ミッド サマー グロ。 【ネタバレ】ミッドサマーのグロシーンの詳細まとめ!モザイクなしでリアルな描写!

ミッドサマーあらすじネタバレ!結末ラストで彼氏を火あぶりの刑?

ミッド サマー グロ

一部追記もしています。 こんにちは、DJ emです。 ほんとは今パラサイトやワンハリの感想めちゃくちゃ書いててアップしたかったんだけど、かなり食らっててこっちを先に出すはめに……。 アリ・アスター監督の映画「ミッドサマー」見てきました。 で、途中退席しました。 みなさんはご覧になりましたか? 正直あれを見ない人生過ごしたかった。 このコンテンツは、映画ミッドサマーを観て途中退席したチキン野郎による、Twitterで吐き出した「あの映画が物凄くいやな理由」の羅列と補足です。 相当長いよ。 Twitterのみにミッドサマーに関する物事を放流していると、 結構な期間自分のトラウマとか「こういうの嫌い」を吐き続けかねないので、noteに格納しておこうというセルフセラピーです。 私早くパラサイトとかワンハリの最高だった感想書きたい。 でもこの胸糞を抱えて生きたくない。 また、退席後に全体のネタバレ感想考察記事をいくつか観たら、まじでそういう感じだったっぽいので、私の場合は途中退席という形で安全を確保してよかった。 タイトル含め、若干修正と追記しました。 ここで一旦打ち止めにします。 ネタバレ要素、こういう人にはおすすめできない項目を追加しています。 あと、これはあくまでも「そう感じた人もいる」という意見です。 これは強く言っておく。 映画を見ることもやめたほうがいい、としか言えない。 ネタではありませんし鑑賞時の感情は盛ってませんし、お金もらったりお願いされたりした文章でもありません。 完全に私一個人の感想です。 ・現在鬱または抑うつを伴う何かの疾患である、過去にそうだったことがある ・抗うつ剤、抗不安剤を服用している、または断薬後そんなに経っていない ・何かとても悲しくてつらいことがあった ・家族および友人知人の別離に対して不安を抱く気質である ・グロテスクまたは個人的に生理的嫌悪を抱く描写が、寝る前にフラッシュバックして眠れなくなったことがある ・生殖としての性に対して多少なりともネガティブ、または興味がない、あるいはそれについて苦痛を抱くことがある ・自分は「自分という自我」を持つことを大切に思っている ・伊藤計劃の小説「ハーモニー」をバッドエンドだと解釈している ちなみに、イキリで「わたし鬱いしwそういう病みとか知ってるし薬飲んでるしwwグロ観てるしwww」という人にこそ、ミッドサマーは絶対見るなと言っておきます。 忠告したからね? このような文を書くことでかえって好奇心が湧き、観にいって「しまう」人が増える可能性の自覚もあります。 だからこそ、この映画は非常にタチの悪い作品だと思います。 「(鬱を経験した)私にとって何が嫌だったか」吐き出すほどに新たな被害者を増やすって、映画の流れ的にも完璧なんですよね。 ひどい。 また、ネットというか主にTwitterで「カップルにはおすすめしない映画」と言われておりますが、 この映画はそれ以前のレイヤーでおすすめできないと認識しています。 人間を信じられなくなる、死ぬと全て肉塊になる、この社会の仕組み(種を存続維持することが最優先)に絶望してしまう、その仕組みに対して嫌悪感を抱く。 現在進行形でそう感じている、またはかつてそう思っていた時期のことを、鑑賞で追体験したり呼び覚ましてしまったりするタイプの映画ではないかと。 あと、個人的にはアリ・アスター監督の「ヘレディタリー」観てから、この監督が見せたい怖さや不快感(+気持ち悪さ)とは何かを理解しておけばよかった。 まじで反省してます。 すまんかった。 もうこういう事故を起こさないように、まじで気をつけます。 以下、当時の身体感覚です。 息するのもちょっと苦しくなって退席した。 手汗がびっしょり出てるしまだ身体震えてる。 