イアン ミッチェル。 イアン・マシューズ

ベイシテーローラーズについて質問

イアン ミッチェル

Leslie Mckeown レスリー・マッコーエン 甘いマスクと歌声で、多くのファンを獲得し魅了したボーカリスト。 Rollers黄金時代は彼の存在なしに成し得なかっただろう。 ギターやドラムをプレイしている させられている 映像も残っているが、当て振りという説が有力。 ドラム叩きながら「Saturday Night」は歌えないでしょう。 ポップスボーカリストとしてかなりの実力を持ち、Rollers脱退後もソロとして活動、日本などでまずまずの成功を収める。 その後はEgo Trip・Tartan Armyなどを経て、エリックのNew Rollersとは別に「Les McKeown's Legendary Bay City Rollers」で活動。 Eric Faulkner エリック・フォークナー 実質的リーダーとして、バンドを牽引してきたギタリスト。 作詞も担当。 ハスキーな歌声も味があって個人的には好きだ。 ステージ上では、よくピチピチの短パンを着用している。 解散後はソロなどを経てNew Rollersを立ち上げる。 Stuart "Woody" Wood スチュアート・ウッディ・ウッド 若いながらも、ギターやベース・キーボードなど多彩な楽器を操る。 中々の楽器オタクとの噂。 作曲家としても、数々の名曲を生み出す。 ボーカルも何曲かでとっており、鼻声がかった初々しい声を聞かせてくれる。 解散後はダンカンと共にKaruというバンドを結成するがまったく話題にならず。 エリックのNew Rollersなどで活動した後、近年はスコットランド伝統のケルト音楽家として活躍中。 Alan Longmuir アラン・ロングミュアー デレクと共にRollersを誕生させた張本人であり、ベース・キーボード担当。 非常に人の良い性格で、バンドの縁の下の力持ちとして慕われる。 メンバーに対してかなりの憎悪を抱いているレスリーも、彼のことだけは一度も貶した事が無い。 彼も解散後はソロになり、そしてエリックのNew Rollersに加入。 Derek Longmuir デレク・ロングミュアー ドラムス・パーカッション担当。 決してアイドル的なルックスではないが、兄のアラン同様、人の良さそうなキャラクターで人気がある。 少し前、児童ポルノ事件を起こし現在は音楽界から遠ざかっている。 Ian Mitchell イアン・ミッチェル アランの後任にやってきた、アイルランド出身のギタリスト。 「Young City Stars」というRollersのコピーバンドから本家本元に加入してしまった。 エジンバラのイメージを大切にするエリックからいじめを受けたとの噂。 脱退後、Young City Starsのメンバーと共に、パワーポップバンド「Rosetta Stone」を結成。 これもかなりの人気を博す。 つい先日、このRosetta Stoneのアルバムが初CD化されたので入手してみて欲しい。 Pat McGlynn パット・マッグリン イアンの抜けた後にやってきた。 ギター担当。 在籍期間は短かくアルバムにも参加していないが It's A Gameの数曲には関わってるとされる 日本では人気が高く、彼を含めたメンバーで来日した時はかなりの熱狂に包まれた。 マネージャーのタム・ペイトンに襲われたとき助けてもらうなど、レスリーと仲が良い。 脱退後は、兄のダニー・マッグリンらと共に「Pat McGlynn's Scotties」を結成。 Rosetta Stoneほどの人気は獲得できなかったものの、覚えている方もいるだろう。 現在は、奥さんと共に「Storm」で活動。 Duncan Faure ダンカン・フォール 南アフリカのRabbittというバンドからやってきたボーカリスト。 彼在籍時のアルバムはどれも素晴らしく出来が良いものの、人気という面でバンドの看板であったレスリーの抜けた穴を生めることは出来なかった。 解散後はウッディとKaruで活動、現在はソロとして地道に良作をリリースし続けている。

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ベイシティローラーズのメンバー達は現在、何をしてますか?

イアン ミッチェル

イアン・ミッチェルはほとんどのクラリネット属の楽器を完璧に演奏することで知られる奏者です。 このアルバムではバス・クラリネットに焦点を当て、響きの美しさやジャズと楽器の親和性を探っています。 2枚のアルバムにはアメリカとイギリスの作品が収録されており、古典的なヨーク・ボーエンの曲から伝説的ジャズ・プレーヤー、ビル・スミス 本名:ウィリアム O. スミス のジャズ・セット、モダンなハリソンの曲や、ヘレン・ローの作品など幅広い作風の曲を聴くことができます。 ミッチェルが率いる「ジェミニ」の熟練のアンサンブルも聴きどころです。 2枚組特別価格でのご提供となります。 【曲目】 バス・クラリネットと仲間たち-a miscellany [CD1] 1. ヨーク・ボーエン 1888-1961 :幻想的五重奏曲 Op. 93 1932 2-5. ウィリアム O. ヒュー・ワトキンス 1976- :Double 2010 5-6.

