豊橋 映画。 ええじゃないか とよはし映画祭2020

シネマ

豊橋 映画

公演期間 2020年03月13日~2020年03月15日 劇場 主ホール・アートスペース・創造活動室A・研修室 大 チケット発売日 一般 : 2020年02月08日 ~ 公演内容 【中止のお知らせ 2020年2月28日発表】 新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、主催者判断により本催事は中止となりました。 チケットの払い戻しについては、 <催事に関するお問合せ先> 豊橋市役所シティプロモーション課 0532-51-2179 平日8:30~17:15 映画祭公式HP 日本の真ん中に位置する愛知県。 名だたる映画監督や俳優・女優を排出し、街のあちこちで撮影が行われ・・・と、今、まさに「映画のまち・ロケのまち」になりつつあります。 そんな愛知県豊橋市で開催される「ええじゃないか とよはし映画祭」この地域にゆかりのある俳優・女優や監督などが一堂に会する豊橋ならではの映画祭です。 払戻しはありません。 プログラム・ゲストなど詳細はをご参照ください。 ご了承ください。 3歳未満はひざ上鑑賞に限り無料。 払戻しはありません。 創造活動室A コンペティション主ホール・アートスペース作品のチケットをお持ちの方であれば、チケット提示でご入場いただけます。 有料上映チケットをお持ちでない方は、当日券販売所で、コンペティション専用1日通し券(全席自由・税込1,000円)を販売いたします。 【Pコード】 主ホール上映作品 550-947 アートスペース上映作品 550-948 カンファレンス 551-051 お問合せ 豊橋市役所シティプロモーション課 0532-51-2179 平日8:30~17:15.

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ユナイテッド・シネマ豊橋18(豊橋)上映スケジュール・上映時間:映画館

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所在地 : 愛知県豊橋市 開館年 : 1947年5月 閉館年 : 2000年5月31日 Wikipedia : 1958年の日本住宅明細地図編集社住宅明細地図では「松竹劇場」。 1947年5月、豊橋劇場跡に豊橋松竹映画劇場として開館。 1960年には豊橋松竹会館ビルに建て替え、豊橋松竹と豊橋名画座の2スクリーン体制に。 1963年12月には同一ビル内に松竹ロキシーと松竹シネマを開設。 1985年にはピカデリー1、ピカデリー2、ピカデリー3に改称し、豊橋松竹と合わせて4スクリーン体制に。 2000年に4館とも閉館。 2000年5月末をもって、豊橋市大橋通の映画館「豊橋松竹ピカデリー」が閉館する。 この10年ほどの間に、豊橋市周辺にシネコンが相次いでオープンし、集客力が衰えたことが閉館の理由。 1960年に「豊橋松竹」と「豊橋名画座」の2館で開館。 1963年には「豊橋松竹ロキシー」など2館を増やして現在の4館となった。 1985年の開館25周年を機に、名称を「豊橋松竹ピカデリー」に統一した。 1993年に『REX 恐竜物語』を上映した際には、入口から館内まで怪獣の足跡をかたどったテープを貼って観客を誘導した。 1998年頃には豊川市にシネコン「豊川コロナ」が開館し、1999年には豊橋市藤沢町にシネコン「ホリデイ・スクエア アミューズメントビル」が開館。 豊橋松竹ピカデリーの観客数が減少していった。 豊橋駅前にある他の2映画館とともに「TOYOHASHIシネマパラダイス」を結成し、共通の割引サービスなどを展開したが、時代の趨勢を変えるまでには至らなかった。 5月29日から「さよなら上映」を行い、洋画・邦画の名作12作品を上映する。 所在地 : 愛知県豊橋市藤沢町141 ホリデイ・スクエア 開館年 : 1985年9月 閉館年 : 1995年 Wikipedia : 1985年9月、ホリデイ・スクエア内に研修施設兼用映画館としてホリデイ・イン・シアターが開館。 運営はヘラルドグループ。 2スクリーンを有した。 1995年頃からは研修施設として使用されることが多くなり、1999年に同一敷地内にAMCホリデイ・スクエア18が開館したことで完全に閉館した。 跡地は「ロワジールホテル豊橋」駐車場。 最寄駅を強いて挙げるなら豊橋鉄道渥美線愛知大学前駅。 1985年10月1日、豊橋市のホリデイ・スクエアの一角に映画館「ホリデイ・イン・シアター」が開館した。 都市型ホテルを核とし、ボウリング場・スケート場・レストランなどがある。 10月1日の開館に先立って、9月28日には関係者を招いたオープニングセレモニーが行われ、豊橋市の高橋アキラ市長も祝辞を述べた。 400人収容のシアターAと、200人収容のシアターB。 ロビーにはじゅうたんが敷かれ、ホールにはイタリアのデザイナーが設計した座席が設置されている。 毎日18時と21時の2回上映。 所在地 : 愛知県豊橋市藤沢町141 ホリデイ・スクエア アミューズメントビル内 開館年 : 1999年7月17日 閉館年 : 営業中 Wikipedia : 1999年7月17日にAMCホリデイ・スクエア18として開館。 ユナイテッド・シネマがAMCシアターズを買収したことで、2005年10月1日にユナイテッド・シネマ豊橋18に改称。 開館時から現在に至るまで、日本最大のスクリーン数(18スクリーン)を持つシネコンである。 最寄駅は豊橋鉄道渥美線愛知大学前駅。 1999年7月のオープンを目指し、1999年3月30日には豊橋市藤沢町に総合娯楽ビル「ホリデイ・スクエア アミューズメントプラザ」の上棟式が行われる。 3階から6階が映画館となり、国内最多とされる18スクリーンが設置される予定である。 映画館はアメリカの映画興行会社であるAMCが運営する。 現在の豊橋市には12館の映画館があるが、1998年にはワーナー・マイカル・シネマズ豊川が開館するなどし、設備の更新などでシネコンに対抗している。 2017年1月には豊橋市藤沢町の「ホリデイ・スクエア」にあったイトーヨーカドー豊橋店が閉店した。 同年7月、跡地には10月中旬に「MEGAドン・キホーテ豊橋店」が開店予定であることが分かった。 日本国内のMEGAドン・キホーテ112店の中で最大級の売り場面積になる予定。 ホリデイ・スクエアにある映画館「ユナイテッド・シネマ豊橋18」やボウリング場などのテナントの営業は継続し、MEGAドン・キホーテが中核施設となる。 所在地 : 愛知県豊川市国府町2(1955年)、愛知県豊川市国府町68(1960年) 開館年 : 1905年 閉館年 : 1965年 地図 : 1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「霞座」。 1966年の映画館名簿には掲載されていない。 最寄駅は名鉄名古屋本線・豊川線国府駅。 1905年(明治38年)、現在の豊川市国府町に地元の有力者が資金を出し合って 霞座を開館させた。 霞座はこの地方の中心的な娯楽施設であり、1,100人もの人を収容できた。 1965年(昭和40年)に取り壊された。 1930年(昭和5年)頃の写真あり。 1905年(明治38年)、地元の有力者が資金を出し合って1,100人収容の「霞座」を開館させた。 1965年(昭和40年)まで営業していた。 写真右下を流れるのが音羽川。 堤防いっぱいまで川幅が広がり、水中では子供たちが魚取り等を楽しんでいる。 架かっているのは豊成橋。 豊川市国府町で音羽川に架かる豊成橋付近には、1905年(明治38年)に開館した劇場の「霞座」があった。 美空ひばり、松山恵子、藤島桓夫らが霞座を訪れて興行した。 1949年には校長青年団による演劇「宮本武蔵」が上演された。 記録映画『南極物語』も上映された。 周辺には飲食店・陶器店・人形店などが並び、豊川市内外からの来館者でにぎわった。 豊成橋の対岸には、興行の出演者らが宿泊した旅館「豊成屋」もあった。 霞座は1965年(昭和40年)に取り壊された。 