自分で言いたかないけど、敏感な人は相当メンタルに来ます。 あらすじ見る限り別れる寸前のカップルが行くわけやし、"あたいこんな男いらない!ここで""解放""されます!"宣言エンドやろ。 ほんでこのカルト村、確実に近親相姦とか障害者隔離用の座敷牢とかもあるし、外部からの種付けで血を濃くしすぎない儀式あるんやろなー。 」 鑑賞前の予測、全部大当たりして逆に引く。 「ミッドサマーってことは夏至やろ? スウェーデンてことは北欧土着文化やからルーン文字出てくるやろ? ペイガニズムも履修しててよかったわー、そしたら壁画や石版めっちゃ考察対象やん! パンフもおしゃれやなー! wikiとか歴史の解説ページ開いて鑑賞後チェックしたろ!(フラグ)」 今となっては考察する気すら起きない。 あんなカルト滅びてしまえ。 ミッドサマーで途中退席した箇所(ネタバレ含む) ざっくり言うと、神殿で聖典を盗み見してスクショ保存したジョシュが、マークの皮(物理)を着たカルト野郎に鈍殺されたシーンから、次のシーンへ移るまでの「音」です。 映像面でも、序盤からここまで蓄積された気持ち悪さに耐えられず、ここで流石に目を覆ってしまいました。 何が起きたか分かるけど、そういう見せ方はねえだろ……という状況でした。 で、ここの音で最悪だったのは、ジョシュのうめき声というかいびきです。 あのいびきが、脳震盪を起こした人の「あっこれ死ぬかもしれない」的な、聞いているほうが不安になる帯域で間延びした、いびきそのものなんですよね。 これが映画館全体にグルングルン回る形で大音量で鳴らされて、「これ死ぬやつでは?という状況を映画館で強制放置させられること」に我慢できず、退席をしました。 感情移入しすぎちゃったね……。 その展開わかるけど、その見せ方はねえだろ、という。 序盤〜退席までの「気持ち悪さ」「不快感」とは、シナリオの意外性や残酷性ではなく、音響、カメラワーク、色彩、VFXといった演出全般で、一連の行動や儀式を動物的な性質が本質だと見せつける「悪意」に対する気持ち悪さ、そして鬱という症状を忠実に表現する不快感に耐えられなかったやつです。 「テキサス・チェーンソー」とかウッキウキで観てたのに……どうして……。 ミッドサマー退席後のツイート:ホドロフスキーに祈る編 ここからはTwitterに書いてたことを挿入しながら、補足を適宜入れる感じです。 鬱の人には正直お勧めできない。 話や設定はむしろ分かり易過ぎたのだけど、それでこんなもん見せるなよ…という辛みを感じた。 事前のスチール観て、カルト村なんだかホーリー・マウンテンぽいな、と思ってたからかも。 中身は全然違ったわ。 以下、ホドロフスキーとアリ・アスター比較感想です。 そもそもアートカルトムービーとホラーカルトムービーですし、ジャンルも表現したいことも比較対象ではないのはわかっているのですが、この時は完全にメンタルやられて救いをホドロフスキー作品に求める(あるいは真摯に祈る)気持ちでした。 アリ・アスター監督、「サンタ・サングレ」好きらしいのですが、私と氏の解釈違いがマリアナ海溝ばりに深くて暗い溝があるな、と強く思いました。 すまん、あなたの作品は今後二度と観ません。 私エル・トポで「魂の救済」とかサンタ・サングレで「遠くから見ると喜劇になる親子という関係の悲劇」とかホーリーマウンテンで「しかし全ては虚無、だから現実を生きよう」と思えるタイプなんですが、ミッドサマーの感想は「こんな世界にいたくない」と思わせてしまう気持ち悪さがある。 でも生きる。 ただし、サイコマジックの方は擬似的な殺しや死の体験、魂から出る叫びの発声(プライマルスクリームとか野生解放とか)を個人的な儀式として行うように見受けられます。 かつ、「自分はアーティストであり、医師でもグルでもない」と自覚してるホドロフスキー監督が立ち会っているからこそ、一種安心感も得られそうな感じ。 「"あなた"の無意識にある夢の言語についてお話をするために必要な、"あなた"と"誰か"のための儀式、わかる〜〜〜!」