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26歳で乳がんになってしまった!! 〜初心者にもわかる乳がん記〜

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初めてお越しいただいた方は、まずこちらをお読みください。 長蛇の列と言っても長すぎる! 会場の外までニョロニョロ並んでました。 そして中も激しく人が渦巻いていそう。 夕方になると外にはもうニョロニョロはおらず、建物の中へ。 玄関ホールを横断して向かいの大会議場で手続きに入るのかと思いきや、まだまだ続くニョロニョロ。 並んでる人達も疲れてきちゃってどんどんソーシャルディスタンスが取れなくなっていく。 それでも今はいい時代だわ。 スマホのない頃は暇つぶしもなくボーッと突っ立ってるしか無かった。 だから鞄の中にはいつもには文庫本が入っていたなぁ。 うん、懐かしい。 何とか痛みから気を逸らそうと、そんな事を考えたり世界最大の蛇を調べたり。 1時間半ほどで何とか1冊の商品券を手に入れました。 鎮痛剤も飲んで座れる時は座ったりして身体を庇いながら挑みましたが、後半からは痛みも誤魔化せなくてかなり辛かったです。 商品券の交換は条件をクリアすれば何冊でも交換してもらえるのですか、一度に全部は出来ないのです。 1冊交換したら2冊目は再度並び直さないといけないのですが、人は減っているとはいえ、もう一度耐えれる自信が無い。 今日は全部で3冊分の交換をしたかったけれど絶対無理。 日を変えて来たとしても、夕方の空いてる時間を狙ってもこんなに混むのだから心が折れそうです。 早速相談だ! 「郵送とか違う方法はないでしょうか?」. 並ぶしかない。 そんな都合の良い救済措置は無かった。 ご家族やご友人など代理の方に並んで頂いても、、、と言われましても。 おひとり様はどうすれば? 商品券を手に入れるために友達を何時間も並ばすなんて絶対にナイし。 色々考えたのですよ。 自走式の車イスなら市役所で借りれるけれど、家から交換会場まで車イスを漕いで行くのは遠すぎて肩がモゲる。 いっそタクシー。 ꒪ꇴ꒪ いやいや、タクシー代で商品券の意味なし 「あの、」 相談係さんが声をかけてくれました。 「一度だけなら今なら特別にここに、、、これ位しかできないんですが、、、」 もう締切の時間はとっくに過ぎていて、その最後尾がもう目の前に来ていたのです。 どうぞと言ってくれる人の後を大急ぎでついて行きました。 私はそのまま2冊目も商品券に交換してもらえたのです。 明らかにズルっ子です。 さすがに3冊目は慌てて引っ込めましたが。 わたしね、 相談窓口で並ぶ以外の方法を聞いてる時に、言っちゃってたんですよね。。。 「3冊分だと私には大金だから喜んでたけど、足が痛いからもう並ぶのは無理だわぁ。 あ〜ん、ざんね〜ん」 。• ホンマに最低。 言い訳するなら、本当に「無理だわ残念」って思っただけでクレーマーみたいに何とかしてもらおうなんて思ってなかったんです。 でも、あの場でそんな事を言えば、身体が悪いのを盾にゴネてるのと同じ。 逆差別ってやつだ。 周りの人達のご厚意を、いつの間にか当然と期待してしまっているのか。 身体が悪いんだから、病気なんだからって? 特別待遇にしろって? ホンマにイヤ! 実際、2冊目は交換してもらってるしな! 最低のクズやな! 自分の最低っぷりに、夜は独り自宅でのヤケ酒で誤魔化そうとしましたが、全く浮上できず。 チョーヤ梅酒ぐらいしか家にないしムリか。 自己嫌悪の極み。 マジ最低。 大嫌い。 軽蔑レベル。 一番なりたくない自分がここに居てんの。 ホンマに最低。 でも私、それだけ後悔と反省をしてるのに、実はまだ、こんな事を考えている。 「あと一冊商品券に交換できるけど、もうノコノコと並びに行かれへんよなぁ。 顔を覚えられてるやろうし」 あぁ!ホンマに最低や! 心さんが病気やわ! 誰か私を殴って! 泣きたいのに涙もでーへん。 よろしければお願いします😆 読んでいただきありがとうございます😊 投稿ナビゲーション.

