お笑い 三人組 新人。 ズッコケ三人組|ポプラ社

面白い人気若手お笑い芸人おすすめ30組まとめ! 次に売れるのはきっとこの人たち!

お笑い 三人組 新人

古代 [ ] 古事記 [ ] 『』の中ののエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる。 神々の暮す(たかまがはら)の統率紳、太陽の神が、弟の乱暴狼藉に腹を立てて岩の洞窟(あまのいわと)に閉じこもってしまった。 そのため世界が真っ暗になり災いが起こった。 そこで神々はアマテラスオオミカミをおびき出す為に岩戸の外で大宴会を行い、女神は着衣を脱いで全裸でこっけいな踊りを披露した。 これを見て八百万の神々が一斉に大笑いした。 その笑い声が気になったアマテラスオオミカミが、岩戸を少しだけ開けて様子をうかがった所、神々の連携プレーで外に連れ出され、再び世界に光が戻った、というものである。 アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れて世の中が闇になるというこのはを表したものだと解釈されており、神々を笑わせた芸能の女神アメノウズメは日本最古の踊り子と言える。 またでは、苦難の末にを屈服させたが、海幸彦を「俳優(わざをぎ)の民」とすると宣言し、滑稽な物真似芸を演じさせている。 このエピソードは古代社会において芸能が、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったことを示している。 説話 [ ] また、みのある話の源流は『』、『』または『』に収められたにさかのぼる事もできる。 布教のための• 伝来とともに日本へ渡ってきた 中世 [ ] 能(翁奉納 ) 散楽から猿楽、それが能と狂言に [ ] や軽業・曲芸、、幻術、人形まわし、など、娯楽的要素の濃い芸能の総称として が発達し、そのうちの物真似芸を起源とするは、後に、らによって へと発展した。 曲芸的な要素の一部は、後にに引き継がれた。 滑稽芸は や笑いを扱う演芸になり、独自の芸能文化を築いていった。 奇術は近世初期にとなった。 散楽のうち人形を使った諸芸はとなり、やがて(人形浄瑠璃)へと引き継がれていった。 : 話芸に秀でた講釈話が庶民に広がり、講談や落語の源流となったと言われている。 : おかしみのある話も多い。 : 「日本最古の漫画」と称されている。 : 様々な病や風俗がユーモラスに描かれている。 : より続いているといわれる。 近世 [ ] 風来山人 による抄訳本『刪』。 「」の原話の部分。 笑話本、滑稽本 [ ] 代の滑稽な話を集めた本()の影響を受けて、によって『(せいすいしょう)』が1623年に著されている。 続いて『昨日は今日の物語(きのふはけふの物語)』や『』()、『』()などが出されて以後日本でもこうした笑話本・が書かれるようになった。 江戸時代中期から明治にかけては、漢文の笑話集の和刻本がいろいろと刊行され、広く読まれた。 最初に出たのは、寛延四年 1751 に刊行された岡白駒 おかはっく 編『開口新語』である。 漢文笑話の原文に訓点を施し、ところどころ漢文の左側に江戸時代の口語で短い訳語を付す、という体裁であった。 『開口新語』の成功をうけて、以後、この体裁にならった漢文笑話集が、続々と刊行された。 例えば風来山人()も、『』の抄訳『刪笑府』を出版している(右の画像)。 「江戸小咄」の原案も、元はこうした和漢の笑話本の翻案に由来しているものが多いとされる。 歌舞伎、文楽 [ ] 上方と江戸で常設の商業演劇が成立。 上方では笑いの要素が意識された作劇がなされた。 東西で大きく芸風が異なり、上方歌舞伎は様式美もさることながら、上方和事と呼ばれる二枚目でありながら可笑しみをもった人物造形が好まれた。 役者もアドリブで笑いをとることをためらわない。 () 主に上方で発展したが、深刻な場面の前に「チャリ場」と呼ばれる笑える場面を用いてメリハリをつけた。 落語の成立 [ ] 発祥の劇場、(右手前)。 「」の幟が見える。 1937年1月 軽演劇の隆盛 [ ]• (東京) (エノケン)、、、• 歌舞伎やオペラ等を素地とし荒唐無稽に仕立てた「 アチャラカ」という手法を開発、観客を唖然とさせた• (大阪)• (大阪) レコード文化の到来、ラジオ放送の始まり [ ] 、日本初の国産ニッポンノホンが発売される。 、東京放送局()が開局。 落語 、、、• 浪花節() 、、、• 、、、、• からへ• 演者 ・、・、・、、• 作家、プロモーターなど 、、、、• 、、 喜劇映画の誕生と興隆 [ ] 、東京市浅草区に、「日本で初めての常設活動専門館」として「」がオープン。 以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。 特に、1930年代の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。 また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。 1960年代に一般家庭にテレビが普及するまでは、全国に向けてのメディアは、ラジオと映画であり、特に映画は、その予算や影響力から、などトップスターを輩出した。 戦地慰問活動 [ ]• 現代:テレビの時代 [ ] 例が増えすぎる傾向があります。 編集の際は留意してください。 テレビ創成期 [ ] 軽演劇からの転身 [ ] 、・が相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまでや新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。 や・・の「」、、・・(のちに交替)のスリーポケッツ、一座の他、浅草で人気を博していたの「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。 一方、大阪でもの実演劇場・に出演していた薄給のコメディアンであった、、、、等に白羽の矢が立ち、脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。 とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。 この他にや等が進出。 は当初からテレビを意識して制作されたもので、とのタイアップもあり多くのスターを生み出した。 一方のも看板役者のがを中心にコメディー数作を発表した。 クレージーキャッツの台頭 [ ] 、開局と同時に始まった時事コント番組『』は、本来本格的なジャズバンドであったを起用。 作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。 クレージーはこのあと日本テレビの『』で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。 特にメンバーのが演じる「無責任男」が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。 音楽バラエティ番組 [ ] 『シャボン玉ホリデー』もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの『』である。 を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。 このあと、NHKが『』をスタート。 渥美清、、などがコントを演じていた(作・)。 