という感覚ですね。 公開されたら観にいくぞ! しかし、ミッドサマーはどこまでもゴリゴリに醒めた感覚(鬱の人こういう状態です、マジで)と、トリップした感覚をないまぜにした目線で、映像内で起きたいろいろな出来事を「私たちカルトの仕様に則って行う場合は、歓迎する」という視線が本当に無理でした。 また、その仕様を自覚的に選択できる余裕が、「僻地・ドラッグ・多勢に無勢」の役満で奪われる流れも無理すぎた。 どこまでも 「個として今いる社会で受けた苦痛から別の社会へ現実逃避できるラクさと、恋人を捨てる強さを得た代償として、個(自我)を失くされていく」恐怖という意味では、ミッドサマーは凄い作品だと思います。 ミッドサマー退席後のツイート:鬱的な表現編 ミッドサマーは、主人公ダニーのバッドトリップ〜バッドが抜けてちょうどいいアシッドで洗脳されていく過程の映画だと思います。 ホラーというよりはバッドトリップ。 しかも鬱または不安症の人がトリップした場合として、描写が完璧。 映画館でなければ最後まで見られたかな、と。 あまりにも映画館という声もロクに出せない閉鎖環境で、自己のトラウマやバッドトリップ、あらゆる土着コミュニティにある慣習への気持ち悪さについて2時間以上向き合う体力がありませんでした。 何もかも分かってしまったからこそ耐えられず。 また、カルトあるあるの「みんな一つになりましょう🌞」の押し付けがじわじわ怖いというより、 それに対して一言も異議を発することができないまま進行することが気持ち悪かった。 怖いのではなく、気持ち悪い。 ある意味で映画館の仕様(携帯オフ・私語禁止・原則途中退席禁止といったルール)を逆手に取って、そうした閉鎖環境でしんどくなる見せ方を意識して作ってないか?という、わかっててやってる表現が多かったのではないかと思います。 「ミッドサマーは、希死念慮持ちにはお勧めできない映画」。 でしょーーーねーーーー!!! ゴリゴリに刺激されましたわーーーー!!! でも生きてやるぞ!!!!!!! アリアスター監督のばかーー!!!! 😭😭😭😭😭 🖕🖕🖕🖕🖕Fxxx You!!!!!! というか、退席するまで全編的に空気が鬱だったし。 ダニー役の人の演技がめちゃくちゃうまかったために、私もつられて食らってしまったのかも。 まじでこの感覚わかる人はおすすめしません。 ・不安で何度も電話をかける ・つらい物事を繰り返し考えて不安を一人で加速させる ・「何で自分がその目に遭うことなく生きてるのか」わからなくなる ・消極的になり、「気にしてない」という言葉と実際の挙動が一致しない ・不安で頭がいっぱいになったときの泣き方(これ完全にわかる) ・どんなに天気がよくて色彩がカラフルでも、うすーく灰色の膜をまとったように見える世界(そういう映像の見え方超わかる、知ってる) ・同じくうすーいフィルタをかけ、常に遅延して頭の中にグルグルと音が残り続けるような感覚(音響への執着が異常でした) ・「自分が置いていかれること」への過度な不安と、それが繰り返し勝手に脳内再生されてしまう状態 ・飛び降りを見たときの、飛び降りる人、空、崖がすべてグレーがかった白い色彩で見えること ・(映画というフィクション内ではあるものの)当事者が現実に見た死や人体欠損、顔面粉砕がフラッシュバックされる(個人的にきつかったシーンの一つ) これらの状態で見るサイケデリクスは、まさにバッド。 勝手に自分が思う地獄の妄想が脳内で展開され、抜け出せない状況を忠実に描いていてほんとーーーーに嫌でした。 以下、途中退席までのバッドなサイケデリクス描写です。 前述の鬱状態とかけあわせると、本当にきつい。 ・「自分は調子悪いからキノコやだな」、と言ってみるものの、「お前ノリ悪い」と言われるのが嫌で一緒に飲んでしまう(物理的にも精神的にも置いていかれる不安の結果取った行動ではないかと) ・「植物が生きている」ことを、自分自体もう生きる気力ないのに強制的にわからされてしまうこと ・お祭りでみんな楽しそうなのに、自分だけ色々やっても楽しめない疎外感(過去にド鬱だったとき、某踊り祭り見て超当てられたときに限りなく近い) ・というか、みんななんでそんな正気のつもりでいるの?