りて、地上に大洪水を起こし、パルナッソス山以外は全て海となった。 その最後の山で、神々に忠実であったデウカリオーンとピュラーだけが生き残っているのを確認したゼウスは、そこでようやく、水を引かせたのだった。 神の魚の警告(ヒンドゥー教。 インド) ヒンドゥーの聖典などでよく語られる洪水神話においては、まずヴィシュヌ神のアヴァターラとしての魚が、マヌという人に、「大洪水であらゆる生物が流されてしまう」と警告する。 マヌは警告に従って船を作り、助かったが、他の者たちはみんな死んでしまった。 再びくる(マヤ神話。 メキシコ) マヤ神話文書ポポル・ヴフなどにも、洪水神話らしきものがある。 アメリカ大陸の洪水神話は、(たいてい特定の数人だけが生き残る)他の地域の話と比べると、生き残りが普通に結構いたりするパターンが多い。 1484~1566)は、「インディオ(先住民族)たちは、いつかまた再び大洪水が起きるだろうと信じているようだ」と記録した。 彼はまた、「ブティク(大洪水)という言葉には「裁判」という意味もあり、インディオたちは、自分たちの終末の時に来るブティクは、全てが裁かれる炎の裁判なのだと考えている」とも述べているという。 そもそもこれは謎なのか しかし世界中で大洪水伝説があるというのは、そもそも奇妙なことだろうか。 神学者などの研究によると、ノアの方舟伝説の話は紀元前4000~6000年ぐらいの話らしい。 そして他の国の洪水伝説もだいたいそのくらいの時期と考えて(神話などの記述的に)矛盾はないとされる。 紀元前4000~6000年ぐらい前といえば、普通に、人類の文明というものが起こり始めた時代である。 洪水というのは恐ろしいもので、今でも街ひとつくらいなら崩壊させることがある。 初期の小さな各文明社会においては、それをもう世界壊滅をイメージさせるような大崩壊と捉える人も多かったろう。 それと、初期の文明というのはだいたい水辺の近くで起こっていることはよく知られている。 近くに水辺があるなら、特に適度に氾濫してくれる場合は、土地が農業地帯として有効になりやすい。 しかし大規模な農業を行うためには組織的な管理が必要ということで、文明は生じたと考えられている。 ようするに初期の文明においては、想定以上の洪水というのは切実な問題であったろう。 その恐れや、現実の災害から、恐ろしい大洪水の伝説が生まれたとしても、それほど不思議ではない。 各文明の相互の影響 聖書のノアの洪水は、バビロニア神話(ギルガメシュ 叙事詩 ( じょじし ))に同じような話があったりするので、陸で繋がった旧世界においては、各文化の影響が相互にあったろう。 新世界(アメリカ大陸)においてすら、現在に名前の残ってない冒険者や漂流者がいた可能性はある。 少なくともコロンブスが最初ではないとは、今は普通に考えられている。 そういうわけで、似かよった大洪水伝説が世界各地に存在するのも、そこまで奇妙なことではない。 失われた大陸はあったか 大陸移動とプレートテクトニクス 恐竜が栄えたジュラ紀(Jurassic period。 1億9960万年前~1億4550万年前)の頃くらいには、『ローラシア大陸』と『ゴンドワナ大陸』という二つの巨大な大陸が存在していたことは、現在では通説である。 ローラシアは、「ユーラシア大陸」と「北アメリカ大陸」。 ゴンドワナは、「アフリカ大陸」、「南アメリカ大陸」、「インド亜大陸」、「南極大陸」、「オーストラリア大陸」、「アラビア半島」などがくっついて形成されていたとされる。 しかし、現在は分かれている複数の大陸がかつてはくっついて、より大きな大陸を形成していたというシナリオを、我々が簡単に受け入れられるのは、『大陸移動説(プレートテクトニクス)』というものが前提として受け入れられているからである。 プレートテクトニクス理論が登場し、大陸移動説が、有力と考えられるようになってきたのは、ようやく1960年代くらいからだ。 例えば現在では、アフリカと南アメリカのジュラ紀の地層から同種の陸上生物の化石が見つかったところで、それほど驚くにはあたらない。 しかし、1960年以前は違っていたわけだ。 陸橋説。 地球膨張説、収縮説 現在の地質学の本では、離れた大陸間で共有されているように思える陸上生物化石の謎に関する、プレートテクトニクス以前の説として紹介されてるのは、たいてい『陸橋説(Overpass theory)』である。 陸橋説は、大陸間を繋ぐ陸の道が、時折現れていたのではないかという説。 今ではバカバカしいくらいだが、古い説としてこれがよく紹介されているところを見ると、おそらくかつては最も有力な説ではあったのだろう。 