霞座の跡地付近には、老人介護施設「シニアヴィラパトリ」が建っている。 桜ヶ丘ミュージアムが所蔵する霞座の写真あり。 写真とともに町の今と昔を紹介する「発見!セピア色のとよかわ」の13回目は、娯楽劇場の「霞座」。 写真は国府町の音羽川に架かる豊成橋付近の風景である。 一番左の建物が1905年(明治38年)に地元有志の出資によって建てられた「霞座」。 建物の上部にある「霞座」の看板や、客寄せのためののぼりも見える。 1,100人を収容でき、美空ひばりなどの著名人がしばしば来演して賑わった。 「かわいい魚屋さん」で有名な豊川市出身の童謡作曲家・山口保治さんも、子役としてこの劇場の舞台に立った。 1965年(昭和40年)に取り壊された。 資料提供は桜ヶ丘ミュージアム。 昭和初期の豊川駅 所在地 : 愛知県豊川市仁保通30(1955年・1966年) 開館年 : 1947年 閉館年 : 1966年 地図 : 1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「豊川会館」。 1955年の映画館名簿によると豊川会館は鉄筋コンクリート造3階建てである。 1969年の映画館名簿には掲載されていない。 1896年(明治29年)に豊川鉄道株式会社が設立され、1897年(明治30年)に吉田駅(豊橋駅)=豊川駅間が開通した。 1931年(昭和6年)にはモダンな駅舎が完成し、2階が百貨店、3階が映画館という構成だった。 1996年(平成8年)に曲線を描いた橋上駅が完成した。 吉川利明『飯田線 1897〜1997』東海日日新聞社、1997年、pp. 27-28には「豊川映画会館」として掲載されており、映画館としては1966年に閉館したが、演劇・落語・漫才等の上演や映画の上映が可能な劇場として存続したという。 現物は未確認。 所在地 : 愛知県宝飯郡御津町大字西方字中道(1966年) 開館年 : 1928年 閉館年 : 1968年 地図 : 1953年・1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「御津劇場」。 1961年のゼンリン住宅地図では「御津劇場」。 1963年の住宅地図では「御津劇場」。 1969年の映画館名簿には掲載されていない。 1973年のアイゼン住宅地図では跡地が空き地になっている。 最寄駅はJR東海道本線愛知御津駅。 1928年(昭和3年)に発足した御油駅前融通講によって資金調達等が行われた。 同年5月、国鉄御油駅(現・愛知御津駅)の北約200m、京楽座跡地の西隣に 御津劇場が開館した。 木造2階建てで、客席は畳敷だった。 売店を備え、下足番もいた。 当初は芝居や浪曲主体の興行だったが、活動写真の興行が始まると、活動弁士と楽隊が観客を沸かせた。 やがてトーキーに変わり、レビューや漫才も登場し、戦時中には時局映画も上映された。 戦後の一時期には大江美智子など著名な俳優も来演してにぎわった。 テレビの普及で映画は衰退し、1968年(昭和43年)には閉館した。 1971年(昭和46年)4月、不慮の火災で建物が焼失した。 所在地 : 愛知県豊川市豊川町乃通10(1955年・1963年・1966年・1969年) 開館年 : 1947年 閉館年 : 1969年以後1973年以前 地図 : 1959年の全商工住宅案内図帳では「豊川東映劇場」。 1961年の盟邦出版社住宅地図では「豊川東映映画館」。 1963年の住宅地図では「豊川東映」。 1960年・1963年の映画館名簿では「豊川東映」。 1966年・1969年の映画館名簿では「豊川東映劇場」。 1973年の映画館名簿には掲載されていない。 1973年のアイゼン住宅地図では跡地に「豊川グランドショッパー」。 豊川市最後の従来型映画館。 跡地は「豊川進雄神社」南側の空き地。 最寄駅はJR飯田線豊川駅・名鉄豊川線豊川稲荷駅。 所在地 : 愛知県豊川市正岡町流伝580(1995年・1997年) 開館年 : 1989年12月31日 閉館年 : 1998年 1990年の映画館名簿には掲載されていない。 1995年・1997年・1998年の映画館名簿では「豊川ドライブインシアター」。 1992年・1996年の住宅地図では「ドライブインシアターとよかわムービー」。 1999年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「ブックマーケットエーツー豊川店」や「じぶんまくら豊川店」など。 最寄駅はJR飯田線牛久保駅。 1989年12月31日夜から、豊川市正岡町のドライブインシアター「とよかわムービー」が営業を始める。 愛知県では春日井市に次いで2番目のドライブインシアターであり、小牧市に本社を置く株式会社コロナが建設した。 5000平方メートルの敷地に90台収容のシアター駐車場があり、縦12メートル・横16メートルのスクリーンを設けている。 映画の音声はFM電波で車のラジオに流す。 入場料は1台1600円であり、2人以上乗車した場合は何人でも3200円。 19時15分から1日2回の上映を予定している。 初上映作品は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。 所在地 : 愛知県豊川市下長山町上アライ14-1 開館年 : 1989年 閉館年 : 営業中 地図 : 1990年・1995年の映画館名簿では「豊川シネマ1-7・豊川コロナ」(8館)。 2000年・2005年の映画館名簿では「豊川コロナワールド1-8」(8館)。 2010年・2015年の映画館名簿では「豊川コロナシネマワールド1-10」(10館)。 最寄駅はJR飯田線牛久保駅。 1989年に豊川コロナタウンがオープンし、2000年にリニューアルオープンした。 施設の老朽化のために2007年内には建て替え工事に入る予定であり、2009年にリニューアルオープンを目指す。 映画館・カラオケ店・パチンコ店・飲食店など既存の機能に加えて、ホテルや温泉が新設される。 コロナグループは同様の総合遊戯施設を全国で16店舗展開している。 2010年、豊橋市忠興の元会社員である小林孝至(61)から蒲郡市博物館に、1960年代後半ごろの蒲郡市内の映画館月間プログラムが寄贈された。 寄贈品の一部は同館で開催中の企画展「蒲郡にも映画館があった」で展示されている。 プログラムは「中央東映」「蒲映」「三谷日活」「蒲劇」の4館の計204枚。 その月の上映日程や各作品の出演者などを写真やイラスト付きで紹介している。 1964年(昭和39年)7月の「蒲劇」のプログラムは、吉永小百合さん主演の「光る海」などの上映を「サヨウナラ興行」と題しており、蒲劇は1964年7月に閉館したことがわかる。 この企画展では、2000年を最後に市内から姿を消した映画館の記録を各種資料で紹介。 会期は22日までの予定だったが、今回の寄贈に合わせて9月5日まで延長した。 1965年の商工名鑑には、映画館として「中央東映」、「蒲郡映画劇場」、「恵比寿映劇」、「三谷劇場」、「形原映画劇場」、「三海館」の6館が掲載されている。 中央東映は、代表者が清水五雄、所在地が蒲郡町中の坊39-1、従業員が10人。 蒲郡映画劇場は、代表者が清水五雄、所在地が小江町西梶前22-1、従業員が8人。 恵比寿映劇は、代表者が大場愛二郎、所在地が三谷町平口1、従業員が8人。 三谷劇場は、代表者が竹内与吉、所在地が三谷町八舗92、従業員が8人。 形原映画劇場は、代表者が加藤喜巳夫、所在地が形原町東中畑、従業員が2人。 三海館は、代表者が岩瀬隆裕、所在地が形原町三浦町17、従業員が8人。 1979年の商工年鑑には、映画館として「蒲郡映画劇場」、「蒲郡中央東映」の2館が掲載されている。 蒲郡映画劇場は、代表者が清水五雄、所在地が港町4-13、従業員数が不明。 蒲郡中央東映は、代表者が三浦三郎、所在地が中央本町15-15、従業員数が10人。 現在の蒲郡市域には計7館の映画館があった。 旧蒲郡市に蒲郡劇場(中央本町)と蒲郡中央東映劇場(中央本町)と蒲郡映画劇場(港町)の3館、旧三谷町に三谷映画劇場と恵比寿映劇の2館、旧形原町に三海館と形原劇場の2館があった。 