草笛と黒柳は女性の先駆者であり、黒柳は現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。 寄席芸人の進出 [ ] NHKがにを起用、全国区の人気に。 日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、2代目三遊亭歌奴()・三遊亭小金馬(現:)・・の4人は同社社長に認められ、番組一本を持たされた。 これに目を付けたNHKは2代目歌奴以外の三人を引き抜き、『』をスタートさせる。 一方、で放送された『落語討論会』をフジテレビがテレビ化し、大喜利番組『』(司会)がスタート。 レギュラー陣のが発した「ケメコ」の流行語も相まって一躍人気番組となった。 この流れが後述の「」に繋がる。 喜劇映画の全盛 [ ] テレビ創成期にあっては、映画は、いまだ娯楽のメディアとしての優位性を誇っており、特に、の普及までは、手軽ではあるが、画像・音声で劣るものとの認識があった。 テレビで人気が出たコメディアンも予算が豊富な映画を重視する傾向があり、クレージーキャッツなどは、や年末といった時季に合わせ、シリーズものの大作喜劇を制作し、爆発的にヒットした。 現代:演芸ブーム(お笑い第一世代) [ ] 1962年頃から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。 景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。 また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていた。 代表的な番組• 『』『』『お笑いモダン亭』『』• 『』『』• 『』『』『テレビ演芸場』『お笑い0番地』• 『かねてつトップ寄席』『』• (製作)『』• 代表的なタレント• 落語 - 、、2代目()、2代目(現:)、初代、、、、5代目()、、、、、、、、2代目、初代、3代目、、• 漫才 - 、、、・、、、、、、、・、、、、、、、、、・、、、、、• 漫談 - 、、• ・ -• - 、、、、ギャグメッセンジャーズ、、、• - 、、 志村けんを除く• - 、• ・ - 、、、• - 、、• - 喜劇映画の衰退 [ ] 映画は、その映像などの優位性を失い、かえって、共時性・即時性でテレビに劣るという状況で、お笑いのメディアとしての重要性を急激に失った。 シリーズ形式のコメディ映画でクレージーキャッツを継いだのは、ザ・ドリフターズであったが、このシリーズも1975年で終焉を迎えた。 現代:MANZAIブーム(お笑い第二世代) [ ] 1979年から1982年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。 演芸ブームの後、(のちに)・の2強時代となり、総じて東京発のバラエティー番組がお笑いの主流を占めていた。 上記2組の間隙を縫って、や、&などが台頭してきたが、この手のバラエティー番組はほぼやり尽くされた感があり、全国ネットのテレビの笑いは一種の砂漠化現象となっていた。 一方、大阪では演芸ブーム以降、、といった吉本興業の漫才師が台頭し、特に若者に人気の高かった中田カウス・ボタンを筆頭に笑いの潮流が吉本側に傾きつつあった。 しかしながら、この傾向はまだ関西ローカルに止まっており、全国向けの関西の演芸は依然としてかしまし娘やレツゴー三匹などが起用され、松竹芸能の力が強かった(松竹でもやなどが登場してはいた)。 そんな1979年、、といったテレビマン達の手により、寄席演芸の色物(傍流)であった漫才がテレビのメインコンテンツに躍り出た。 特にパワー溢れた当時の若手上方漫才師達は一躍時代の寵児となり、笑いが流行の最先端となった。 吉本興業は関西止まりで燻っていた炎がこの時期一気に爆発した形となり、松竹芸能との形勢を逆転させて東京再進出の足がかりを築いた。 また、一方言に過ぎなかったが漫才ブームの影響で全国的な知名度を得るなど、現在もその影響は大きい。 東京においては小劇場やライブ・スペースを活動拠点にした笑いのストリームが生まれつつあった。 この主体となったのは硬直した組織の活動に飽き足らないゲリラ集団であり、東京では傍流であったの意欲的な活動やの「新作落語」ムーブメントは見過ごせない。 また自身でネタを構成する芸人や、の出身のの増加に伴い、若者ウケのよいスピーディーで毒や刺激の強いお笑いが増える。 また当時は若手の女性芸人が少なかったこともあり、芸歴で言えば後述のお笑い三世代に該当するが新人ながらいきなりブレイクし、1つ上の第二世代に混じって台頭していくこととなる。 この点、まだ大阪はテレビ局を軸としており興行資本の「小屋」への資本投下はまだ少し先の話となる。 お笑い第二世代の台頭は芸能界にも大きな影響を与え、それまで歌手や俳優と比べて低く見られていたお笑いタレントの地位が大きく飛躍することとなった。 特にツービートから独立したはラジオパーソナリティや俳優業、歌手活動や店舗プロデュースなど多岐に渡る活動を行い、今日に続くお笑いタレントの多角活動の先鞭をつけることとなった。 代表的な番組• フジテレビ『』『』『』『』• 日本テレビ『』• テレビ朝日『』『お笑い夏(冬)の陣』(と共同製作)• 関西テレビ『』『』• 代表的なタレント• 漫才 、、、、、、、、、、、• 落語 、、、、桂小つぶ(現:)、、金原亭駒平(現:)、、、三遊亭楽太郎(現:)• コント 、、、、、、・、• 一人コント 、、、• 漫談 、、• 奇術 、• 物真似・形態模写 、、 現代:お笑い第三世代 [ ] 後期から初頭に、テレビのを発端としたブーム。 を「お笑い第一世代」、を「」と数えて「」と呼ばれた。 1980年代初頭にメディアを席巻した漫才ブームが、頃を境に人気が低迷期に突入し、ブームに活躍した漫才師は、コンビ解消やピン活動などメディアの幅を拡大させていた。 同時期、大阪・吉本興業は新人発掘を目的に、新人タレント養成所「」(通称:NSC)を開校。 養成所からは、、などの漫才師が誕生するが、デビュー直後に全国的に認知されるまでに至らなかった。 一方東京では、前記のブーム期に放送された「」や各局のお笑いオーディション番組で活躍した、を筆頭に頭角を現し、タモリ、明石家さんま、ビートたけしのがテレビ界を独占している状態であった。 1980年代中期、民放各局は深夜放送が急増、セミプロ・アマチュアのタレントの登場により、お笑いシーンに変化が訪れ、若手主体による小劇場やライブ・スペースが東西問わず数多く開催(主に、)され、旧来の師弟関係での定義が薄れ、タレント育成所・ライブ出身者になる新たな仕組みが生まれた。 さらに演劇界では、演劇的な笑いを織り交ぜたを代表に新たなジャンルを切り開いた。 メディアでは漫才ブーム〜ひょうきん族世代以降のタレントを「ニューウェーブ」や「新人類」と総評し、さらに民放各局が終日24時間放送を実施。 深夜番組が一世代に比べて一層に拡大。 その後、後にお笑い第三世代の代表格とされるとんねるずがビッグ3の独占状態だったテレビ界に割って入り、前述の三者のお笑いは古いとまで言わしめた。 その後、、も、とんねるずを追いかけるまでの人気を獲得した。 この経緯によりとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがの代表格とされている。 この3組の活躍とともに「楽しくなければテレビじゃない」を標榜し「軽チャー」路線を打ち出したが多くのバラエティ番組を制作し人気を博した。 この時代まではお笑い第二世代と同様、お笑い芸人がブレイクする番組のフォーマットは基本的にはがほとんどであった。 