山口 智子 フラメンコ。 山口智子、フラメンコで磨いた「五十路の美しさ」に唐沢寿明もゾッコン!

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山口 智子 フラメンコ

FRaU3月号で山口智子さんがロングインタビューに答えた。 「仕事を始めた理由は、極々シンプル。 『田舎に帰りたくなかったから』。 ほんと、不純な動機です(笑)。 実家は当時、旅館を経営していて、一人娘の私は家業を継いで旅館の女将(おかみ)になるという道が定められていた。 でも本心は揺らいでいて、20代前半の頃は、どうにか家業を継がないで済む方法はないだろうかと必死でもがいていました。 」 『こんな気持ちではじめていた人が、このまま続けていていいのか』と思いながらも、目の前の仕事を一生懸命続けていくうち30歳を過ぎ、「かっこいい女」を象徴する存在となっていた。 「私自身の人生は、これから先もずっとずっと続いていくのだから、自分が何に興味を持って、何を学びたいかを明確にして、自分自身で合点がいくことをしてみたいと思ったんですね。 だから、『ロングバケーション』以降、俳優の仕事からしばらく離れていたのも、とくに大きな決断をしたというわけじゃないんです。 結婚した直後だったこともあり、小さい頃に漠然と抱いていた『主婦になりたい』という夢をちゃんと実行してみようかなと。 主婦って衣食住に関わって生活をクリエイトする仕事でしょ。 面白そうだなと思って。 それで家のことを楽しんでたら、あっという間に4~5年経っちゃった(笑)」 「唐沢(寿明)さんと結婚してからは、料理は毎日徹底的に作りました。 『こんな私を選んでくださってありがとう。 せめて食でご奉仕しないと』という思いもあって(笑)。 彼も大勢人を呼んで毎日が誕生会みたいだった。 で、エネルギーを注ぎすぎて燃え尽きちゃった(笑)。 『一生分は作ったな』という達成感はありますよ。 今は、必要に迫られない限り作らない。 具沢山の汁物を巨大な鍋で作って、1週間もたせる感じ。 あとは夫と外に食べに行っちゃう。 作るより食べる方が断然好きだということに気づきました(笑)」 2000年頃からは旅の映像シリーズの制作、40代になってからは日本の職人のもの作りを追い、その情熱から伝統工芸のセレクトショップをオープンしていたこともある。 仕事を通しての出会いや、数年前から再開したフラメンコ、美味しいものを食べること以外に、山口さんの人生を彩っているのは、何と言ってもパートナーの唐沢寿明さんだろう。 31歳で結婚した山口さんに、ズバリ、「結婚はオススメですか?」と聞くと、聞いているこちらが赤面するような答えが返ってきた。 「人生において大事なのは、自分のスタイルを見つけることだと思います。 人を真似する必要はない。 私はもちろん、世界で一番幸せだと思って生きてます。 すっごく幸せです(笑)! 何を結婚の定義にするかにもよると思います。 私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。 私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました。 私は、『子供のいる人生』とは違う人生を歩みたいなと。 だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました。 唐沢さんは、夫であり、家族であり、友であり、恋人であり……。 唐沢さんと一緒に生きることは、ほんとうに楽しいです」 モデルになりたての頃、モデルの華奢な体型からはほど遠い、たくましい骨格に悩まされ、女優になりたての頃は、自分の丸顔がどうしても好きになれなかった山口さん。 「丸顔コンプレックスだった私に、唐沢さんは『丸顔じゃなきゃダメ』って言ってくれた。 捨てる神あれば拾う神ありですね(笑)。 たとえ世の風潮の型にはまらなくても、人と違うものを誇っていいんだと思えるようになりました」 けれど、その境地にはなかなかたどり着けるものではないと軽やかに笑う。 「私も若い頃は、パートナーに対して、あまりにも趣味が違いすぎることにフラストレーションを感じることもありました。 夫は私とは真逆の嗜好。 彼の興味は、好きな仕事と車、あとブルース・リー、たった3種類だけ(笑)」 年に1度出かけるスペインバルを巡る旅へ出かけるのだが、旅先での行動は別々だという。 「私は町歩きに出かけるけど、彼はホテルの部屋でずーっとiPadをいじってる(笑)。 でもここ数年、あれほどフラメンコに興味のなかった夫と、フラメンコ談義ができるようになった。 人って変わるんだな、と(笑)。 だから、人と時間をかけて付き合っていくって、ほんとうに面白い」 「私は多種多様なことに興味津々で、一緒に旅をしても興味の対象が全く違うから、食べるとき以外はいつも別行動。 若い頃は、『なぜ同じものを見て感動できないんだろう』って思ってました。 でも今では、私を好きなだけ放っておいてくれることに大感謝。 私はのびのび自分の興味の的に邁進できるから。 考えてみたら、私に何かを強制をしたこともないし、あれダメこれダメと、命令されたことは一度もない。 いつも私が一番心地いい状態になるように、放っておいてくれる。 私が旅の仕事で長期間留守にしても、彼は自分できちんと健康管理しながら、サバイバルしていてくれる(笑)。 彼曰く、『自分がしてほしいことを相手に押し付けるのではなくて、相手が幸せでいてくれることが自分の幸せ』なんですって。 私が楽しく幸せでいることを望んでくれる人に出会えて、私は本当に幸せ。 彼には心から感謝してます」 山口さんは自分の夢を考えないようにして育った反動なのか、自分の好きだと思えることを、仕事として選び取っている人への憧れがあったという。 「唐沢さんはまさに、自分の夢に邁進する人。 でも彼と出会った頃は、あまりに自分と違う感覚に戸惑ったこともあります。 それは、常に周りの社会と戦闘態勢にあること。 私は全てを平和的に受け入れて肯定していくタイプですが、彼はいつも世間や自分に対して、戦いを挑みながら進んでいく。 「醜く老いたくない。 やっぱり、知恵や話術を磨いて世の中の役に立って、大人として若い人から憧れられるバアさんになりたい(笑)。 年のとり方って、人における最大の課題だと思います。 老いに対しては、喜んで挑んでいきたいですね。 まだまだ見なきゃいけないこと、学ばなきゃいけないことが山積みで、人生楽しくてしょうがない。 人間、常にちゃんと勝負していれば、老化なんてしないと思う。 憧れられる大人になることは、大人の責任。 カッコいい大人が増えないと、若者がついてこないでしょ? でも、美しく老いるためには、見えない努力が必要。 心身の健康を自分で律して、チャレンジ精神や向上心を持ち続けること。 女性としての可愛さやお洒落も忘れず、美しいオーラを放てる人間を目指したいです」 【関連記事】•