1969年12月27日の『蒲郡新聞』には蒲映と中央東映と恵比寿と三谷日活の4館が掲載されており、蒲映では『出発進行』『全員集合! 1970年4月1日の『蒲郡新聞』には蒲映と中央東映と恵比寿と三谷日活の4館が掲載されているが、4月4日の『蒲郡新聞』には蒲映と中央東映の2館となっている。 最後の広告によると、恵比寿は『初もの喰い』『クレージーの大爆発』『性の執念』(2月28日まで)、三谷日活は『ウィル・ペニー』『バスタード』(3月3日まで)。 1970年12月26日の『蒲郡新聞』「映画演劇案内」には蒲映と中央劇場の2館が掲載されており、蒲映では『そっとしといて十六才』『甘い経験』、中央劇場では『おさな妻』『悪い遊び』を上映している。 所在地 : 愛知県宝飯郡西浦町西馬相(1960年)、愛知県宝飯郡西浦町西馬相13(1963年) 開館年 : 1956年頃 閉館年 : 1963年以後1965年以前 1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。 1957年の映画館名簿では「西浦会館」。 1960年の映画館名簿では「西浦映画館」。 1961年・1962年の映画館名簿では「西浦映画劇場」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「西浦会館」。 1963年の映画館名簿では「西浦会館」。 1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。 1969年のアイゼン住宅地図では跡地に「アキヤ」。 跡地は「守屋タバコ店」はす向かいの民家。 愛知県道321号(幡豆街道)沿い。 最寄駅は名鉄蒲郡線西浦駅。 所在地 : 愛知県蒲郡市三谷町字八舗92(1953年・1955年)、愛知県蒲郡市三谷町8-92(1963年・1966年・1969年) 開館年 : 1928年以前 閉館年 : 1969年以後1971年以前 1953年・1955年の映画館名簿では「三谷映画劇場」。 1960年・1963年の映画館名簿では「三谷日活映劇」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「三谷日活」。 1966年・1969年の映画館名簿では「三谷日活映画劇場」。 1965年のゼンリン住宅地図では「三谷日活館」。 1969年のアイゼン住宅地図では「三谷日活」。 1971年の住宅地図には記載なし。 1973年の映画館名簿には掲載されていない。 国道23号「八舗」交差点西50mのアパート「クレール八舗A・B」。 最寄駅はJR東海道本線三河三谷駅。 鈴木源一郎『道標 東三河』東三河郷土史刊行会、1968年には「三谷日活映画劇場」について言及されているらしい。 現物は未確認。 国立国会図書館デジタルコレクションでは図書館送信参加館内公開。 所在地 : 愛知県宝飯郡形原町(1950年)、愛知県宝飯郡形原町字三浦町17(1953年)、愛知県宝飯郡形原町(1955年)、愛知県宝飯郡形原町大字形原三浦町(1960年)、愛知県蒲郡市形原町三浦町17(1963年・1966年・1969年) 開館年 : 1950年以前 閉館年 : 1971年以後1973年以前 1950年・1955年の映画館名簿では「三海館」。 1960年・1963年の映画館名簿では「三海東映」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「三海館」。 1966年・1969年の映画館名簿では「形原三海館」。 1969年のアイゼン住宅地図では「三海館」。 1971年の住宅地図には三海館が記載されている。 1973年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「レストラン三海」。 映画館時代の建物が現存。 最寄駅は名鉄蒲郡線形原駅。 建設中の形原劇場 所在地 : 愛知県宝飯郡形原町(1930年・1936年・1950年)、愛知県宝飯郡形原町東中端4(1953年)、愛知県宝飯郡形原町(1955年)、愛知県宝飯郡形原町東中端(1960年)、愛知県蒲郡市形原町東中端(1963年)、愛知県蒲郡市形原町東中端14(1966年)、愛知県蒲郡市形原町東中端(1969年) 開館年 : 1918年10月 閉館年 : 1971年以後1973年以前 『全国映画館総覧 1955』によると1918年10月設立。 1930年・1936年・1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「形原劇場」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「形原劇場」。 1965年のゼンリン住宅地図では「形原劇場」。 1969年のアイゼン住宅地図では「形原劇場」。 1971年の住宅地図では「形原劇場」。 1973年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は民家。 「近藤鉄工所」の南東20m。 最寄駅は名鉄蒲郡線形原駅。 「形原劇場」は形原町の娯楽の殿堂であり、コミュニケーションの場だった。 この劇場と同じころ、三谷の「恵比寿座」で初めて活動写真が上映されている。 所在地 : 愛知県蒲郡市三谷町字八舗8(1955年)、愛知県蒲郡市三谷町平口(1960年)、愛知県蒲郡市三谷町平口1-1(1963年)、愛知県蒲郡市三谷町平ロ-1(1966年・1969年)、愛知県蒲郡市三谷町平口1(1973年) 開館年 : 1950年以前 閉館年 : 1975年頃 1950年の映画館名簿では「恵比寿座」。 1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「恵比寿映劇」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「エビス座」。 1965年のゼンリン住宅地図では「エビス座」。 1966年・1969年の映画館名簿では「三谷恵比寿映画劇場」。 1969年のアイゼン住宅地図では「エビス座」。 1971年の住宅地図にも記載あり。 1973年・1975年の映画館名簿では「恵比寿映画劇場」。 1976年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「八劔神社」社殿東側にある「音羽屋駐車場」。 最寄駅はJR東海道本線三河三谷駅。 所在地 : 愛知県蒲郡市蒲郡町(1961年・1962年)、愛知県蒲郡市中央通6(1963年)、愛知県蒲郡市中央本町15-15(1966年・1969年・1973年・1976年・1980年) 開館年 : 1960年以後1963年以前 閉館年 : 1985年以後1990年以前 1960年の映画館名簿には掲載されていない。 1961年・1962年の映画館名簿では「中央劇場」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「中央東映」。 1963年・1966年・1969年・1976年・1980年の映画館名簿では「蒲郡中央東映劇場」。 1965年のゼンリン住宅地図では「中央東映」。 1969年のアイゼン住宅地図では「中央東映」。 1985年の映画館名簿では「蒲郡中央東映」。 1990年の映画館名簿には掲載されていない。 映画館時代の建物が現存。 跡地は2019年9月28日閉店の「スーパーおおば」廃墟。 最寄駅はJR東海道線・名鉄蒲郡線蒲郡駅。 昭和30年代の蒲郡映画センター 所在地 : 愛知県宝飯郡蒲郡町(1950年)、愛知県蒲郡市小江町西梶前(1955年)、愛知県蒲郡市小江西加梶前22(1960年)、愛知県蒲郡市小江町西梶前22-1(1963年)、愛知県蒲郡市小江町西梶前22(1966年)、愛知県蒲郡市港町4-13(1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年) 開館年 : 1939年 閉館年 : 2000年1月31日 1950年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年の映画館名簿では「蒲郡映画劇場」。 