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乳がんブログ11選 / 乳癌闘病記を読む

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妊娠中に乳がん発覚。 生まれた息子はダウン症 今年で結婚11年目を迎えた夫婦がいる。 結婚11年目は「鋼鉄婚式」。 ということで、毎年恒例の夫からのプレゼントは、ペアのステンレス製のタンブラーとアイスキューブだった。 ペアのタンブラー(pumiyさんのブログより) 妻は3年前に最初の乳がんを患った。 「pumiy」と名乗るブログで、日々の闘病生活を赤裸々に発信する「アメーバブログ」の人気ブロガーの一人。 pumiyさんは、1976年生まれの2児の母。 2014年に長女を出産後、1回目の乳がんが発覚し左右両胸を全摘、再建手術を行った。 その後は順調に回復し、待望の第2子を妊娠、仕事にも復帰した。 しかし、全摘手術からわずか1年半後の2017年8月、再び胸骨にシコリを発見。 検査の結果、新たな乳がんが見付かり、さらに肝臓にも転移。 まさかの乳がんステージ4の宣告を受けた。 すでに妊娠8か月。 胎児に影響が及ばない抗がん剤治療をすぐに開始した。 そして、10月には無事長男を出産したが、生後間もなくダウン症とわかった。 (詳しくは ちょうど小林麻央さんのこともあったし…涙が溢れた 最初のがんが発覚してから丸3年… pumiyさんのブログにたびたび登場する、前向きに妻と家族をサポートする『 夫ちゃん』に話を聞いた。 pumiyさん夫婦(pumiyさんのブログより) 「去年の夏ごろかな、口に出しては言わなかったけど、死んじゃう可能性もあるのかなと漠然と思って、一人で道歩いていて気付いたら涙が溢れてきた。 ちょうど小林麻央さんのこともあったし…」 pumiyさんが乳がんを再発し、闘病生活が始まってからは、何かと理由をつくって早くに帰宅、今年3月からは時短勤務で娘の保育園の送り迎えをほとんど担当しているという夫ちゃん。 「会社で憔悴していたつもりはないけれど、ぼーっとしていたのかな。 本当に会社にも迷惑をかけました。 時短はそれを見かねた会社からの提案でした。 時短で給料は減ったけど、少しでも妻の助けになりたい、一緒にいたい、そんな気持ちでした」 その結果、毎日家族全員で晩ご飯を食べ、子供が保育園での出来事などたわいもない話をしてくれることで、病気を忘れさせてくれたこともあったという。 子供を寝かしつけた後に持ち帰った仕事をすることも多かったが、起きている間はずっと子供と一緒。 妻へのサポートとは別に、幼少期の子供と毎日向き合えるという特別な時間となった。 「病気のおかげというと大げさですが、家族一緒の時間が増えたのは『キャンサーズギフトだね』と妻とは話していました」 こう語る夫にpumiyさんは、 「 時短にしてくれて気持ちも家族もハッピーになった。 変化に対応できる人で良かった」と話す。 子供2人と夫ちゃん(pumiyさんのブログより) さらに、pumiyさんを勇気づけてくれたことがあった。 抗がん剤治療を始めれば、髪が抜ける。 母親の変化に娘はどう反応するか… 心配するpumiyさんの様子を見て夫ちゃんはある日、先手を打った。 僕が先行して坊主に 「先に僕が坊主にしちゃおうかと思った。 娘のことを心配していたので、僕が先行して切ってしまえば3歳児はそう言うものだと思うのかなと思って」 「先に僕が坊主に」夫ちゃん(pumiyさんのブログより) pumiyさんは当時のブログでこう綴っている。 『8月の再発確認から毛がなくなる前に、ある日突然夫ちゃんが坊主にして美容院から帰ってきました。 私の髪の毛がなくなる前に、坊主に慣れさせるために、夫ちゃんが先に坊主になってくれたのです。 涙 娘は始め「パパ怖ーい」と言っていましたが、いつのまにか慣れた頃に、私も坊主に。 それもあったからか、私の坊主を怖いと思わなかったのかもしれません。 ほんとに感謝です。 