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ベイ・シティ・ローラーズ Bay City Rollers

イアン ミッチェル

Bay City Rollers Written by コアな音楽ファンもやってくるであろうこの場で、このような告白をするのは少々勇気がいるのだが、思い切って全てをさらけ出そうと思う。 Bay City Rollers、彼らこそが僕を深い洋楽の世界にいざなった張本人でありこの年齢にして「青春のアイドル」となる思い出深いバンドなのである。 彼らが世界中を席巻した25年後、名古屋の片田舎で、一人の中学生があまりにも遅い「タータン・ハリケーン」に巻き込まれることになるとは誰が想像しただろうか… 彼らとの出会いは幼少時代にさかのぼる。 カーステレオから聞こえてきた「S. Y Night!」の掛け声。 ロックスタンダードとして、様々な曲に模倣されることになるそのフレーズは、幼い僕の耳にこびり付いて離れなくなってしまう。 時は流れ中学2年生の冬、あの時の曲がRollersの物であると言う情報を仕入れた僕は、彼らのベストアルバムを購入することとなる。 類まれなるポップセンスを持った彼らが生み出す曲達は、純真な中学生の心を捕らえるのには十分だった。 その時購入したベストアルバムは、メンバーの写真がジャケットにしか載っていないという不親切なもので、ライナーのメンバー紹介とその写真を照らし合わせ、誰がどのパートを担当していてどういう名前なのか、日がな一日考えていたものである。 (その予想は見事外れてしまうのだが…) 後にネット環境を手にいれ、Rollers熱はさらに過熱することとなる。 国内・海外のファンサイトを片っ端から訪問しまくったり、Amazonでアルバムを購入しまくったり、挙句の果てにはブートCDやビデオに手を出すまでに…(汗 そのおかげで「日本一Rollersに詳しい高校生」を自負するほどになったのは喜ばしい…ことなのだろうか。 その後は、など同時代のアーティストを追っていったり、プロデューサーやメンバー繋がりからやに手を出すなど 他の洋楽初心者とは一風変わった入門の仕方をしたが…これも良い経験だと彼らに感謝している。 コアなロックファンには、そのポップでアイドル然とした音楽性から毛嫌いされることが多い彼らだが、後期のアルバムには中々聴ける作品を多く出しており、そういった偏見のある人も、また彼らのことを全然知らない人も、一度彼らの音楽に対して正面から向かってみて欲しい。 僕自身、彼らについてまったく偏見無く聴けたことは幸せだと思っているし、また洋楽への道を切り開いてくれたバンドとして彼らには非常に思い入れが強い。 今の時代だからこそ、彼らが正当評価されることを望む。 タータン・ハリケーン 〜エジンバラから世界へ〜 ここでバンドの歩みについて触れたいと思う。 短期間で消えたかに思われ人によっては一発屋扱いまでされる彼らだが、実はかなり歴史の長いバンドであり また中々に泥沼スキャンダルの多いバンドでもあるので、少々長くなるがご容赦をお願いして読み進めていただきたい。 1965〜67年、 アラン Bass,Key と デレク Dr の ロングミュアー兄弟が、従兄弟のニール・ポティアスを誘いAmbassadorsを結成する。 67年に初代ボーカリストとなる ノビー・クラークが加入し、バンド名をSaxonsと改名。 地元であるイギリスのエジンバラで精力的に活動をする。 徐々に人気を博してきた彼らは、バンドを管理するため、タム・ペイトンをマネージメントに迎え、ベル・レコードと契約。 ここでバンド名を Bay City Rollersとする。 その由来は、目を瞑って世界地図にピンを刺したところそこがアメリカミシガン州のBay Cityという町だったからとか。 この数年の間、メンバーが目まぐるしく入れ替わることとなる。 この中には、後に を結成する デイビット・ペイトンと ビル・ライオールも含まれていたというから、彼らのポップセンスにはこの頃から光るものがあったのだろう。 1970年、遂にシングル「 Keep on Dancing」でデビュー。 このときのメンバーは Vo. Nobby Clark(ノビー・クラーク) G. Neil Henderson(ニール・ヘンダーソン) B. Alan Longmuir(アラン・ロングミュアー) Key. Archie Marr(アーチー・マー) Dr. Derek Longmuir(デレク・ロングミュアー) ジェントリーズのカバーであるこの曲はイギリスチャートで9位にランクインするヒットとなり、全英に彼らの名が知られることとなる。 またこのことによりメンバー間に色々と問題が起こり、ニール・ヘンダーソンとアーチー・マーが脱退。 