1962年の西宝地区住宅明細地図では「蒲郡映画館」。 1965年のゼンリン住宅地図では「蒲映」。 1969年のアイゼン住宅地図では「蒲映」。 2005年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「中国麺飯食堂マルナカ」西側の「アルバックス蒲郡ステーションタワー」駐車場。 最寄駅はJR東海道線・名鉄蒲郡線蒲郡駅。 「蒲映」とも。 2010年7月30日から8月22日には、蒲郡市博物館で蒲映の資料を基にした「広告でたどる庶民のくらし展 Part1 蒲郡にも映画館があった」が開催されている。 蒲郡駅南の港町には映画館の蒲郡映画センターがあった。 1939年(昭和14年)、共栄座の跡地に蒲郡映画センターとして建設され、蒲郡映画劇場ともよばれた。 蒲郡には蒲郡映画劇場のほかに、蒲郡劇場、1941年(昭和16年)に焼失した歌舞伎座などの娯楽施設があり、市川雷蔵や音羽信子など多くの名優が幕上げ興行に招かれている。 2000年(平成12年)1月には蒲郡映画センターが閉館し、2005年(平成17年)現在は空地となっている。 蒲郡映画センターの横には新世界ビルがあった。 2000年1月31日に約50年の歴史を終えた「蒲郡映画劇場」が、35ミリ劇場用映写機一式を蒲郡市博物館に寄贈した。 蒲郡映画劇場は蒲郡市最後の映画館として親しまれた。 蒲郡市博物館は戦後の文化史を伝える資料として市民に公開する。 寄贈したのは経営者の清水五雄(68)。 映写機は約30年前に作られ、愛知県で現存するのは数少ない貴重な品という。 JR・名鉄蒲郡駅南側の飲食店街にある蒲郡映画劇場は、清水五雄の父である清水橋一郎が、昭和初期に芝居小屋の「共栄座」として創業。 戦後間もなく常設の映画館に転換した。 映画全盛期の昭和20-30年代は連日観客であふれた。 繊維産業の隆盛時には、全国から集まった織り子さんたちの憩いの場にもなった。 一時は蒲郡市内に8館もあった映画館は相次いで閉館し、蒲郡映画劇場だけが残っていた。 2010年8月22日まで、蒲郡市博物館で映画黄金期を振り返る企画展「蒲郡にも映画館があった」が開催されている。 最盛期の1950年代には、蒲郡市内に映画館が9館もあった。 蒲郡市最後の映画館として2000年に閉館した「蒲映」から寄贈を受けた資料を中心に、各館の関係者から借り受けた映画のプログラム類やチラシ、写真、ポスターなど約400点を並べた。 舞台挨拶に訪れた俳優の写真や、蒲映で使われていた映写機なども展示している。 2018年3月2日・3月3日、新城文化会館で「しんしろまちなか映画祭2018」が開催される。 昭和30-40年代の新城市中心部には映画館が2館あり、自宅にこもりがちな高齢男性に外出の機会を与えるために地元住民らが企画した。 『ローマの休日』、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』、西部劇の『シェーン』、新城市でもロケが行われた樹木希林主演の『あん』などが上映される。 JR新城駅や市役所の近くには、昭和の半ばごろまで「新富劇場」「昭和映画劇場」という2軒の映画館があった。 当時の新聞紙面には上映作品の案内が掲載されており、2018年3月2日・3月3日には「しんしろまちなか映画祭2018」の関連企画として新城文化会館で上映作品のポスター展が開催された。 石原裕次郎主演の『銀座の恋の物語』、旗本退屈男シリーズの『謎の幽霊島』、西部劇の『リオ・ブラボー』など65点が展示された。 映画監督の山川直人(1957年生まれ)は新城市出身。 中学生の時に地元の映画館が閉館したため、テレビで西部劇などの洋画をよく見たほか、新城東高校時代には邦画を見るために豊橋や名古屋に出かけた。 所在地 : 愛知県南設楽郡新城町宮ノ西(1955年)、愛知県新城市栄町11(1960年)、愛知県新城市新城町(1963年)、愛知県新城市字宮の西11-6(1966年) 開館年 : 1906年、1946年 閉館年 : 1966年以後1969年以前 『全国映画館総覧 1955』によると1906年設立。 1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「新富劇場」。 1966年の映画館名簿では「新城新富劇場」。 1969年のアイゼン住宅地図では「新富劇場」。 1969年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「みよし屋旅館」奥の「月極新富駐車場」。 戦時中の新富劇場は軍の施設として使用された。 終戦後の1946年(昭和21年)に改装して 新富劇場に改称し、映画、演劇、歌謡の興行を行う施設として再出発した。 村田英雄、淡谷のり子なども来館している。 「緑はるかに」「カラコルム」「にあんちゃん」「小鹿物語」などを学校から先生に引率されて見に行った。 昭和30年代が入場者数のピークであった。 新城駅前のみよしや旅館を右へ曲がったところにある新富駐車場が 新富劇場の跡地であり、昭和40年代まで建物があった。 1958年の昭和映画劇場 所在地 : 愛知県新城市本町215(1963年)、愛知県新城市町並215(1966年・1969年・1973年) 開館年 : 1955年以後1960年以前 閉館年 : 1973年以後1976年以前 1955年の映画館名簿には掲載されていない。 1960年の映画館名簿では「昭和映劇」。 1963年の映画館名簿では「昭和映画劇場」。 1966年の映画館名簿では「新城昭和映画劇場」。 1969年のアイゼン住宅地図では「昭和映画劇場」。 1969年・1973年の映画館名簿では「昭和映画劇場」。 1976年の映画館名簿には掲載されていない。 「昭映」とも呼ばれた。 跡地は「JA愛知東中央支店」東側の駐車場。 本町(現在の新城市町並)には昭和映画劇場があった。 新富劇場とともに新城市街地にあった常設映画館2館のうちのひとつである。 所在地 : 愛知県八名郡大野町中野(1955年)、愛知県南設楽郡鳳来町大野(1960年・1963年) 開館年 : 1953年以前 閉館年 : 1963年以後1965年以前 1953年・1955年・1960年の映画館名簿では「春日座」。 1963年の映画館名簿では「大野劇場」。 1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。 1969年のアイゼン住宅地図では確認できなかった。 現在の新城市大野地区にあった唯一の映画館。 跡地は空き地。 「三河大野郵便局」の東30m。 登録有形文化財建造物「大野宿鳳来館」の南西100m。 時期不明だが春日座の写真あり。 1893年(明治26年)には江戸時代の弘化年間(1844年-1848年)に建設された劇場を改築して大野学校が開校したことから、この劇場に代わる施設として五番組に春日座が開館した。 大正時代からは映画も上映され、大野劇場に改称されたのち、1955年(昭和30年)頃まで親しまれた。 )昭和40年代に火燈山から見た大野市街地の遠望にも春日座が写っている。 かつて宿場町としてにぎわった大野地区。 春日座(大野劇場)という映画館があった。 主に日活系の映画を上映し、石原裕次郎や赤木圭一郎などの作品が上映された。 所在地 : 愛知県渥美郡田原町大字田原(1955年・1958年・1960年・1963年)、愛知県渥美郡田原町東尾大浜76(1965年)、愛知県渥美郡田原町(1966年・1969年) 開館年 : 1930年以後1936年以前 閉館年 : 1967年 1930年の映画館名簿には掲載されていない。 1936年の映画館名簿では「東英館」。 1950年の映画館名簿には掲載されていない。 1953年の映画館名簿では「東英館」。 1955年・1960年・1963年・1966年・1967年の映画館名簿では「田原東英館」。 1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。 