』 すべての縁がつながって今この状態なのでは 病気と闘う妻をどう支えるか。 「妻はがんの再発がわかったとき自分自身をとても責めた。 ちょっとしたシコリがあることに気づいたときに、僕はすぐに診てもらいなさいと言ったけど、定期検診が2~3か月後にあるからと行かなかった。 それを悔やんでいた。 僕は、なってしまったものの要因を探しても意味がないと思っていて、なってしまった以上これから何ができるかを考えよう。 あの時すぐに検査に行ったとしてもわからなかったかもしれないし、逆にわかっていたらお腹にいた長男を諦めようという結論に至ってしまったかもしれない。 わかったときは妊娠後期だったので子供も生む。 並行してできる治療もやるという状況だった。 すべての縁がつながって今この状態なのではないかと思う」 長男はダウン症…生まれて3日後ぐらいに示唆された (pumiyさんのブログより) 治療開始から2か月弱が経ち、長男が生まれた。 体が小さく、筋肉も柔らかく、検査の結果、ダウン症候群とわかった。 「僕がまず示唆された。 生まれて3日後ぐらいに検査受けませんか?と先生から言われた。 僕はダウンちゃんのことはあまり分かってなくて、治るものなんですか?と聞いて、『いいえ治りません』と言われた。 『抗がん剤が影響したことは当然ありません』という話だったが、万が一、妻がそれを気にしたら本当につらいなと思った。 ちょうど友達が病室に来てお祝いしてもらっている最中だったので、この話はしばらくできないと思い、検査を受ける予定日のギリギリまで待って『可能性があるから検査を受けなくちゃいけない』と伝えた」 お腹の中にいる胎児が病気をもっているかどうかを詳しく予測、もしくは診断する「 出生前診断」については、長女妊娠の際に夫婦で話し合ったという。 「今回はバタバタしていて記憶にないが、長女の時はそう言う話があった。 初めて意見の食い違いがあって『検査を受けない』と決めた。 検査を受ける受けないという争点よりも、『分かったときどうする?』という話で、彼女は分かっても生みたい、僕は検査受けて分かったのなら諦めようと言った。 彼女は僕の反応が意外だったようだ。 ハンディを持って生まれてきて順番的に僕たちのほうが先に死んだとして、その子供はどうなる。 それを考えると出産前であれば諦めざるを得ないという考えだった。 人それぞれの考えがあると思うが。 だから逆にわからないで良い、もしそうだったら全力で育てようと思った。 だから検査も受けなかった」 4人家族が僕らの家族。 誰一人ピースとして欠けてはいけない (pumiyさんのブログより) 「 長男がいてくれているおかげで妻も生かされていると思うし、家族が成り立っていると思う。 今の4人家族が僕らの家族なんだなと。 誰一人ピースとして欠けてはいけない。 娘は太陽のような明るい子。 妻は病気に負けていないし、息子は少し個性のある子だけど最強です!」 4人で挑んだがんとの闘い。 願いは叶い、肝臓への転移は消え、12月14日に原発のがんを無事摘出した。 「ステージ4と聞いたときは、子供をどう育てようという発想よりも、妻の居ない寂しさ、妻の居ない僕の人生ってつまらないなと思った。 常に空がどんよりしていた。 ここ1年半ぐらいは常に怖さとの表裏一体だったけど、どこかで大丈夫という気持ちもあって、自分に言い聞かせていたのかもしれない。 医学的には『根治、完治』という言葉は使わないと先生から言われたけど、我が家では一旦『完治』で良いんじゃないかな。 油断しちゃいけないけど、お疲れ様、おめでとう、乾杯!でいいんじゃないかと、妻には伝えたい」 pumiyさん一家(pumiyさんのブログより) 今後はホルモン治療を続けるというpumiyさん。 ブログに綴ることで多くの人から応援メッセージを受け取り、それが心の支えとなり、家族は勇気付けられたという。 これからもその感謝の気持ちを込めて、育児に奮闘する様子などを発信し続け、『夫ちゃん』との結婚記念日をたくさん重ねていきたい、と笑顔で語った。 Pumiyさんのブログ.