代表的な番組• フジテレビ『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』• 日本テレビ『』『』『』『』『』• テレビ朝日『』• TBS『』『』『』• 『デイブレイク』『流行笑会』• 関西テレビ『』• よみうりテレビ『』• 代表的なタレント• 、、、、、、、、、、、、、、、バカルディ(現:)、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、• ものまね 、、、、、、、、 現代:バラエティ番組ブーム(お笑い第四世代) [ ] 1990年代に入ると、これまでのバラエティ番組人気の中心となっていたフジテレビに倣う形で、ターゲットおよび内容をサブカルチャー的観点に絞り込んだ多種多様なバラエティ番組が多く制作されることとなった。 その結果、バラエティ番組がお笑いブームの中心となる、「テレビっ子の時代」とも言うべきムーブメントが巻き起こったのである。 タモリのボキャブラ天国 [ ] 視聴者投稿を元に作られていたテレビ番組『』(フジテレビ、司会)が、徐々にその性格を変えて「大勢の若手芸人がネタを競い合う番組」に変化すると、若い女性などを中心とする特定層の支持を集めたが、番組の人気凋落に伴い、ほとんどの出演者が次第に存在感自体をフェードアウトさせてゆく(つまるところ、しっかりとした下積み経験があったわけではない「ポッと出」の出演者が、視聴者のバブル人気に舞い上がっていただけであった。 この現象はのちにも『』や『』で繰り返されることになる)。 この番組をきっかけに知名度を得た世代をと呼ぶことが多い。 (厳密に言うと第四世代ではない)、、海砂利水魚(現:)などは、のちに各局でを持つことになる。 その他の出演者• 、、、(、)、、、、、、、、、、、、、、など 電波少年シリーズ [ ] 『』(日本テレビ、らが司会)は、アポイントメントなしの突撃インタビューをはじめとして、台本のないドキュメンタリーの味わいを取り込んだ番組だったが、特に後半は若手芸人に私生活を犠牲にした体験・チャレンジ企画をさせて笑いの種とする構成となり、過剰演出()の傾向が強くなる。 そんな中で、過酷なヒッチハイク旅行を行なったが、お笑いというよりも共感できる等身大の若者といった位置付けで人気を博し、彼らが唄った楽曲が一定の売り上げを集めたり、旅行中に記した日記をまとめた書籍が売り出され、版を重ねるなど、一部特定層において社会現象化する。 しかし、その後同様のコンセプトで、、、、()らを起用して話題を提供しつづけたが、あくまで企画自体の面白さが中心にあった為に、企画自体がパターン化すると飽きられるのも早く、番組の人気も急に失速した。 また、芸人を育てるというよりも消費し尽くすといった性格が強かった為に、後半になると視聴者からの苦情や批判も殺到するようになり、これも番組が終了するきっかけともなった。 これらに通底しているのは(ロケ)の多用、そして同時代性である。 1990年代初頭に漫才スタイルがダウンタウンのもとで飽和に達し、それ以降の芸人やお笑い番組は違うスタイルを築きあげる必要にせまられた。 その経済学的にいう(商品)の中でたどり着いたのが、街に繰り出し現場や社会を笑いのネタにするというロケーションの手法であり、「リアル」を笑いにして視聴者を惹きつけるとともに、テレビに映る若者が参加しているという同場所性や、それを通して若者と同世代を生きているという同時代性が親近感を醸成し、ヨコの繋がりを生み出して、漫才やコントとは違う人気に結びついた。 これらは、番組をテレビ局で撮ると先輩芸人に偶然会ってしまうという若手芸人の緊張や心理、当時抱いていた劣等感がそれを避ける形を求めたということにもある。 その結果、お笑い第二世代や第三世代の時代に全盛を極めたコント番組が減少し、コント番組以外でブレイクする芸人が出てきたのもこの世代からである。 その他 [ ] テレビ番組におけるが頻繁に使われだしたのがこの頃。 出演者の発した言葉を逐一字幕化する手法が多用される一方、『電波少年』『めちゃイケ』などでは補足テロップ(『』が発祥とされているツッコミテロップ)を挿入する手法がとられた(共に2000年代も多用されている)。 吉本興業が東京・銀座に進出し、「銀座7丁目劇場」を開場。 当初はの東上が売りであり、日本テレビやテレビ朝日でタイアップ番組も作成されたが、間もなく他に劇場に出演していた、らがテレビ番組に集中的にフィーチャーされることになる。 また、東京校が1995年に開校し、東京でも本格的なタレントの育成を手がけるようになった。 その後の所属事務所の後輩の、、、、、、、等のの所属のタレント・アーティスト等がお笑い系の等に進出する契機となる。 この世代の代表的な芸人• 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、など 現代:2000年代のお笑いブーム(お笑い第五世代) [ ] 東京吉本のが1998年、が1999年、大阪でもが閉館した。 そんな中、2001年にが開館し、大阪でもに続く若手芸人の拠点として、が開館。 また、にスタートした『』(NHK)を始め、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起こり、その他にも2000年代中盤から『』(日本テレビ)、『』(フジテレビ)、『』(朝日放送)などいわゆる「ネタ見せ番組」が増え始める。 この時期になると吉本興業や太田プロといった老舗のみならず、数多くの芸能事務所からお笑いタレントが登場するようになった。 その中にはや、等従来お笑いタレントを手がけていなかった事務所も多数参入している。 では、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと「お笑い8周期説」に則り『』が放送された。 その後2001年に、がメインキャストを務めた『』がスタート。 「若手芸人」がブームの中心であったが、「若手」と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、(芸歴で考えて)第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。 これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。 特に『ボキャブラ天国』に起用されていた芸人(いわゆる「キャブラー」)が東京芸人に偏重していたため 、、、、などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。 2000年代中期から後期にかけては、先述の4番組の他にも『』や『』(ともにTBS)『』(フジテレビ)での「」など、短尺のネタを1ネタだけ披露させる構成のネタ見せ番組がブームとなる。 ネタの時間が短いため多くの出演者を確保でき、新人芸人の出演チャンスが増やされた事がこれらの番組の大きな特徴である。 に放送開始された『』(TBS)などでも短いネタ見せを中心としており従来の番組とは趣を異にしている。 このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、を多用した「一発屋」といわれる芸人が急増。 ピンネタでブレイクした芸人の中には、、、、、などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。 一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。 また、こういった芸人はに特別出演したり、を受賞するケースがほとんどである。 