この儀式がおかしいと思わないの?気持ち悪い、という勘ぐり ・白夜でロクに眠れないのに、夢か幻覚かわからない置き去り不安の具現化 退席して以降の表現も、パートナーから聞く限りはバッドトリップだなー最悪だなーという感想しかでてきませんでした。 ミッドサマー退席後のツイート:ムラの維持が胸糞編 ここがある意味一番の主題。 鬱になってる人に「動物になること」を強制するのは、ダニーにとっては自我を持って考えることをやめるための、解放へ導く福音だったのかもしれない。 しかしながら、私にとっては「たぶん、これまでの映像や音が気持ち悪いと感じる人にターゲットを定めて、こういう地獄を見せるだろう」と読み取れてしまい、直視できそうになくて退席しました。 以下、振り返りのツイート吐露です。 アリアスター監督、推測なんだけど「血縁で強制的に決まる環境」とか、「現代社会ではおかしいし恥ずかしかったり変に思えるのに、なぜかそこではよしとされる風習」「生殖に関する風習」とか死ぬほど嫌いな気がする。 わかる、私も日本の土着文化全く乗れないものある。 「人は生きて死に、人も動物も植物も、その生死について直面するのが自然なこと。 大人になったらヤって子供産むのが当たり前。 使い物にならなかったら食われる存在。 それになんの疑問も抱かず、一連の行為を"みんなで"見届けるのがこのコミュニティにおける仕様」に対する拒否感です。 このモヤモヤした気色悪さが見えてきたかもしれない。 動物的な行動を動物のままやる人間ほんまきっしょ、てなる一方、いかに動物的な行動を遊びや美学で包んで、考える葦として振舞っているかが重要なのかも。 それは映像の見せ方や音の使い方、回し方も同様で。 ミッドサマーはすげえ動物だった。 そこに愛も快楽も悦びもなく、ひたすらに動物としての種存続の交尾見るのはキツすぎます。 いやまじで原始宗教的というか、そういう儀式に対してかなり悪意ある物の見方をオンパレードでやる作品だったんやな、と。 儀式も文化では?というのはあるのですが、集団を維持するためだけのプログラムとして存在する儀式は、そこに遊びがないので非常に「人間という動物存続のためのコード」だと思うので、やはり動物的だと思います。 しかし、動物としての必須行為を優雅にするものではないか、という私なりの考えが拒否られた気持ち悪さといえば良いのでしょうか。 私は退席するまでの間「カルト村のやつらの共感の仕方」も激しく気持ち悪かったです。 72才になったら死ぬことが名誉、まではそういう文化としてわかるのですが、それに対する悲しみ(死にきれなかったこと)への鳴き方(こういう書き方の方がしっくり来るな)が、非常に気持ち悪かった。 名誉ある死を遂げられなかった人の思う悲しみ、新しい命を授かるカルト娘のセックスの悦び(快感ではなくミッションクリア)、これまでの社会でダニーが受けた喪失と不安への怒り。 これらの共感の仕方すべてが薄っぺらいのです。 これはドラッグでカルトのやつらがわけわかんなくなっているとかではなく、またカルトのやつらも本心からそう感じているとも思っていません。 「そういう事象にはそういう反応をするプログラムの」動物として存在している気持ち悪さだと考えています。 なので、記事冒頭で伊藤計劃「ハーモニー」がバッドエンドと思った人におすすめできないのはそういう意味。 以降は初出時に書いたものです。 ダニーが本当に解放されたのか?と、オチまで確認しながら思うのは、彼女は「悲しみの解放と共感を得られたから」とは、私は納得できなくて、そう振る舞う人のような何か(自我がなく、他人の振る舞いに呼応して共鳴する動物)による、「ダニーと一緒に泣いてくれる人(のような何か)たち」を得られた、社会所属の承認欲求か、そっか……という感じ方でした。 