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シングルマザーで乳がん 待機児童だった下の子が入園し、仕事にもつき、ようやく生活が整いそうという時、乳がんが発覚! 以前から体調不良になることが増えていました。 疲れやすいのは自分が甘えてるからだ!そう思い、気持ちを奮い立たせては、また体調を壊す、その繰り返しをしていました。 そんな時、乳頭が痛み、ただれるように…。 完全母乳の授乳後だから、デリケートになったのかなと思っていました。 ところがあっという間にしこりが現れ、どんどん拡大し乳がんを疑い、乳腺外科クリニックを受診しました。 その日のうちに、ほぼ乳がんが確定。 検査後、若年性乳がん・ステージ2b・リンパ節転移あり・ タイプと判りました。 恐らくもっと前より罹患していただろうとのことでした。 私にとって、これから!という時。 がんに罹患したショックよりも、そのタイミングの悪さに悔しみ、ひとり親である私は「子どもたちのこと、どうしよう…」 そればかり考えていました。 治療は楽しく前向きに 以前働いていた会社は、ピンクリボン運動をしていました。 そのため、20代でマンモグラフィー経験もあり、乳がんを経験した方と接する機会もありました。 出会った方々は明るく な姿で、中には全摘の傷を見せてくれる方もいました。 そのことから、乳がんだからといって絶望するような恐怖心はありませんでした。 〈せっかくならこの乳がんで何かを得たい!価値あるものにしたい!〉そんな気持ちでした。 抗がん剤の副作用である脱毛は、「1度は丸坊主にしてみたかった!」と抜けていく髪の観察をしたり、子どもたちとウィッグでファッションショーをしたり。 吐き気の代わりに食欲増進しましたが、ここぞとばかりに好きなものを食べたり、味覚障害でピッタリ合うものを料理研究家のように探求したり。 手術入院中には、同じ病室の患者さんと仲良くなって、おしゃべりタイムを作ったり。 若年性乳がんの患者さんがいるコミュニティや、イベントに積極的に参加して、たくさんの同志、友だち、そして現在の親友にも出会いました。 もっと乳がんの事を学びたくて、BEC 乳がん体験者コーディネーター にもなりました。 また抗がん剤中でも、趣味のタヒチアンダンスを続け、発表会にも参加。 加えて乳がんを機に、母が講師のフラダンスを子どもたちと一緒に始めて家族の時間を作りました。 ダンスは、リンパ郭清をして浮腫がひどい腕のリハビリにもなり、生きがいにもなり、あたたかく見守って応援してくださる方々との出会いにも繋がりました。 私にとってこの時期は、病気だけれど充実していて、感謝でいっぱいの毎日を過ごさせてもらっていたと思います。 子どもたちとフラダンス ママの病気は〈がん〉 当時3才と5才の子どもたち。 親は私しかいません。 隠すことはできないし、長く付き合っていく病気だから、小さいなりにでも受け止めてもらうしかなかったですし、子どもたちにとって私の病気はきっとプラスになる、そう信じてそのままを見せてきました。 「ママは、おっばいの病気。 お薬や注射をして、髪の毛だって使って病気をやっつけるんだ!」 そんなふうに、治療の段階や子どもたちの成長に合わせて伝えてきました。 元々賑やかな子どもたちは、私と一緒に病気を1つのイベントのようにして過ごすようになりました。 