陸橋出現の原理としては、地球の内部の熱の高まりによって発生する「膨張(expansion)」、あるいは内部の熱の減少により発生する「収縮(Shrinkage)」が原因でないかと考えられていたようだ。 地球の膨張収縮はまた、大陸移動の原因としても、検討されていたという。 パンゲア、ローラシア、ゴンドワナ大陸 陸橋説というより「大体陸説」と言う方がよいくらいに、壮大なスケールで考えられることもあった。 1912年に大陸移動説を提唱したアルフレッド・ローター・ヴェーゲナー(Alfred Lothar Wegener。 1880~1930)は、かつてはすべての(あるいはほぼすべての)大陸がひとつであったと考え、その超大陸を『パンゲア大陸』と名付けた。 このパンゲア大陸は、現在では、三畳紀(Triassic period。 2億5100万年前~1億9960万年前)の頃に実際にあったと考えられている。 その後に、アレクサンダー・デュ・トワ(Alexander du Toit。 1878~1948)は、パンゲアが、ローラシアとゴンドワナに別れた時期もあったと提唱。 それもまた正解であったわけである。 ローラシアはトワが出した名前だが、ゴンドワナ大陸はパンゲアよりも、大陸移動説よりも古くに提案された名前である。 その提唱者はエドゥアルド・スエス(Eduard Suess。 1831~1914)という人で、ゴンドワナという名称自体はもともとインド国内の地名らしい。 スエスが、陸橋が南アメリカ、アフリカ、インド、オーストラリア、南極大陸を繋いだ時代があったと最初に主張したのは1885年だったという。 彼は後には、陸橋というか、先にあげた大陸を繋ぐ巨大大陸があったに違いないとし、その巨大大陸を「ゴンドワナ」と名付けたのだった。 彼は地球収縮説を支持し、かつては広大であったゴンドワナ大陸の多くの部分が、その収縮による影響で海に沈んでしまったと考えたのだ。 ムー、アトランティス、レムリア 現在でこそ「ムー大陸」や「アトランティス大陸」と同列的に扱われたりもする『レムリア大陸』も、やはりヴェーゲナー以前に、このゴンドワナと同じような発想で考えられたものであった。 そこで、以下のようなシナリオまで考えだされた。 かつて地球の海の面積はもっと小さく、広大なゴンドワナ大陸があった。 しかしやがてゴンドワナの一部が沈んだが、まだレムリアと呼ばれる大陸の範囲は陸としてあった。 そのレムリアもいくらか沈んだが、まだムーやアトランティスは残っていた。 ところで、大陸がいくらか沈むたび、それは実質的に海の面積が広まっているということだから、そのたびに大洪水が起こっていた。 ムーやアトランティスでなくとも、最も最近まで残っていた大陸が一万年くらい前、あるいはもっと最近だとして、その時の記録が、現在の洪水伝説につながったという説もあったようだ。 大量の水の起源はどこか 全ての洪水伝説に共通の起源があるという説に関しては、もう少し単純なパターンもある。 例えば、まだ人類が地球のあちこちに広まる前に住んでいた場所に、大洪水があった。 そしてその記憶が、各地に散らばった後にも、印象深く残っていて、様々な洪水伝説につながったとかだ。 現在では、陸橋も、間の巨大大陸も、あまり価値がなくなっている。 しかし、地球の収縮、膨張はないにしても、陸地が減ったり、増えたりするシナリオはシミュレーションする価値くらいはあるかもしれない。 例えば大量に水を含む天体が地球をかすめた時に、結果的には大量の雨をもたらす可能性はある。 それでまさしく、地球は全ての表面において水の惑星になってしまうことは、なくはない。 他に面白い仮説として、「地球リング落下説」なんてのもかつてはあったらしい。 地球にはもともと、水を多く含む、土星のそれのようなリングがあって、それが何らかの原因で、地球に落下してくる形となり、それが莫大な水をもたらしたという説だ。 この派生かどうかは知らないが、地球を覆っていた氷の層があったという「アイスシェルター説」なんてのもあったという。 ちなみに水はどこへ消えたのかだが、単純に現在の地球の水量は、大洪水以前より増えているとする説もあるようだ。 もちろん、それに関しては別に大した根拠もない。 ノアの方舟は実在したか 聖書で語られた物語 聖書によると、 堕落した人間への裁きとして神は破滅的な大洪水を起こすことを決定したが、信仰心の厚かったノアと、その一族だけは助けられることになった。 神はノアに「木を使って、小部屋がいくつもついた、三階建ての方舟を作りなさい」と告げた。 船の長さが300アンマ(キュビト)、幅が50アンマ、高さ30アンマと、その大きさまで明確に指示されている。 1キュビトというのは、だいたい50センチくらいとされている。 