大ブームを起こした芸人が消費し尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向は年を経るごとに激しくなっていた。 このようなブームはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括したため、その人気の基準は一種の的な性格を強めるようになり、芸人の在り方の変容ともされたが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもあった。 この時代は一時的にコント番組が復活傾向にあった時期で、『』『』『』『』と各局で若手芸人のコントコーナーがある番組が存在していた。 この時代の代表的な芸人• 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、など 現代:2010年代のお笑い [ ] お笑い第六世代 [ ] 2010年代に入ると、かつての『ボキャブラ天国』の凋落と同様に、2000年代のお笑い人気を支えたバラエティ番組やネタ見せ番組が慢性的な人気低下を抱えるようになる。 いわゆる「テレビ離れ」の影響が示唆される中 、2010年の『M-1』の一時終了に始まり、やがてほとんどのお笑い番組が放送を終了した(もしくは定期の特番化)。 また、による規制などテレビ局にコンプライアンスが求められるという時代の流れも相まり、ある意味でハラスメント的な性格を含むお笑いバラエティ番組への風当たりが強まったことで 、『』『』といったかつてお笑いブームを牽引し長寿番組となっていた番組までもが相次いで放送を終了した。 また、コンプライアンス問題は芸能人側にも波及し、不祥事で活動を休止するお笑いタレントも現れ、暴力団関係者との交際が噂されていたは多数のレギュラー番組を抱えたまま2011年に芸能界を引退した。 2019年にはが発覚。 特に後者は吉本興業所属タレントが多数関与していたことから、吉本内外からマネジメント体制の不備が批判される事態となった。 しかしそんな中でも、『』(テレビ朝日)や『』(フジテレビ)などの実力ある芸人によるトークバラエティ番組や、芸人の他に俳優やタレント、アイドル、知識人などを交えた一般的な情報バラエティ番組などは変わらず安定して人気を獲得。 それに伴い「」というジャンルが大々的に紹介され、「お笑いファン」の間で新たなジャンルとして知られる様になった。 また、・の『』(日本テレビ)、の『』(日本テレビ)、の『』(フジテレビ)など、午前-昼間に放送する比較的お笑い要素の少ない情報番組で芸人がMCやコメンテーターを務めるというケースが増加した他、やの著書がベストセラーとなるなどお笑い芸人の活動に多様化が見受けられるようになる。 ただ、このような展開によってお笑い界の第一線に定着したのは第三、第四、第五前期などの世代に該当するような既に「売れている」芸人たちであった。 その後第六世代を中心に一部第五世代を交えたメンバーによる『』や『』、『』などが放送され、一定の人気を獲得したが、新たなブームを巻き起こすまでには至らなかった。 その一方で、2011年には『』が『M-1』に代わるお笑いコンテストとして復刻、そして2015年には『M-1』が復活を遂げ(『M-1』復活以降は年1回放送の大型ネタ番組『THE MANZAI プレミアマスターズ』として放送)、年3回放送の大型ネタ番組『』(フジテレビ)が放送を開始、2017年には女芸人のコンテスト『』(日本テレビ)が新設された。 さらには、「テレビ離れ」を逆手にとる形でやなどの規制がほぼ入らないインターネット配信サービスを利用したお笑いバラエティ番組の放送も増加しており、お笑い番組やバラエティ番組の大きな変革の時期となっている。 この時代の代表的な芸人• 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、など お笑い第七世代 [ ] 詳細は「」を参照 2010年代後半になると、 昭和62年 以降に生まれたである「」や 、生まれ以降の生まれに該当する、後半から活躍し始めた若手を指す俗称として「お笑い第七世代」という言葉が用いられるようになる。 この世代の特徴としては、先述したように地上波放送以外のデジタルコンテンツとの関わりが増しているお笑い界において、デジタルネイティブ世代として重要な役割を担うとされ 、霜降り明星、、、など、で活動する芸人も多い。 また、の影響が希薄となっていることが挙げられ 、このため、新たな時代のお笑いを形づくることが期待される世代となっている。 この時代の代表的な芸人• 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、など 現代:平成の落語ブーム [ ] に入って、落語界では(平成5年)には初の「女真打」(三遊亭歌る多、)が誕生し、(平成7年)には東京の、翌には上方のがそれぞれ「」に認定され 、古典芸能としての地歩を固めた。 人間国宝には、その後、(平成26年)にが認定されている。 に入って、落語界には、でも幅広く活躍していたが発起人となった「」や、の隆盛をめざした話芸集団「(創作話芸アソシエーション)」の結成という新たな展開が生まれ、一方ではとが主人公を演じた『』(系)や『』()などの影響によって新たな落語ファンが生まれた。 このような現象はしばしば「平成の落語ブーム」と呼ばれる。 このブームの特徴は、「落語全般」が好きな落語マニアによるブームではなく、それぞれ自分のことばで語る個性的な落語家各人のファンによるブームであるということで、個別に熱烈なファン層をもつ落語家が多数存在することによっている。 年表(年代別) [ ] 19世紀 [ ]• 3月「アメリカ・リズリー・サーカス」が横浜にて日本初の興行を行う。 がアメリカ合衆国へ渡航の為、から印章を取得した。 これが日本のパスポート第1号とされている。 がにて興行を行う。 鈴本亭(後の)開場。 がを設立。 の礎になる。 この頃が歌う「」が大評判となる。 日本におけるの元祖。 1900年代 [ ]• 「」旗揚げ。 「」旗揚げ。 製作・配給映画『』公開。 日本初ののひとつとされる。 出演、制作・配給映画『』公開。 1910年代 [ ]• 吉本興業が傘下の寄席を「花月」と改称。 1920年代 [ ]• 「」消滅。 吉本興業が東京・横浜・京都・神戸へも進出する。 によりも壊滅する。 東京放送局(後の)がを開始。 10月 、、らが珍芸劇団「ナヤマシ会」を結成、第一回公演。 の病状悪化のため、NHKラジオの娯楽演芸番組が中止される。 、らが「松竹家庭劇」を結成。 1930年代 [ ]• 著「二等卒」、『』に連載開始。 で開かれた第41回をラジオが初の寄席中継放送。 12月 直後のへのお笑い慰問団派遣。 メンバーは第1回がエンタツ・アチャコ、花月亭九里丸、神田山陽の3組。 第2回がエンタツ・アチャコ、の2組。 吉本興業が吉本演芸通信を創刊。 吉本興業発行「吉本演芸通信」の中で、『今後「」は「」へと表記改称する』と発表。 横山エンタツ・花菱アチャコが漫才の傑作、を発表。 古川ロッパが浅草で「」を旗揚げ。 アメリカのレヴュー団「マーカス・ショウ」が来日公演。 連日の大入り満員に。 で吉本興業が特選漫才大会を開催(初めて「まんざい」が「漫才」と書かれる)。 帝都漫才組合(現在の)設立。 吉本興業がに浅草花月劇場を開場。 5月 浅草松竹座にて「漫才大会」が行われる。 漫才が東京へ本格的に根付く契機となる。 吉本興業がを開校。 吉本興業がを買収。 1月 派兵士を慰問する結成、派遣。 演芸部が発足。 