1969年の映画館名簿では「田原シネマ」。 跡地は「豊橋鉄道渥美線三河田原駅」前にある「居肴屋げんき村」の東側の道路。 2000年代以後の道路整備で道路割が大きく変化しているので参考程度に。 田原市の中心市街地活性化のために、女性グループがまちなかマップづくりに取り組んでおり、2016年2月下旬の完成を目指して作業を進めている。 40年以上前にあったという映画館や、今は駐車場になっているローラースケート場についての紹介もある。 名前は「ちんちこちんマップ」。 所在地 : 愛知県渥美郡福江町字浜田(1955年)、愛知県渥美郡福江町福江10(1960年)、愛知県渥美郡渥美町福江10(1963年・1966年) 開館年 : 1909年 閉館年 : 1967年 1930年・1936年の映画館名簿では「福江座」。 1950年の映画館名簿には掲載されていない。 1953年・1960年・1963年の映画館名簿では「福江劇場」。 1965年の映画館名簿には掲載されていない。 1966年の映画館名簿では「福江劇場」。 1967年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。 跡地は「福江第一公民館」。 1909年(明治42年)、渥美郡福江町(後の渥美町)に芝居小屋の「福江座」が開館。 回り舞台もあったが、昭和になって映画館に転身した。 1965年(昭和40年)頃の写真あり。 田口劇場を訪れた東海林太郎 2002年、設楽町教育委員会は図録『写真で見る郷土の20世紀』を450部発刊。 大正時代から現代までの220枚の写真で「官公庁と公共施設」「集落と町並み」「自然景観」「産業」などを解説。 1934(昭和9年)年の田口商店街を再現した略図や、1900年から1988年までの年表もある。 表紙は1960年代前半にあった古い映画館の写真。 かつて田口は北設楽郡の中心地であり、官公庁が数多くあったにぎやかな町だった。 豊橋鉄道田口線の電車が走り、長野県の根羽や新野、静岡県の佐久間へ行くバスがあった。 映画館は2軒あった。 1959年(昭和34年)9月には 田口キネマで米国映画『黒い雄牛』を上映。 その日の夜には伊勢湾台風の豪雨で鹿島川があふれ、現在の農協や郵便局の周辺にあった田んぼが一面水浸しになった。 になった。 設楽町でタブロイド判1ページの古い新聞『北設新報』が発見された。 1955年には田口の町に2つの映画館が誕生。 それまではナトコ映画が娯楽の王座だった。 休館中の設楽町立奥三河郷土館で田口劇場と田口キネマの宣伝用チラシが発見された。 名画やB級映画など計326枚。 収蔵品の整理中に石井峻人 33 学芸員が発見した。 1994年に町民から寄贈されたが公開されないまま眠っていた。 田口劇場の開館は1955年5月。 やや遅れて田口キネマが開館。 田口劇場で映写技師を務めた松尾義吉 84 は「田口劇場は大映、日活、新東宝系。 田口キネマは松竹、東映、東宝系だった」。 フィルムが送られてくるのは名古屋や豊橋での封切りから1か月ほど後。 正月や盆は朝から深夜までトイレに行く暇もないほどだった。 興行は2本立てから3本立て。 3日前後で次の作品と入れ替えた。 1963年9月には田口劇場が閉館、その後まもなく田口キネマも閉館。 奥三河郷土館では職員がチラシを1枚ずつファイルに収めて詳細なリストを作成中。 昭和30年代の田口劇場 所在地 : 愛知県北設楽郡設楽町田口字井戸入(1958年)、愛知県北設楽郡設楽町大字田口字井戸入6(1960年・1963年) 開館年 : 1955年頃 閉館年 : 1963年9月 1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。 1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「田口劇場」。 1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。 映画館の建物が交差点にあったわけではなく、南北の道路は映画館閉館後に建設されたものである。 1955年頃には田口劇場が、やや後れて田口キネマが開館する。 昭和30年代。 田口劇場は映画の常設館で、『男は爆発する』のノボリが掲げてある。 設楽町田口で田口劇場を興業したのは商店「ヤマハチ」の主人だった。 盆や正月には大いににぎわった。 三島由紀夫原作・新藤兼人監督・月丘夢路主演の映画『美徳のよろめき』のポスターが見える。 昭和30年代には田口劇場に歌手の東海林太郎が来訪した。 : 「40年間、夢と感動ありがとう 『映画館豊橋松竹ピカデリー』 来月末で閉館 大型館続々…集客減 あすからさよなら上映」『中日新聞』2000年4月28日• : 「ホリデイ・イン・シアター オープニングセレモニー」『中日新聞』1985年10月17日• : 「豊橋に新映画館 最多18館備え 7月にオープン」『中日新聞』1999年3月27日• : 「メガドンキ10月開業へ 豊橋 イトーヨーカドー跡地」『中日新聞』2017年7月11日• : 豊川市商工課『豊川市商工名鑑 市制20周年記念』豊川市・豊川商工会議所、1963年、p. : 中日新聞本社編『写真集 愛知百年』中日新聞本社、1986年、p. 191• : 「そこに刻まれた轍 ほのくに幻影物語」『東愛知新聞』2018年11月10日• : 豊川市役所Facebook• : 『東三河今昔写真集』樹林舎, 2005年• : 吉川利明『飯田線 1897〜1997』東海日日新聞社、1997年、pp. 27-28• : 御津町史編さん委員会『みと歴史散歩』御津町、2000年、p. : 「豊川にドライブイン・シアター 31日夜から営業」『中日新聞』1989年12月29日• : 「豊川コロナワールド 老朽化で建て替え」『中日新聞』2007年7月3日• : 「60年代蒲郡にあった4映画館 懐かしのプログラム寄贈 豊橋の小林さん 思い出の品博物館に」『中日新聞』、2010年8月21日• : 『79 商工年鑑 蒲郡』蒲郡商工会議所、1979年、p. : 鈴木源一郎『道標 東三河』東三河郷土史刊行会、1968年• : 『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 蒲郡』樹林舎, 1979年• : 『東三河今昔写真集』樹林舎, 2005年• : 「蒲郡映画劇場 先月で閉鎖 映写機 市博物館で公開へ 経営者の清水さん寄贈」中日新聞、2000年2月19日• : 「蒲郡市内にあった映画館の記録紹介 チラシや写真展示」中日新聞、2010年8月4日• : 「高齢男性に集う機会を 新城の住民ら 3月に映画祭 初企画」中日新聞、2018年1月19日• : 「昭和期の名画ポスター特別展 新城の2館での上映作品」中日新聞、2018年3月1日• : 『東三河今昔写真集』樹林舎, 2005年• : 『豊川・蒲郡・新城・北設の昭和』樹林舎, 2011年• : 大野ふるさと委員会『歴史写真集ふるさと大野』大野ふるさと委員会、2016年、p. 18-19、p. : 『HORAI 町制40周年記念誌』鳳来町、1996年? 新城図書館の情報コーナーで確認。 愛知県のどの図書館でも蔵書扱いされていない? : 作手村誌編集委員会『作手村誌 本文編』新城市、2010年• : 「市街地地図、思い出も込め 今はなき映画館など88カ所紹介」朝日新聞、2016年2月5日、23頁• : 中日新聞本社編『写真集 愛知百年』中日新聞本社、1986年、p. 191• : 「20世紀の設楽 懐かしい写真 町教委が図録発刊」中日新聞、2002年5月31日• : 「野生動物の動画カメラマン 伊藤千尋さん(63)温かさ通う町 設楽」中日新聞、2013年9月30日• : 「往時の映画チラシ発見 設楽の2館 名画やB級326枚」中日新聞、2018年1月11日• : 『写真で見る郷土の20世紀』設楽町教育委員会〈したらの文化財14〉2002年、p. : 『写真で見る郷土の20世紀』設楽町教育委員会〈したらの文化財14〉2002年、p. : 『豊川・蒲郡・新城・北設の昭和』樹林舎, 2011年.