後任にジョン・デヴァインと、後にRollers黄金時代を支えバンドの実質的リーダーとなる エリック・フォークナー Gt が加入する。 72年に「 We Can Make Music」「 Manana」のシングルをリリース。 どちらもイギリスではパッとしないものの、何故か「Manana」はドイツで9位、イスラエルで1位を記録する大ヒットとなる。 73年、あの「Saturday Night」が発売される。 といってもこれはノビーのボーカルによるもので、後に大ヒットしたものとはアレンジ等が異なり、こちらはまったくヒットしなかった。 二つのバージョンを聞き比べてみるのも面白いだろう。 同年、「 Remember Sha La La La 」がリリースされるとほぼ同時にノビーが脱退。 そして二代目ボーカリストに レスリー・マッコーエンが加入。 彼は甘い声とマスクで世界中の女性を魅了・熱狂させることとなる。 ここでエリックが、バンドのトレードマークとなる独特の衣装「タータン・ギア」を考案。 アイドル的な路線を突き進んでいく。 このあたりからRollersは全英で人気を博していくものの、デヴァインがバンドの方向性に疑問を感じ脱退、16歳の スチュアート・ウッディ・ウッド Gt,Bass,Key が加入。 ここで黄金期のメンバーが揃う。 Leslie McKeown(レスリー・マッコーエン) G. Eric Faulkner(エリック・フォークナー) G. Stuart "Woody" Wood(スチュアート・ウッディ・ウッド) B. Alan Longmuir Dr. Derek Longmuir このメンバーで「 Shang a Lang」をリリース、全英2位の大ヒットをおさめる。 余談だが、このシングルの日本盤には何故かノビー&デヴァイン在籍時の写真が使われている 汗 その後もバンドは飛ぶ鳥を落とす勢いでシングルヒットを連発。 73〜75年の間に、「 Summerlove Sensation」 全英3位 ・「 All Of Me Loves All Of You」 全英4位 ・「 Bye Bye Baby」 全英6週連続1位 ・「 Give A Little Love」 全英3週連続1位 と、泣く子も黙る、泣かない子は泣き出す凄まじい快進撃である。 ここですかさず、74年に1stアルバム「 Rollin'」 全英1位 を発表。 「Remeber Sha La La La 」のボーカルがレスリーに差し替えられて収録されている他、レスリーの歌うあの「 Saturday Night」が収められている。 この曲は75年にアメリカでシングルカットされ、翌76年に全米1位に輝く空前の大ヒットとなっている。 Bay City Rollersの名前は知らなくともこの曲は知っている人は多いはず。 その後もバンドは75年に、2nd「 Once Upon A Star」 全英1位 、3rd「 Wouldn't You Like It? 」 全英3位 のアルバムをリリースし、全世界で人気が爆発。 彼らの巻き起こした旋風は「 タータン・ハリケーン」と名づけられる。 さて日本では、「Once Upon A Star」がデビューアルバムとなっている。 彼らは特段日本で人気を博し、社会現象になるほど彼らに熱狂するティーンエイジャーが急増した。 そんな中「Wouldn't You Like It? 」が日本でも発売、なんと予約だけでミリオンヒットを獲得する。 というのも、このアルバムの日本盤にはちょうど全世界で大ヒットしていた「Saturday Night」が特別に収録されているのだ。 レコード会社の戦略勝ちといったところだろう。 そんな中、76年にアランが脱退する。 表向きの理由は疲労による引退だったのだが、実際には「26歳ではアイドルとして年を取り過ぎている」という何とも酷い理由でマネージメントに無理やり休暇を取らされていたのだ。 なお、この発表は4月1日に行われたため初めはエイプリルフールの嘘だと思われたらしい。 そして後任に、アイルランドにて「Young City Stars」というRollersのコピーバンドでプレイしていた、キュートな17歳 イアン・ミッチェル Gt が加入。 これによりウッディがBassに転向する。 そして76年10月に、カナダで録音したという4th「 Dedication」 全英4位・全米26位 を発表。 「 I Only Want To Be With You」 全英4位・全米12位 や「 Money Honey」 全英3位・全米9位 など、彼らの代表作となる名曲が多数収録されている。 しかし、同年11月に早くもイアンが脱退。 