1940年代 [ ]• が、、らに禁止を通達。 や間男の噺など落語の53演目が、として境内はなし塚に葬られる。 『』第一回放送。 が閣議決定。 、など19劇場が休場。 ・などが廃止になる。 が山王(通称芸人横丁)に演芸会社「団之助芸能社」を立ち上げ、数十人のかかげる事務所となる。 著『』が、に連載開始。 「松竹家庭劇」と「曾我廼家五郎一座」が発展解消、を旗揚げ。 漫才作家のが「MZ研進会」を発足。 、、、、等を輩出。 初のがに出来る。 NHKラジオ『』放送開始。 初代司会は・。 上方漫才のブームを引き起こす。 1950年代 [ ]• NHKラジオ『愉快な仲間』放送開始。 の『・ショー』に倣い、との掛け合いが人気を呼ぶ。 に「USO放送」が初めて掲載される。 浅草開場。 日本初のテレビ局として、NHKがテレビの本放送開始。 日本初の民間放送テレビ局、が本放送開始。 1月 「東京喜劇人協会」(後の日本喜劇人協会)設立。 初代会長に、副会長に、が就任。 日本タイムズ(現)が日本最初の記事とされる 、「ソ連爆撃機 羽田着陸」を一面掲載。 一見して真偽が判別しづらく、さらにオチがないとして酷評された。 NHKが主催する、第1回開催。 優勝は。 東宝映画主演第一作『』公開。 1970年まで33作が制作される。 の前身会社である、松竹新演芸が設立される。 開場と同時に「吉本ヴァラエティ」として発足。 が設立。 1960年代 [ ]• 毎日放送『』放送開始。 2002年放送終了• 12月 がを受章。 『』放送開始。 1977年終了• 『』(主演:)放送開始。 が復活(吉本興業)。 9月 毎日放送『』放送開始。 が復活。 1月 著『』、『』にて連載開始。 フジテレビ系列『』が放送開始。 2010年終了• が主催する、第1回開催。 漫才大賞受賞者は。 『』(日本テレビ)放送開始。 初代司会は。 ・ が日本公演の前座を務める。 『』にて、著『』連載開始。 ニッポン放送『』放送開始。 MBSラジオ『』放送開始。 松竹芸能タレント養成所(後の松竹芸能タレントスクール)設立。 フジテレビ『』が放送開始。 フジテレビ『』放送開始、コント55号他が出演。 現在の『』まで続く平日正午枠のバラエティ路線の源流となった。 にて、が初当選。 フジテレビ『』放送開始。 この番組の放送から長年にわたるが始まった。 フジテレビ『』放送開始。 1985年放送終了• 日本テレビ『』放送開始。 が社会現象になる。 『』放送開始。 1982年放送終了• 映画『』(主演)第1作目上映。 1995年まで48作を制作• 『』放送開始。 1985年放送終了• フジテレビ『』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 ハナ肇の「アッと驚く為五郎」、巨泉の「うーしししし」が話題となる。 1971年放送終了• ザ・ドリフターズ「」発売。 オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上記録。 1970年代 [ ]• が発売される。 TBS『』レギュラー放送開始。 『』放送開始。 2015年現在も放送中。 が主催する、第1回開催。 最優秀話術賞は、優秀努力賞は、優秀敢闘賞はが受賞。 が主催する、第1回開催。 大賞受賞者は、。 が主催する、第1回開催。 最優秀賞は。 演目は「」。 とぴんからトリオ「」発売、累計売上325. 6万枚、等を記録。 『』放送開始。 TBSラジオ『』放送開始。 2012年放送終了• 、御前口演を行う。 フジテレビ『』放送開始。 10月 フジテレビ『』放送開始。 のため、テレビが休止される。 1月 創刊。 ニッポン放送『』放送開始。 著『』、『』に連載開始。 フジテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう! ()』放送開始。 ・『』放送開始。 第1作は「」。 2013年放送終了• 10月 主宰「笑の会」発足。 多くの漫才師が輩出。 フジテレビ『』放送開始。 この作品のヒットにより、『』が誕生した。 日本テレビ『』放送開始(正式レギュラー化)。 中京テレビ『』放送開始。 10月 著『』、『』にて連載開始。 21時台に放送される初のバラエティー番組。 キャラクターが人気を博す。 1978年放送終了• フジテレビ『』放送開始。 9月 設立。 :三遊亭圓生一門、一門、一門が、それまで所属していた「落語協会」から独立して「落語三遊協会」を設立。 落語協会が真打ちを乱造することに反発したのが理由だった。 落語界全体に大きな波紋を呼び、一時は落語協会の半数が新団体に移るという予測もされたが、実際には様々な要因があって参加を見送るものが相次ぐ。 さらには新団体参加者の寄席出演が拒否されたため、志ん朝一門と圓蔵一門は早々に離脱。 翌年に落語三遊協会は自然消滅。 『』放送開始。 関西テレビ『』放送開始。 漫才ブームの礎を築いた一方で、主演のドラマシリーズ『』などの企画で人気を博す。 日本テレビ『』放送開始。 1980年代 [ ]• が大日本落語すみれ会(後の)を結成。 4月 が主催する、第1回開催。 最優秀新人賞は漫才の部で、落語の部でがそれぞれ受賞。 4月 創刊。 フジテレビ『』放送開始。 前年から火がつき始めたが本格的に勃発。 日本テレビ『』放送開始。 (YMO)のアルバム『』発売。 曲の間にのコントが挟み込まれる。 ニッポン放送『』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 フジテレビ『』放送開始。 「」発売。 ミリオン・セラーを記録。 吉本興業がNSC()を大阪に開校。 第1期生は、、、など。 とんねるず『』でグランプリ獲得。 フジテレビ『』放送開始。 2014年放送終了• テレビ朝日『』放送開始。 毎日放送『』放送開始。 とその一門が昇進制度を巡って落語協会と対立。 同会を脱退してを創設。 フジテレビ『』放送開始。 ニッポン放送『』放送開始。 五代目三遊亭圓楽の一門「円楽一門会」が出演する寄席、「」が開設される。 フジテレビ『』放送開始。 NHK『』放送開始。 関西テレビ『』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 テレビ朝日『』放送開始。 カール君などが人気を博す。 フジテレビ『第1回爆笑! スター』放送開始。 後にを中心にしたブームを巻き起こす。 原作『』が、NHKにて放送開始。 TBS『』放送開始。 フジテレビ『』放送開始。 ニッポン放送『』放送開始。 主催によるお笑いライブ「第1回」開催。 若手芸人の登竜門的存在になる。 フジテレビ『』放送開始。 TBS『』放送開始。 心斎橋筋2丁目劇場開館。 よみうりテレビ『』放送開始。 が受章。 フジテレビ『』(FNSの日)開始。 深夜、・ビートたけし・のいわゆるが初共演。 関西テレビ『』放送開始。 フジテレビ『』放送開始。 朝日放送『』放送開始。 『』放送開始。 フジテレビ『』レギュラー放送開始。 1997年に『』にリニューアル。 映画『』(主演:)第1作目が上映。 日本テレビ特別番組『』第1回大会開催。 以降年3回の放送ペースで1996年まで19回開催。 第1回優勝者は。 によりお笑い番組が一週間自粛される。 九州朝日放送『』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 開始当初は関東地区ローカル放送。 1990年代 [ ]• フジテレビ『』(原作)放映開始。 毎日放送『』放送開始。 8月 著『』、『』にて連載開始。 1992年にテレビ朝日でアニメ化。 