ただ、今までしていた寝る前の絵本や、公園で汗をかくほど遊んだり、丁寧に子どもと向き合うこと、それがストップしてしまって、子どもの環境も変えてしまうことになりました。 私の病気に合わせた生活になってしまったこと、ごめんね…何度も思います。 治療完了!と思ったら再発 心待ちにしていた、分子標的薬ハーセプチン18回終了。 でも経過観察に入るのは不安でした。 治療後初の がありました。 〈肺に 〉発覚。 両肺にキレイに写った水玉。 また治療に戻ることとなりました。 肺転移がわかり、CVポート埋込の入院時 何もかも変わった2度目の治療 週に1回の抗がん剤と、分子標的薬2種類の治療がスタート。 回数が進むにつれ、前回とは一転。 私の心はどんどん弱くなっていきました。 副作用が重かったこともあり、心も身体もボロボロに…。 続けるはずだった仕事もお休みし、日常生活も出来ず、ほとんどベッドで過ごしました。 子どもの世話も両親に助けてもらうことになりました。 私は綺麗なものを綺麗に見れず、素敵なことも素敵と思えず、短期間でどーんと暗闇に落ちていきました。 病気ではない人たちや、がん患者でも活躍している人たちが眩しすぎて、 自分には価値がないと…。 ネガティヴの固まりでした。 初発でちゃんとがんと向き合っていたつもりが、ただ悲しみから目をそらしていたのかもしれません。 この時になってようやく、〈がん〉であることの苦しみや本当の恐怖を実感しました。 叫びたくてしかたない日々でした。 予想外だったそんな私の状態を見て、情緒不 になりかけていた子どもたち。 でもフォロー出来る気力が持てませんでした。 もし子どもがいなくて私だけなら、治療なんてしないで生きることを頑張らなくなっていいのに。 止めたっていいのに。 どうしてちゃんと育てられないのに、子どもを産んでしまったんだろう。 こんな病気の私なんかじゃなく、もっと幸せになれる家庭に生まれてこれたら良かったのに… 子どもがいて病気になってしまった後悔を考えていました。 そんな中、隣の部屋から子どもたちの大騒ぎと、面倒を見ていた母の叱る声が聞こえてきました。 その時ハッとしたのです。 母にいつまでも頼ってばかりいられない。 治療なんてこなして、生きれるまで生きて、この子たちと長く過ごしたい! 両親も若くはないし、私が死んだら路頭に迷ってしまう。 抗がん剤中のタヒチアンダンス発表会 ステージ4を生きる 「ママのがん治らないの?」 「治らないよ。 でも、がんとお手手つないで仲良く生きてくの。 」 そんな会話をしました。 根治は難しくても、叶えたい夢はたくさんあります。 子どもたちともっと過ごしたい。 ダンスをもっと深く学びたい。 仕事もバリバリしたい。 がん経験者として、思い描いている活動をしたい。 他にもまだまだたくさん。 ステージ4になってしまったし、再治療でつらい思いもして、これからもずっと薬が必要です。 でも、昔から病気に関わらずいつも思っていることがあります。 私の人生はいつも〈今〉が1番良いんです! 過去より今現在のほうがレベルアップしていて、大器晩成中だと。 笑 乳がんになったことは決して最高ではないけれど、最悪でもありません。 ステージ2bに続き、ステージ4時代も 〈がん〉から得られることは、たくさん得たい! そしていつも〈今が1番良い!〉そんな人生にしていきたいです。 子どもたちの成長をしっかりしっかり、見守りながら。。 子どもたち.

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