一説には、エリックによるいじめに耐えかねてのことらしいが… お次にやってきたのは、 パット・マッグリン Gt。 彼を迎えて、とうとうRollersが初めて日本にやってきた。 当時のライブの模様が「ジャパン・ツアー1976」というビデオでリリースされている。 現在は廃盤、ブート等で入手可能 少女達の狂ったようなテンションが凄まじい。 当時のマスコミもこぞって「少女失神」だの何だのとその熱狂振りを煽った。 一部の学校では「Rollersのライブに行ってはいけない」と名指しで禁止令が敷かれたらしい(汗 5作目になる「 It's A Game」の制作に取り掛かるも、バンド内の不和を理由にパットが脱退。 4人でリリースされたこのアルバムは、今までのアイドルポップスとは一味違う、ファンキーでアダルトな楽曲が収められており、またエリックの歌うデビット・ボウイのカバー「 Rebel Rebel」も中々の完成度を誇るのだが、如何せん人気下降中のRollersにとって、今までの路線と外れたこのアルバムは多くのファンを失い、セールスも思わしくないものとなってしまう。 しかし日本ではまだ人気が根強く、77年、この「It's A Game」を引っさげて、4人での二回目の来日。 武道館にはまたしても多くのファンが詰め掛ける。 つい最近リリースされた「 Roller World 〜Live at Budokan 1977〜」でも、その熱狂振りがビシビシ伝わってくる。 念のために言っておくが、少なくともこのアルバムでは口パク・当て振りなど一切しておらず、危なっかしいながらもちゃんと生演奏を聴かせてくれる。 特に「Wouldn't You Like It? 」のアレンジは中々かっこいい。 さて、イアンとパットの相次ぐ脱加入でも分かるとおり、この頃からバンド内の空気悪化が報じられ、解散の噂も流れ始める。 とここで、長期休暇を取っていたアランがバンドに復帰。 78年に6th「 Strangers in the Wind」がリリースされる。 このアルバムはエリックとウッディの趣味が色濃く出た、AORやフォーク風味の楽曲が多い中々の好アルバムであるが、今までのアイドル路線とはもはや別物の作品となっており、下降気味だった人気にとどめを刺してしまう結果となる。 もはや彼らの人気下落は決定的なものとなってしまう。 The Rollers時代 バンドは、オーディションで獲得した南アフリカのボーカリスト、 ダンカン・フォール Vo. Key. を迎え、活動を続ける。 このダンカンが所属していたRabbittというバンドには、後にプログレ・バンド に加入し「90125」という名盤を世に送り出す名ギタリスト、 トレヴァー・ラヴィンも在籍していたというから驚きだ。 Key. Duncan Faure(ダンカン・フォール) G. Eric Faulkner B. Stuart "Woody" Wood B. Key. Alan Longmuir Dr. Derek Longmuir ダンカンが加入したことにより、彼らの音楽性は激変する。 名前をThe Rollersと改めてリリースした7作目「 Elevator」は、のっけからシンセとギターリフが大暴れする、爽快なハード・ポップアルバムとなっている。 90125イエスの「メタリック・ポップ」路線においてはとかくラヴィンがクローズアップされるが、このThe RollersやRabbittでも実は非常に近いサウンドが聴け、ダンカン・フォールという隠れた才人の才能を確認することが出来る。 特にタイトル曲「Elevator」は、彼らのポップセンスとダンカンの持ち込んだハードロック要素が見事に融合した名曲であり、ぜひ多くの人に聞いてもらいたい一曲である。 現在廃盤になっているのが非常に残念だ。 しかし、これだけの傑作アルバムを作りながらも、レスリーを求める昔からのファンには完全無視を決め込まれ、また「Rollers」という名前だけで敬遠して正しく評価しないロックファンも多く、セールス的には失敗といえる内容になってしまった。 その後も80年「 Voxx」・81年「 Ricochet」と二枚のアルバムをリリースするものの、彼らが話題になることはまったく無かった。 また、「Ricochet」リリース前には、悪徳マネージャー タム・ペイトンと決別し、レコード会社もアリスタからCBSソニーに移籍。 このタム・ペイトンとレコード会社のせいで、これだけのメジャーバンドになりながら彼らはほとんど無一文になってしまい、後に法廷で激しく争われることになるのだがこの話はまた後ほど。 また、未だ「Ricochet」はCD化されていない。 非常に印象的なコーラスで始まる「 Doors Bars and Metal」などこれも中々の名曲揃いで、コアなファンにはこれを最高傑作に挙げる人もいるほど。 