結局、誰一人ダニーのつらみを1ミリでも本当の意味で自分で考え、理解してくれる人はどこにもいなかった。 その可能性を感じ取ってしまい、私はそんなの見たくなさすぎて退席したのかもしれません。 この記事冒頭で「ルーン文字とかめっちゃ考察してえ〜〜〜!」からの、「考察する気にもなれん」というのは、たぶんここにも関係しており、「すべては種族維持のためである」という、遊びもクソもない装飾だからな気がしています。 意図的な近親相姦で神の子(障害者)を作ること自体も、仕様というやばさ。 えっそれ仕様なんですか??? そのため、止め絵で見れば確かにミッドサマーってカルト村の装飾や色使いがとても美しいのですが、一方で非常にミニマムな装飾の結果というか、「ここで生きて死に、産むか殺されて食われる」以外の情報がない怖さもあると思います。 そこまで引き算すると美学もクソもない。 また、すべての飯が非常にまずそうだったのもポイント。 あの飯、ミートパイに陰毛入ってるとかジュースに経血入っているとかそういうキモさではなくて、「単なる動物としての人間形態で食えるエサ」「生殖のためだけのセックスを可能とするための儀式的媚薬」以外の情報がないと受け止めました。 そこに味わう悦びはなく、ただただコミュニティを維持するための人足を駆動させるためのエネルギー源というか。 いやまじであのコミューン、神を発明しただけの動物だった。

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【完全解析】ミッド・サマーが“女性もハマるホラー映画”になった理由 (1/2)

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ミッドソマーあらすじネタバレ!ミッドソマーのペイガニズムとは? なぜ彼女は満ち足りたようなあの笑みを浮かべたのか。 Independent 2019年6月19日. この白夜は地球が太陽の周りを公転していることと、地軸を傾けて自転していることが要因である。 まあ初日はペレの妹、マヤ(Maja や他の村の人に会ったり。 捜査を撹乱するため身分を偽って入国している可能性だってゼロではありません。 本作で、恐怖や感動、喜びや悲しみといった色々な感情表現を任され、それを完璧に演じてみせました。 クリスチャンは、 ダニーの誕生日を勘違いする。 ちょっと自分でも嫌になるくらいの不信感を煽られてしまい、確かにあの場にいるのも嫌悪する気持ちもわかる…。 【ネタバレ】ミッドサマーのグロシーンの詳細まとめ!モザイクなしでリアルな描写! 双極性障害を患っていた妹は両親を殺したあと自殺します。 ビジュアル的にコミカルでプッと笑ってしまうシーンも盛りだくさん。 すると信じられないことにひとりの老女が 崖から身を投げます。 映画作りを通して、内に渦巻くいろんな想いを外へと発散・昇華させているアスター監督。 ずっと寂しい思いをしていたんだね ダニは儀式の中で 「5月の女王(May Queen)」に選ばれ、 村人たちから大きな祝福を受けます。 * 前日、ペレがジョッシュ(ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)に「ハルガでは人生を季節に準える」と説明している。 電話の向こうでめちゃくちゃ大泣きしているダニと別れるわけにもいかないクリスチャンは関係を続けることにします。 【ネタバレ】「ミッドサマー」あらすじ・感想・考察。 内容を読み解く6つのポイントを解説!【地獄みたいな映画】 ミッドソマーの夏至祭とは? 夏至祭とはスウェーデンだけじゃなくてヨーロッパを中心にキリスト教国で広く行われているお祭りで、 夏至(6月21日)または聖ヨハネの日(6月24日)のあたりに行われるケースが多く見られます。 元気づけようとクリスチャンはダニーをパーティへ誘います。 それを見ていたダニーは微笑み、物語はエンディングを迎えます。 