毎日放送『』放送開始。 ファン感謝イベント『』第1回開催。 が「情けねぇ」で芸人初の「」を受賞。 が「…じゃあ〜りませんか」で受賞。 フジテレビ『』が、レギュラー放送開始。 人力舎がを東京に開校。 第1期生に。 1月にをオープン。 テレビ東京『』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 フジテレビ『Sinpa』放送開始。 よみうりテレビ『』放送開始。 フジテレビ『』、放送開始。 、『Hi[gh]-YAKU』放送開始。 『』(読売テレビ)がレギュラー放送を開始。 11月 設立。 がこの年誕生した「」のオーディションに合格。 札幌契約の第一号タレントとなる。 ニッポン放送系『(第1期)』放送開始。 日本テレビ『』放送開始。 松本人志著のエッセイ本『遺書』発売。 200万部を超えるベストセラーに。 フジテレビ『』放送開始。 今までに無いトーク主体型音楽番組の嚆矢となる。 がに認定される。 で関西一帯が被災。 をはじめ関西各地の舞台・ライブが中止・延期となる。 ()がプロデュースによるユニット・の1stシングル「」を発売。 210万枚を超える大ヒットを記録。 でがに初当選、が知事に初当選。 TBSラジオ『』放送開始。 フジテレビ『 -I wanna be POP! -』放送開始。 が重要無形文化財(人間国宝)に認定。 テレビ朝日『あなあきロンドンブーツ』放送開始。 フジテレビ『』放送開始。 (2016年放送終了)• 8月4日に死去した渥美清がを受賞する。 北海道テレビ放送『』放送開始。 フジテレビ『 -What A COOL we are! -』放送開始。 のデビューシングル「」が発売。 113万枚でミリオンセラーを達成する。 が受章。 お笑い部門が再建。 TBSラジオ『』放送開始。 、テレビ朝日『 』放送開始。 が本名の「北野武」名義での監督作品『』で第54回(グランプリ)を受賞。 日本テレビ『』放送開始。 が「だっちゅーの」で受賞。 、『イナズマ! ロンドンハーツ』(現・)放送開始。 NHK総合『』放送開始。 同年に第1回チャンピオン大会が開催されが優勝。 2000年代 [ ]• の「おっはー」が2000年のを受賞。 東京都新宿区にオープン。 、『You knock on a jumping door! 』放送開始。 日本テレビ系ドラマ『』がスタート(同年まで)。 企画立案、吉本興業主催の漫才コンテスト『』の第1回決勝戦が開催。 初代優勝者は。 この模様は朝日放送・系列で生放送された。 『』が演芸CDとしては驚異のミリオンセールスを達成。 M-1グランプリのピン芸人版と言える『』決勝戦が開催。 第1回優勝者は。 フジテレビ系列『』が放送開始。 当初は関東ローカル。 がを受章。 テレビ朝日系列 『』放送開始。 日本テレビ系列『』放送開始。 ショートネタブームの嚆矢になる。 毎日放送主催の漫才コンテスト『』第1回大会が開催。 初代優勝者は。 が「なんでだろ〜」で新語・流行語大賞を受賞。 10月 開校。 第1期生はハジメ()など。 の小説『』が発売、100万部を突破した。 が文部科学大臣賞放送部門を受賞。 放送部門のバラエティジャンルからは史上初の受賞となった。 戦後60年間上方落語に途絶えていた定席の寄席、(大阪市北区)がオープン。 第21回選挙に、無所属で出馬していたそのまんま東()が当選。 『』第1回レギュラー放送が放送。 第1回のレッドカーペット賞受賞者は。 ()による。 『』が225万部を超えるベストセラーに。 M-1、R-1のコント版と言える『』決勝戦が開催。 初代キングオブコントは。 がオープン。 が「グー」で2008年度の新語・流行語大賞を受賞。 2010年代 [ ]• 北野武()が・を受章。 第10回M-1グランプリ決勝戦でが優勝。 この大会をもってM-1グランプリが一旦幕を下ろす。 主催の演芸コンテスト『』第1回大会の決勝戦が開催。 初代優勝者は。 吉本興業創業100周年特別公演初日「伝説の一日」がで開催 され、4公演に208組277人が出演。 この日発売の『』DVD40巻が「1つの日本のバラエティ番組における最多DVDリリース数」としてに認定される。 吉本興業とが包括的連携協定。 個別の自治体と会社単位の協定は今回が初。 が「ワイルドだろぉ」で新語・流行語大賞を受賞。 「よしもと幕張イオンモール劇場」がオープン。 がにより閉館。 『森田一義アワー 笑っていいとも! 』が32年間8054回で放送を終了、最後のゲストは。 『』では、、、、らが共演した。 「沼津ラクーンよしもと劇場」と「大宮ラクーンよしもと劇場」がオープン。 「(第1期)」が20年半、1013回で放送終了。 オールナイトニッポンでも最長記録を保持しており、より第2期が開始された。 が「ダメよ〜ダメダメ」で新語・流行語大賞を受賞。 が第62回を受賞。 がオープン。 ()の「」が第153回を受賞。 ・、一年半ぶりに再開場。 5年ぶりに開催された2015の決勝戦でが優勝。 第1回が開催され、が大賞を受賞。 が第66回賞を受賞。 桂歌丸がを受章。 ビートたけしがオフィシエを受章。 の「」が、で初登場77位を記録し、としてに次ぐ26年振り・7人目のチャートインを果たす。 がを受章。 が大阪市の無形文化財に指定される。 「」がオープン。 日本お笑い界での主要イベント [ ] 現在も開催中のイベント [ ] カッコ内は主催者および出場資格• 1月 (上方漫才協会・吉本興業、芸歴10年以内)• 3月 (吉本興業、プロアマ分離開催、芸歴制限なし)• 3月 (NHK大阪放送局、コンビ結成10年未満)• 3月 (読売テレビ、大阪拠点で芸歴10年以内)• 4月 (ラジオ大阪・関西テレビ、芸歴制限なし)• 7月 (ABCテレビ、デビュー10年以内)• 7月 (漫才協会、漫協所属でコンビ結成20年以内)• 7月 (日本音楽事業者協会、協会加入事務所の被推薦者)• 8月 (今宮戎神社子供戎漫才新人コンクール事務局、コンテスト受賞歴なしのコンビ)• 9月 (吉本興業、高校生限定)• 9月 (MBSテレビ、芸歴制限なし)• 9月または10月 (吉本興業、芸歴制限なし)• 10月 (NHK、お笑い部門は芸歴10年未満のプロ、落語部門は入門15年未満の二ツ目格)• 12月 (吉本興業、コンビ結成15年以内)• 12月 (吉本興業、女性芸人限定で芸歴制限なし)• 12月 (フジテレビ、招待制の非コンテスト)• 12月 (MBSテレビ、非コンテスト)• 春・秋の年2回 (フジテレビ、招待選手のみ)• 不定期(年一回)• 開催が終了したイベント [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 安楽庵策伝、鈴木棠三(訳)『醒睡笑-戦国の笑話-』平凡社、1977年。 帝京平成大学公式サイト内の「」の第37回「」• Yahoo! ニュース 2016年1月3日• ニュース 2019年4月8日• 2019年4月27日• bizSPA! フレッシュ 2019年1月27日• フジテレビ 2019年3月27日. 2019年5月27日閲覧。 Inc, Natasha. お笑いナタリー. 2019年5月14日閲覧。 日刊大衆 2019年5月22日• ORICON NEWS 2019年1月30日• お笑いナタリー 2019年1月30日• 『』、、、1975年12月10日 , p. 144-145. ジャパンタイムズ出版部『ジャパンタイムズを知る本』1982年 p80• 鈴木拓也『世界のエイプリルフール・ジョーク集』中央公論新社 2008年 p88-92• 2012年4月6日. お笑いナタリー. 2012年8月31日. 