つまり方舟は長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルくらいだったと考えられる。 さらに神は、人間界のあらゆる生物もそれぞれオスとメスを一頭ずつ選び方舟に避難させてやるように指示(ただし神は、清い動物は七つがいずつとも述べていて、少し曖昧)。 ノアはすべて神の言うとおりにして、箱舟に乗っていた者たちは全員助かったのだった。 神は40日続けて大雨を降らせ、世界はまさに水ばかりになった。 さらに150日は、地上を沈めた水の勢いはそのままだったらしい。 やがて水がひいていく時に、方舟は『アララト山(トルコの東の山)』、あるいは「アララトの山々」の上にあったという。 以降、聖書には、方舟がどこか新たな場所に移動したかの記述はない。 それに、洪水が完全に去り、ノアたちが方舟から出てきてから、それがどうなったかも、ちゃんと説明されない。 そういうわけで、聖書を信じる者たちは、アララト山に残されたと思われるノアの方舟の痕跡を探し続けている。 常識的な問題点 常識的な目で見れば、ノアの方舟は、単に神に従ったからで片付けるには、あまりに非現実的である。 長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルの船なんてかなり大きい。 聖書の記述からは、ノアに協力者がいたとは読み取りにくいから、これほどの船を、ノアとその家族(妻と三人の息子夫婦)だけで造ったということになる。 当時の人間の寿命は、1000年以上生きるくらいに長かったそうだから、じっくり長い時間をかけて方舟を作ったのだとする説もある。 しかし、そんな大きな方舟を作る作業なんて目立つだろう。 地上に悪がはびこっていたなら、資源を贅沢に使うノアたちは、略奪の危機などにさらされていたのでなかろうか。 また、方舟が造れたとしても、まだ問題はある。 船が大きく、一組ずつとはいえ、あらゆる動物をそこに入れれるだろうか。 もちろん数百日生きれるくらいの食料もいるはず。 それと船は木造らしいが、大地をすべて沈めてしまうくらいの水量の豪雨に、数十日間も耐え続けることができるのだろうか、という疑問もある。 しかし、聖書の記述を信じる者に、そのような合理的な説明は明らかに無意味である。 そもそも、聖書は、「光あれ」という神の一言で、光が発生するような世界観なのだ。 ようするに、全部、神の奇跡で説明がつく。 もしかしたら、神の力で、ノアは魔術的に巨大な船を造れたのかもしれない。 船の内部は特殊な空間が生じていたのかもしれない。 船の中で動物たちは長い居眠り状態にされていたのかもしれない。 雨はノアの方舟だけを避けたのかもしれないわけだ。 雨に関しては、ノアの方舟は実は船というより潜水艦で、水中にいることで雨の圧力を回避できたのでないかという説もある。 方舟に、いかにあらゆる動物を収容したかという問題についてもしっかりと言及しているようで、(19世紀くらいまでの)後の版においても、実は一部地域のみの出来事であったと想定していたりしているという。 すでに述べたように大洪水伝説は、レムリアやゴンドワナ大陸説とも、それなりに整合性が取れそうでもあった。 ルネサンス(14~16世紀)くらいからは、方舟が具体的にどのようなものだったか、ギリシャからの伝統的な幾何学などを用いて説明しようとする試みもあったという。 さらに18世紀くらいには、(微妙だが)進化論を取り入れたような説もあったらしい。 例えば、動物の数の問題に関して、動物は環境に適応し、その姿を大きく変えるが、その基本型はせいぜい数十か数百程度であり、方舟に入れられたのはそれだけの数だった。 そして洪水がされ各地に再び動物たちが広がる中でその姿はそれぞれの環境に適応し様々なものとなったというような説だ。 方舟が残っているのは、ありえないのか アララト山にてノアの方舟、あるいはその残骸らしきものが見つかったという話は非常に多い。 多すぎて、もうそれだけで、大半が勘違いか嘘であることが間違いないと言ってもいいくらいだろう。 そもそも前提がおかしいとも言われる。 聖書には、船の最終の到達地点がアララト山だとはっきり断言されているわけではないからだ。 正確には「アララトの山々」で、それはかなり広い範囲の地域を指しているとも言われる。 また、仮に方舟がアララト山に到達したのだとして、現在にまでそれが残っているだろうか、と疑問を抱く人は、聖書を信じている人にすら多い。 聖書に記述はないが、普通に考えるなら、方舟は必要なくなった時点で、すぐにバラされたろうとも言われる。 大洪水が、大地の上にあるものを一掃したのなら、その荒れ果てた世界で、ノアたちが真っ先に利用できた資源は何かを考えれば明らかだ。 