最初の4人の犠牲者はジョシュ、マーク、コニー、サイモン。 NBCの人気コメディドラマ「グッド・プレイス」シリーズ(16~)のチディ役で人気を博す。 「絶叫してみたい」「アリ・アスター監督作品を見たい」という方は観てみてください。 ミッドサマー 映画 劇中でもアッテストゥパンの前の食事でじゃがいもが別皿に盛られています。 「郷に入れば郷に従え」ではないけれど、コミューンに足を踏み入れた彼ら(そして私たち)には、おとなしくそこの掟に従うという選択肢しか残されていないのです。 だからこの感想ブログの記事のカテゴリも「ロマンス」にしましたし…。 スウェーデン出身の映画監督、 イングマール・ベルイマンの作品『叫びとささやき』 1972 の系譜を引く美しくも恐ろしい不穏、叫び声と沈黙のコントラスト。 とにかく淡々と儀式が進み 淡々と人が死んでいくので、 物語上の起伏があまりないんですよね。 本来、ホルガ村では近親相関を基本的にタブー視している。 やがて神殿に火が放たれる。

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町山智浩と宇多丸『ミッドサマー』を語る

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CONTENTS• カナダの映像制作ユニット「ROADKILL SUPERSTARS」のフランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセルが、共同監督を務める。 80年代のスラッシャー映画や青春映画にリスペクトした作品です。 怪しげな部屋と壁一面に飾られたマッキーの親戚たちの写真を見たデイヴィーは、ある日の夜にマッキーの家で少年らしき人影を目撃しました。 半信半疑ながらも一同はデイヴィーに協力することになり、4人はマッキーの行動を観察、ゴミを漁るなど、証拠探しを開始します。 大量の土やシャベルを購入するなど、怪しい行動を見せるマッキーへの疑いを強める4人でしたが、なかなか決定的な証拠をつかむことが出来ません。 証拠探しの最中、美少女ニッキー(ティエラ・スコビー)との仲を深めていくデイヴィーは、両親の不仲により町を出ていくという彼女の気を引くため、自分たちが秘密の捜査をしていることを明かします。 ある夜、マッキーを尾行していたウッディとファラデイは、マッキーが貸倉庫に車と死体処理用と思われる薬品を隠していることを突き止めます。 さらに、その留守中に家の庭へと侵入したデイヴィーとイーツは血痕のついたTシャツを発見、それは行方不明になっている少年が着ていたのと同じものでした。 マッキーが犯人であると確信したデイヴィーは、手に入れた証拠を両親に見せ、これまでの証拠集めについても話します。 しかし、両親には信じてもらえず、逆にマッキーの家に忍び込んだことを一緒に謝罪しにいくことになってしまいました。 謝罪を受けたマッキーは苦笑しながらも4人の行動を許し、Tシャツは遊びに来ていた甥っ子のものだと説明します。 デイヴィーは両親から外出禁止を言い渡され、他のメンバーもこれ以上協力できないことを告げられますが、デイヴィーの疑いは晴れることはありませんでした。 あまりにも良すぎるタイミングに、さらに疑念を強めたデイヴィーは、メンバーに最後の頼みとして、再びマッキーの家に侵入する作戦への協力を願い出ました。 作戦は町の住人たちが集まる祭りの日に決行されることになります。 外出を禁止されているデイヴィーは、両親が出かけた隙に父親の仕事道具であるビデオカメラを持ち出し、イーツとファラディはマッキーの様子を監視、デイヴィーとウッディが侵入するという計画でした。 デイヴィーを心配し駆けつけたニッキーと共に、3人はマッキーの家の地下室へと侵入します。 侵入した地下室にはバスタブがあり、そこで3人は腐乱した死体を発見、さらに監禁され衰弱した少年に助けを求められます。 