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豊橋松竹映画劇場

豊橋 映画

1931年竣工の 1901年(明治34年)にはにて、豊橋で初めての上映が成功した。 大正期には演劇場やから映画館への転換が進み、大正末期(1913年頃-1915年頃)には豊橋市街地に6館の、1940年(昭和15年)末には8館の映画館が存在した。 1945年(昭和20年)6月のでは中心市街地の7割が消失し、一時的に豊橋から映画館が消滅したが、戦後には1950年までに7館の映画館が開館している。 1960年(昭和35年)頃の映画最盛期、豊橋市の中心市街地には12館の映画館があり 、前、歓楽街の松葉町、広小路通り沿いなどに集中していた。 中心市街地以外には、やの工場がある南栄町、宿場町であるにも1館ずつあった。 映画館の周囲には喫茶店が軒を並べており、映画館は人々の交流の場だった。 1999年(平成11年)には日本最大級のであるAMCホリデイ・スクエア18(現・)が開館した。 2000年代初頭には従来型映画館の閉館が進み、2001年(平成13年)には中心市街地最後の映画館・が閉館した。 歴史 [ ] 明治期 [ ] 豊橋を代表する劇場の(左)、豊橋劇場(上) 江戸時代には手間町(現・大手町)の西光寺西隣に西向きのがあり、地域名を冠して吉田常芝居と呼ばれていた。 公然と芝居小屋を許可する藩は少なく、馬繋ぎ場という名目で天保5年(1834年)以降に新築したとする説がある。 一方で、文政5年(1822年)の文献にも吉田常芝居が登場する。 天保初期には名代が大田屋佐平次から朝倉屋猪三郎に交代し、1873年(明治6年)-1874年(明治7年)頃には吉田常芝居がと命名された。 1900年(明治33年)には呉服町にが設立された。 江戸時代の常設小屋が東雲座の起源であり、1,185人を収容できる大劇場だった。 豊橋がやを行う頃には有力者の政談場としても使用されたという。 明治時代には東雲座のほかに、、、、などの演劇場があり、やなどの著名歌舞伎俳優が豊橋で公演を行っている。 1901年(明治34年)10月には上伝馬本通りの東側中央にあったで、豊橋ではおそらく初とされるの上映が行われた。 それまでの豊橋で活動写真の上映会が企画されたことはあったが、いずれも失敗していたという。 全国を巡回して活動写真の普及に努めていた巡業隊によるものだとされる。 この時の上映会ではや戦争の動画が上映された。 1907年(明治40年)にで行われた一座の「影法師」、で行われた・一座の「貞奴新案舞曲鶴亀」などは、連日満員となるほど好評を博した。 1911年(明治44年)には新停車場通りの清水町にが設立され 、「マムシ薬」と大書きされた看板が市民にインパクトを与えた。 大正期 [ ] 大正期に映画館に転換した 1912年(大正元年)頃、豊橋には演劇場4座(、、、)、演芸場1座()、映画館1館()があった。 しかしその後、の人気が高まるにつれて演劇場の映画館への転業や廃業が進んだ。 時代の大正初期には、文芸物、などが中心だった。 頃にはから輸入される作品が増え、大正末期には外国映画がをしのぐようになった。 大正時代の映画館は邦画・洋画を取り交ぜて1日5-6本上映。 一日の上映が終了するのは22時30分から23時頃であった。 夏季には空き地で活動写真の上映会が開催された。 1921年(大正10年)8月13日にはが映画館に転換してとなった。 開館式には1,000人あまりが集まり、芸妓100人あまりも集めた祝宴後に一般客に開場された。 同年にはとも開館しており、豊橋の映画館は5館に増えた。 1924年(大正13年)には広小路の東隣付近にあったがに改称した。 同年にはで監督の『』が大ヒットしている。 戦前 [ ] 後の豊橋市街地 1933年(昭和8年)にはが廃業したため、豊橋の劇場は演劇場2座、演芸場1座、映画館7館となった。 同年頃には作品の移行が目立ち始めたため、や楽士の一斉失業という問題が表面化。 全常設館の全従業員が組合を結成し、経営者を相手取ってストライキを行った。 1940年(昭和15年)末には豊橋の演劇場の代表格だったが映画館のに転換し 、豊橋の映画館は8館となった。 これによって 、 、 、 などが焼失し、一時的に豊橋から映画館が消えた。 戦後 [ ] 戦後に整備された駅前大通(1958年) 終戦後の1945年(昭和20年)末にはの焼け跡にが 、 新銭町にが開館した。 1946年(昭和21年)には松葉町にが 、跡にが開館し 、1947年には松葉町にが開館している。 第一映画劇場は1949年(昭和24年)に封切館となり、に改称。 1950年(昭和25年)には萱町に移転した。 1950年には百貨店のが駅前大通に移転したのを機に、丸物3階にが開館した。 の『全日本映画館録』によると、1957年の豊橋市には10館の映画館があった。 の開学や工場建設などのおかげで、1950年代以後の南栄地区は「豊橋の副都心」と呼ばれるほどの賑わいを見せ 、1959年(昭和34年)には南栄町にが開館した。 同じ年にはの大岩町にが開館しており、映画最盛期には豊橋の中心市街地以外に2館の映画館が存在した。 日本の映画館数のピークは放送が開始された1960年(昭和35年)頃である。 1960年代には映画館の閉館が相次いだ。 1961年(昭和36年)には やが 、1964年(昭和39年)にはが閉館 、1966年(昭和41年)にはが 、1968年(昭和43年)にはが閉館し 、中心市街地以外から映画館が消えた。 1970年(昭和45年)にはが 、1973年(昭和48年)にはが閉館した。 この頃には閉館ラッシュが落ち着きを見せ、1970年代半ば以降の豊橋の映画館は広小路劇場、、、、豊橋銀座東映劇場(成人映画館)、日活小劇場(成人映画館)に再編された。 1985年(昭和60年)には郊外の藤沢町にあるに、のホリデイ・イン・シアターが開館 したが、豊橋西武が閉店する6年前の1997年(平成9年)にはが閉館した。 なお、平成に入った1989年(平成元年)に豊橋市街北東の市境に近い正岡町にも備えたが開業 している。 1999年(平成11年)にはにが開館。 この映画館は18スクリーン・計3,300席を持ち、開館時はスクリーン数で日本最大のだった。 AMCホリデイ・スクエア18開館のあおりを受けて、2000年(平成12年)にはの各館(豊橋松竹・ピカデリー1・2・3)が 、2001年(平成13年)にはの各館と日活ビルの各館()が相次いで閉館し 、豊橋市から従来型の映画館が消滅した。 豊橋東映劇場はAMCホリデイ・スクエア18の影響で赤字に転落し、黒字化の見通しが立たなくなったために撤退を決定したとしている。 2002年(平成14年)には旧と旧を会場として、豊橋青年会議所がを初開催した。 2003年(平成15年)の第2回以降は市民有志による実行委員会が映画祭の主催者となっており、基本的に行政からの補助金を得ることなく開催を続けている。 2005年(平成17年)にはに会場を移し、2016年度はで開催される予定である。 2017年(平成29年)には映画監督のがディレクターを務める映画祭「ええじゃないかとよはし映画祭」が初開催される予定である。 2005年にはAMCホリデイ・スクエア18の運営者が変わり、となった。 