権利の関係で非常に難しいと言われているが、ここは是非頑張ってCD化してもらいたい。 そして同81年、誰にも知られることもなく、ひっそりと彼らは解散することとなる。 二つのRollers 以下は解散後の余談。 またその翌年には、イアンとパッドも加えて来日。 「Piece Of The Action」というシングルまでリリースしている。 そして85年、上記の7人で「 Breakout」という再結成アルバムをリリース。 ファンを喜ばせたが、一般にはまったくアピールできなかった。 また彼らは同時期、法廷でも激しく争いを起こしている。 デビュー当時、まったく純真で業界のことなど何も知らなかった彼らは、マネージャーのタム・ペイトン始めレコード会社の都合の良いように踊らされ、70年代後半にはまったく給料が支払われない状況が発生していたという。 解散後、あれだけヒットを飛ばしながらほとんど無一文になってしまった彼らは法廷に助けを求める。 しかし最後には壮絶な内輪揉めとなってしまいバンドは分裂。 エリックの率いる「Bay City Roller 便宜上ここではNew Rollersと呼ぶ 」と、レスリーの率いる「Les McKeown's Legendary Bay City Rollers」という、「二つのRollers」が存在するという異例の事態になる。 ウッディやアランはNew Rollers、イアンやパットはLes Rollersでそれぞれ活動するものの、現在では両バンドともほとんど動いていない状態。 主要メンバー紹介 Leslie Mckeown レスリー・マッコーエン 甘いマスクと歌声で、多くのファンを獲得し魅了したボーカリスト。 Rollers黄金時代は彼の存在なしに成し得なかっただろう。 ギターやドラムをプレイしている させられている 映像も残っているが、当て振りという説が有力。 ドラム叩きながら「Saturday Night」は歌えないでしょう。 ポップスボーカリストとしてかなりの実力を持ち、Rollers脱退後もソロとして活動、日本などでまずまずの成功を収める。 その後はEgo Trip・Tartan Armyなどを経て、エリックのNew Rollersとは別に「Les McKeown's Legendary Bay City Rollers」で活動。 Duncan Faure ダンカン・フォール 南アフリカのRabbittというバンドからやってきたボーカリスト。 彼在籍時のアルバムはどれも素晴らしく出来が良いものの、人気という面でバンドの看板であったレスリーの抜けた穴を生めることは出来なかった。 解散後はウッディとKaruで活動、現在はソロとして地道に良作をリリースし続けている。 Discography ベストアルバムの類は無数に出ているので、ここでは主なアルバムのみ掲載。 1974 Rollin デビューアルバム 演奏はスタジオミュージシャンとの見方が有力 1975 Once Upon A Star このアルバムで一躍トップスターに 1975 Wouldn't You Like It? 良質のパワーポップナンバーが並ぶ好盤 1975 Souveniers of Youth ノビー時代から順番にシングルA面B面の曲を収録した貴重なアルバム 1976 Rock and Roll Love Letter 全米デビューを果たしたベスト盤 1976 Dedication イアンミッチェルを迎えて制作された代表作 1977 It's A Game 4人で発表された方向性の変化が伺える名盤 1978 Early Collection Souveniers of Youthの再発盤 1978 Strangers in the Wind アダルトな魅力が味わえるレスリー最後のアルバム 1979 Elevator ダンカンを向かえ方向性をガラリと変えた作品 個人的最高傑作 1980 Voxx 実質Elevatorのアウトテイク集 1981 Soundtrack of Burning Rubber アラン主演映画のサントラ ファンクラブのみリリースの非常にレアな作品 1981 Ricochet コアなファンの人気の高いラストアルバム 未CD化 1985 Breakout 黄金期メンバーでの再結成アルバム 1998 Men in Plaid: A Tribute to the Bay City Rollers パワーポップバンドによるトリビュート盤 その道では有名なバンドが参加してるらしい 2001 Roller World 〜Live at Budokan 1977〜 全盛期の盛り上がりが確認できるライブアルバム.

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