方舟を分解すれば、家などの材料としても使えたろう。 アララト山探索の興味深い記録 真実かどうかはともかく、(主にアララト山での)ノアの方舟探索の話には、興味深いものも多いので、いくつかを紹介しておく。 古代と中世のアルメニアの噂話 古い記録としては、フラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus。 37~100)が、カスピ海付近の辺りのアルメニア人たちに聞いた噂話がある。 彼らは、方舟が上陸した場所(アララト山?)を普通に知っていて、その残骸を持ち帰っては、お守り代わりに使ったりしていたのだという。 また、ヨセフスと同時代くらいの人らしいダマスカスのニコラウスは、豊富な知識によって膨大な歴史の本を書いたとされる。 今となっては彼の著作の大半は失われてしまったが 残された者の中にノアの洪水と関係ありそうな記述がある。 どうも、大洪水があって、バリスというアルメニアに大きな山に逃げた人たちは救われた。 そして箱舟で運ばれた人が来た。 その材料である木材は素晴らしいものだったというような感じらしい。 中世には、有名なマルコ・ポーロ(Marco Polo。 1254~1324)も、アルメニアの特に高い山に、ハコかカップみたいに削られたみたいな場所があり、そこにノアの方舟があるらしい、というふうに、「東方見聞録(Book of the Marvels of the World )」に書いてたりするという。 アルメニア人の噂においては、近代までに多くの記録があり、その方舟の破片は、木にしてはかなり硬いという話もあるようだ。 アコリ修道院の聖ヤコブ 公式には、アララト山の登頂に最初に成功したのは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・パルロット(Johann Jacob Friedrich Wilhelm Parrot。 1791~1841)という人だとされている。 彼は、ベースキャンプ地として、「アコリ修道院の聖ヤコブ(Saint Hakob of Akori monastery)」なる修道院を使っていたそうだが、そこには方舟の残骸で作られた「イコン(聖像)」があったという話が伝わっている。 しかし、パルロットの時代のアコリ修道院の聖ヤコブは、1840年に近くの村共々、地震で崩壊し、その貴重なイコンも失われてしまった。 先の修道院を建てた聖ヤコブ自身もまた、ノアの箱舟を探して、アララト山に何度も登ったという伝説がある。 彼はノアの箱舟を見つけることができたが、それはアララト山頂上の氷河に埋まっていた。 通常、氷河は動くものであるから、ノアの方舟がずっとそこにあったものかは謎だが、とにかくそれはあったらしい。 しかし彼はある時、探索中に居眠りし、夢の中で神に告げられた。 「箱舟を探すのはもうやめておきなさい。 その破片の一つをあなたにあげるから」 そしてそれは見つかり、ヤコブはその発見場所に修道院を建て、破片はイコンにしたのだという。 懐疑論者が見てしまった真実 方舟が氷河に埋まっているという話も多い。 1856年頃。 三人の科学者のチームが、アララト山にやってきた。 彼らは典型的な懐疑論者で、方舟の存在を、どちらかというと否定するためにやってきたのだとも言われる。 三人は、アルメニア人のガイドを二人雇い、方舟らしきものが見えるという氷河に案内してもらった。 そして、そこには本当に、方舟にしか見えないようなものが確かにあった。 しかし、逆に狂信的なまでの無神論者であった三人は、二人のガイドに、「このことを誰かに話せば命の保証はないぞ」と脅したらしい。 ガイドの一人は忠告を守り天寿をまっとうしたが、巡礼者エレミヤとして知られるようになっていたもう一人は、亡くなる少し前に、アメリカの友人たちに話を伝えた。 それとほぼ同時期に、三人いた科学者の一人も、新聞記者に、自分が見た真実を告白し、一応は当時、新聞でも報じられたという。 空からの探査と陰謀論 20世紀以降は、空中から撮影した写真に、方舟らしきものが写っていたという報告も多い。 また、アポロ15号に搭乗した宇宙飛行士であったジェームズ・アーウィン(James Irwin。 1930~1991)と共に、ノアの方舟を長い期間探索したという、航空会社勤めのパイロット、リチャード・カール・ブライトなどは、各国政府がノアの方舟をすでに発見していながら、それを隠しているという陰謀説を唱えているらしい。

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