2014年(平成26年)には15番スクリーンに上映設備を導入している。 映画館一覧 [ ] 戦前の演劇場・演芸場・映画館 [ ] 戦前の演劇場・演芸場・映画館一覧 開館 閉館 画像 館名 所在地 備考 1900年 1940年 呉服町 現在の北側付近。 1900年12月に演芸場として開館。 株式組織だったが、1920年に山森三九郎の個人経営に移り 、1940年に映画館の 豊橋東宝映画劇場に転換。 1899年以前 1905年頃 朝日座 上伝馬町 設立年・廃止年ともに不明。 上伝馬遊郭の中央に位置していた。 1899年11月にはの三福一座が公演。 1901年には豊橋で初めての上映を成功させる。 廃業後には建物が遊郭内に放置されていたとされるが、1912年には川合銃砲火薬店の手に渡って取り壊された。 常芝居。 1873年から1874年頃に開館。 当初は手間町(現・大手町)、1881年6月に西八町に移転。 1899年に閉館。 1881年 1883年 宝栄座 手間町 演劇場。 常芝居。 朝倉座が手間町から西八町に移転したことで、手間町の旧小屋を使用して宝栄座が開館。 1882年4月には朝倉座とともに華々しい合併興行が行われたが、その後興行が行われることはなく、1883年には取り壊されている。 1900年にはこの土地を三遠銀行が新築予定地として買収。 1933年にはこの場所から三遠銀行が移転し、跡地には有楽館が建設された。 1893年 1921年 弥生座 上伝馬町 演劇場。 1893年11月開館。 1921年に映画館に転換してに。 1899年 1945年 豊橋劇場 花田町字石塚 演劇場。 1899年3月1日開館。 1936年に松竹系の映画館となった。 豊橋米穀取引所の隣にあった。 1945年6月ので焼失した。 1901年 豊橋座 演劇場として1901年に開館。 名古屋市幅下の西栄座を購入して移築したとされる。 建坪260余坪。 開館公演はであり、同日には奇術師が西洋手品を演じた。 1904年11月には落語の、浪花節の芳川虎丸が来館している。 万歳の鈴木源一郎一座、落語の音曲大一座も来館している。 1917年に上伝馬町に移転。 1904年 1906年 東栄座 西新町 1904年に開館したが、1906年には業績不振で閉鎖された。 建物は2,000円で豊川の豊川座に売却された。 1911年 1945年 寿座 清水町 1911年10月17日、松山町の牧野米作によって演芸場として開館。 建坪は40坪、定員は582人。 外観はロマネスク建築風であり、新停車場通りの名物となった。 規模が小さかったため三流の芸能人が来館することが多く、客入りが芳しくなかった。 このため、1912年7月27日には突如として映画館に転換。 同年10月6日には 寿館に改称した。 1924年には 蝶春座に改称。 隣接してと村田屋旅館があった。 1945年にの関係で廃業。 1912年 不明 豊明館 神明町 1912年6月に神明町に 豊明館として開館。 豊橋最初の活動写真常設館である。 1929年に神明町内で移転し、 松竹館に改称して映画を上映。 1919年 不明 有楽館 札木町 1919年に 有楽館として開館。 1924年に 大盛館に改称して映画を上映。 1933年に館名を再び 有楽館に戻す。 1939年-1940年頃に 豊橋新興映画劇場に改称して映画を上映。 1927年竣工の豊橋支店の裏手にあった。 1921年 1945年6月 錦正館 松葉町 1921年6月に 錦正館として開館。 1926年に 錦館(ニシキ館)に改称。 1937年に 大衆劇場に改称し 、洋画専門館として映画を上映。 広小路通りの萱町電停そば 、後年のスカラ座近くにあった。 モダンな建物。 1945年6月ので焼失。 1921年 1945年6月 上伝馬町 前身は1893年に上伝馬町に設立された弥生座。 1921年に帝国館が開館。 1945年6月ので焼失したが、同年10月末には焼け跡にが開館している。 1921年 昭和初期 新盛館 西新町 1921年2月18日に 新盛館として開館。 開館式には愛知県庁職員、愛知県議会議員、豊橋市議会正副議長、学校長などが出席している。 後に オペラ館に改称。 昭和初期に閉館。 1930年 1945年6月 キネマパワー 松葉町 1929年12月31日 (1930年とする場合も )に教育映画館として開館した。 豊橋6館目の映画館として大盛館の館主が設立。 開館公演は監督の『』全11巻。 ヨーロッパ映画を上映。 1945年6月ので焼失。 現在の洋菓子店マッターホーン本店の場所。 1932年 1945年6月 花田館 花田町字稲葉 西側の一角(三井製糸場跡)に建設された 、西部唯一の映画館。 1932年12月22日に開館し、15時から16時の間にはが行われた。 開館当日には主演の『』、主演の『』、主演の『』が上映されている。 のであり、低価格でを専門に上映。 1938年には 花田劇場に改称し、・作品の二番館となった。 1945年6月ので焼失。 昭和時代 不明 二川座 戦後の映画館 [ ] 戦後の映画館一覧 開館 閉館 画像 館名 所在地 備考 1945年 1950年 上伝馬町 豊橋空襲で焼失した上伝馬町のの焼け跡に、1945年12月に合同映画社によって 第一映画劇場が建設された。 1949年には封切館となって 豊橋第一東映劇場に改称。 1950年には萱町に移転した。 1946年 1973年 豊橋東宝映画劇場 広小路3 1946年12月に合同映画社が広小路3丁目に開館。 木造平屋建。 1947年にはの封切館となって 豊橋東宝映画劇場に改称。 1964年にはとの入れ替わりでの封切館となって 豊橋大映劇場に改称。 1969年から1970年にはの作品も上映している。 大映の倒産にともなって、1971年には 広小路劇場に改称して日活ロマンポルノを上映していたが、1972年9月に閉館した。 映画館時代の建物は取り壊され、跡地には豊橋第一生命ビルが建っている。 1946年 1961年 メトロ劇場 松葉3 1946年5月、松葉町3丁目に足木興行社が 豊橋劇場として開館。 木造1階建、400人収容。 1948年にメトロ劇場に改称して洋画専門館となった。 隣接する豊橋大劇場(大劇)ではアクション映画が多かったが、メトロ劇場は女性向け文芸物や超特作が多かった。 洋画専門館だったが、末期の1959年から1年あまりは映画を上映。 1961年に閉館してパチンコ店となった。 現在は商工組合中央金庫豊橋支店となっている。 1946年 1961年 豊橋国際劇場 新本町 1946年4月、指笠町(新本町)に天野興行社が豊橋映画会館を開館。 やがて キャピトル劇場と改称し、1948年に 豊橋国際劇場(550席)に改称。 洋画・・・作品を上映していたが、1953年に新東宝の専門館となった。 1960年からは東映と新東宝の3本立て上映を行っていたが、1961年に閉館。 現在の新本町ビルと新本町変電所の場所。 1946年 1970年 千歳劇場 駅前大通1 1946年10月、駅前大通1丁目(花田町稗田)に オリオン座として開館。 運営は千歳興行。 1948年に 豊橋大映に改称されると、作品や洋画を上映した。 1952年にはが大映の封切館となったため、豊橋大映は8月に千歳劇場に改称し、・・大映の邦画特選上映二番館となった。 480席。 