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山口智子、フラメンコで磨いた「五十路の美しさ」に唐沢寿明もゾッコン!

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女優の山口智子(54)が14日放送のNHK連続テレビ小説「なつぞら」(月~土曜前8・00)第65回で再び華麗なダンスを披露した。 女優の広瀬すず(20)がヒロインを務める節目の朝ドラ通算100作目。 大河ドラマ「風林火山」や「64」「精霊の守り人」「フランケンシュタインの恋」、映画「39 刑法第三十九条」「風が強く吹いている」などで知られる脚本家の大森寿美男氏(51)が2003年後期「てるてる家族」以来となる朝ドラ2作目を手掛けるオリジナル作品。 戦争で両親を亡くし、北海道・十勝の酪農家に引き取られた少女・奥原なつ(広瀬)が、高校卒業後に上京してアニメーターとして瑞々しい感性を発揮していく姿を描く。 この日は、なつがアニメーターの再試験に合格。 終盤、亜矢美(山口)が「なっちゃん、失礼。 置いておきます」と服を置きになつの部屋を訪れると、ふと帽子を手に取り、フラメンコ風の踊りを始める。 今はおでん屋「風車」の女将だが、かつては伝説の劇場「ムーランルージュ新宿座」の人気ダンサーとして一世を風靡した。 現役の亜矢美と幼少期の咲太郎が出会った第48回(5月25日)でも、山口はタップダンスを披露している。 番組公式サイトのインタビューによると、山口は20代の頃に勉強し、一時離れていたフラメンコの練習を約3年前に再開。 「今はほとんど踊り漬けの日々を送っています」という。 インターネット上には「亜矢美さんこそ舞台に立ちたいんだろうなぁ」「踊る山口智子を見て、古畑任三郎でフラメンコを踊りながら花を生けていた姿を思い出す」などの書き込みが見られた。