少年を連れて慌てて脱出しようとする3人、そこでかつてマッキーが親戚だと語っていた壁の写真を見たデイヴィーは、その写真が全て行方不明になっていた人たちの写真であることに気づきました。 そして、そこには新たに自分の家族写真も飾ってあり、次のターゲットがデイヴィー自身であったことに驚愕します。 撮影した映像を警察に持ち込み、ようやくデイヴィーはマッキーが殺人鬼であることを信じてもらうことが出来ました。 警察はマッキーの捜索を開始、自分が成し遂げたことにぼう然とするデイヴィーは、ニッキーからキスで賞賛されます。 家に戻ったデイヴィー、隣家ではいぜんマッキーの捜索が続いていましたが、見張っておくから安心しなさいという父親の言葉に安堵し、ウッディと共に眠りにつきます。 皆が寝静まったころ、屋根裏の入り口が開き、そこから姿を見せたのは、逃走したと思われたマッキーでした。 マッキーは寝ていたデイヴィーの口を塞ぎ気絶させます。 目覚めたデイヴィーは、ウッディと一緒に拘束され、車に監禁されており、慌てて協力して拘束を解きますが、そこは見覚えのない森の中でした。 ゲームをしようというマッキーの声を聞いたデイヴィーは、ウッディを逃がすために囮となって駆けだします。 しかし、あっさりと見つかり足を刺されて動けなくなってしまい、車で脱出しようとしたウッディもマッキーに捕まります。 喉を切られて殺されるウッディ、そこへ駆けよったデイヴィーを捕まえたマッキーは、デイヴィーをあえて殺さず、「いつかまた自分が目の前に現れる恐怖を、味わいながら生きていけ」と告げ、デイヴィーを残して、姿を消しました。 なんとか命拾いしたデイヴィーでしたが、ニッキーは町を去り、イーツとファラディとは疎遠に、マッキーは逮捕されることなく、日々が過ぎていきます。 』(2017)、NetflixのTVドラマ「ストレンジャー・シングス」シリーズ(2016~)など…。 80年代を舞台(もしくは80年代に製作された)にした青春もの=ジュブナイル映画、スラッシャーもの=ホラー映画は数限りなく存在します。 本作『サマー・オブ・84』は、そういった 古今東西の80年代ジュブナイル映画を下敷きにして、数々のオマージュを捧げつつ、連続殺人の謎を追う少年たち4人の視点で展開していきます。 マッキーが殺人鬼である証拠集めに奔走する最中に、少年たちが抱えるそれぞれの問題(デイヴィーはニッキーへの秘めた恋心、イーツは両親の不和、ファラディは母親の不安定さ)が背景として描かれるのも、通過儀礼の一部と言えるでしょう。 果たして真相は、デイヴィーたちの思春期ならではの妄想に過ぎないのか、それとも? この緊張感を保ちながら、物語は進行していきます。 本作の優れた点は、そういった80年代ジュブナイル映画としての展開をしていきながら、 クライマックス10分から、これまた80年代のスラッシャー映画へと突如転換してみせる演出力、脚本力です。 通常のジュブナイルものであれば、地下室の謎を解いたシーンから犯人が逮捕されるか、その場で犯人との対決(子供には死人が出ずに勝利する)という結末が描かれるところで、犯人は捕まらず、友人は殺害され、 主人公自身もトラウマを抱えたまま生きていく、という考え得る限り最悪のエンディングを迎えます。 これも前述した通過儀礼としての結果であり、 大人になるための試練は、主人公、そして観客にもトラウマ級の衝撃を残すことになったのです。 最後に、強烈なトラウマを残す本作を気に入った方にオススメしたい映画は、兄の部屋で人間の生首を発見する少年の葛藤を描いたサスペンスホラー『ファウンド』(2012)と、ソシオパスの少年が隣人の殺人鬼と対決する『アイム・ノット・シリアルキラー』(2017)の2作品です。 どちらも本作のテーマと大きく共通するものがある作品ですので、是非ともチェックしてください。

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