朝日新聞デジタル. 2012年10月2日. - 、2016年10月19日• 夕刊フジ 2016年10月21日 参考文献 [ ]• 宇井無愁『日本の笑話』角川書店、1977年• 織田正吉『笑いとユーモア』 筑摩書房、1979年• 『大衆芸能資料集成』三一書房、1980年• 『日本人の歴史 9 笑いと日本人』講談社、1982年• 有遊会『寄席爆笑帳』三一新書、1985年、• 有遊会『浅草芸人爆笑帳』三一新書、1990年• 有遊会『東京芸人爆笑帳』三一新書、1992年• 橘左近『東都噺家系図』筑摩書房、1999年• 中江克己 『お江戸の意外な「モノ」の値段 物価から見える江戸っ子の生活模様』PHP文庫、2003年• 『完璧版 テレビバラエティ 大笑辞典」()2003年• 『テレビお笑いタレント史 お笑いブームはここから始まった』ソフトバンククリエイティブ、2005年• 編『上方演芸大全』創元社、2008年• 正岡容 『定本日本浪曲史』岩波書店、2009年• 監修『CD付 落語入門』、2008年11月。 監修『現代落語の基礎知識』、2010年10月。 関連項目 [ ]• - 第20回においてお笑いの歴史を取り上げている。 - 放送第209回「お笑い芸人誰が先輩? この際はっきりさせよう! 」にて、『養成所・弟子時代は含まず、初舞台(初仕事)をデビュー年とする』というルールで作られた「芸人年表」を作成した。 Vol. 79に掲載。 - で放送。 これまでの放送において漫才、コント、落語、コミックソングなどを扱っている。

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お笑い 三人組 新人

1978年、『ズッコケ三人組』は大きな産声をあげました。 1978年、『ズッコケ三人組』は大きな産声をあげました。 当時、子どもの本は教訓的で、真面目なものが多い時代。 その概念を打ち破り、「寝転んで、ポップコーンを食べている子が、ポップコーンを忘れて読みふけるような、ドキドキ、ハラハラのエンターテインメントを作りたいという、作家の那須正幹先生と編集者のあつい想いが、形となったのが『ズッコケ三人組』でした。 社会的テーマを取り入れつつ、エンターテインメントに徹した物語は、子どもたちの心に深く届きました。 以来、「ズッコケ三人組」シリーズは、1巻から50巻まで、子どもたちの絶大なる支持を受け、累計2300万部のベストセラーとなりました。 2008年、『ズッコケ三人組』に続く子どものための新しい作品を見つけるために「ポプラズッコケ文学賞」を設けてはどうかと、那須先生からご提案をいただきました。 これまで3回にわたって実施し、たくさんのご応募のなかから、数々の優秀な才能を発掘することができました。 次回の開催を準備するにあたり、さらに那須先生より、「より多くの人が構えずに作品を投稿できるように、ズッコケ文学賞というより、『ズッコケ新人賞』という形にしてはどうか」というご提案を再びいただきました。 社内で協議いたしました結果、那須先生のご提案を受けいれ、このたび新たに「ポプラズッコケ文学新人賞」として発足させることにいたしました。 ポプラ社は、才能ある新人がはばたく窓口となるこの賞を、大切に育てていきたいと考えております。 「ズッコケ新人賞」は、『ズッコケ三人組』のように、子どもが選び、子ども自身が本当に読みたいと思える作品、今を生きる子どもたちが「お腹を抱えて、笑い、そして心から泣ける」エンターテインメント文学を、まだデビューしていない作家志望の皆さまから幅広く募集します。 日本語で書かれた自作の未発表作品に限ります 商業出版を目的としない同人誌での発表は原則可としますが、別紙にその旨記入してください)。 ワープロ、パソコン原稿の場合は、A4判の用紙を横置きにし縦書きで印字してください。 目安としてお考え下さい。 原稿には必ずページナンバーを入れてください。 別紙にタイトル、氏名(フリガナ)、筆名(フリガナ)、性別、職業、年齢、 生年月日(西暦)、略歴、郵便番号、住所、電話番号、メールアドレスを明記し、作品と一緒に綴じず、同封して下さい。 出版に際しては、別途指定の金額を印税として支払います。 受賞者とは一定期間専属契約を結ばせていただきます。 必ずコピーをお取りください。 他の文学賞との二重投稿は失格とします。 審査に関するお問い合わせには一切応じられません。

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もはや俳優顔負け?演技も上手い12人のお笑い芸人たち

お笑い 三人組 新人

さん supamaradonatake がシェアした投稿 — 2018年 4月月3日午後5時19分PDT 向かって左、メガネをかけたボケ担当の 田中 と、大柄で強面のツッコミ 武智 の漫才コンビ。 ネタは元ヤンの武智のほうが書いていて、以前はかなりの体育会系スパルタ方式で田中をしごいていたそう。 そのせいで、 2007年には田中が失踪 、一度解散し、翌年に再結成しています。 そんな波乱の下積みを乗り越えて、2015年からは3年連続でM-1グランプリの決勝ステージに進出し、全国的な知名度も上昇中です。 レギュラー出演中 『ごきげんライフスタイル よ〜いドン! 淡々とした口調で突拍子もないボケをする松本と、勢いがあってわかりやすいツッコミをする杉本の漫才は、若い頃のダウンタウンを彷彿とさせるような、絶妙な組み合わせのコンビだと思います。 まだ芸歴も浅く、現在24歳と若い2人ですが、 すでに完成度が高く、お笑いポテンシャルも充分、近いうちにM-1決勝の舞台に出てくるだろうと確信しています。 おすすめネタは「保育士」「上司と後輩女性社員」「ナンパ」など。 奇想天外な発想で日本語を解体したり新たに創造したりと、文学的才能すら感じさせます。 また、しゃべりも上手いので、フリップに加える説明がまた面白いです。 『R-1ぐらんぷり』には2011~2015年まで、5年連続で決勝ステージに進出し、最高位で2位までいったものの、惜しくも優勝は逃しています。 おすすめネタは「しりとりで言い返そう」「形容形容詞」「余字熟語」など。 アインシュタイン 2010年結成 よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属 さん kawaiyuzuru がシェアした投稿 — 2018年 3月月2日午前5時03分PST 関西ではレギュラー番組も持つなど、よく知られた存在ですが、全国的な知名度はもうひとつ。 しかし、アインシュタインの名前は知らなくても、ボケの 稲田 の顔は見たことがある人も多いのではないでしょうか。 なにしろ一度見たら忘れられないミラクルフェイス、 今いくよ・くるよが初めて稲田の顔を見たときに「吉本の至宝」と名付けたぐらいの、お笑いをするために生まれてきたような、天性の顔面の持ち主です。 ちなみにツッコミの 河合 はギャル好きで有名。 ギャルにもモテるようです。 その見た目からは信じがたいことに、稲田より4つ年上です。 娘の レイラ ちゃんは2018年現在で中学2年生です。 2018年正月の『ぐるナイおもしろ荘』に出演して注目され、最近は頻繁にバラエティ番組で見かけるようになってきました。 漫才ネタの 「パパが売れない芸人をダラダラダラダラ続けてたからママが出てったんだから!」というのは実話で、ちょっとせつない父子家庭のコンビ ですが、それをネタにして、しっかりした娘と頼りない父親というキャラの自虐的な漫才で人気を博しています。 