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小島章司フラメンコ舞踊団|作品・出演者

山口 智子 フラメンコ

この記事の目次• 山口智子のプロフィール 本名:唐澤 智子(からさわ ともこ) 旧姓:山口 智子(やまぐち ともこ) 生年月日:1964年10月20日 出身地:栃木県栃木市 身長:170 cm 血液型:A型 出身中学校:栃木市立栃木西中学校 出身高校:栃木県立栃木女子高等学校 最終学歴:青山学院女子短期大学家政学科 職業:女優、声優、ナビゲーター ジャンル:テレビドラマ、映画 活動期間:1986年 — 配偶者:唐沢寿明(1995年 — ) 事務所:研音 現在は主にドラマ・映画などに出演し女優として活躍。 CMや単発のTV出演などのタレント活動もしている。 ドラマ共演で知り合った唐沢寿明と1995年に結婚した。 公式プロフィール Wikipedia 老舗旅館を経営する両親の長女として生まれた山口智子さん、両親は旅館の経営で忙しく、遊び相手はいつも祖母であったそうです。 山口さんの実家は栃木県内にある老舗旅館です。 江戸時代から続く由緒ある旅館です。 祖母は夫と死別して女でひとつで旅館をきりもりしてきたそうです。 この祖母の息子夫婦の2人姉妹の長女して山口さんは生まれます。 両親が祖母から旅館を引き継いでいたので、毎日多忙の中、子供をかまうこともできず、山口さんは必然的に祖母にそだてられたようなものだといいます。 遊び相手も祖母、寝泊りも祖母と共にしていたぐらい大好きだったようです。 祖母にとっては大事な跡継ぎ候補なので大切にそだてていたということもあるようです。 引用: しかし、ある日、異変が… 山口智子の両親の離婚 山口智子の両親が離婚、山口智子は祖母と父のいる旅館を離れ母の実家へ 山口が小学1年生のとき一家に異変が起きる。 両親が離婚してしまったのだ。 原因は父の女性問題。 この時、母は山口と3才年下の妹を連れて、長野の実家へと出戻った。 父は何度も母のもとを訪れ、頭を下げたが、彼女が再び旅館に戻ってくることはなかった。 引用: 山口 智子が祖母と父のいる旅館に戻る。 母と妹とは絶縁状態に 山口さんは祖母との別れがつらく、なんと1人で祖母のところに戻ったといいます。 祖母が心配をして長野の母のところへ送ったそうですが、山口さんが泣きながら祖母がいいと言い、しがみついて離れなかったそうです。 お母様の心境も複雑だったでしょうね。 山口さんにしてみれば、忙しくて相手にしてくれなかった母より、おばあちゃんのほうが大好きだったんですね。 結局山口さんは父側が引き取ることとなり、妹さんは母側に残り、この時に母と妹と絶縁状態になったそうです。 引用: 山口智子が祖母の養子になる。 しかし、祖母の反対を押し切り女優の道へ 山口さんが20歳の時に、山口さんの希望で祖母と養子縁組をし、戸籍上祖母が母となったそうです。 この時期にモデルのアルバイトがきっかけで女優を目指すようになり、祖母の反対を押し切って芸能界入りを果たしました。 山口さんは、このときのことを、「仕事を始めたのは家にいたくなかったから。 小さい時に祖母や母が苦労している姿を見て育ったので旅館を継ぎたくなかった」、と話しているそうです。 引用: 山口智子の父の死とその後 山口智子の父が再婚。 しかし、2005年に父が死去し旅館は廃業へ その後、山口は1995年に唐沢寿明と結婚。 しばらく経つと父も再婚し、継母が旅館の女将となり祖母の跡を継いだ。 そして、転機が訪れたのは2005年5月。 突然、父が心不全で他界してしまったのだ。 引用: この父の死去により、旅館は廃業してしまいました。 閉鎖されてしまったホテル鯉保 こいやす のホームページの文章にはこう記載されていました。 この度、諸般の事情により、8月31日をもちまして、ホテル鯉保の営業を終了させて頂くことになりました。 故山口雅平の遺志を継ぎ、役員・従業員力を合わせ、精進してゆく所存でございましたが、創業120年という歴史の重みをしっかりと受け止めつつも、変わりゆく時代の流れの中で大きな柱を失い、上記のような決意をするに至りました。 長い歳月にわたり、鯉保を愛してくださった皆々様、ほんとうにありがとうございました。 今後は、多くの皆様に賜りましたご厚情に報いるためにも、ふるさと栃木のためにも、新しい道を模索し真摯に努力してゆく所存でございます。 引用: 山口智子が父の葬式で妹と再会。 これをきっかけに妹と実母と和解 転機が訪れたのは2005年5月。 突然、父が他界してしまったのだ。 山口の祖母がこう振り返る。 それで妹がお線香をあげに来たんですよ。 山口にとって、実にそれが妹との34年ぶりの再会だった。 そしてそれをきっかけに、17年前に無言で行き交わした母とも和解し、交流が始まったという。 2007年には、妹と都内にセレクトショップ『燕子花』をオープンさせた山口は、翌2008年には個人会社の代表取締役に母を就任させた。 そして、母と妹が暮らすには少し狭かったマンションの引っ越しを手伝い、都内に3LDK、家賃20万円の部屋を借りてあげた。 こうしてゆっくりと母との絆を取り戻していった山口。 引用: しかし、次は栃木の実家では新たな問題が起きてしまいます。 山口智子の現在 山口智子が祖母の介護のため栃木へ 継母が祖母の面倒を見てくれてたらしいのですが、2年前に継母が脳梗塞で倒れてしまい、自分の故郷に帰ってしまいました。 祖母は92歳のわりには元気なのですが、半年前に骨折して入院してしまったので、山口さんがおばあちゃんの介護のために栃木によく帰っていたそうです。 引用: 現在は、実母・継母・祖母の3人の母の面倒をみているそうです。 女優として活躍している山口智子さんですが、幼少期の両親の離婚により、大変な道を歩んできたことがわかります。 現在、山口智子さんは唐沢寿明さんとご結婚をされていますが、夫婦共に頑張って欲しいですね。

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