1963年には 千歳日活に改称して作品を上映。 1970年5月に閉館し、の立体駐車場となった。 後に豊橋西武の立体駐車場となり、現在はの立体駐車場として使用されている。 1947年 2000年 大橋通2 1947年5月、豊橋劇場跡に 豊橋松竹映画劇場として開館。 1960年には豊橋松竹会館ビルに建て替え、 豊橋松竹と 豊橋名画座の2スクリーン体制となった。 1963年12月には同一ビル内に 松竹ロキシーと 松竹シネマを開設。 1985年には ピカデリー1、 ピカデリー2、 ピカデリー3に改称し、豊橋松竹と合わせて4スクリーン体制となる。 2000年に4館とも閉館。 1947年 1964年 豊橋大劇場 松葉3 1947年8月、足木興行社によって開館。 木造2階建、800人収容。 初期には歌謡ショー・女剣劇・ヌードショーなどを行う実演大劇場だったが、1953年には洋画(アメリカ映画中心 )専門の映画封切館となった。 2階にはアベックが座れるロマンスシートがあった。 同一運営元で同じく松葉3にあったメトロ劇場とともに豊橋の洋画上映を牽引したが、1964年に閉館した。 現在の松葉支店。 1950年 2001年 萱町 前身はの流れをくむ第一映画劇場。 1949年に封切館となって 豊橋第一東映劇場に改称した。 1950年には萱町に移転。 1960年には建物を新築。 1963年に東映直営の 豊橋東映劇場に改称。 1階は東映封切館の 東映シネマ1、2階は東映による洋画の上映館 東映シネマ2だった。 2001年に閉館。 現在は駐車場。 1950年 1997年 駅前大通1 1950年、百貨店の内に上映館として 丸物会館が開館。 1964年12月には同一ビル内で移転して 丸物東宝に改称。 1969年には再度同一ビル内で移転し、1972年には 豊橋東宝に改称。 1973年には 豊橋西武東宝に改称。 豊橋西武東宝は1997年に閉館した。 豊橋西武の跡地にはが建っている。 1955年 1963年 豊橋日活劇場 駅前大通1 1955年12月に中日興行が駅前大通りに開館。 500席。 作品の封切館であり、当時としては珍しいスタジアム形式のホールを備えていた。 1962年には広小路にが開館したため、日活劇場は日活のとなり、しばしば洋画も上映した。 1963年に閉館。 現在の駅前出張所の場所である。 1956年 2000年 豊橋銀座東映劇場 神明町 1956年10月、小寺秀和が神明町に開館。 が北に向きを変える新川交差点の北東にあった。 作品の二番館であり、1963年以降には洋画や作品も上映。 1965年から2000年までの約36年間はとして営業していた。 2000年閉館。 1959年 1966年 南栄町 1959年12月に開館。 映画の。 1966年9月に閉館。 現在は豊橋店駐車場。 1959年 1968年 二川銀映劇場 大岩町 1959年10月に植村光次郎によって開館。 邦画の三本立てを2-3日の高頻度で入れ替え、1か月に70本近くの作品を上映した。 1963年には建物の一部がパチンコ店となった。 1964年には映画館としての通年営業を止め、週末のみの上映となった。 常設映画館としては1968年閉館。 その後は移動映画館として活動し、株式会社東海映像となった。 現在は建物跡地が一般住宅となっている。 1962年 2001年 広小路1 1962年に広小路に 豊橋日活会館として開館。 運営は中日興行。 1963年に洋画封切館の スカラ座に改称。 1966年には同一ビル内に 広小路ロマンが開館。 1975年にはロマンがみゆき座に改称。 1984年には スカラ座1、 スカラ座2、 スカラ座3となった。 2001年に閉館。 1973年 1992年 日活小劇場 花園町 1972年9月にはを上映していた広小路劇場が閉館。 の東隣にはヌード劇場や飲食店などが入る複合ビルがあったが、1973年1月にはとして 日活小劇場が開館した。 その後成人映画業界が衰退し、1992年に閉館となった。 1985年 1995年 藤沢町 1985年9月、研修施設兼用映画館として内に開館。 運営はである。 2スクリーンを有し、邦画・洋画、新作・旧作など、多様なラインナップで10年間営業した。 1995年頃からは研修施設として使用されることが多くなり、1999年に同一敷地内にAMGホリデイ・スクエア18が開館したことで完全に閉館した。 現在の駐車場。 1999年 現存 藤沢町 1999年に内に AMCホリデイ・スクエア18が開館。 18スクリーン・計3,300席を持ち、開館時からスクリーン数で日本最大のである。 2005年に運営者が変わって ユナイテッド・シネマ豊橋18に改称。 1-2• 229• 14-15• 『とよはしの歴史』、p. 230• 907• 277• 147• 148• 908• 386• 442• 175• 584• 382• 391• 309• 729• 686• 『校区のあゆみ 栄』栄校区総代会・栄校区史編集委員会〈豊橋校区史35〉、2006年、pp. 36-37• 708• 『とよはしまちなかスロータウン映画祭十周年記念誌』p. 『とよはしまちなかスロータウン映画祭十周年記念誌』p. 452• 「既存館に明日はない? 」朝日新聞、2001年12月4日• 「AMCホリデイ・スクエア18が1日からユナイテッド・シネマ豊橋18に、オープニングイベント多彩] 東日新聞, 2005年9月24日• 映画ナビ, 2014年4月25日• 東雲座の所在地は現在の曲尺手(かねんて)町。 『絵葉書のなかの豊橋』p. 『豊橋近代芸能史』pp. 7-8• 13-14• 55-57• 『豊橋近代芸能史』pp. 91-92• 912• 『豊橋百科事典』p. 387• 150-151• 199-200• 208• 『豊橋近代芸能史』p. 231• 『豊橋市の今昔』, p. 134• 132• 38-39• 133• 136• 『豊橋市の今昔』, p. 131• 342 参考文献 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 上伝馬町史編集委員会『上伝馬町誌』、2004年• 近藤正典『写真集 豊橋いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年• 豊橋市『とよはしの歴史』豊橋市、1996年• 豊橋市史編集委員会『豊橋市史 第4巻』豊橋市史、1987年• 豊橋市総務部広報課『豊橋の60年』豊橋市、1966年• 豊橋市百年史編集委員会『豊橋市百年史』豊橋市、2008年• 豊橋市二川宿本陣資料館『絵葉書のなかの豊橋 思い出の風景を訪ねて』豊橋市二川宿本陣資料館、2006年• 豊橋百科事典編集委員会『豊橋百科事典』豊橋市、2006年• 豊橋市美術博物館『戦後映画の黄金期 豊橋の映画館』豊橋市美術博物館、2012年• 『とよはしまちなかスロータウン映画祭十周年記念誌』とよはしまちなかスロータウン映画祭実行委員会、2012年• 芳賀信男『新聞広告から見た豊橋近代芸能史』芳賀信男、2006年• 豊橋市図書館・大林卯一良『豊橋活動写真考古学考』豊橋市図書館、1999年• 柴田芳男『映画館ものがたり』映画界研究所、1959年.

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