父の 池田57CRAZY は、父親として頼りないのは事実のようですが、彼が作っているネタは面白いですし、レイラちゃんもしゃべりが達者なので、幅広い年齢層に愛される人気芸人になる可能性があると思います。 漫才のツカミでは 「片っぽこれ、オバハンちゃうかなと思った方もいるんじゃないかと思いますが」 と奥田がつくねの個性的な天然パーマをイジります。 漫才の面白さ、上手さはもうM-1決勝レベル。 奥田の滑舌が良くてキレのいいツッコミが気持ち良く、ちょっと中川家を彷彿とさせます。 読売テレビの『マヨなか芸人』で披露した、フリップを使って漫才をする「フリップ漫才」というちょっとひねったネタもまた面白かったです。 M-1はこれまで準決勝が最高ですが、そろそろ決勝に上がってくるのではないかと思います。 おすすめネタは「結婚式」「小学校時代」など。 おとぎばなし 2013年結成 プロダクション人力舎所属 さん p. jnrks がシェアした投稿 — 2017年12月月12日午前4時24分PST おとぎばなしは、男性の 花里(花ちゃん) と女性の 吉田(よっちゃん) による男女の漫才コンビです。 漫才のツカミでは 「人生今まで一度も交際経験のない2人でやってます」 と言い、実際に異性と付き合ったことがない男女のコンビとして知られています。 そのキャラを生かし、恋人ができた時のための練習という設定で、よっちゃんの妄想を花ちゃんが褒めまくるという、実にほのぼのとした漫才を得意としています。 そのほのぼのとした雰囲気の中で突然ブッ込んでくる 「ちゃんと胸、さわりたいですか?」のような急激なセクシー要素がまた面白さの深みを増してきます。 わざとなのか、素なのか、テンポが遅い、素人っぽいしゃべり方や変な間が、またリアリティがあっていいです。 おすすめネタは「ショッピングデート」「刺激的な女になりたい」など。 ペコリーノ 2014年結成 よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属 スペシャルブルームSPありがとうございました! 植木おでんが何かしでかした時は、まぐろさんに頼んで一週間は乗り切りたいです。 — クロコダイル ミユ(ペコリーノ) crocodilemiyu 植木おでん (男) と クロコダイルミユ (女) による大学在学中のコンビ。 もともと植木がミユを好きでコンビを結成したという変わり種で、ネタも植木の願望のような、ミユが植木を好きになったり、妙にボディタッチが多かったりする、 実に気持ちの悪いコントが特長です。 ミユのサディスティックな演技がまた良いのですが、ちなみにミユは植木のことをただ気持ち悪いとしか思っておらず、付き合うことは絶対にないと言い切っています。 Youtubeにはペコリーノ公式チャンネルもあり、ここではさらにエスカレートして、「女の子と手をつなぐ方法」や「好きな人と確実に間接キスする方法」など、もはやセクハラでしかないショートネタを実演しています。 ミユはあきらかに本気で嫌がっていますので、これはもしかすると犯罪かもしれません。 人によってはまったく笑えないマニアックな芸人で、果たしてテレビで通用するかどうかはわかりません。 でもわたしは大好きです。 おすすめネタは「ストーカー」「ヨガ」など。 ラフレクラン 2012年結成 よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属 さん mugendaihall がシェアした投稿 — 2017年 8月月5日午前3時27分PDT ZAZY は「ザズィー」と読みます。 見た目にかなりインパクトのあるZAZYですが、そのネタは見た目以上の衝撃です。 夜中の2時に考えるというシュールな紙芝居のようなフリップネタを得意としていますが、わけがわからなくなるちょっと手前のシュールと面白さのバランスがちょうどいいです。 見た目こそロックオネェみたいですが、バカリズムのようなセンスの良さを感じます。 『ぐるナイおもしろ荘』に出演したけきっかけで、 なんと松任谷由実に気に入られ、ラジオ番組からコンサートにまでゲスト出演を果たしました。 ユーミンのファンの人たちは、喜んだのかな?? おすすめネタは「きぬえおばあちゃん」「転校生」など。 モグライダー 2009年結成 マセキ芸能社 さん twins. chip. dale. lovely がシェアした投稿 — 2018年 3月月23日午前6時49分PDT リーゼントにメガネのイケメン、ツッコミの 芝 と、丸坊主で裸足のボケ、 ともしげ の漫才コンビ。 見た目通りのおバカで滑舌も悪いともしげを、芝が調教師のようにリードしているコンビです。 ともしげがめちゃくちゃなことを言ったり、言い間違いをするのを芝がツッコミの上手さで笑いに変えていくスタイルです。 芝は出番の直前までなんのネタをやるか、ともしげに言わないそうで、その理由は 「練習すると、ともしげがまったく面白くなくなるから」 ということです。 ネタも設定以外はほとんどアドリブで、「日本一練習しないお笑いコンビ」と自ら呼んでいます。 『ゴッドタン』の企画 〈若手の間で「こいつは天才だ!」と一目置かれている芸人〉では、1位に選ばれました。 おすすめネタは「バスのアナウンス」「ゴキブリ」など。 ワタナベエンターテインメントの芸人たちが一堂に会した 《ワタナベお笑いNO. 1決定戦2018 》で、ロッチやハライチ、アンガールズら数々の人気芸人たちを抑えて、優勝という快挙を成し遂げ、賞金300万円を手にしました。 まだキャリアも浅いのにオリジナリティのあるネタが面白く、今後の賞レースにも必ず出てくるだろうと予想しています。 おすすめネタは「ハチミツ」「ラジオ体操」など。 ペンギンズ 2015年結成 サンミュージックプロダクション所属 さん lisasil0225 がシェアした投稿 — 2018年 3月月16日午後10時12分PDT ゆっくりしたテンポで低い声でボケる アニキ に対して、甲高い声の舎弟役 ノブオ が天然な言動で返し、それをアニキがたしなめる、というパターンの、キャラ漫才のコンビ。 まるで任侠映画のような、 アニキと舎弟の深い絆みたいなものまでがちゃんと出ていて、そこがまたじんわりと味わい深いところです。 最近はネタがどんどん進化し、ボケ数も増えて漫才としてさらに面白くなり、ますますキャラが生きていると思います。 M-1もしくはキングオブコントの決勝進出も十分にあり得るのではないでしょうか。 おすすめネタは「アニキに質問」「あいうえお作文」など。 どんぐりパワーズ 2010年結成 ワタナベエンターテインメント所属 さん kojikochankun がシェアした投稿 — 2017年 7月月9日午前1時49分PDT 上野 がギターを弾きながら歌を歌い、横で 田中 が曲に合わせて自作のフリップをめくっていくという、一風変わった芸風のコンビ。 田中は、田中光と言う本名で漫画家としても活動し、 『サラリーマン山﨑シゲル』という単行本が20万部を超えるベストセラー となったので、知っている方もいるかもしれません。 コンビでは、田中は作詞とフリップの絵を担当しています。 ことわざをテーマにしたシュールな紙芝居のようなネタで、哀愁漂うハイクオリティな絵と、ちょっとせつない展開で笑わせてくれます。 おすすめネタは「河童の川流れ」「犬も歩けば棒に当たる」などのことわざソングシリーズ。 また、この4月から、田中はTwitterで『サラリーマン山﨑シゲルかるた』という漫画を「あ」から順に投稿しています。 こちらもとても面白いので、興味のある方はぜひ。 【え】 — 田中 光 avocadohikaru.

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